公式お兄ちゃん、ドラムを叩く③
日本の八月に野外でフェスをやる文化には執念じみた物がある。夏休みで人を呼びやすいということもあるのだろうけれど、人命に関わるだろうと強く思う。
「あっちゃ!」
「あー、ごめん、帽子か」
「くっついてて暑くないの?」
「超暑い」
「あつーい!」
俺が抱っこしているのは今年八歳になった桃華だ。朱音の妹であり、森の中の末っ子ちゃんである。年上の皆から目に入れても痛くないと言われるような可愛がり方をされているお姫様だ。
今日は屋外ということで手持ちの黒い帽子を被っていたけれど、その金具部分を桃華が触ってしまったらしい。帽子を脱ぐと、首に巻いていたタオルを桃華が外して頭に乗せてくれる。
先週半ば、学校終わりのスタジオリハーサルを終えて、サイフェス本番の朝を迎えていた。
出番は午後三時だから、高校生たちには折角だからと自由が与えられており、荷物番を保護者組に任せて先程から四人でステージを眺めている。
日本に来てくれたのは朱音の母親である美悠ちゃんと桃華、それから毎夏この時期は来日している梨紗子ちゃんと、暇をしていたらしい五十嵐家の娘、澪の四人だ。あとお隣の双子と絵梨花ちゃんも来てくれている。
ちなみに我が霧生家の両親と三人の弟妹たちはマダガスカルに居る。旅程は上の妹に聞いていたから、最初から特に日程も教えていなかった。
「レイナちゃん拗ねてたよ?」
「二人の活動だし。旅行もあったし」
「息子の活躍なんてなんべんあってもええですからね」
「エセ関西弁だ」
「古の構文よ」
昨日、母親組二人にそう伝えられた。
漫画家をやっている梨紗子ちゃんは筋金入りのオタクである。来週頃には絵梨花ちゃんを伴って東京の方で紙束をばら撒いていることだろう。フェスへの参戦は大方そのついでだろう。
「知り合いとか居た?」
「ちらっと見かけた」
「バイト先の先輩だよねん。私も見つけた」
「よく覚えてるな」
四人揃って帽子とサングラスを付けているから向こうは気付かなかったけれど、千紗先輩がステージとステージの間を移動しているのとすれ違った。桃華があれこれ家での出来事を話してくれていたので、特に声をかけたりはできなかったけれど。
サイフェスのステージに立つに当たって、一人頭五枚ずつ招待チケットを渡されていた。ご家族やお友達をぜひ呼んでということで。
というわけで十五枚あったそれを家族分で五枚消費して、あとは夏休みのデクレール家に三枚。
残りの七枚は俺が宮浦とその彼女の分に回収し、碧依たちは自分たちの正体を突き止めたクラスメイトたちに譲っていた。
決勝での演奏動画、その切り抜きがSNSに出回っていて、朱音たちとよく話すグループの中でも共有されたらしい。オーラが溢れちゃったか、と言ったのは碧依ではなく朱音の方だったそうだ。
「あ、澪」
「どうだった?」
「うん」
「そっか」
先程まではこちらに居て、ふらっとステージの群衆の中に潜り込んでいった澪が帰ってきた。俺の二つ下、十五歳になった彼女は母親である栞ちゃんの血を色濃く継ぐ芸術家気質で、常日頃から世界に満ちる音だとか目に映る色だとか、そういうものをずっと探している。
この場のステージからも何かヒントを得ているようだった。演奏でなく、観客の盛り上がりなどから。
その澪が碧依、朱音、それから俺を見る。
「ん〜〜〜? まあ善処するよん?」
「合格点もらえるよう頑張るね!」
「二人の舞台だから、俺はサポート」
澪は言葉数が少ないけれど、一緒に居た時間が長いので言いたいことはわかる。期待しているということだ。
音楽については五十嵐家のセンスというものは少し抜けていて、澪も弟の星も栞ちゃん同様なかなかに手厳しい。特に澪は難しく、現にさっきまで演奏していた人気バンドにさえパフォーマンスに満足をしていないようだった。
澪が俺の方で視線を固めたところで端末に着信が入る。タップしてみれば結理ちゃんからだった。
「お弁当来たわよ」
「分かった、戻るね」
出演者の分はお弁当が出るということで、残すわけにはいかず俺が食べる。三人分。
朱音と碧依はわがままを言って、結理ちゃんと美悠ちゃんが作った重箱のお弁当を桃華たちと一緒に食べる予定だった。
「じゃ」
「澪もちゃんと食べろよ! 水と塩は絶対な!」
微笑むだけ微笑んでさっさと逃げていく。森の子どもたちの中でダントツで線の細い澪は食事を面倒がることが多い。見た目より体力はあるし、十歳頃からは自分のコンディションにも敏感で倒れることはないだろうけれど、心配でお小言は出てしまう。
「おっべんとう〜、おっべんとう~」
「からあげ、にんじん、ふきのとう」
「チーズにケーキにハンバーグぅ!」
「今日は半分しか入ってないよ」
即興で歌う三姉妹(一人は従姉妹だけれど)と共に、爆音の鳴り響く会場を通り抜けていった。
****
高校生バンドの控室に一つのテントが充てがわれていて、昼になれば他の二組も大量の汗を流しながら戻ってきた。どちらも地方からのバンドで、夏フェスに来れただけでも大層幸せそうにしている。大阪と長崎から来た男子計八人は今日で完全に意気投合しているようだ。
彼らは俺たちが食事しているのに配慮してくれて、わざわざ一度外に出て着替えに行き、外で何やらワイワイと話してから、バンドのリーダーそれぞれがメンバーに背中を押されてテントに戻って来る。
「あ、あの、ヴァイオレットブーケさん、ですよね?」
「はい、はじめまして」
「はじめましてー! ハンナンクラップの山路さんですよね?」
碧依も朱音も勝負に手抜かりしない質だから、決勝ステージの前に出場者の演奏はすべて確認していた。名前まで覚えているのはただただ記憶力が良いだけだ。
「はい! え! そうです! 知っててくれたんですか!?」
「はい、お二組とも演奏はチェックしてきました」
「僕らも! ほんなこてエグいバンドおるって!」
「決勝もほんまに凄かって、今日は聞かれへんのが残念すぎるって!」
「そしたらマジで美人やし」
梨紗子ちゃんが俺に目配せをしてくるけれど、何のことやら。折角関東まで来てお近付きになれたのなら、バンドをしている健全な男子高校生として声をかけたくなって当然だろう。
ただまあ、こういう手合いに対しての朱音と碧依は残酷なくらいだけれど。
「今日は一緒に頑張っちゃいましょう! 諫早の風さんも!」
「はい! あざます! あ、いえ、はい、ごめんなさいご飯中に、あざっした」
「失礼しました!」
朱音はいつものように振る舞っているけれど、言葉でそれ以上に付け入る隙を与えず、碧依に至っては喋らず余所行きの笑顔で頭を下げて手を振った。
わざわざ名前を覚えていたから好感度は下がらないだろうけれど、踏み込ませもしない。英国時代から培い続けた達人の技だ。
梨紗子ちゃんに目配せをしたら、彼女は唇を尖らせてアスパラガスを横に咥えている。おおよそ俺が前に出て盾になり、二人の好感度を稼ぐことでも期待したのだろう。ベタも愛する漫画家先生らしいストーリーの描き方だ。
それから、お行儀が悪いのを桃華が真似したらどうするんだ。
「ま、演奏見せてもらえるからいっか」
「ふふふ、楽しみだねぇ」
「今日はもっと、見せてくれるのよね?」
高校一年からの仲良しトリオらしい三人が、どうしてか俺に目を向ける。澪もそうだったけれど、俺はサポートだというのに一体何を期待するというのか。
ステージの時間が近付いていた。