7月7日、天気は雨。
七夕企画のはずだったもの。やっぱり間に合わなかった。
―――7月7日。
毎年のように降る雨が私を責めたてる。
ポツリポツリと降る滴は私の頬を撫でて零れ落ちていく。
私はこの日が一年の中で一番苦手だ。
織姫様、彦星様。
貴方達は幸せですか?一年に、たった一度しか逢えなくとも。
私は、好きな人の傍にいるだけでは物足りません。
それは貴方達からしてみれば、我儘なのでしょうか。
一日を除き遠くからお互いを見ている事しか出来ない貴方達からしてみれば、私の立場を羨ましくも思うのでしょう。
でも、私からしてみれば。
貴方達が幸せそうに見えて仕方がありません。
いくら雨が降ろうとも鳥達に助けられ川を渡る事が出来るように、貴方達は周りから祝福されている。いくら親が間を切り裂こうとも、決して離れる事のない想い。
いくら想おうと叶う事のない私は、貴方達が妬ましく、羨ましい。
――――――――――だから私は今日も、雨を降らす。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「今日は七夕ですね。」
学校に着くなり赤い生地に金色の錠前と鎖がついた帽子が目につく男が言った。
それに続くように頷いたり嬉しそうにする周りを見ると、何だろう。胸がざわつく。
「笹とか、短冊とか用意しなくっちゃ!今年こそ願いを叶えてもらうぞーっ。」
子供みたいに無邪気な眼で言わないでよ、こっちが恥ずかしい。
私にもあの子みたいな時期があったんだなんて思うと急に吐き気が込み上げてきた。
やっぱりどうも、団体行動は苦手だ。感情が暴走しそうになる。
「折角だから皆で集まって飾るのもいいかもしれないな。」
けれど、この場を離れる訳にはいかない。だって、彼がいるから。
私の大切な、素敵な王子様。彦星とはかけ離れた性格の持ち主。
人々は彼を万能と呼んでは褒めそやす。
昔の彼を知っているのは私を含む少数だけ。彼の一部を知ってるからって馴れ馴れしくしないでほしい。私より彼を知っている人なんていないの。だって、私は。
昔からずっと彼を見てきた。時に陰で、時に傍で。
ずっとずっと前から、彼が大好きだった。万能でない頃から、ずっと。
「今日は雨が降るわよ。」
こんなこと言いたくないのに。彼の楽しそうな顔を見ていたいのに。どうして私は気が利かないんだろう。本当の事を隠せないのだろう。嘘をつくのだって時には必要なはずなのに。
・・・いいえ、本当の事を言うのはいい事よ。期待をさせてガッカリさせるのは良くないわ。
今日は絶対雨が降る、それは間違いないのだから。
「えぇ、そんなぁ。じゃあ織姫と彦星は逢えないの?」
「鷺が橋を作ってくれるから問題ないよ。」
「でも雨が降っていては行先に困ってしまいますね。」
二人にとっては、一緒にいられるその時間だけで充分なのだと彼女は分かっていないのね。場所なんて関係ないのに。
「おぉ、良かった、揃ってるな!ほら、短冊とか用意しておいたぞー!」
先生が上機嫌で教室へやってきた。その手には色とりどりの飾りや短冊の入った袋がある。教室の隅に飾られた笹に飾る為にわざわざ用意したのだろう。
「ほら、皆一人一枚!願い事を書いて飾ってくれよ。」
懐からペンを取り出した先生は、生徒たちの輪に加わって一緒に短冊を書こうといしている。その先生を囲むようにして次々と短冊に願い事を書く子が現れた。
「政ちゃんは何て書くの?」
「そういう真希は何を書くの・・・?」
「願い事は決まっているんですか?」
「いや、実は決まってなかったり。美麩は?」
「そうですね、皆さんと仲良くなれるように。でしょうか。」
「それは心配しなくて大丈夫だから!他の書こうよ!」
辺りは一気に七夕ムードになっていく。私は一人取り残されたように教室の隅に置かれた笹を眺めた。私がこの笹にぶら下げるのは、短冊ではなくてるてる坊主な気がする。そっちの方が私らしいだろう。それに、てるてる坊主があればもしかしたら、雨を降らせずに済むのかもしれない。
「静は何て書いたの?痛い事書いてないでしょうね?」
「んな訳ないだろ!ふっつーの願い事だっつうの!」
「ん~?じゃあ見せてみなさいよ~」
「ばッ!駄目に決まってんだろうが!!」
「あっ、ちょっと!そういわれると余計に気になるじゃないのよーっ。待ちなさいっ!」
ゲームオタクと猫娘が追いかけっこを始めた。
何だかんだでお似合いよね、あの二人。もっとも、猫娘は違う人に想いを寄せてるみたいだけど。
「真里亜は何て書いたん?見せてーや?」
「内緒っ。」
「ん?そうか?因みにな、俺はな、ある人と仲良うなれるようにって書いた!」
「そっか。叶うといいね。」
「叶えてみせるで。」
リア充はこの教室から退場しなさい。どっか別の場所に遊びにでも行ってらっしゃいよ。こっちがどんどん惨めに思えてくるじゃない。・・・でも本当にそんな事になったらこの教室ガランガランになっちゃうわね。はぁ、惨めだわ・・・。
周りは七夕というイベントを純粋に楽しんでいるように見えた。お互いの願い事を秘密にし合いつつも気になり、教えてもらおうと必死になったり、何を書こうか悩んだり。そんな様を見ているのはちょっと楽しかった。ただ、その輪の中に入れないのが残念だった。
願い事なんて最初から決まっている。
『彼と幸せになりたい』と。
でもそれはあまりにも大雑把で、叶う確率はとてつもなく低い。具体的な願い事ほど叶いやすいと聞いたことがあるような気がする。
「霧雨ちゃーーーーんっ!」
あら、ウザイののお出ましだわ。適当にあしらいましょうか。
「何よ、犬。」
「わんわん!霧雨ちゃんの為だったら俺犬にでもなるぜ!」
「兄さん何をやってるんですか・・・。」
「本当にわんこさんみたいね。ふふっ。」
アイツが変な事を言うから、鳥肌が立ってきたじゃない。どうしてくれるのよ・・・!
「煩い。ハウス!」
「はっハウス!?」
「所定位置に帰りなさいって事よ。」
「そ、そんなぁ~しょんぼり。」
何でアイツが私にあんなに付きまとうのか全く分からないし、どんな言葉を送っても嬉しそうにするからどうしようもないのよね。ドMなのかしら、アイツ。
気を取り直して、観察といきましょうか。
次は、そうね…誰にしようかしら。
教室を隈なく見渡し、的を探す。
「幟杏ちゃんは何て書くの?」
「新しくて面白いネトゲが出ますように、かなぁ。」
「へぇ~。ネットゲーム好きなんだね。」
「あまり夜更かししないようにするのよ。」
「んもう!氷椏はいちいち煩いのっ。話掛けないでよ。視界から消えて!」
「・・・分かった。消えればいいんでしょう?」
この二人は相変わらずね。邪魔されたくない妹と、妹が気になって仕方がない姉・・・最悪の相性。だけどお互い心から嫌っているわけではないのはすぐに分かるわ。だって、目が本気じゃないもの。いつもの調子でスラスラっと言葉が出てきてしまうみたいね。
姉の方はそのまま教室を後にしてしまったみたい。
私もずっとここにいても仕方がないし、帰ろうかしら・・・。
そう思っていた直後だった。
「霧雨は短冊に願い事は書かないのか?」
私の大好きな彼が、私に話掛けてくれたの!これはチャンスよね。マイダーリンに一気に近づくにはもってこいよね!寧ろそうしないと勿体ないわ!!!
思わず返事もせずに飛び込む。
彼の座っている椅子のすぐ横にぴったりと椅子を寄せ、少し寄りかかるようにして座った。
ちょっとだけ腕に伝わる温かさに心臓の鼓動が早くなる。
「いきなりどうしたんだ、さっきまで落ち込んでいるように見えたのに。・・・まぁ、元気になったようで良かった。ほら、短冊とペンだ。」
紫色の短冊と、白のペンを手渡してくれる。
私はそれを受け取り、短冊を前にして色々な事を考えた。何を書こう。何を叶えたい?
彼とずっと一緒にいたい、とか?それとも彼のお嫁さんになりたい、とか?他の女が近づかないようにでもいいわね。
「璢夷は何て?」
「実はまだ考えている最中なんだ。」
ぐ、誰よいきなり私達の間に入ってきたのは!いいえ、私達の間には何人たりとも入れさせないわ!
・・・ってやっぱり貴方ね!いつもそうやって邪魔をして。貴方には他の人がいるっていうのに!信じられないわ。そうやって、私を困らせて楽しんでいるんじゃないの?
「そういうお前は決まったのか?」
「さっきまで皆と仲良く出来るようにって書こうとしてたけれど、やめたの。それは自分で叶えられるって分かったから。」
蒼藍美麩。私の彼を横取りした嫌な女。
いつからだったかしら、彼の隣に彼女がいるようになったのは。それまでは私だけの彼だったのに。
いえ、言葉が悪かったわ。友人はその頃から多かったし、あの令嬢も近くにいたわね。なんだかんだで私達幼馴染だったんだわ。
・・・だとすれば、アイツもその時から?そんな筈はないわよね。一緒にいた記憶がないもの。あの子はいたけれど、アイツも弟さんも一緒には居なかったわ。弟さんはたまに見かけていたけれど。
「霧雨さんは何をお願いするんですか?」
憎らしい声で回想から引き戻される。
まさかこの子に話しかけられるとは思ってもみなかったわ。なんて返そうかしら?気分的には無視したいところだけど、そうもいかないわね。
「考え中よ。余りにも叶えたい事が沢山あって困っているの。」
「そうですか。叶うと良いですね。」
貴女がいなければ叶っていたかもしれないわ。とは敢えて言わなかった。表情には出ちゃったかもしれないけれど仕方ないわよね。これでも我慢した方だわ。
「璢夷を独り占めしたいとかそんな感じのでしょどうせ。見え見えだな〜。」
あの子の影から声がする。きっとお付きの者ね。
その言葉がブーメランな事に気が付いていないなんてお気の毒。本当は私なんかよりもその欲が強いんじゃないの?隠している内は何も変わらないわよ。
「煩い!自分に素直になれないあんたなんかに言われたくはないわよ!それにあんただって相当出てるわよ、オーラが。あの子が鈍感で助かったわね!!」
「おぉ、怖い怖い~。」
キッと一度睨みつければ肩を寄せ上げ首を竦めて視線を逸らした。ほうら、思った通りじゃない。
「お二人とも、何の話をしているんですか?」
「美麩は気にしなくていいんだよ。こっちの話だから。」
「そうですか、分かりました。」
ここで素直に引き下がるのはいい事ね。なんて思いながら、短冊の方へ向き直った。
未だに白紙の短冊が私に何かを訴えかけているように感じるけどきっと気のせい。気のせいよ。
「私は何て書こうかな?」
「僕はもう決まってるもんね。」
「セイラさんの件ね?でもそれは織姫と彦星が困っちゃうと思うわよ?」
「お二人の願いでさえも、相思相愛でしたもんね。お互いがあんなに想いあうなんて素敵です。」
「姉ちゃんにだってきっと出来るよ、そういう相手が。」
彼らは家族内のお願いにするみたいね。それはいい事だと思うわ。
それに自分の願いを他人の為に使うなんてそうそう出来ないもの。よっぽど仲がいいのね。純粋に羨ましいわ。私はそうはいかなかったから。
「霧雨ちゃん!霧雨ちゃん!!」
「何よ千佳。」
千佳が駆け寄ってきて私の腕を掴んでいた。
彼女はちゃんと私の事を理解しているので、璢夷くんと私の間ではなく反対側に来ている。
私は璢夷くんの方を向いたまま声の主に言葉を返した。
彼女は私のこの態度に腹を立てることもなく続きの言葉を綴る。
「璢夷くんとの時間を邪魔して悪いんだけど、新作スイーツの件で相談に乗ってほしくて。」
「で、何が出たのよ。」
「ケーキとゼリーが出たの。どっちも可愛いし美味しそうなんだけど、食べるとするならどっちがいいかなぁ?ほら、これが写真!」
彼女の方を向くと、手に持った雑誌がでかでかと見えた。そこには七夕限定スイーツの記事が載せられ写真も掲載されている。
ケーキの方は、白いクリームにつつまれたスポンジに黄桃が挟まっており、トッピングには星の形をしたフルーツや砂糖菓子が乗っている。一個が然程大きくないようで、一人で一つペロリと平らげてしまいそうだ。
一方ゼリーの方はソーダ味がベースとなっており中には星型のパイナップルやその他のフルーツが閉じ込められている。水色のゼリーなので、見た目も涼やかだ。
どちらも美味しそうだけれど、彼女に勧めるなら間違いなく前者だろう。因みに、私なら後者を食べる。
「カレの件もあるしケーキにしたらどうかしら。」
「やっぱそう思う?さっすが霧雨ちゃん!」
「む、そのケーキとゼリーは今日までしか販売していないのか。帰りに買って帰らなくてはならないな。」
「璢夷くんはどっちが好きー?」
「俺なら後者のゼリーがいいな。」
・・・密かに好みが一致していたことを喜ぶ。
「なら、一緒に買いに行きましょう。私もこのゼリーが食べたいわ。」
「そうだな。他の人の分も含めて買いにいくとしよう。あまり大勢で行くわけにもいかないしな。」
「私はケーキ買いに行ってくるよ!」
「ケーキ?なら俺も行くー」
やっぱりカレはケーキに食いついたわね。
他の人にこのスイーツを買いに行くことを伝えると、各メンバーがどちらが食べたいかを挙げていく。すると不思議な事に大体半々という結果になった。
ケーキの方は千佳と紫綺と美麩が、ゼリーは私と璢夷くんが買いにいくことで纏まり、授業が終わった後にお店へ向かう事になった。
雑誌の記事を読ませてもらったところ、このゼリーを販売しているお店はここから25分ほど先にあるらしい。どこにあるのかまではいまいち分からなかったけれど、璢夷くんが雑誌に掲載されていた地図を凝視していたから問題ない。
「では行ってくる。」
「いってらっしゃーい!」
授業を終えて、皆に見送られながら出発する。
この件があって、今日の授業には全く集中できなかった。だって二人きりよ?他に誰もついてくる人が居なかったんだもの。あの璢夷くんの横にいる男性・・・名前なんだったかしら?忘れてしまったけれど、彼もいないなんて本当に珍しいわ。
「いつも一緒にいる彼はどうしたの?具合でも悪かった?」
実はいました、なんて言われたらどうしようかとハラハラしながら問うと、人が大勢いそうな話題のお店について行く勇気はなく、留守番を選んだという事が分かった。これで本当に二人きりなのだと改めて実感する。
こうして二人きりになるのはいつ以来だろう。人気者の彼には大体周りに人がいたから、なんだか違和感すら感じてしまう。もしかしてこれは私の夢なのかしら。それとも妄想?そんな事だったら悲しすぎるわね。でももしそうなら起きようとは思わないわ。
「どうやら雑誌に載っていたデザート以外にも種類があったようだな。」
変わるまでが長いと評判の信号前で待っている途中、彼がそう言った。
彼は手に持っていた小型の機械でさっきのお店を調べたみたい。
彼に近づいて画面をのぞき込む、と見せかけて少し寄りかかる。あぁ、温かい・・・。っていけない。意識を手放すところだったわ。危ない。
改めて画面を見ると、そのお店で売っているスイーツメニューが映し出されていた。
雑誌に掲載されていたのは看板メニューのようで、大きく見出しがついている。そこをタッチすると画面が切り替わり、詳細情報が映し出される仕組みとなっていた。
そのゼリーの横に、織姫ゼリーや彦星ゼリーなどの他のゼリーの名前があるのが見える。
「どのゼリーも美味しそうだな。」
「そうね。」
自然な笑顔でそう答えると、璢夷くんは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。そう、今の表情は私しか知らない。自然体な彼の素顔ともいえる。
「お店で一つ頂いてから戻るか。それくらいの時間は掛かっても大丈夫だろう。ただ着いてきてもらうというのも申し訳ないしな。」
「えぇ、たまには自分にご褒美をあげたっていいと思うわ。賛成よ。」
勿論、貴方が言う事に対して反対なんてしないけどね。
「願い事、まだ決まっていないのか?」
「そういう璢夷くんはどうなの?考えている途中だって、朝は言っていたわよね。」
「あぁ、まだ決まっていない。というよりも、これ以上望むものがないんだ。」
「それは」
私といるこの状況が、なんてそんな話ではないのは百も承知だけれどやはり少し期待してしまう。
貴方が望むのはどんな世界なの?そこに私はいるのかしら?
「本当に俺は、恵まれていると思う。」
そういう彼の表情は、先ほどまでとは全然違っていた。目を閉じ慈愛のオーラを纏わせる。でもその奥には底知れぬ悲しみと苦しみが詰まっているようで心配になった。彼のことだ、無理をしているに違いない。他の人とは違う何かを感じ取っているからこそ、どう振る舞うべきかを迷っている。
今現在の空模様のような、怪しい雲がちらほらと現れ始めていた。
「なら、そのままでいいじゃない。もし今後叶えたい事が出来たのならその時に頼めばいい事よ。きっと織姫も彦星も応えてくれるわ。貴方になら。」
「霧雨は俺の事を買被り過ぎる。俺はそんな立派な者ではないぞ。」
「貴方が本当の意味で完璧ではないことくらい、知っているわ。だって私は誰よりも貴方の事を知っているんだもの。でも私はその部分も含めて・・・貴方が好きなのよ。」
何度も声に出した言葉だけれど、こうも静かな場所で言うのはやはり恥ずかしいものね。
言葉を何度も詰まらせながら、でも堂々と彼に告ぐ。彼は黙ってそれを聞いていた。
答えをくれないのはいつもの事。なのに今日は何だか答えが欲しいと感じてしまった。これ以上踏み出せば、もう後戻りは出来ないと私の頭の中で警鐘が鳴り響く。やめておくべきだともう一人の私が警告する。言葉を飲み込んで、私は想いを圧し留めた。まだその時ではない。
「有難う。そう言ってくれるのはお前だけだ。霧雨。」
「貴方の為なら何でもするし、助けになるわ。だからお願い。無理はしないで。」
「あぁ。分かっている。有難う。」
二回目の有難うという言葉と、頭に乗せられた璢夷くんの手。
思っていたよりも大きなその手が私の頭の上で軽く弾む。
「・・・・暗い話はやめにしよう。もうすぐお店につくぞ。」
璢夷くんがそう言ったあたりで、小さな看板と見事な紫陽花がお出迎えしてくれる。
紫陽花は青に紫にと色とりどりでこちらをじっと窺っているように思えた。
七夕ゼリーのお店のドアはノブ式で、くるりとノブを回すとカチャリという音と共に小さくカラリカラリとドアの上部についた飾りが音を立てた。よく喫茶店にある、入店を知らせる音が店内に響く。その音につられてお店の人が忙しそうにしながらこちらへやってきた。
店内は広くはなく、和菓子屋さんのように大きな商品ケースが置かれ、そのガラスの中に色とりどりのゼリーが陳列されている。雑誌に掲載されていたからか、七夕ゼリーだけが残り少ない状況になっていた。
「これは人数分集まるか不安になるな。」
お店の人に個数を伝え、購入しようとすると丁度二つ足りない事がわかった。どうやら先に来ていた人が購入した関係で数が足りなくなってしまったらしい。
そういう事なら仕方がないと私達は残りのゼリーを購入した。
二人で顔を見合わせ、どうしようかと考える。
「ここで一つ食べていく予定だったし、私は気にしないわ。」
「まぁ、残念ではあるが仕方がないな。頼まれた分は確保できたし問題はないだろう。」
気を取り直して、私達の分のゼリーを購入する。
私は織姫を、璢夷くんは彦星のゼリーを頼んだ。
織姫も彦星も桃のゼリーがベースとなっており、中のフルーツや飾りが異なる造りになっている。織姫は甘くとろけるような味、彦星はややさっぱりとした後味になっているんだとか。七夕を代表する笹や短冊に見立てた飾りやスプーンなどもあり、かなり凝っているのが分かる。
店内の数少ないテーブル席に二人で座り、ゼリーを開封した。いい匂いがふんわりと香ってくる。
「さて、いただくとするか。」
一口食べた感想は、甘くて美味しい。なんともセンスのないそのままの感想だけれどそれが一番しっくりくる。ともかく、とても美味しかった。例えるなら『ロマンス』の味かしら。
「彦星はどんな味がするの?」
そう聞くと璢夷くんは困ったように笑う。
「どう、と言われると難しいな。後味がさっぱりしていて・・・シャーベットにしても美味しいだろうといった感じか。それでは伝わらないな。織姫はどうだ?」
「とにかく甘いわ。でも美味しいと思う。甘ったるいわけではないけど極限まで甘くて・・・ちょっと何を言っているのか分からなくなってきたわ。」
「やはり言葉で伝えるのは難しいか。」
そう言うと璢夷くんはスプーンで彦星ゼリーを一口分掬う。
「食べてみれば分かるだろう。ほら、食べてみろ。」
差し出されたスプーンに、思考が停止&ショートする。ちょ、ちょっと待って心の準備が・・・!
私の異変を感じ取ったのか、彼はおかしいなといったような表情を見せる。私のこの反応が意外だったみたいね。
「どうした、何を今更恥ずかしがっているんだ。小さい頃からの仲だろう?」
「そ、それはそうなんだけど、やっぱり、その。」
ある程度歳をとったら気にするようになるものよ、とは言えず。
あまりの恥ずかしさに柄でもないのに俯いてしまった。なんだか顔から熱気が伝わってきている気がする。
「なんだ、いらないのか?」
「いいいいいいいいる!いるけどっ!」
「なら早く食べてくれ。このままでは残りが食べられん。」
いつになく悪戯モードな、普段見ない璢夷くんの姿に心臓を撃ち抜かれ息もままならぬ状態になる私。そんな私を見て困った笑みを浮かべる璢夷くんの表情が、ほんの僅かに変わる。こんな状況でも僅かの変化に反応するなんて、流石私ね。
「そこまで気にされるとこちらも気になってくるだろう。やめてくれないか。」
目を逸らされた。
心なしかほんの少しだけ見える耳の部分が赤く感じる。もしかして、璢夷くんも照れてるの?
「わ、分かった。分かったわよっ!」
最早勢いだけで彼の差し出すゼリーを食べた。あまりの恥ずかしさのせいか、味がしない。簡単に咀嚼をして、ゆっくりと飲み込む。ごくりと喉を通り過ぎていく感覚と共に、スゥーッと冷静さが戻ってくる。
今度は私が攻める番。選手交代よ。
恥ずかしさを飲み込んだからなのか普段の調子が戻ってくる。今ならちょっとした悪戯さえできてしまいそうな気分になった。さっきは私を蒸発させる気だったのかしら。璢夷くんもやるわね。
「味は・・・分かったか?」
「えぇ。」
しれっと嘘を吐いたけれど、彼はそれに気が付いていないみたい。
「さっぱりしているけれど、味が薄いわけではなくて寧ろ濃厚ね。でも喉を通りすぎるときには爽やかな味になっているから、いくらでも食べてしまいそう。」
「そう、そうだな。」
「じゃあ、織姫はいかが?そっちを食べてからだと、更に味を感じると思うわよ。」
こちらも負けじとゼリーを差し出す。うろたえる姿を見せて頂戴。でもって私の脳内メモリーに保存を・・・・!そう思っていたけれど。
「・・・・うん、思っていた通りだな。美味い。」
彼は思ったよりあっさりと私のスプーンからゼリーを食べたのだった。
私、女として見られていないのかしらとちょっと悲しくなってくる。いやいや、そんなはずはないわと自分を励ましながら、彼の言葉を待った。
「何故だろうな。これは霧雨にぴったりだと思うのは。」
待った後の彼の言葉はこれだった。
私、こんなに乙女チックで甘々だったかしら?記憶にないわね。
「そういう璢夷くんは、彦星の味そのものね。」
ぐっと迫ってきては、サァッと消えていく。掴みどころのないところなんかそっくりだわ。
だからこそ、いくらでも追いかけていける。
「どういう意味だそれは。」
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。もともとそこまで大きくはないゼリーは完食され、私達はお店を後にした。
「・・・雨が降ってきたな。傘に入れてもらえるか?こちらが持とう。」
「えぇどうぞ。私の傘を宜しくね。」
左手にゼリーの入った袋を持って、右手に私の傘を持つ彼。私が濡れないように細心の注意を払ってくれているのが分かる。
私は彼の右腕に自分の腕をからませて、まるで恋人のように振る舞った。
「きっと再会して喜んでいるんだろうな。」
「織姫様と彦星様ね?」
あぁ、と彼は頷く。
―――――今年は私も短冊に願い事は書かないでおこう。
彼の願い事が見つかった時の為に、とっておくの。いざというときに彼の力になれるように。
7月7日。今日の天気は、雨。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
霧雨さんと璢夷さんって、何だかんだいってお似合いだなと私は思うんです。
日頃のお二人を見ているとまるで恋人同士のようで。
霧雨さんは璢夷さんに惚れていますから、ストレートな気持ちを相手に伝えています。そして彼はその想いを受け止めている。彼女が頑張れば、彼がいつか振り向いてくれるのではないかと私は考えています。
たった一人第7教室で天の川ゼリーを食べながら一つだけ短冊の結ばれた笹を眺め、そんな事を考えていたんです。
これはいつも自分の気持ちに真っ直ぐな彼女への憧れと尊敬の気持ちです。
どうか諦めないで、自らの手で運命を変えてください。私は貴方を応援しています―――――。
ん、どうやら私のした事に気が付いた方がいたみたいですね。
「貴女でしょう、あの人の願いを叶えたのは。」
「えぇ、私です。ゼリー、美味しかったですか?」
「七夕ゼリー、美味しかったですよ。・・・・そうではなくて。」
「何故私がそんな事をしたのか、ですか?」
普通の人から見れば、関係のない人がいきなりそんな事をするはずがないとお考えになるでしょう。
でも私には、そこまでする理由があったんです。それだけの話ですよ。
「それは、内緒です。」
短冊の横に吊られた逆さまのてるてるなら、理由を知っているのではないでしょうか――――?
・・・という訳で、霧雨+α視点の御話でした。
途中から書いていてこちらが恥ずかしくなりました。
高校生だったらもっと大人な恋愛しててもおかしくないのに、どうして私のキャラ達はこんなにウブなのか・・・私のせいか。