紫の花束①
先にエントランスに通じるインターホンが鳴ったのだ。
「私よ」
「え、結理ちゃん?」
「上がっていい?」
「うん。大丈夫」
端末の画面に映ったのは碧依の母親の高神結理ちゃんで、遥々イギリスからやって来たようだった。一年が経ったから、帰省か何かのついでで抜き打ちチェックなどだろうかと思っていた。母でないのは面倒がりなところとか、素直じゃないところとか、色々理由は見つかる。
それから、朱音と碧依は一緒じゃないんだと思った。二人が居たら、少なくとも朱音は我先にとインターホンを鳴らしたはずだから
そんな予想を裏切られた。
高神朱音と高神碧依、イングランドはサフォーク、イプスウィッチの森の奥で共に育ち、今は一年ぶりに顔を合わせることになった二人が衝撃と共に懐に潜り込んでいた。
開けっ放しのドアの外から、先に荷物を部屋に置いてきたらしい結理ちゃんが姿を見せる。
「驚いた?」
「うんもうびっくり」
「心臓バクバクだねシオン」
「再会にドキドキしてんじゃないの〜?」
「100パーセントびっくりだよ、流石に」
視界の下の方に頭が二つ並んでいるのは久しぶりだったけれど、慣れた動きで手が動いてしまう。出てきた時より身長差がちょっと開いている。
「久しぶり、朱音、碧依」
「っ〜〜〜〜!!」
「うっへへへへ」
思春期の娘たちが男にこれだけ密着していても結理ちゃんが何も咎めないのは、物心付いた時からずっとこうで今更だからだろう。
一年会っていなくても頭を撫でると喜ばれるのは変わっていなくて、むしろ久しぶりということで感激さえしているようだった。
「あの人からの条件だったの。あなたには黙っておくって」
「空我君の」
俺が申し渡されたように、日本へ渡るにあたって二人にもそれぞれ条件を付けたのだろうと分かる。
「一人の生活はどうだった? あなたにはずっと、お兄ちゃんさせちゃってたから」
「……そういう」
「ごめんね、今年からはまた騒がしくなっちゃうけど」
ずっと二人の髪に沿って動かしていた手が止まる。
自分も比較的鋭い方だと思っていたけれど、そういう配慮をされていることに気付かなかった。思えば、この一年は誰も日本にやって来なかった。もしくは、来ていたけれど彼らが黙ってくれていたか。
そのおかげで森の中とは違う環境で、ずいぶん充実した時間も過ごせたけれど、今こうして再会してみると思うところがある。
「いいよ。お兄ちゃんだし、実際」
「シオンだいすき」
「紫苑にいは紫苑にいだなぁ」
「ふふ、なら良かったわ」
ここで碧依の方がようやく離れてくれたけれど、朱音はまだ動きそうにない。それには手も放して全く構わず、碧依の目を見る。
「向こうで大変だったんじゃない?」
「んー、それなり?」
「碧依でそれなりかぁ」
面倒見が良くて、人の誘導も上手くて、きょうだい喧嘩も飄々と諌めていく彼女が「それなり」と言うのだから、俺が居なくなってからの朱音は手を付けるのが難しかったのだろう。
「でも、うん、迷惑とかじゃなかったよ。アカと、お互い慰め合ってたから」
真面目な口ぶりだった。そっちが本心であるようにふっと口角を上げて。
「そう、ありがとう、碧依」
「どいたまどいたま。でも今年からはい〜〜〜っぱい愛してね?」
「はいはい」
「私も! 私も愛して!」
構わず誰かと話していると抱き着いていても寂しくなって、俺の視界に入ろうとしてくるのは変わらなかったようだ。
じっくりと何かを吸い込むようにしていたのをようやく止めてくれて、朱音が碧依の隣に並ぶ。
「うん。俺はお兄ちゃんだからね」
「はいすぐにそういうこと言う!」
「う〜ん、変わらず難攻不落である」
二人の好意が本物であることは、まあ、知っている。
出発の前の一年間、もしくはそれよりずっと前から、彼女らはふざけているようで真剣だった。
兄としてというのも引っ括めてそれ以上に、一人の人間として本気で好きだと何度も何度も、二人から伝えられている。碧依はいつも最後に少しだけ誤魔化すけれど。
だからこう口にするのは俺の言い訳である。
「あ、そうだ! まだ全然褒めてもらってない! 制服! 似合ってる?」
「ふっふっふ〜、すっかり忘れておりましたなぁ。絶対的美少女の下ろしたて制服姿、とくとご覧あれ!」
スカートの長さやブレザーのサイズ、靴下の種類、似た体型でも微妙に着こなしを変えた二人が大袈裟にポーズを取った。
「うん、めちゃくちゃ似合ってるよ。二人とも世界一可愛い」
「ふぅーーーーっ!!」
「いぇ〜い」
二人が一年前から進化したハイタッチを披露している。二人まとめて褒めるとよくやっていたけれど、今はもう複雑化しすぎてほぼ手遊びの域だ。でも決まって最後にぱしんといい音が鳴る。
息ぴったりでよく似た朱音と碧依だけれど双子や姉妹ではなく、父親たちが双子同士の従姉妹である。
母親の美悠ちゃん譲りの少し垂れ目気味な目をぱっと開いて快活な朱音。
母親の結理ちゃん譲りのツンとした目に企んだ笑みを蓄える碧依。
どちらもベースが絶世の美男子と称され世界の美しい顔に選ばれ続けた父親にあるから、絶対的美少女という言葉に否定できる余地はない。
そんな風に俺たちが騒いでいると、隣の部屋のドアが開く音がした。
「あ、やっぱりアカアオ!」
「お、ルカレオじゃ〜ん」
「う、めっちゃ背ぇ伸びてる」
「え、もう一緒ぐらいじゃね!? 何センチ?」
間もなく小学六年生になる二人は暫く身長を測っていないだろうけれど、目算で大体166cmくらいか。
背筋を伸ばして双子と比べ合う朱音と碧依は多分、163cmと165cmとかそんなところだろう。母親の遺伝子らしく、碧依の方が少しだけ背が高いのは昔からずっとだ。
「紫苑にいはう〜〜ん、181と見た」
「多分そのくらい」
「空也君達よりデカいじゃん!」
「俺178くらいがいい」
「私も165欲しい! 170でも! シオンが遠い!」
騒ぐ子どもたちを尻目に、ドアの外では事情を知っていたらしい絵梨花ちゃんが結理ちゃんとテキパキ情報交換している。
今日はバイトが無くて、午前の早い時間なら俺が家に居ることも彼女経由で伝わっていたのだろう。保護者役ということで発表されるシフトは毎回共有していたし、俺の休日の行動パターンは基本的に一定だ。
「紫苑、今日腐るもんとか買ってる?」
「全然? 今日買う予定だったから」
「じゃあユー君も早いし、夜はみんなで焼き肉でも行っちゃおっか」
「いぇーい!」
「焼き肉ぅ!」
「やったー!」
「唆るぜい」
こう言ってるけど多分、絵梨花ちゃんはもう店の予約を済ませている。今も遠隔で実姉の梨紗子ちゃんのマネージャーとして働き、父さんたちも認めるくらいに仕事のできる人だから、流れは読んでいただろう。
行き先は漫画家の梨紗子ちゃんが仕事仲間から聞いて蓄えていた東京焼肉マップのどこかだと思う。まだ森に居た頃の話だけれど、過去に何軒か行ったことがある。
「お昼は?」
「ユリエリクッキングです」
「早速私も駆り出されるのね」
「だって結理ちゃんの料理食べたいんだも〜ん! 紫苑、キッチン貸して!」
「あ、はい」
普段使いする最低限のものしか置いていないデクレール家のキッチンと、調味料から調理器具まで好き放題買い揃えている俺の部屋のキッチンでは、作りは一緒でも使い勝手が全然違う。こんなキッチン欲しいわー、とたまに一緒に作る時に言っている。ユーリ君もお金持ちなのだから自分で作ればいいのだけれど、そういうことではないのだろう。
「俺も手伝うよ」
「あんたらは遊んでなさーい」
「ええ。せっかくの再会なんだから」
「シオン! アカアオ! ゲームしよ!」
「いいねぇ。コテンパンにしてあげる」
「ふっふっふ、ちゃんと運ゲーを用意しております!」
「なぬっ!?」
日本のデクレール家のリビングに五人で集まって、いつかの森の日のように、この日の俺たちはずっと、笑い転げながらゲームに勤しんだ。