訪れたリミットと家族との別れ 「お休み、織絵・・・」
リミットまで残り一週間に迫った頃、漸く転生準備が整った。
欲を言えばもっと色々やっときたい事もないではないけど、そっちにかまけて家族をないがしろにする訳にはいかないし。
とは言え、何か特別な事をするって訳でもない。
飽くまで普段通り、何でもない日常を送りましょうってだけなんだけど。
あぁ、そうそう。
一個だけあったな、特別な事。
今年二度目の小旅行に行って来たんだ。
今度は、織絵と二人っきりでね。
他県の温泉宿を予約して、二泊三日。
「準備以外でお兄ちゃんと遠出とか、最近なかったから」
と言う織絵の希望を叶えた形だけど、俺の方も確りと楽しめた旅行だったな、あれは。
宿には夫婦って事で予約を入れてあったから、織絵も俺の事を「お兄ちゃん」とは呼ばずに「あなた」とか「樹さん」とか呼んできたのが、ちょっと新鮮だったり。
温泉の方も家族風呂ってのがあったんで、織絵と二人して雪景色を眺めてお盆に載せて浮かせた徳利から、お猪口に御酒を注ぎつつノンビリ浸かってきましたとも。
ふとした瞬間に『あと少しでこんな生活も終わるんだな』なんて考えがよぎったりもしたけど、それは織絵の方も同じだったらしく夜の方は何時もよりちょっと積極的だったりしてた。
まぁ、それでも悩んでたって仕方ないのは確かなんで、朝風呂浴びた後は朝食を食べて、周り散歩してみたりしながら過ごしたんだ。
準備だとかが関わらない、純粋な織絵との時間だ。
って言いながらも、実はその帰りに一つだけ、転生準備をさせて貰ったんだけどね。
この辺りは温泉地として有名なだけじゃなく、日本名水百選に選ばれる様な名水の産地でもあるんで、この際にマローダーに設置したタンクに貯水しときたかったんだ。
異世界の水がどうかは解らないけど、地球じゃ日本以外の国の水って生水のまんまじゃ飲めない所が多いからさ。
生水を飲んで腹を壊したなんて事にはなりたくないんで、出来るだけ安全な水を用意しておきたかったし、それが美味しければ尚の事良い。
第一、女神さんに転移させて貰った時、周りがどんな所かも解らないしさ。
目が覚めて見たら砂漠のど真ん中でした――ってのはまず無いにせよ、安全策は取っておきたいってのが心境である。
準備関係なしでって一時ながら、マローダー後方側面の貯水口に水汲みようのホースを突っ込んでる俺を見て、織絵はちょっとだけ苦笑してから許してくれた。
「私もウチの水道使って水汲むってのはちょっとって思うから。これ位なら別に良いよ。他の時間は全部私に使ってくれてたの、知ってるしね」
そんな事を言いながらも俺に抱きついてくる辺り、ちょっと織絵に申し訳なくなってきた俺だった。
さて、そんなイベントは在ったものの、それからは特に何があるでもない普通の日常が過ぎていく。
朝は初めての夜以来、ずっと俺と同じベッドで寝起きしている織絵に起こされ、顔を洗って意識をシャッキリさせたら二人で朝食を作る。
そうこうしている内に親父達が起きてきて、家族揃って食卓を囲み、ニュースをBGM代わりにしながら他愛もない会話を交わす。
朝食が終われば、親父とお袋は慌ただしく仕事に向かい、俺と織絵は食器を洗ったりテーブルを拭いたりと後片付けを済ませ、湯呑片手に炬燵でノンビリ。
少し食休みをしたら洗濯ものを干して、それが終わって気が向いたら街に出てカラオケなんかしてみたり、その帰り道に商店街によって夕食の買い物。
もうすっかりと夫婦認定されてしまった俺と織絵を茶化してくるおっちゃん、おばちゃんを軽口を交えてあしらいながら買い物を済ませると、すぐさま離していた腕を組んでくる織絵に苦笑しつつ、車を止めた駐車場へ。
流石にこんな商店街にマローダーで乗り付ける訳にも行かないので、前の愛車を使ってるけど、それに乗り込んで家に帰ると俺は風呂を掃除してから沸かし、織絵は台所にたって夕食の支度を始める。
その内に最近は定時で帰ってくる親父達が帰宅して、順番に風呂に入ってから晩御飯。
親父はお袋、俺は織絵の御酌で酒を酌み交わしつつ、穏やかな食卓を囲む。
そして夕食が終われば、片づけをして寝るだけだ。
あぁ、今思ったけど、こんな日常って最近になって初めてなんだよなぁ。
仕事に人生掛けた親父とお袋が揃って家にいるとか、前は珍しかったし。
そう考えると、俺って産まれてから初めて普通の日常ってのを過ごしてるのかも。
ふとそんな事を思ったからか、
「あぁ、やっぱ普通の日常って暖かいもんなんだな」
なんて言葉が口を吐いて出た。
声自体は小さいとは言え、至近距離――同じベッドの中で、俺の腕枕で寝ている織絵には確りと聞こえていたらしく、
「そうだね」
と言う同意の言葉と一緒に、俺に抱きついて来る織絵を抱き返して目を閉じる。
そんな日常も、やはり終わる時が来た。
今日が俺のリミット、その最後の日だ。
まぁ、別れ自体は昨日の晩に済ませてある。
織絵手製の豪華な料理を大いに食べて、大いに呑んだ。
って言っても、変に馬鹿騒ぎをするでも、しんみりするでもなかったのは、ある意味矢村家らしいって事なのかな?
内心がどうかは知らないけど、親父もお袋も笑顔で送り出してくれたし、織絵も――やっぱり寂しそうではあったけど、「向こうに行っても頑張って」って言ってくれた。
そんな親父とお袋は、今は家にはいない。
「別れは嫌いだ」
と会社に行くと言って出て行ったが、実は俺も織絵も親父もお袋も今日は休みを入れてあるってのは知っている。
となると、俺に涙を見せたくなかったのか、それとも最後の時間位は織絵と二人にしてくれたのか、そのどっちかだと思う。
なので今、家には俺と織絵の二人っきりだ。
とは言え、特に何をしてるって訳でもない。
最後まで搬入してなかったマローダーも、昨日の昼間には亜空間車庫に入れてあるから、後は時間が来るのを待つだけ・・・ってのも変な表現かな?
ただ、何となく今日の昼位が本当の意味でのリミットだろうってのは解ってる。
今更、家の中を見回って目に焼き付けようって訳でもないし、第一、そんな事なんかしなくても、孤児だった俺に『家族』ってものを教えてくれたこの家の事なら、小さな事でも脳裏に焼き付いてるからね。
なんで、リミットが刻一刻と迫る中、俺は織絵の膝枕で縁側に寝ころんでいた。
「何っつーか、この庭も狭くなったんだなぁ」
何の気なしに横目で見た庭に、そんな言葉が口を吐いて出てきた。
狭くなった、ってよりは俺がデカくなっただけなんだろうけど、何となく不思議な感じを受けるもんだよな、これってさ。
「そうだね。ちっちゃい頃はここでお兄ちゃんと、追いかけっことかかくれんぼとかしてて・・・その時は凄く広く感じたのにね」
そう言って庭に見る織絵の目は、何処か遠くを見ている感じで、多分昔の事を思い出してるんだろうなってのが良く分かる。
「その後は遊び疲れてここで爆睡したりしてな。ま、今になってもここは寝易くて良いってのは変わらないけど」
「あはは、でも、昔と今だと立場が逆だね。あの頃は、遊び疲れた私がお兄ちゃんに膝枕して貰ってたでしょ?」
「そーだなぁ。まぁ、歳が離れてっからな、体力が違うのはしゃぁないさ」
子供の頃の7歳差ってのは大きいからな。
体格もそうだし、どうしたって体力に差が出来てくるのは当たり前の事。
小さかった織絵の遊び相手になってやってたけど、やっぱり織絵の方は遊び終わる頃には眠気に襲われるのも自然な事だった訳だ。
その頃からお兄ちゃんっ子だった織絵は、縁側に座る俺の膝を枕に眠ってしまい、俺は織絵が起きるまで本を読んで暇を潰すのが常だったな、あの時は。
そんな事を思っている内に、段々と眠気が湧き上がってくるのを感じた。
「お兄ちゃん、眠いの?」
聞いて来る織絵の声が何処か遠い。
あぁ、そうか、これが俺の――地球での終わりって奴か。
病気でも無く、怪我でもない。
ただ、遺された命が尽きるだけだからこその、静かな終わり。
これだったら、俺も苦しくないから楽ではあるし、穏やかに息を引き取る分、家族の方にも良い事だろう。
眠気の中でそう思っていると、サラサラと髪を撫でられる感触が。
ボンヤリとした視界の中に、俺の頭を撫でる織絵の優しい笑顔が移る。
そんな織絵に俺も笑みを浮かべて見せて、最後にこれだけは伝えたいって言葉を伝えよう。
「・・・おやすみ、織絵。愛してる。だから、幸せになってくれな」
そう言って目を閉じた俺に、
「うん・・・。私も愛してる。だから、お兄ちゃんも幸せになってね。ありがとう。お休みなさい、お兄ちゃん」
静かで優しい、織絵の声が聞こえてきた。
そしてその瞬間に、トクン・・・と小さな音を一つ立てて、俺の心臓は鼓動を停めた。
~~矢村織絵~~
気が付けば、私の膝を枕に眠る兄は静かに息を引き取っていた。
その表情は穏やかで、薄らと笑みを浮かべたその顔は私が大好きだったもの。
苦しむ事無く安らかに逝けたのは、本当に良かったと思う。
私がちっちゃい頃から一杯御世話をしてくれて、頑張って頑張って・・・就職したと思ったら、そこがちょっと酷い会社だったりして。
一杯頑張って、張り詰めた生活をしていたお兄ちゃんだから、せめて最後は安らかであって欲しかった。
「それにしても、『幸せになってくれ』かぁ~」
最後の最後まで、お兄ちゃんは優しいお兄ちゃんのままだったって事なんだろうな。
勿論、この一年間――お兄ちゃんと恋人になってからの日々は、目一杯愛して貰えてたってのは解ってるし、それが嘘だなんて思わないけど・・・。
自分が死ぬって時にまで、私の幸せを願ってくれてたんだって言うのは、ちょっと敵わないなぁ、って思ってしまった。
この一年の切っ掛けになった神様のミスってやつだって、お兄ちゃんは誰を恨む事も、周りに当たり散らす事もなく静かに受け止めて、取り乱す私やお母さん、お父さんを落ち着かせたりもしてたし。
これがもし、私が反対の立場だったらどうだろうか?
お兄ちゃんやお父さん達に弱音を吐いたり、当たったりとかしないでいられたかな?
悲しみにくれる家族を落ち着かせて、立ち直らせる事が出来たかな?
「・・・う~ん、無理だろうなぁ」
多分、後一年しかこの世界に居られない、大好きな家族と過ごせないって言う悲しみで、私自身が潰れちゃってそうな気がするなぁ。
そう言う意味でも、私のお兄ちゃんって凄い人なんだって再確認。
誰にだって自慢の出来るお兄ちゃんで、誰にだって自慢できる、私の初恋の人。
「だったら私も、お兄ちゃんが向こうでも自慢できる様に頑張らないとね」
そう言いながらも、私の手は兄の頭を撫でる事を止めない。
まだ体温の残る兄の体。
その体温を確りと覚えていたい。
そんな時だった。
唐突に光が集まって、兄の上に女の人が浮かんで現れた。
うん、そう。
あの白い空間で、私達に兄の余命を教えてくれた女神様だ。
「お久しぶりです。お兄ちゃんを迎えに来てくれたんですよね?」
そう尋ねる私に、女神様は小さく頷いて答える。
「はい。矢村樹さんの魂を迎えに参りました」
そっか、原因は兎も角、女神様直々の御迎えだって。
凄いね、お兄ちゃん。
「それじゃ、お兄ちゃんを――私の大好きな人を、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる私に、女神様は少し表情を曇らせた。
あぁ、うん。
これってまだ気にしてくれてるんだね。
確かに、最初は神様の所為でって思ったけど、今はこの女神様に思う所ってあんまりないんだ。
一番の被害者であるお兄ちゃんが恨んでないのに、私が恨む訳にもいかないし、この女神様は飽くまで問題解決の為に動いてくれてるだけで、お兄ちゃんをこうした犯人って訳でもない。
あるとすれば、お兄ちゃんの為に色々してくれてありがとうって位かな?
だから、私はその事を女神様に伝える。
だって、本当に恨んでなんかいないんだもの。
女神様達が頑張って、一年とは言えお兄ちゃんの命を繋いでくれたから、だから私はこの想いを伝える事が出来た。
叶える事が出来た。
小さな頃から思い描いてた一番の幸せに、数か月の間だけでも浸る事が出来たんだから、私はそれで満足だ。
それだけでもこれから先、頑張って行けるから。
「だから、女神様も自分を許してあげて欲しいかな? お兄ちゃんだって、多分そう言うと思うよ」
そんな私の言葉に、女神様は少し驚いてから、小さく笑みを漏らした。
「えぇ、そうですね・・・。確かに、矢村樹さんご本人にも、以前直接言われた事があります」
そう言って、女神様は私と――私の膝を枕に横たわる、兄の姿を見てどこか眩しいものを見る様に続けた。
「本当に貴方方兄妹は・・・優し過ぎる程に優しくて、暖かい所が似ていますね。神として多くの人々を見て来た私から見ても、本当に珍しい位に」
「だって、お兄ちゃんは自慢のお兄ちゃんで、自慢の恋人ですし、私はその妹で恋人ですから」
これは胸を張って断言できる。
誰にだって否定なんかさせない。
お兄ちゃんが居たから今の私が居て、そんな今の私を私自身が好きで居られるのはお兄ちゃんの御蔭なんだから。
そんな私を見て女神様は再び微笑むと、兄の体に向かって両手を伸ばす。
すると、兄の体から白くて、少し銀色がかった暖かな光の球が浮かび上がった。
「これが矢村樹さんの魂です。純白に近い程に穢れが無く、大切な者を護り抜く覚悟――銀の色が混じった魂。私が今まで見て来た中でも、これ程に美しい魂の輝きは数える程ですよ」
それを聞いて、涙が零れた。
「そっか・・・。神様から見ても、お兄ちゃんって凄かったんだ」
自分の大切な人が、大好きな人が神様にも認められる程だったと聞いて、やっぱりそんな人を愛せた――愛して貰えた事が嬉しくて仕方ない。
そして、そんな風に静かに涙を流す私にもう一度頭を下げると、女神様はゆっくりと姿を薄れさせていく。
その両手に、大切そうに抱えた兄の魂と一緒に。
そして完全に消えるその瞬間――
『幸せになれよ。応援してるから』
そう言う様に、兄の魂がピカピカと暖かな銀色の光を放った。
「うん、ありがとう。お兄ちゃん・・・」
この日、私達の家族から、大切だった人が居なくなった。