ロニと勇者
時系列→本編前。主人公が勇者やりたがらなかった時期の話。
登場人物
・八色由乃→主人公。現代日本よりカルロディウス国に召喚された勇者。わが道を行く屁理屈屋だけど、一貫した信念の持ち主で、情は深い方。本編では勇者やってるけど、今回は勇者やりたく無いって逃げてた時期。でも性格にはあんまり変わりが無い。
・ロニ→カルロディウス国首都、城下の田舎町に住む少年。まだ年齢一桁ながらも色々あったらしく、変に賢くて色々考えちゃう子。自分の可愛さを知っている策士な子だけど、今回は意味ない。数少ない由乃の年下の友達。
・ミシェル→ロニの妹。ちいさい。かわいい。もっと出番を増やしてあげたい。
「ヨシノ様に葛藤は無いんですか」
妹のミシェルは、目の届く範囲で花を摘んでいた。それは兄である己の日課で、いつもは一緒に摘んでいるのだが、今日は何となく、最近こちらへやって来たらしい、自称『「勇者で無い」勇者』と話をしてみたいと思ったため、今は彼女一人に任せている。勿論、話が済んだら、ロニも手伝うつもりだ。
ロニが問いかけた勇者――由乃は感心したような顔になり、質問とは別の答えを寄こす。
「最近のガキは、葛藤なんて言葉を知ってるんね。お姉さんびっくりだわ」
「……」
これは、馬鹿にされているのだろうか。
ロニは少しそちらの方向も考えたが、彼女から悪意を感じる事は無かったので、ただ思ったことを言っただけなのだろうと判断。手元に群生していたシロツメクサに気付き、幸福の形と伝えられる四葉を探しながら、何となく話を進める。
「ヨシノ様は、勇者じゃないですか」
「ちげーよ。勇者やらないって言いはってる、ただの異世界人だよ」
即座に否定が返ってくる。眉間に寄った皺は、彼女の不機嫌の度合いだ。
幼い頃から人の顔色を窺ってきたロニにとって、由乃は酷く解り易い人間だった。表裏が無いわけではないのだろうが、彼女は酷く正直で、誰に対しても、いつでも誠実に、好きも嫌いも明け透けに発言する。
彼女は異世界人であった。
元より、ロニの生まれた世界には、異世界から来た少女が魔王を倒すと言う、お伽噺さながらの伝説が、歴史として確かに存在した。それは根深く語り継がれ、ロニもミシェルも、幼い頃よりずっと良い聞かされて育ってきたのだ。
異世界から来た、勇者の剣を携えた、勇者。
彼女の腰にも、当然ながら『勇者の剣』が存在した。
赤い鞘には金の装飾。覗いた柄は白色で、そこだけが、ロニの家にある絵本と、少しだけ違っていた。あれは確か、真っ赤な剣、だったか。
「でも、ヨシノ様は、勇者としてこの国に、喚ばれたんでしょ?」
城下には、時折ミレオミールが下りてきた。その彼から聞いたのだ。色んな人と話すのが好きらしい彼は、ロニの住む田舎の城下に、商店街に、貴族街に、とにかく何処にでも現れるらしい。
掴みどころの無い彼だが、人の輪に溶け込むのは人一倍上手い。何だか良く解らない人間なのに、それが彼の持ち味とばかりに、当たり前のようにいつの間にかそこにいるのだ。
(……羨ましい)
羨望。
それは、意味の無い物だ。
いくら憧れても、ロニはミレオミールにはなれない。彼のように人々の中に溶け込む事は出来ず、彼のように、誰かの心に良い物だけを残していける人間には、なれはしない。
四葉は見つからず、俯いた瞳は酷く乾いていた。
胸の内は重く、肺には鉛が入っているかのように、息がし辛い。
「手出してみ」
急に由乃が言うので、ロニは返事も無くただ右手を差し出した。
彼女はその手を取ると、いつの間に作ったのか、シロツメクサを編み込んだそれを、ロニの手首に巻いて長さを確かめた。
「もうちょいね」
「いや、別にいりませんけど」
「いーじゃん。勇者(仮)からプレゼントなんて、町の人羨ましがるわよ」
それは、確かに。
城下の街は、どこも城に近い分、情報が早い。
前回もそうだった。前回の、勇者が喚ばれた時も。
ロニは幼く全く覚えていないが、その人は早くに亡くなってしまった。勇者の到来に歓喜した住人も、酷く萎れてしまった。だからこそ今回の勇者に期待をしてはいたのだが、由乃は些か、頼りがあるとは言い難い。
それでも、『勇者』だ。
この国の人々にとって、勇者は救いで、希望だ。
存在するだけで、人々は頑張れる。
いつか、その少女が魔王を討ち果たしてくれると、信じて。
――そんな、他力本願で。
「あるよ、葛藤することくらい」
独り言のような呟かれた言葉は、ロニの最初の質問に対する返答だった。
新緑の瞳に映した由乃の顔は俯いていた。
俯いて、手元のシロツメクサを必死に編み込んでいた。
それほど器用では無いらしく、指で何度も形を整え、四苦八苦しながら茎を編み込む。ぷつっと身体の奥側から音が聞こえ、新たなシロツメクサが編み込まれて行く。どうやら彼女の隣にも、シロツメクサの群生があるらしい。
「人間ならね、誰にもあるよ、葛藤なんてもんはさぁ」
知ったような口を利く。
「ミシェルにも?」
「さぁ、でもきみにあるなら、ミシェルにあってもおかしくはないでしょう。それに、今後葛藤しないとも限らない」
人間は、変化して行く生き物だ。朝は絶対にクッキーに紅茶を食べようと昼を待ち遠しくしようとも、いざその時になってみれば、ケーキにコーヒーを所望したり。
「葛藤があるのは、自由の証。選択肢がある証だよ。大いに悩めばいいじゃない」
「……そう言う話じゃ、無いんですけど……」
「あれ、そうなの」
きょとんとした表情でロニを見やり、でもすぐに「まぁいいか」と手元を見やる。シロツメクサは順調に編み込まれ、恐らく、あと二・三本で完成することだろう。
「……僕は、魔王ってのが良くわかりません」
城下は十二神将の加護が大きい。城には十二の優れた一族――正し全員勇者の末裔なので、正しくは優れた一つの一族、なのかもしれない――の使徒が集い、護りの効果は絶大だ。将を射るならば、先ずは馬から。最初に襲われるのは、加護の遠い、城下以外の地域。さらに領主の統治から遠い、外れの村や町から。
どんなに田舎で、人も疎らで、民家よりも畑や草木の多い場所でも、城下は城下だ。ロニは一度も魔獣というものを現実に見たことは無く、知っている争いと言えば、子供か大人の喧嘩くらいなものだ。時折畑泥棒も出るが、大抵は兵士に取り押さえられ、仕事の斡旋所へ連行される。
勇者は世界の救世主。でも、救世主は、『ロニ』を助けてはくれない。
「僕に、世界はわかりません。けど」
世界の総ての人が危機から解き放たれても、世界の総ての人間が、救われるとは限らない。
だって、ロニを苛む事情は、魔王が死んでも無くならないのだから。
「できたー」
話を聞いているのかいないのか、一連となったシロツメクサを掲げ、由乃は緩く嬉しそうな声を上げた。そのままミシェルの名を呼び、手招きする。呼ばれたミシェルは、短い手足を駆使してわたわたと、笑顔で由乃の方へ駆けてくる。
「ロニはさぁ、頭良い子だから」
「……はぁ」
唐突に褒められたが、ロニには意図がわからない。
首を傾げることはせず、相槌のような返事を返すが、彼女の言わんとすることは解らないし、あまり興味も持てなくなっていた。
勇者の事は、ロニもすごいと思っているし、信仰もしていた。
世界の人を平和へ導く仕事は、誰にもできる事ではない。
それをできると言い伝えられている由乃は嫌だと拒否しているが、彼女はいつか、剣を抜くのだろう。
それは、由乃の人柄を見ていればわかることだった。
例えロニでなくとも、それは。
「ロニがどんな悩みを抱えてるか私は知らないよ。きみが言わない限り、きみにもっと関わって行かない、限りそんなもの知り得る事はできない」
ロニの知る勇者は、由乃は、いつも一貫していた。
勇者では無いと言いはり不機嫌になる様子も。嫌いな物を嫌いと言い、好きな物を好きだと答えられる強さも。手伝う日は手伝う癖に、やる気の無い日は花を一緒に摘まないところも、そもそも城からやってこない日があるところも。
由乃は、ロニが知る限り誰よりも自由だった。
異世界人という前提が、そう見せるのかもしれない。
自由度で言えば、ミレオミールも同等か、それ以上を兼ね備えているのに、何故かロニには、由乃の方がよっぽど自由で、そして時折、酷く眩しく見えるのだ。
やってきたミシェルの手を取り、ロニよりもさらに細い手首に、編み込んだシロツメクサを巻く。
ミシェルは溶ける様に顔を綻ばせ、まろい頬を緩める。
「おにーちゃん!もらった!」
「うん、良かったね、ミシェル」
自慢か報告か。ただ嬉しそうにそれをロニに見せるミシェルに笑いかけ、頭をなでてやる。
ロニとは違う髪質、髪色。父親譲りの、案外太くて、量の多い髪だ。
妹は、ロニとは違う。
ロニが欲しかったものを総て持ち、暖かな平和の中に生きる、安らぎと平和の象徴。
ミシェルは、父と母、二人の幸せの象徴なのだ。
嬉しさを超えて、幸せ全開で花を摘みに戻るミシェルを見送り、ロニはふと、思ったことを言った。
「あれ、僕にくれるんじゃなかったんですか」
「あれ、要らないんじゃなかったっけ?」
悪戯っぽく笑う由乃の行動は、結局確信犯なのか、それともロニに気を使ったのか、良く解らなかった。ただ、彼女の悪戯は不機嫌にこそなれど、不幸せになることは何もない。むしろ彼女の笑顔を見ていれば、何でも許してしまえる気がした。
由乃はにっとロニに笑いかけ、「ロニにはこっち」と右手を差し出した。
そこには、ロニが探しても見つからなかった、四葉のクローバーが握られていた。
「葛藤も、悩みも、それはロニだけのものだよ。言わなきゃ解らないし、解れない。でも、だからこそ、それが『ロニ』をつくりあげていく」
ロニには見つけられなかった、幸せの形。
そっとそれを受け取れば、由乃はロニの頭に手を置いた。シロツメクサを弄っていた筈だから、草の汁が付いている筈である。
でも、ロニは嫌な気はしなかった。
由乃の手は優しくて、温かい。
それは――
「…………」
ロニには見つけられない、幸せの形。
由乃にならば見つけられる、幸せの形。
「辛い事も、逃げたい事もいっぱいあるさ。ロニは頭が良いから、今後もそういうこと、いっぱい増えてくと思う。他の人よりも余計に悩んで、色々辛くなると思う。でも、それでもそれは、イコール不幸せってことでは、無いでしょう?」
辛く、苦しくて。悩んで、葛藤して、どんなに涙を流したとしても。
「悩みが無いってことが、幸福って事じゃない。悩んでも葛藤しても苦しんでも、それを超えて幸せを手に入れられるなら、逆に悩んで葛藤して苦しんでおいたほうが、幸せも一押し。途中で諦めたら、勿体ないね」
「……途端に強引になる……」
「まぁまぁ」
由乃は「ははは」と笑い、ロニの肩を引きよせ、「もし」と仮定する。
「もし、ロニが幸せであることに不満がある奴がいるのなら――そいつらのためにも、ロニは幸せになって、無茶苦茶悔しがらせてやりなさい」
前向きの常套句と言えそうな言葉に、ロニは溜息を吐く。
「……妬まれて殺されそう」
「わぁ、嫌な九歳だなぁ」
嫌な九歳。でも、そうしたのは。
「悩んで葛藤して、思い詰めてるだけじゃ意味ないのさ。それは全部、幸福への布石。幸せになるつもりが無いのなら、悩む必要も無い。だからロニ、きみは――幸せになりなさい」
――ロニには昔、ずっと欲しかったものがあった。
それが手に入らないものだと気付いたのは、今よりもう少し幼かった頃。
欲しくても、どうしようもない事もある。一般家庭に生まれた女の子は、お姫様にはなれない。人間に生まれた子供は、猫にはなれない。犬にもなれないし、ましてや他人にもなれはしない。
それでも。
「……ヨシノ様、僕は」
ぎこちなく触れる手に、ひきつった笑顔。
ずっと、欲しかった。こんな風に――
「僕は、幸せになれますか?」
由乃はロニの髪に頬を寄せ、体重をかける。ロニも由乃に凭れているので、体勢を崩すことは無い。
「きみがなりたいと思えば、いくらでも」
途端、突き放すようだった。
けれど、それが由乃で、それが、今隣で。
――唯一、ロニの幸せを、願ってくれる人。
世界の幸せが、四葉の形をしているのなら。
両親の幸せが、妹の形をしているのなら。
幸せに、形があるとすれば。
見つけにくくても、他と違っても、逆に他と似たような物でも、それが確かに、あるとするならば。
「ヨシノ様は、僕のことが好きですか?」
「えっ何突然、好きだけど……」
きっと『ロニの幸せ』は、目の前の、少女の様な姿をしているのだ。
番外編なら更新してもいっかなって思ったんですけど、こっち書いてたら本編が進まないから、意味ないんじゃないかなって思い始めました。(作者はアホです)