第零章 プレリュード
―遠く銃声が響く、限りない無限の荒野で...塹壕を共にした部下や、共に夢を語り合った友はもういない。それでも私は生き残ればならなかった...―
息が切れる、体中が痛い、視界がくらむ...奴らに棒にされた足を引きずって、逃げる、戦友の亡骸を捨て置いて。
体に広がる甘い痺れが死へ誘う、遂には足に力が入らなくなってくる。それでも俺は、自陣へ向けて這い進む。
「俺は......まだ......死ぬわけにはッ!」
意識が遠のき、呻き声しか上がらなくなる。甘い甘い最後のまどろみの中で走馬灯が始まる。楽しかったあの頃、隣に住んでた幼馴染との淡い思い出、苦楽を共にした友との思い出、背中を預けた戦友たち......そして最後に流れてきた光景は、友の、幼馴染の、戦友たちの侮蔑、怒り、怨嗟などであった。
「どう......して......?」
その問いに答える筈の幻想は霧と消え、虚空に虚しく溶けていった。
遠くから声が聴こえる...
「......!......か!」
「...だからな!...ぐ...が...な!」
友軍か?何を言ってる?気になりはしたが、もうどうでも良くなっていた、俺は微笑む死神に意識を預け、甘い痺りに見を委ねた。
―長い、長い虚無を過ごした...そんな錯覚を起こすほどの永遠の暗闇の中、一筋の光が視界に差し込む、鳴り始める鼓動、体中に熱が戻り始める感覚を覚える。―
光が差し込んだ、あまりに眩しく眼を細めるほどの。同時に、手に、足に...体中の自由が戻ってくる感覚を覚える。視界が正常な状態に戻り、意識がはっきりしてくると自分が病室にいることに気がつく。
「ここは......?俺は......」
「目が覚めたかね?君は生き残ったのだよ”主人公”君、ここはマーズ陸軍中央病院の集中治療室だ」
初老の白衣姿の男が優しく俺の問いに答えてくれる。
生き残った......!その実感が熱となり、体中を駆け巡り、目頭を熱くする。
「俺は......あぁ......生き残ったッ......」
今生きているという事実に対する喜び、安堵感と、生き残ってしまったことに対する罪悪感や戦友の亡骸すら捨て置いて逃げ延びたことに対する嫌悪感など、様々な感情が綯い交ぜとなり、熱い涙が、嗚咽が漏れる。
「治療による身体に大きな影響はない、検査も異常なしだ、ゆっくり休養を取るように」
そう残すと、医者は去っていった。
その後、俺は一通り泣いた後、冷静になると、あの時、あの瞬間が頭に過る。
「あぁ......!すまない......お前たちをおいて......俺はッ、逃げたんだ......!」
罪悪感に押しつぶされ、過呼吸になり、息ができなくなる。遂には置いてきた仲間たちが自分を責め詰る幻聴まで聴こえる。
動悸が止まらず、定まらぬ焦点をどうにかしようと意識をした時、今までの疲労感が襲ってきて遂に私は、意識を手放し、泥のように眠った。
このベットの上の夢の中こそ、自分を責め詰る戦友たちも、自分に迫る命の危機もない、平和な楽園にも思えた。
―生き残った兵には戦友の最後を語る義務がある、それがどんなに惨めな最後だろうと...、そして逃げ延びた者には制裁がある、たとえいかなる理由があろうとも―
目を覚ましてから2週間ほど立った頃、俺のもとに軍服をきた青年の男がやって来た
。
「緋那神 翔 幼年生徒軍曹ですね?」
「そうですが......?」
「あなたに軍法違反...敵前逃亡及び友軍殺害についての被告人出廷命令が通達されている」
男は、俺に軍法会議書からの出廷命令書を広げてみせる。
身に覚えのない罪だった、なにせ一緒に派遣された部隊員は皆、敵の攻撃で戦死し、自分は撤退命令を受けて退却したのだから。
「なにかの間違いでは?」
俺が弁明のために言葉を紡ごうしたその時、男は手のひらを此方に見せそれを制止する。
「それは軍法会議にて弁明してもらいます...おっと、紹介が遅れましたが僕は、火星連邦陸軍法務部のクレス少尉と申します」
法務士官ね......しかし軍法会議か、どうしたものか。
「一応弁護人はつきますが、罪が罪なので査問委員会(第一審)は跳躍し、軍法会議からの審判となります。出廷の日程については此方を。それと、憲兵による取調べは特例により、この病室を使用する事となりました」
そう言うと、出廷命令と捜査令状、日程表などを置いてクレス少尉は出ていった。代わりに屈強な強面の憲兵と、妙齢の険しい表情の女性捜査官が入ってきた。
彼らは机とパソコンを設置し終えると此方に向き直る
「わたしが陸軍犯罪捜査官のカディナと、此方は憲兵科の高蔵寺一等軍曹だ」
「高蔵寺だ、よろしく。最初に......貴様のような卑怯者に権利はない、と言いたいところだが......」
彼らは自己紹介を終えると、ミランダ警告(黙秘権と、供述や弁護人に関することにについて)の確認と、この取り調べは可視化されているという事実確認をした。
「それでは取り調べを開始する......」
高蔵寺がそう宣言すると、俺にとって長い長い一日が始まった。
「なぜ貴様は無断撤退をしたんだ!敵前逃亡は重罪であるとはわかってるはずだろ!?」
主題に入ると、高蔵寺は声を荒げ机をたたき、此方に問いただしてくる。
「部隊のラジオレコード(交信記録)を確認してください!大隊長発令の撤退命令が記録されているはずだ!」
俺はあの時、そう、分隊の半分を失ったあの時、無線に入った撤退命令に基づいて退却を行った。端末には肉声の撤退命令と、録音記録、撤退経路及び合流点が記された記録があるはずだ。
「ラジオレコードぉ?貴様のいた部隊の無線交信記録に撤退命令はなく、それどころか部隊は損耗なしで進撃中だったようだがなぁ......?」
高蔵寺が寝ぼけた事を言い出す。分隊は部隊員を半数を失い、小隊は全滅状況、中隊は壊滅していたのに進撃なぞするわけがない。
幽霊が部隊ごと進撃していたとでもいいたいのか?
「そんなはずが......!」
否定と状況説をしようとした時、高蔵寺は有無も言わさぬ語気で遮る。
「その敵前逃亡行為の途中に同じ分隊員を殺害し逃亡した、そうなんだろ?」
此奴は何を言っている?分隊が俺を除いて全滅したのは、撤退戦の最中だ。あいつらは俺を逃がすために殿を買ってくれた。”生きろ”とそう言ってくれたのだ。
「違う!」
と声を荒げ、事実と食い違う部分を一つ一つ是正してゆく。そこから7日間、朝から晩まで取り調べが続いたが冤罪は晴れぬまま起訴され、裁判の日が訪れた。
―濡れ衣を着せられた哀れな兵は、偽りで塗り固められた正義に裁かれる。敵に背を向けた兵の罪は裁かれ、敵に背を向けさせた将の罪は裁かれず―
審判の日、俺は、憲兵に護送され連邦軍軍法会議所にやって来た。灰色の箱型の建物が幾重にも重なる外見から、奇岩城や砦とあだ名される。
裁かれに来た俺には、魔王が住む牙城にすら見えた。
「敵前逃亡とは、アドバーサリーとの戦いに背を向けた......60年にも続く連邦軍の栄光と、戦友達が骸を積み上げ、己が命を持って照らし続ける、火星人類の未来を否定する行為だ!」
法務士官(軍検察)が起訴内容を読み上げる前に、陪審員や判事へと、俺に対する怒りを見せつけるように語気を荒らげる。場は一気に俺に対する敵愾心で支配される。
起訴内容が読み上げられ、証拠検分が行われる、そこには存在するはずもない進軍命令書やラジオレコード(交信記録)などがあった。
合間合間に被疑者陳述があり、必死に弁明を繰り返したが有罪優勢の流れは変わりそうもない。
弁護人の方を見る、大隊から派遣された弁護人は良く言えば優しそうで、悪く言えば気が弱そう男であった。
幼年学校から派遣された弁護人は官僚的な男で、義務的にここにいて俺の弁護にはそこまで熱が入ってない様子であった。
2人の弁護人の勝利はどうやら無罪ではなく、処刑の回避のようである。
使えない弁護人共に絶望し、大げさに悪態と、ため息をつくと......
「被告人、被疑者陳述以外で勝手な行動をするな」
と注意された。大勢は決していたが、審判の流れは更に悪くなる。
法務士官と弁護人の論戦が始まる。争点は大隊の撤退命令の有無と、敵前逃亡中の友軍殺害の有無に始終した。
撤退命令のラジオレコードは大隊の弁護人は確かに聞いていたと証言したが、より上位の連隊や旅団の通信隊には記録がないと言う。
友軍殺害に関しては、当該作戦に展開していた第二軍の複数名が証言していると言う。
部隊の壊滅要因も、この敵前逃亡と友軍殺害による指揮系統の混乱が原因だと、第二軍司令部は結論づけたらしい。
弁護人も撤退命令、陳述の矛盾を指摘し、壮絶な弁護を展開したが、判事の一言。
「友軍殺害は証明出来ていないが、敵前逃亡の物証は揃っている、後は被告人の話を聞きたい」
この一言で勝負は終わる、後は敗戦処理の段階に来た。
そこからは大隊や幼年学校から派遣された弁護人の弁護も虚しく、遂に判決の時が来てしまう。
「判決は終身刑だ...と言いたいが連邦少年保護法に基づいて君には更生の機会を与えなければならない。幼年学校は放校処分、焔ノ宮州兵の第十二機甲団への教化配置を命ずる」
「此れに基づき、焔ノ宮州立紫炎高等学校への編入を命ずる」
教化配置か...現階級の剥奪と、爆弾付きの管理首輪をはめられての部隊配置、もちろん侮蔑の目がつきまとい、発言力も無に等しいだろう。
配置も、最前線に近い第十二機甲団配置、教化兵と年少兵が七割を占める、そんな部隊。
未来に思いを馳せると、視界が歪み、頭痛が走る。そんな中退廷を命じられ、憲兵に両脇を抱えられながら法廷を後にした。
憲兵の護送を待つために、待合室へと連れて来られる。護送を待っていると、クレス少尉とカディナ捜査官が訪ねてきた。
「教化配置と聞いた、死刑や終身刑は免れたようね?」
カディナが抑揚のない声色で尋ねてくる。
「法務士官と捜査官が雁首そろえて、この教化兵になんの用です?」
その態度に、今の感情も混ざって、苛つき、つい慇懃無礼な態度を取ってしまう。
「......この軍法会議について、疑問があるの。証人はあなたの学校の政敵、あなたの父、”名字”中将の政敵ばかり。大隊にのみ残る、上位部隊承認付き撤退命令書......、その他にも捜査官や憲兵もあなたに利するはずの証拠を紛失したり、調書を改竄したり......とね」
なるほど、幼年学校の連中や、軍団の将校団もグルか。しかも憲兵までとはな。これなら、有りもしない罪で起訴されて、あるはずの証拠が消滅したのは納得だ。
「僕達法務士官と捜査官の有志は再捜査を開始する。おそらく、君を無罪にできる!だから...だから君は生き残ってくれ、生きて無罪を勝ち取るんだ!」
クレスが必死に、そして願う様に声をかけてくる。
「言われなくとも」
そう言うと、俺は踵を返し、護送に来た憲兵の方へ向かう。
―正義に死に場を告げられたその日、私の心の中には確かに悪の華は咲き始めていた―