シホ
動物は人間のように面倒くさいことを考えないのだろうと思う。寂しいだとか嬉しいといった感情はあるだろう。でもきっと、この無駄な空虚さは、人間特有なのではないかと思うのだ。
その真っ直ぐさが、ただひたすらに羨ましい。答えの出ないことを脳内で繰り返しては自己嫌悪に陥り、それでも自分でしかいられない。そんな馬鹿げたことを考えることなく、ひたむきに生きることに懸命でいられる、それが羨ましくてしかたない。
あぁ、うんざりするほどに空が青い。
テレビでは毎日何処そこで事故があっただの、芸能人の誰それがどうこうしただの、そういったニュースが繰り返されている。どのチャンネルに変えても同じ。誰の口からそれを聞くか、それだけ。
「最近物騒ねぇ。あなたも気をつけなさいよ」
「うん」
戸締りお願いね、いつもと同じ言葉を口にして母は家を出た。父はもっと早くに家を出ている。夫婦共働きで、いつも忙しそうにしている。休みの日でさえ忙しそう。
私もあと二年後には電車通学になって、もっと早くに起きることになるのだろう。そうして何か特別な道に進むのでなければ大学に入り、そのまた数年後に社会人になって、両親と同じように会社勤めをし、相手を探して、見つかれば結婚。見つからなければ独身。見つかっても離婚するかもしれない、病気になるかもしれない。でも、そうやって生きていくのだ、きっと。
カバンを手にして、玄関で靴を履き、ドアを開ける。鍵を閉めたところでいつも声をかけられる。
「うーっす」
眠り足りないのか大きく欠伸をするのは、幼馴染みであり、隣人のリク。
「おはよう」
「今日も人生つまらねぇって顔してんなぁ」
「無表情なだけだってば」
保育園から小学校、中学と一緒に過ごしてきたリクは、私と違って何をやっていても楽しそうで、羨ましい。
「昨日も夜更かししたの?」
「ボスが倒せねぇんだよ」
最近ハマっているゲームのボスがなかなかの難易度らしく、このところ毎朝この調子だ。
「七ターン以内とか無理すぎんだよ」
なんのことやらサッパリだけれど、達成できていないことだけは分かる。
「頑張れ」
「今日も心のこもってない応援ドーモ」
同い年のリクは、中学に入るなり身長がメキメキと伸びていった。一般的には女子のほうが発育が早くて、私がリクを見下ろす予定だったのに、ずっと見下ろされっぱなしだ。私の身長もまだ伸びてはいるけれど、リクを追い抜かすことは難しそう。
「シホ、志望校提出もうすぐだぞ」
「うん、悩み中」
「ドコにすんの?」
「あんまり遠くないトコかなぁ」
他の女子みたいにどこどこの制服を着てみたいとかもないし。セーラーでもブレザーでもどっちでも良い。
「女子校じゃないよな?」
「近くにないよ」
「そうだな」
女子校でも共学でもどちらでも構わない。
「リクはサッカー強豪校にするんだっけ?」
身長も高く、足も速いリクはサッカー部に所属しているし、先生や先輩からも期待されているらしい。私は調理部。
「いや別に」
「声かかってるんじゃなかったっけ?」
「好きは好きだけど、ずっとやりたいわけでもねぇし」
「そういうもの?」
何に対しても中途半端で夢中になれるものもない私と違って、リクは真剣で楽しんでいるように見えていたから、意外。
「オレも色々あんの」
「ふーん」
そういうものなんだ。
「もうちょっと幼馴染みに優しくしろよ」
呆れた顔で私を見てくる。
「優しくしてるけど?」
少なくとも冷たくはしていないつもり。
見上げると空が真っ青で、吸い込まれそうだった。
「おい」
リクに手を掴まれて、我に返る。
「なに?」
「……なんでもねぇけど、オレに黙って何処かに行くなよ?」
「何処にも行かないよ?」
空を見ていると、リクはたまにこんなことを言ってくる。ただ空を見ているだけなのに。
「それならいいけど、約束しろよ?」
「うん? 分かってるよ」
「本当に分かってんのか?」
「何処かに行く時はリクに言えばいいんでしょ?」
幼馴染みだからなのか、リクはなんというか、そう、過保護だ。
風船でもないし、小さい子でもないのだから、夢中になって何処かに行くことなんてないのに。
「今日部活だろ? 何作んの?」
「筑前煮」
「ぅえー、オレ、シイタケ嫌いだから抜いといて」
「無茶言わないでよ。それに何で食べるの決定してんの」
「部活の後ハラ減るから食いたいんだよ」
「シイタケ残せばいいでしょ」
「においが移るだろ」
「食べなくていいのに」
「ぜってぇ食う」
嫌いだと言いながら、リクはいつも残さず食べる。そして食べ終わったらいつも言うのだ。
──美味かった。また食いたい。
学校に向かう途中の坂道は、そこそこに急で歩みが遅くなる。
見上げると今日も空は青くて、私を少し憂鬱な気持ちにさせる。
空の青に溶けて消えてしまえたら楽なのに。
太陽の光が眩しくて、目を細めた私の前に、手が差し出される。
「ほら、行くぞ」
「うん」
私の幼馴染みは、過保護で、素直じゃなくて、うん、なんか優しい。