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 長雨が過ぎれば穀物の収穫に忙しくなる。

 蝶々さんのところの下働きは一日中働けないおじいさんおばあさんに代わり、子供たちも毎日のように来る。

 三毛猫のいる生活に慣れてきた蝶々さんは、いつもの日常に戻っていた。


「もうし、蝶々のお姫様はいらっしゃいますか」


 こんなしゃべり方をするのは宝来のおじさまからの遣い人くらいだ。

 子供たちに断って、はいはいと顔をだす。

 玄関先には二人の男の人が立っていた。大きな箱を背負った男の人のうち片方は見覚えがあるおじさんだ。もう片方は見たこともない青年。

 蝶々さんは少しばかり緊張するも、相手の方がよっぽど緊張しているみたいだった。


「宝来の遣いで参りました。蝶々のお姫様におかれましては壮健そうでなによりです」

「遠いところからご苦労様。いま、茶を用意させますね」


 下働きのおばあさんに頼んで茶となにかつまむものを用意させる。

 子供たちの遊ぶ座敷とはまた違う座敷に案内し、二人にくつろいでもらう。ぴっと伸びた背筋はそのままに、胡坐をかいた二人にはくつろぐ雰囲気がさっぱりない。

 蝶々さんは少しばかり残念に思う。

 宝来のおじさまの遣い相手ではいつもうまくもてなせないのだ。


「まず、こちらを。宝来の長より手紙を預かっております」

「はい、はい。おじさまは元気かしら」

「蝶々のお姫様を煩わせることもないほど健康です」


 おじさんは堅苦しい言葉でしゃべる。

 おしゃべりがしづらいなあと蝶々さんは少し困る。

 二人は遣いという大役を担っているらしいので、お仕事中におしゃべりなんてもってのほかかもしれないと思いなおした。

 宝来のおじさまからのお手紙はいつも通りだった。

 時季の挨拶から始まって、仕事がしたくないという愚痴まじりに都の近況を伝えてくる。それから今回の贈り物についての一覧がついて、後は元気でと簡単に締められている。


 何かあったらすぐ手紙を頂戴というくだりを読んで、不思議な日記と夕筒と三毛猫のことに思い当たる。

 日記のことは、恋のことは書けない。

 夕筒のことだって書けない。本人に不用心だと諫められてしまったし。

 三毛猫を客として迎えたことだけ伝えておこうと蝶々さんは決めた。


「贈り物の中身をみてもいいかしら」

「ええ、もちろんでございます。こちらに広げておきましたのでどうぞお確かめください」


 あでやかな着物が一面に広がっている。

 蝶々さんは前に麻模様だとか鱗模様だとか市松、立て枠、そういった使いやすい着物が欲しいとお願いしたように思う。ところがどうだろう。広がる着物はどれも変わり模様で、市松模様一つとっても雪輪紋と組み合わせられていて一目で高価なものと知れる。

 中でもひときわ目を引いたのは蝶々の模様の着物で、こんな鮮やかな着物は見たことがなかった。


 しばし見とれてしまったものの、蝶々さんは現実に戻って一覧と贈り物を比べてみる。

 着物、帯、羽織、肌襦袢に長襦袢、足袋からなにから身に着けるもの。新しい本と日記帳、それから写生や書を書くための紙。新しい錦絵やら花札、トランプなるものまで様々なおもちゃ。

 それからそれから、干菓子からなにからたくさんのものがでてくる。

 

 蝶々さんはないものがあってはいけないと必死になって一覧と見比べる。

 二人の遣いの人たちも手伝ってくれた。

 ようやくすべてのものを確かめれば随分と時間がたっていたようで、子供たちが幾人か座敷を覗きにきていた。


「蝶々さん、それはなあに?」

「蝶々さん、着物きれいねえ」

「蝶々さん、遊んでよ」


 気付かれたことに気をよくしたのか子供たちが次々に声をかける。ともすれば座敷に入ってきそうな子供たち相手に蝶々さんは慌てて近寄る。

 宝来のおじさまからの贈り物は子供たちに触らせてはいけない。よくよく注意されてきたことだ。


「ごめんなさいね、わたくしまだそっちへ帰れないの」


 えーっと非難の声が上がる。

 子供たちの前に立って贈り物を隠しながら彼らの頭を撫でていく。子供たちはちょっと気をよくしたらしく、仕方ないかと廊下へ帰る。蝶々さんは子供たちを遊ぶ座敷へと送っていき、もう一度二人のいる座敷へと帰る。


「ごめんなさい、よく言っておくわ」

「構いませぬ。手紙などはありますでしょうか」

「まだ書いていないの。できたら村の庄屋さんに預けるわ。今日はもう遅いでしょうから」

「かたじけない」


 二人は空の箱を背負って玄関に立つ。

 結局話したのはおじさんとばかりで、青年はついぞ口を開かなかった。随分前にきた青年もそんな調子だったから、青年というのはそういうものなのかもしれない。

 蝶々さんは一人で納得する。


「道中、どうか気を付けて」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃ、宝来のおじさまによろしくね」

「確かに承りました」


 下働きのおばあさんひとりに子供たちの世話を任せて、蝶々さんは贈り物の片づけに励む。

 着るものも遊ぶものも、屋敷にはこんな調子でどんどん増えていく。宝来のおじさまに多すぎると抗議したことは一度や二度ではないけれど、それは蝶々さんへの都からの贈り物だからと取り合って貰えなかった。

 古くなった着るものを村の衆へあげることだけは許して貰えたので、蝶々さんはなるべく同じ着物を着るようにしている。早く擦り切れてしまうように、と。


 村の衆が帰っても蝶々さんの片づけは続く。

 明日までにはなんとかと焦るものの、なかなか思うようには進まない。帯も着物も見事でつい見惚れてしまうのだ。

 時には当ててみて、誰かに見てもらいたくなる。


「また豪勢な贈り物だね」

「三毛。どこへ行っていたの?」

「猫はどこへでも行くものだよ。それにしてもおかしいねえ。着ていく先もないのに見事な着物ばかりだ」

「そうなの、勿体ないよねえ」


 言うことがあんまりもっともなので、蝶々さんも真面目な顔で頷いた。

 三毛猫の言う通り、こんな見事な着物を貰っても蝶々さんは屋敷の中でしか着やしない。誰に見せるわけでもない。村の衆には褒めてもらえるかもしれないけれど、なんだかそれは自慢しているみたいでどうにも好かない考え方だった。

 三毛猫は薄暗い灯りの中でも蝶々さんの顔がよく見えるようだ。くるりと一回りして、着物たちと蝶々さんを見比べる。


「その割には嬉しそうじゃないか」

「三毛が見てくれるから」

「そういうのは良い人にいうものだよ」

「良い人って、なあに?」


 また三毛猫が笑う。

 良い人というのがただ優しい人だという訳ではなさそうだ、と蝶々さんもすぐに気付いた。

 含みを持たせた言葉を三毛猫はたびたび口にする。蝶々さんには理解できない言葉ばかり使って見せる。その癖、意味はさっぱり教えてくれないのだ。


 これはたぶん、恋に関する言葉なんだろう。自分の知らない言葉の数々はきっとそうに違いない、と蝶々さんは決めつけた。

 知らない言葉に出会った晩は、不思議な日記にそれを書き綴ることにした。いつかこの意味が分かるだろうと希望を込めて。


 雨が降れば子供たちは来ない。

 いくら子供の足で来られる距離とはいえ、蝶々さんの屋敷までの道は半分けもの道だ。

 慣れた大人ならともかく、子供は迷子になるか疲れて帰るか。だから村の衆もこちらへ子供たちを寄越さない。


 こんな日は本を読むのに限る。

 宝来のおじさまから届いた本のうち、舶来の話がまとめられた本を手に取った。

 つらつらと読み進めていけば雨に嫌気がさしたのか三毛猫も同じ部屋に来た。

 蝶々さんは本を読むのをやめて三毛猫と戯れることにした。


 紙にふぅと息を吹きかけて、三毛猫の周りで戯れさせる。

 三毛猫も慣れたものでちょいちょいと前足を伸ばしたり、ぴょんと飛び跳ねて蝶々を狩ってみたりとよく遊んでくれた。全部の蝶々を狩りつくすと、疲れたと言わんばかりに三毛猫は丸くなる。


 三毛猫と遊んでいるうちに、お礼の手紙を書いていないと気が付いた。

 慌てて手紙を書き始める。

 宝来のおじさまへ、何をかこうか筆が迷う。元気ですか、お仕事いつも大変ですね、そういった書きなれた文の合間に贈り物の礼を混ぜる。


「特に蝶々の着物が気に入りましたが着ていくところがありません」


 口に出してこれでいいかと推敲する。

 着ていくところがありません、で終わらせるとここから出たいと言っているみたいで宝来のおじさまを心配させるかもしれない。こんな見事な着物ばかりどうしましょう、と続けることにした。

 これなら非難しない程度に今度は地味なのでいいですよ、と伝えられるだろう。


 それから三毛猫を客と迎えたことを記す。

 夕筒のことは内緒にして、雨の上がった次の日に軒先に参りました、と本当のことを書く。


「猫というのがどれだけ可愛らしいのか、先人たちの書で学んでまいりましたが実際にみるとまた可愛らしさに気付かされます」


 三毛猫がどれだけ生活の潤いになっているか伝える。蝶々と戯れる様は踊るようで素晴らしい、と続ける。

 三毛猫がしゃべることは内緒だ。

 古今東西、しゃべる動物は珍しくまた退治されてしまう話の多いこと。陰陽師をしているおじさまに知られたら取り上げられてしまうかもしれない。


 書き上げて、下働きのおばあさんへと手渡す。

 確かに庄屋さんから宝来のおじさまへと送るようにお願いして、帰る姿を見送った。

 夕餉を食べ、行燈の火をともして読書の続きに戻る。舶来からの本は珍しく、知らない話がたくさん載っていた。

 三毛猫も興味がわいたのか膝に乗って一緒に見る。


「この本はおかしいねえ」

「舶来のものだから珍しいのよ、三毛」

「違う違う、本がおかしいんだよ。見てごらん。切り取られた跡がある。黒く塗りつぶされて読めない部分がいくつもある。こんな本は知らないよ」


 蝶々さんもこれには驚いた。

 本というのはそういうものではないのか、と。


 蝶々さんのところにある本はみんなそうだ。どこかしら切り取られているし、文の途中が黒く塗りつぶされている。舶来の本でも昔の本でも本と名の付くものはすべてみんな同じようになっている。

 三毛猫はおかしいねえとまた呟く。

 蝶々さんは急に不安が増してくる。

 宝来のおじさまからの贈り物は、いったい何を隠しているのだろう。

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