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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

奴隷と呼んだ彼女に捧ぐ

生まれた時には奴隷であった

作者: 小林晴幸

作中、若干の暴力表現があります。

暗い内容も多く、人の死に関する表現も御座います。


そういったものは苦手!という方はお気を付け下さい。


 生まれた時には奴隷だった。


 私は奴隷の娘として生まれ、生まれ落ちた瞬間に奴隷の身分を与えられた。

 奴隷の子は奴隷。

 それがこの国の理であった。


 親切な人の話によると、嘗ての母は奴隷ではなかったという。

 私の母は、今は亡き国の由緒正しき家に、一の姫として生まれた。

 しかし私の生まれる少し前の戦で母の祖国は敗北し、全てを奪われた。


 母の一族、同じ国の民。

 生きている者は全て奴隷に堕とされ、国土は奪われた。

 地図の上に祖国を示す名残はなく、名前すらも今は何処にもない。


 私の母は美しかった。

 その美貌を戦勝国の権力者に見初められ、望まれて妾妃の扱いを受けた。

 その時から既に、並々ならぬ執着であったという。

 だがそれは母の望みではなく、願わぬ扱いであった。

 端から見れば、母の境遇は奴隷にしては恵まれてあったのだろう。

 しかし、母の望みではなかった。母の願った恵ではなかった。

 どんな境遇も、本人が望んでいなければ意味はない。

 権力者の妾妃という扱いも、奴隷の身分も。

 母には、ただただ苦痛であった。

 大事にされても主に心開くことはなく、孤独に自分を失っていく。


 親切な人の話によると、母の心には母の望む人の面影が焼き付いているのだという。

 奴隷となる前、母には夫があった。

 戦の先頭に立ち、果敢に戦う勇ましき人であったと。

 だが母の夫は乱戦の中で生死不明となり、未だその身の行く末は知れない。

 今となっては、その最期を知らせる報も、母の耳には届かない。


 誰もが幸福を覚える様な、似合いの夫婦だったのだと、親切な人は言う。

 親切な人は、母の夫の部下であったのだと言った。

 母の身を守る為、屋敷に残された腹心であったそうだ。

 それも今では昔のことで、母もろとも奴隷に堕とされた身。

 母が頼る身を無くして不安がらぬようにと、格別の計らいで手元に残された。

 名目上はそうなっているが、その実、親切な人は母に対する人質であった。

 母が、母の主に大人しく従う様に。

 親切な人は、母の従弟でもあった。


 しかしその役目も、既に意味を残さない。

 私が生まれ、母に対するより有効な質ができた。

 私は、母に残された唯一の愛すべき存在。

 母は、己を捕らえる館の中、私だけを愛した。


 遠からず、親切な人は私や母の暮らすこの館から消えるだろう。

 その後何処に行くのか…何処の死地に送られるのか。

 不幸にも手練れであった親切な人は、戦地送りを免れぬだろう。


 別れの後には何も残さず、親切な人は館から消えた。


 

 母の主や、母の暮らす館の中、私の立場は微妙なものであった

 原因は、私の父親が誰と特定できないことにある。

 可能性があるのは二人。母の夫と、母の主と。


 母の夫を父とするのならば、私が母の腹中にいた期間が長すぎる。

 母の主を父とするのならば、私が母の腹中にいた期間が短すぎる。

 そういった、どちらとも分からぬ微妙な時期に私は生まれた。

 今でも、私の父がどちらであるのか、理屈の上で決着はついていない。


 しかし母の主が父である可能性は否めない。

 奴隷の身分であっても、母の主が父であれば軽く扱うのは憚られる。

 そういった配慮を必要とするくらいには、母の主は身分が高い。

 どちらが父とも分からぬ中、私は奴隷には過分な扱いを受けていた。

 母の主がその扱いを決めた。

 彼は、私を己の子と信じて疑わなかった。

 あるいは、疑っていつつも、信じていたかったのだろう。


 だが、母の意見は違った。

 誰もが母の主が父親であった方が私の身の為と口にする中、母は違った。

 私の瞳は、空の様に深く深く、色濃い青。

 その目を見て、母は私を夫との子だと信じた。

 母の目の色は薄く、母の主の瞳は黒い。

 母の夫の瞳は夏の空に例えられ…彼の瞳は、私と同じ色であったのだと。


 母は私だけを、自分の子と信じた。

 私だけに、母は気を許し、心を許した。

 いつしか母の気は狂っていたが…私の前でのみ、彼女は正気を取り戻せていた。


 母は少女の様に信じていた。

 己が夫の生存を。その無事を。

 絶望など、忘れた様に。


 だけど彼女の心は、私の知る限り、ずっとずっと絶望の中にどっぷりと沈んでいる。

 私を前にしてさえ。


 彼女は信じていた。

 いつか、自分を救い出す為に夫が迎えに来ると。


 彼女は恐れていた。

 いつか、自分の変わり果てた身を夫に見られることを。


 会いたいと切望する心。

 会えないと絶望する心。

 矛盾する二つの思いが、やがて母の心を切り裂いた。

 

 正気を失い、いつもニコニコと笑っている顔は幸せそうだけど。

 彼女は決して幸せではない。

 虚ろな瞳はいつだって夫を捜し、心は凍結している。

 考えることを放棄した彼女。

 ひたすらに、夫は生きていて、自分を迎えに来るのだという思いこみに縋る。

 それを恐れていたことも、記憶の海に沈み込ませて。


 彼女は自分を保つ為、幾つかの記憶を封じていた。

 自分の夫への、失望されるのではないかという恐怖。

 加えて、自分の夫が死んでいるかも知れない可能性。

 自分の主への、自分を思う様、貪られる恐怖。

 加えて、自分が夫以外の男に所有されている現実。

 それらは忘れられるはずのものではなかった。

 だが、母の心は自分を粉々にしない為に、それらを見ない様にしている。

 

 記憶を封じることを覚えて以来、母は幸せそうに笑う。

 自分を貪る憎い男を記憶の底に封印し、平素は思い出すこともない。

 幸せそうに、幸せそうに。

 自分の夫のことを語るのだ。


 いつか、夫が自分を迎えに来てくれる。

 そうしたら、再び夫と共に暮らすのだと。

 私を連れて、夫と三人で家族仲良く暮らすのだと。


 それが自分の望みだと、幸せそうに幸せそうに。

 叶える術のない夢を語る。

 夢という名の、悲しみを。


 私に夫の面影を探し、私という形代に夫を重ねて。

 夫を重ねるよすがたる私を前にしている限り、彼女は幸せそうに笑うのを止めない。


 夢という名の狂気の中に、彼女は常に沈み込んでいる。

 周囲の全ての苦しみを、ぽっかりと忘れたふりをして。


 本当は忘れてなど、いないだろうに。



 母は私に夫の影を見出したが、彼女の主は違った。

 瞳の色こそ違ったが、私の顔は母に瓜二つであった。

 長じるにつれ母に似てくる私を、母の主は満足げに誉める。

 母の主は、年経る事に私を娘扱いする様になっていく。

 遂には奴隷身分から解放し、私を正式に己の娘として迎え入れてしまった。

 誰の反対にも、耳を貸さずに。

 その時、私は六つの齢を重ねようとしていた。






 十三の年、私は人を殺した。

 生まれて初めて、人を殺した。

 殺した相手は、住まう館の総領息子。

 母の主の、継嗣であった。


 母の主の嫡子は、幼い頃より私の母に懸想していた。

 しかし私の母は、その主により手中の玉の如く扱われている。

 主以外の男は母に近づくことさえ許されず、遠目に見つめる以外にない。

 彼の息子に、母に手を伸べる自由はない。

 彼の息子に、母に触れる権利はない。

 母の主が、命を落とさぬ限り。


 母の主は未だ壮健で、当分は死にそうになかった。

 自然死を望むとするのならば。


 嫡子にとっては、焦がれ続けるに長すぎる時間。

 大人しく待つには、気が遠くなる。


 私は、私を産んだ母に瓜二つであった。


 彼女が己の夫と同じと讃えた、この瞳の色だけを除いて。



 

 私が私の寝室に忍んできた男を殺せたのは、幸いであった。

 いつか、この様な日が来る気がしていた。

 想定していた相手とは、違っていたけれど。

 この様な日が来ることを予想し、恐れ、私は準備を怠らなかった。


 枕の下に刃を隠し、常に夜は気を張って浅い眠りを心がけた。

 私と同じく、この様な日の到来を恐れていた者は少なくない。

 兄の様に私を可愛がってくれた、親切な人もその一人であった。

 手練れとされる彼に技を習い、護身の備えを着々と整えて。

 親切な人が館を去った後も、私は秘かに鍛錬を怠らなかった。


 不埒な者に刃が届いたのは、幼い頃からの積み重ね故。

 この日を恐れ、その時にどういった対応を選ぶのか。

 抵抗か、恭順か。

 母を見て育った私は、自然と抵抗を選んでいた。

 備えを整える内に、覚悟は心の内に降り積もり、確固たるものになっていた。


 お陰で、躊躇うことすらない。

 私は私に触れようとした男を、許すことはできない。


 母の不幸を、同じ道を。

 私は絶対に、辿りたくはなかった。

 その為に、どのような過酷な道を歩むこととなっても。


 私はその夜の内に母にだけ別れを告げ、館から逃げ出した。

 何処かへ消えた嫡子の死に、館の誰かが気付いてしまう前に。

 私が殺したと知れ、追っ手を差し向けられる前に。


 それ以外に、私の命を守る術はない。


 姫の身分を与えられていようと、それは継嗣と引き替えられるものではない。

 そこにどんな理由があろうと、跡継ぎを殺した私を誰も生かそうとはしないだろう。


 館の嫡子を殺した私に、館にいて未来はない。

 この館から逃げ、追っ手を振り切らぬ限り。

 逃げても、追っ手は必ず差し向けられるだろう。

 それから逃げるのは至難の業。

 しかしそれができなければ、私は死ぬのみ。




 私は仮にも、館の姫という身分を与えられていた。

 例え、私の父が誰とも知れぬとも。

 私は館の嫡子にとって、名義上は妹の立場であった。

 例え、互いにそうとは思っておらずとも。

 名目上の兄である嫡子が、私に手を伸ばそうとしたことが証である。


 そのような相手の良い様にされてまで、私は姫という身分に縋りはしない。

 私が守りたいのは、この身一つに母の心。

 私が死ねば、母は更に壊れてしまうだろう。

 母の心は、既に守るまでもなく壊れているのだが。

 それでも守りたいと思ったのは、私が「母にとって」唯一の娘であるからか。


 母は、私の後に八人の子を孕んだ。

 生まれたのは六人。生きているのは五人。

 生まれてきた何れの子も、母の主に良く似ていた。

 特に、その黒い瞳が。


 母は常に忘れたふりをして生きているが、主に対する深い憎悪が消えた訳ではない。

 本人を前にした時、切欠が与えられた時。

 それは母から勢いよく噴き出て、彼女を衝動に走らせる。


 私を前にいつも幸福そうに微笑んでいる、母。

 彼女は己の産んだ赤児の黒い瞳を見た時、幸福の仮面を脱ぎ捨てた。

 自分を捕らえる全てを忘れ、憎悪だけにひた走る。

 望まずに産んだ子供は、さぞ憎かったのだろう。

 望まぬ子を孕ませた主が、さぞ憎かったのだろう。

 

 母は、生まれた子の首を絞めた。

 誰も見ていなかった部屋の中。

 其処にいたのは、私と母と、幼くか弱い赤児だけ。

 私は止めなかった。

 初めて見る母の憎しみに、ただ目を奪われていた。


 私以外に母の産んだ子は、六人。

 生きているのは、五人。

 

 生まれた赤児は、最初の一人以来、生まれて直ぐに母から引き離された。

 幼い彼等は、一度も見えたことのない母を恋しがり、よく泣くらしい。

 私も滅多に会わないので、その詳しい様子は知らないが。

 知らないことは幸いだろう。

 教えないことは懸命だろう。

 彼等は母に会えないお陰で、母に首を絞められずに済んでいるのだから。


 母は、私だけを可愛がる。

 私だけを、自分の子と呼ぶ。

 私以外に、自分の産んだ子のことを口にしたことはない。

 恐らく、その存在そのものを忘れているのだろう。

 やはり彼女の心は壊れているらしい。

 この絢爛豪華な監獄の中、彼女は今日も可愛らしく美しい。

 狂気に壊れた美しさが、彼女の美貌に磨きを掛けていた。


 

 逃亡の、あの夜。

 最後の別れと、己に決めたあの夜。

 私は母の身を案じた。

 その心が更に壊れることを案じた。


 私を無くし、彼女は更に壊れてしまうのだろうか。

 此処に一人残されることを、彼女は望まないだろう。

 

 囚われ、狂い続ける母。

 会えぬ夫を思い、彼女は壊れる。

 憎き主の存在に、彼女は壊れる。

 これ以上壊れる母を、私は見たくない。

 館に残していくのは本意ではない。 

 此処に残して行くには、不安すぎた。


 しかし私は己のことだけで精一杯で、館から無事に逃走し得るかも分からない。

 この上、母もとなれば、間違いなく私は逃げられない。

 母の主は、母の逃亡を何よりも恐れ、警戒している。

 危険を承知で最後の別れに訪れたが、母の警備は館のどこよりも厚い。

 母を連れて逃亡するのは、私には不可能であった。

 

 もしも私がもっと力を得ていれば。

 もしも私が男であれば。

 その時、私に用意されていた未来は違うものであったのだろうか。

 考えても詮無きことに、私は自分にできるせめてもの慈悲とは何かを考える。

 母にとって、慈悲となるのは何か。

 母にとって、最も望むことは何か。



 私は、母を刺した。


 館の嫡子を殺したのと、同じ刃で。



 後ろを振り返ることもできずに、走り去った私。 

 最期を看取るのが辛くて、とどめもさせなかった。

 ただ、確実に命を落としてくれることを、ひたすら祈る。


 館が騒然となることは、想像するまでもない。

 私にかけられる追っ手は更に厳しいものとなるだろう。

 だけど、後悔はなかった。

 魂だけでも、母が自由になれればと。

 それが、私の心からの願いであった。





 私は逃げた。

 追っ手を少しでもやり過ごす為、手筈は以前から考えていた。

 こうなると見越して、親切な人の助言もあった。

 かねてより用意していた鞄の中には、男物の服。

 私は長く伸ばしていた髪を短く切り、男の服を纏った。


 母の所から拝借した宝石は、母の主より贈られた物。

 母には必要のない物だ。

 己の持つ金銀宝石に何の関心も示さず、母は寄せ付けようとしなかった。

 それを贈った男を、何よりも憎んでいたのだから。

 国内で換金すれば足がつく。

 鞄の底に隠し、当座はこっそりと貯め込んでいた小金で凌いだ。

 逃亡資金に充分とは言えなかったが、悠長に金を稼ぐ暇もない。


 母の主は、国内有数の権力者である。

 その勢力下、影響力から逃げようと思えば、自然と行き先は決まる。


 嘗て母の祖国であった土地を踏み、急ぎ越えて。

 私は国境を越えて隣国へと。



 国を出る間際、風の噂に母と暮らした館のことを聞いた。

 母は、どうやら一命を取り留めたらしい。


 心のどこかがほっとする。

 母殺しにならずに済んだことに、私の心は軽くも重くも変わりゆく。

 母が死なずにいられたことは、とても嬉しい。

 彼女の命を奪おうと、刺したのが私であっても。

 それと同じくらいに沈み込み、悲しく涙が落ちる。

 母を死なせてあげられなかったことが、無念であった。

 もう二度と会えないだろう、母。

 彼女の命を奪えなかったことを心残りに、私は国を出る。 



 雑踏の中に身を隠し、息を潜める様に暮らした。

 追っ手の追求から確実に逃れられただろう。

 そんな確信を得るに至っても、私は男装を止められなかった。


 いつか追いつかれるという危険を忘れてはいけない。

 日頃の備えを疎かにしてはいけない。

 常の用心を心がけていたからこそ、自分の身を守ることが可能となる。

 私は、用心無しに安心できるほど、悠長に過ごすことはできなかった。



 


 十三の年から年月を重ね、身を男と偽るのも年々難しくなっていく。

 深く人と関わるのを避け、私は楽を奏でることで日銭を稼いでいた。

 楽人であれば、一つ所に留まる必要もない。


 嘗て暮らした館の中で培った、姫としての教養が私を助ける。

 それは何とも奇妙なことで、心中複雑な思いをすることも多い。

 私が特に得意としたのは、母に習った笛の技。

 幼い頃、母に与えられた笛。

 逃亡の中でも手放すことはできず、常に身につけていた。

 その笛は母が奴隷となる前から持っていた物で、思い出の品だと聞いていたから。




 ある日。

 私は生きる糧を得る為、常と同じく笛を吹いていた。

 初めて訪れる町の、人通り多き広場の真ん中。

 私は、母に与えられた笛を吹いていた。


 目の前で、人が立ち止まる。

 私にとっては常のこと。珍しくもない。

 巧みであることよりも耳に心地よきことを心がけ、私は笛を吹く。

 笛以外の楽器も奏でるが、この日は何となく笛ばかりを吹いていた。


 人が立ち止まる。

 聴衆は、常に厳しい。

 だけどその厳しさに応じることが可能であれば、私を正統に評価してくれる。

 私は男とも女ともつかぬ、不思議な風貌に見えただろう。

 楽人であれば、奇妙な風体でも怪しまれはしない。


 追っ手であれば気配で分かる。

 聴衆は、楽の音ほど見目を気にしない。

 私は人を気にすることなく、笛を吹いていた。


 ふと、感じるふしぎな気配。

 笛の音を気にしているのだろう。

 相手が聞き入っていること、見なくても分かる。

 だけどそれ以上に、私を凝視する気配を感じた。


 追っ手とはまた違う、その気配。

 楽人の姿を、何故それほどに気にするのだろう。

 笛の音に気を取られながらも、その気配は「私自身」への興味を示していた。


 気にされれば、こちらも気になるもの。

 ましてや私は、常に追っ手を気にする身。

 意識に引っかかる物には、気を配らねばならない。

 私はさり気なさを装い、視線を上げた。

 深く被っていた帽子の中に光が差し込み、俯けていた顔に日の光が当たる。


 私の目の前、真正面に。


 夏の空が、見えた。



 それが空ではなく、人の瞳であるのだと気付くのに、数秒。

 

 深く深く、青い空。

 青い青い、夏の空。


 否、瞳。

 夏の空と同じ色を写した、青い瞳。

 

 いつかどこかで聞いた、讃辞。

 いつかどこかで聞いた、言葉。

 私の瞳を言い表すのに、人が使った言葉。

 それらが、私の脳裏に思い起こされる。

 

 まさに、それ。

 それ以外に、言い表す言葉は浮かばない。


 私を見つめる男は、私と同じ瞳を持っていた。


 

 顔を上げ、ひたと男の視線を感じる。

 男は笛を凝視していた。

 次いで私の顔に、視線は向けられて。

 男の目が、驚愕に見開かれて。


 男の口が、小さく動く。

 誰にも聞こえないくらいの声で、呟かれた言葉。


 それは、私の母の名前だった。








 


 生まれた時には、奴隷であった。

 六つの年に姫と呼ばれる様になり、十三の年で人殺しとなった。

 母殺しになり損ない、逃亡者となり。

 そのまま潜伏した後に、私は流れの楽人となった。


 今夜、私は「誘拐犯の助手」となる。



 そして明日。

 私は、「似合いの夫婦の一人娘」となる。


 母の望んだ、私になる。


 私自身も望んでいた、夫婦の娘に。 


 






長い作品でしたが、スクロールお疲れ様です。


暗い内容の上、長々とした内容だったことと思います。

それでも終わりまで読んでいただき、有難う御座いました!

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― 新着の感想 ―
[一言] ここまで幸せまでの道筋が見えるとお母さん刺さなければよかったね。
[一言] 三人で幸せになれたんですね?なれたんですよね? お母さんが幸せに暮らす後日談が読みたいです。
[良い点] 吟遊詩人がうたい、紡ぐような文章でした。
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