プロローグ:5
善は急げと言われるが結界を張るときも急ぐらしい。結界というのはいささかこのご時世深く意味があるとは思われていない。札を貼るのだろうか、四隅に盛り塩するのか。俺の知識もその程度だったので彼女への口出しは極力遠慮していた。
まぁ、彼女もその事について俺のは元より求めておらず男子高校生の筋力が必要らしい。助手で雑用だ。不服があるわけでもない。幼女が頑張っている姿はなかなか心をくすぐる。悪くない。
「お前今変なこと考えていただろ」
「い、いや如何わしいことは考えていないけど」
「ふん、まぁどうでもいいわ。それよりほれ、この紙を長方形に等分に切るのじゃ」
「ん、わかった」
渡されたのはコピー機に入れ込むような印刷紙。これを長方形に等分に切るのか。なんというか、幼稚園児のおままごとに付き合っているような気分だ。何に使うんだろう、やはり結界の札なのだろうか。そう考えるとわくわくしなくもない。
方囲、定礎、結と人差し指と中指を立ててみる。とてつもなく懐かしい、哀愁が漂う。忘れよう、このことは。
数分程度で等分に切るという猿でもできる単純作業を終えてディアルーツに渡した。昔から手先が器用なお蔭で縦横揃えても不揃いは見当たらない。これで求められているのは合っているのか心配だったが、彼女も特に不満はなさそうだ、興味がないだけかもしれないけど。
「おい、お前。塩水を用意しろ。少し塩が溶け残る位まででいいぞ」
「食塩水の飽和水溶液を作るのか。わかった」
リビングを抜けてキッチンに行く。これもまた猿でもできる単純作業なのでちゃっちゃと終わらせる。桶に注いだ塩水を無言で彼女のところまで持ってくる。こちらのほうを見向きもしない。少し傷つくがまぁ、昨日今日見知っただけの男子高校生に警戒する方が普通か。狙われている身だし。
塩水を何に使うのか凝視していると、先程の長方形の紙片を浸け始めた。さながら紙の漬物みたいだ。
これで一作業終えたらしく「ふぅ」と可愛らしい溜め息をついたあと緊張の糸を緩めたようにソファーベッドに寄りかかった。ソファーベッドを占拠する姿は正にこの家の主だ。幼女だけど。
…なんか気まずい。作業していたときは気にならなかったけど互いに知らなすぎるというかなんというか。チラチラと見てくる視線も背中にずきずきと刺さるしなぁ。コミュニケーションの一環だとしてもハードル高くないか?
ここは俺から話を切り出すとしよう。色々と聞いておきたい事もあることだし。
「なぁ、ディアルーツ。最初に会ったときの姿と若干違う気がするんだけど何か理由があるのか?」
「ん!?特に理由があるという訳では無いのじゃが…。いや、話しておくとしようかの。単純な話じゃが、儂は今弱体化しておる。残存している力に合わせて肉体が変化したのじゃ。大きな器に小さな中身より、小さな器に大きな中身の方がバランスがとれておるじゃろ。そういうことじゃ」
明らかに話すのを躊躇われたよなぁ…。結局は話すに値すると値踏みされたのならいいか。いちいち気にするほどの仲でもないし。
「儂からも聞くが、お前、儂の胸の傷どうやって治した?」
ディアルーツが自分の大層なドレスの服を目繰り上げる…のではなく派手に破いてその胸部を曝した。確かに昨日まであったボーリング資料みたいに抉られた傷は完全に治っている。痕も残らず完治、あるのは綺麗な肌に控えめな胸部だ。
「何をそこまでじろじろと見ておるのじゃ…お前は幼女の胸部を見て興奮するのか?」
「興奮しねぇよ!まぁ、申し訳程度には興奮するけどさ」
「興奮しておるではないかこの変態め!」
「逆に問おうか!女の身体をみて欲情しないのはいささか無礼だと思うのだがこれはいかに」
「ぐっ…た、確かにのぅ。じゃあ無礼がないよう作法程度に欲情せい」
作法程度に欲情ってなんだよ。欲情に作法も糞もないわ。世界の紳士淑女が欲情の作法を持っていたら内心地獄絵図だぜ。
閑話休題、逸れた話を戻す。
「うーん、俺が治したって訳じゃないぞ。第一、俺は能力者じゃないしな。救急車にお世話にならなきゃ応急措置くらいしか出来ない」
と俺はありのまま打ち明けた。しかし、ディアルーツの表情はあまり良くない。納得いかないというような表情だ。
「本当か?儂の胸の傷は到底治せるものではないぞ。物理的のは、確実に無理じゃ今の儂にそこまでの治癒力も再生能力も復元能力もない。全盛期じゃったらまぁ、いけるじゃろうな、そもそも攻撃を喰らわんか。かかっ」
「お前傷って一体なんなんだ?物理的に治せないって聞いたことないぞ。言葉の綾か?」
「言葉の綾ではないぞ。呪術の類いじゃ、恐らくな。しかも術式事態は呪術なのに抉ったのが聖遺物じゃ。思いっきり凶悪でエグいぞ」
…は?こいつ中学二年生頃に発症する思いっきり凶悪でエグい病気に患っているのか?
と言いたいところだ。しかしだ、あり得なくはないということに体が気づいている。存在感そのものが並みならぬものなんだ、まるで、科学という俺たちが住んでいる箱庭の基礎を丸ごとぶち破るような。魔法やファンタジーが基礎の世界の住人といった方が分かりやすい。
「呪術っすか、そうっすか」
「お前その白々しい反応止めろぶち殺すぞ」
「ごめん」
「うむ、儂の寛大な心に免じて許す」
いちいち偉そうなやつだな。俺の寛大な心に免じて許すけども。
「その呪術ってやつがとりあえずヤバイんだな?」
「ヤバかった、じゃ。今は何ともありはせん、不思議なことにな」
「そっか、なら悪くなかったのかもな」
◆◇◆
親睦を深めるためにコミュニケーションをとったがこれで少しは好感度が上がっていてほしい。互いに警戒心と独特のよそよそしい空気も和らいだようだ。先ほどまでは息苦しくてしょうがなかった、人見知りだからかな。
多分、幼女とふれあえなかったからだ。幼女を目の前に気まずい空気になったら冷や汗が出てきてたようで脇汗が。ますます変態みたいだ、自重しよう。
ベランダで乾かした塩漬け紙を外してディアルーツが唐突に親指をかじりだした。甘噛みではなく皮膚を食い破るように歯で切り裂く。痛がる様子もなくどくどくと傷口から流れ出る鮮血をその塩漬け紙に垂らして、指を滑らしていく。
淡々と慣れた手つきで紙に血で滑らしていく。その緊張の糸がピンと張っていきいつの間にか黙っていた。邪魔をしたくないとか、見守るとかではなく、動けない。これはまるで金縛りだ。
そして出来たものは数枚の血で文字らしきものが書かれた紙だった。さながら神社や寺で貰える札のようだ。
「なぁ、これってもしかして護符か?」
「そうじゃ、無知だとは思っていたがそのくらいは知っておったか」
無知だと思われていたのか。
「これは見ての通り札、護符じゃ。ベースは陰陽道の類いじゃが、儂流にアレンジを加えておる」
「そういうのって我流ってことか?」
「そうじゃ、我流じゃからと言って本家より見劣りするとは思うなよ。むしろ儂流のほうが凄い。儂に合わせている分幾らかは効力が強すぎるのじゃがな」
「強すぎるって…危険性はあったら嫌だぞ」
「う、まぁ、大丈夫じゃろ。多分。お前が敵として認識されていたらこの結界の中では存在できんくらいじゃ」
うわぁお。超やっべーやつじゃん。万が一にも敵として認識されていたら存在抹消ですか。
でもまぁ、結界ってかなり胡散臭いけどな。大体こいつの言っていること事態は胡散臭いんだけど、嘘ついてるような感じはしないんだよな。
「この札を鬼門に二枚、あとは四方八方の方角に一枚ずつ貼ればよい。儂はちと疲れたのじゃから寝るぞ。起こしたりしたら殺すぞ」
と言うわけで家の中に胡散臭いお札がペタペタと貼られました。