公式お兄ちゃん、ドラムを叩く②
練習は結局スタジオの一回きりで、七月の頭に二次予選の本番を迎えた。音源審査を通過した百組が、全国八会場に分かれてステージに立つ権利を得ている。スリーピースロックバンドとしてのViolet Bouquetも、寸評には激賞されながら、しかし静かに駒を進めていた。決勝審査に進めるのはこの中から十二組。応募の過半数を占める激戦の関東地区からは、三会場の上位二組ずつが選ばれる。
今年の梅雨は去年よりも早く明けてしまい、屋外ステージには太陽が照り付けていた。場所は千葉県某所のショッピングモール、関東の予選通過者は神奈川、埼玉、千葉のうちからランダムに振り分けられる。
学生証と素顔を見せて受付スタッフに三度見されてから、当日エントリーを終える。一応、本名を隠しておいてもらえるようには応募の段階から頼みこんである。大会として高校生であることがきちんと確認さえできれば、芸名での登録も可能だ。
「はいこれ」
「っす」
「倒れないでね、紫苑」
「まあ多分、大丈夫だよ」
人目に付かないところで手作りペストマスクもどきを被った俺を心配をしてくれたのは結理ちゃんだ。今日も車で俺たちを運んでくれた。首都高には二度と乗らない、帰りは下道だと言い張りながら。
これから今日、七月末、八月中旬と全て屋外でステージをこなしていく予定だが、俺たちは顔を隠してバンドすることになった。
「観客投票が顔で入ったって言われてもつまんないし」
「仮面は良いのかよ」
「イロモノバンドだなーって思われるくらいだよ」
「減点はあっても加点にはならんぜよ」
四月、二人は口元だけ出したベネチアンマスクを好きに彩色しながら言っていた。
俺たちの顔はどうしてもそれだけで人からの関心を得るから、音楽性を証明するために戦う場ではまずは仮面を被ろうと。これなら、誰でもできてイーブンだからと。
宣材写真の登録も必要だったけれど、それは朱音が描いた仮面が並んだイラストを採用している。
この日の出番は一番目。これはグループのリーダーを務める朱音が引っ張ってきた。
スタッフに呼ばれ、早速舞台袖で待機する。
「お二人さん、緊張は?」
「別に」
「楽しみぞい!」
「あ! 結理ちゃんも円陣入る?」
「結構よ。撮っててあげる」
碧依が手を前に出したので、俺が重ねて、碧依がその上に乗せた。ええい、摺り寄せるな。
揃えた黒のTシャツ1枚に、仮面の姿。せめてもの主張は自分たちの色、それから俺の色をわざわざ入れたマニキュアだろうか。さっき俺も両手の人差し指に赤と青を塗られた。左手の薬指は断固死守をしている。
「それじゃあ、プロジェクトスタート! 張り切って行こう!」
「いえ~い! ふーふー!」
「うん、がんば」
一番手を引いても能天気な俺たちを、気の毒そうな目で見る緊張した参加者。
早速汗をかいてくれている現場スタッフ。
それから、俺たちの本名を知っているらしく、ちらちら結理ちゃんの顔色を窺いながら別の汗をかいている企画スタッフ。
彼らのことは意にも介せず、二人は軽い足取りでステージに上がっていく。
俺は少しだけ、後ろを気にして頭を下げた。
気の毒なのはどちらか、すぐにはっきりすることを知っていたから。
目が眩むほどの輝きをこのバンドが放てることを知っているから。
****
バイト先の先輩である千紗さんが去年もフェスに行っていたのを覚えていたから、試すように聞いてみたら以下の回答であった。
「サイフェス? 今年は友達がチケット取ってくれたから行くよ?」
「……マジっすか」
「どしたの? あ、分かった。デートで行く予定だった? どっちの子?」
千紗さんが悪い笑顔になる。
埼玉で行われるフェスだからサイフェス。今の正式名称はサイタマ・ハイボルテージとかそんなのだけれど、安直で親しみのある前身のフェスの呼称を引き継いでいるらしい。HBCの上位三組が三ステージそれぞれをジャックして、真昼の一番熱い時間に20分、演奏させてもらえるフェスでもある。
「二人と、出ます」
「出るって? 参戦? 若者言葉?」
意味を理解してもらえなくて、三歳差なのにジェネレーションギャップを疑われてしまった。
「出演します。ステージに」
「えええ!??」
「はい。探さないでください」
「いやいや、絶対探すよ!? え、何で出るの!? 何かの、縁とか?」
俺の素性を知っていればコネを疑われても当然だった。父さんたちはサッカー選手として現役の間から、五人でバンドを組んで曲をリリースしていたし、それで音楽界、芸能界への伝手も広い。
「全然そんなんじゃなくて、あるじゃないすか。高校生バンドの」
「あ、うん。らしいね。一番あっつい時間に休憩がてら」
「それです。優勝したんで、優勝バンドとして」
「………………やばあ」
信じられないものを見る目で千紗さんが口に手を当てる。
一昨日の日曜日、バイトを休んだその日は決勝大会があって、十二組中の十二組目という抽選順を朱音が引っ張ってきた。抽選前の俺たちに向けられていたのは畏怖と諦念の目、抽選後の俺たちに向けられていたのは安堵の目だった。千葉大会の映像は動画サイトやSNSで共有されており、予選時のデモ音源も公式サイトから公開されていた。
つまり参加者のほとんどが、俺たちがどういう演奏をするか、千葉大会で何があったかを知った状態で決勝に臨んでいたということだ。
正確無比な演奏と、ぶれないパワー。そして仮面の下からでも華を見せるような歌声と所作。MCも最初と最後の淡々とした挨拶のみという無機質なものだったけれど、パフォーマンスだけで確かに息遣いを伝え、観客も審査員も、あるいは他の参加者たちも鷲掴みにしてしまった魔性のバンド。それが今年のHBCで審査員からの満票を得たViolet Bouquetだった。
優勝の挨拶も決して無邪気な喜びを見せるものではなく、優等生なスタッフたちへの挨拶と、これからサイステ、そしてその先でもっと面白いものを見せていく宣言だけだった。
他の学生バンドたちはViolet Bouquetと同じ大会に出場することを呪いながら、数年前から枠が拡大され、残り二組の枠があったことを幸運に思ったことだろう。
「バイト先の男の子のハイスペックが留まることを知らない」
「あははは。あの二人が本気出したら、そんなもんなんですよ」
「うーん、絶対敵わないなあ……」
敵うと思う方が無理である。
高神空我と高神空也、長野の児童養護施設という環境も何もないところから突如として頭角を現し、その経歴から神の落胤ではないかと謳われた二人。その娘たちだ。
「よかったら暑い時間ですけど見て行ってください。Violet Bouquetっていう名前なんで」
「絶対見るよ。てか、ヴァイオレット。紫だ」
「赤と青と紫で、ちょうど良いって」
「愛されてるね~」
つんつんと肩を突かれおちょくられたところでお客さんが来て、俺たちは接客へと戻る。
あの仮面を付けてるのを見られるのかと思うと気が滅入るけれど、俺たちの……二人のパフォーマンスを見逃すことはおすすめできなかった。