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霧生紫苑の前日譚ー後編

 陵明学園高等学校東京は堂々と東京を名乗っているが、校舎から都心までだいたい1時間かかる。母体となる長野校から見れば東京も東京らしいけれど。

 俺の住むマンションからは自転車で十分くらいだ。


 陵明高校は県内でもそこそこ程度の私立高校だったが、俺の父親たちが在学した時にぐんとブランド力を上げて姉妹校としてここを設立したらしい。昨日、長野校の卒業生である絵梨花ちゃんが教えてくれた。


「霧生君は入る部活とかもう決めたの?」

「実は入らないって決めてて」


 最大限の青春を! と入学前に目を通したパンフレットには大きく描かれていた。

 学校の特徴をざっくりに言えば、そこそこ進学できて、そこそこ部活も強くて、男女比が半々くらいのところらしい。これは昨日、中高一貫の中等部への進学を考えているという双子が教えてくれた。古くからのやり方で、高等部に入ると特進コースに名前を変えるらしい。俺がいるのは三年制の進学コースだ。


 そんな男女比半々の教室で、俺の席は三方を女子に囲まれている。日本らしく出席番号で決められた席は窓際の一番後ろの席。あまりサンプルが分からないけれど、「きりゅう」にしては存外に早いはずだ。

 今、話しかけてくれたのは斜め前の席の清水さん。このクラスには佐藤が三人、漢字の違うサイトウが二人居て、彼女の前に連なっている。


「塾とか?」

「ううん、バイト。だからこの学校に」

「ああ、バイトおっけーだもんね」

「清水さんは?」

「柚乃でいいよー。私は吹部。中学からずっとやってるから」

「いいね、楽しそう」

「たのし、くはあんまりないかも」

「ふふ、音楽も大変だもんね」

「え、清水さん吹部なの?私の友達も入るって」

「え、そうなの?」


 自分が誰かと話していると、別の誰かが参加してくる。よくあることだった。

 今回参加したのは前の席の梶本さんだったけれど、今も何人か、こちらを窺っている。

 それから彼女とも部活の話をして、彼女のやっていたハンドボールの話になって、二人それぞれの部活の愚痴になった。


 俺はイギリスでもさっさと帰宅してばかりだったから、相槌を打つだけだ。

 これだけ女子に囲まれてしまうと男子が近寄って来る気配はなくて、入学式のあった昨日からこんな調子でまだ挨拶ぐらいしかできていない。


 明日の朝は今日より早く来ようと心に決める。

 それから、俺のバイトの話になった。


「んー、どこかのレストランで雇ってもらえたらって」

「レストラン? ファミレスとかじゃなくて?」

「うん。料理人さんの居るところ」

「料理するの?」


 隠すところではないので、素直に開陳する。


「実は。お店を持つのが夢だったり」

「えー、絶対売れるよ!!」

「私絶対行くもんね」

「私もー。イケメンシェフ!」

「まだ決まったわけじゃないんだけどね」


 料理を学べる学校でなく、全日制の普通科高校に来た自分に今できるのは、自分の持ちたい店の手本になる店で働きながら学ぶことだった。空我君には料理を学べるコースのある学校にも興味があると言ったけれど、お前なら何とでもなるから可能性を狭めるなと言われた。


「どこのお店?」

「まだ検討中。通えるとこで、色々探してる」

「決まったら教えてね!」

「行くから!」


 ずいと身を乗り出すように、二人が言ってくるのをなあなあで流した。

 視界の端、遠くに見える男子たちには何やら噂をされている。悪いように思われないといいのだけれど。



 ****



 四月の週末、約束をした誰かと街に繰り出して、なんてことにはならず。日本に来る以前からピックアップしていたレストランを一人で、時にはデクレール家に付いてきてもらって黙々と巡っていた。

 どこにそんな金があるかと言われれば、父にポンと渡された初期費用である。お金を稼ぐ天才である空我君とは桁が二つか三つ違うけれど、父も父で成功を収めた人である。七光り万歳。


 もっとも、それに手を付けるのも今月か来月まで。

 甘やかされて育った自覚があるし、実際に今も甘やかされているから、一般的な金銭感覚を身に染み込ませるため、バイト生活で賄うつもりだ。

 まあ、都内駅近4LDKの家賃は絶対に払えないけれど、せめて月七万くらいは貯金に回したい。


 昼の遅くに自転車で辿り着いたカフェ・ダイニングで本日二皿目のパスタを食す。

 住宅街も近い駅近くの一軒家は有閑マダムの溜まり場になっていて、一人で来店する男子高校生は珍しいのだろう。店員さんからも客からも一挙手一投足に視線を浴びている。


 ……おお、良い。美味しい。


 頼んだのはその日一番提供されるであろうオススメのパスタだった。

 それでも考え抜かれたのがわかる絶妙な麺の固さと丁寧な味付け。自分の舌で再現できるようにじっくり確かめるが、オリーブオイルや調味料に拘りがありそうだった。


 掲載された雑誌を読んだとき、ホテルや海外で本格的に学んだオーナーとコーヒー好きな奥さんで営む店と書いてあった。

 昼はコーヒー、夜はお酒を提供するようだが、種類も豊富で安っぽくない。父さんや風真くんが好んでいた覚えのあるワインが置いてあってにやりとする。あの人たちはセンスが良いのだ。


 食べ盛りなのもあって問題なく完食し、一呼吸。お冷を注いでくれた女性店員さんの名札には苅谷と書いてある。

 オーナーの名前が苅谷洋一さんというのは調べが付いているから、コーヒー好きの奥さんだろう。セットのコーヒーも彼女が注いでいた。


 俺の他にもう一組残っていたマダムたちは話が盛り上がっていたので、今がチャンスか。


「ご馳走様でした。とっても美味しかったです」

「ありがとう〜。すっごく味わって食べてくれるからちょっと緊張しちゃった」


 伝票を渡し、レジの方へ進む。


「大学生?」

「あ、いえ。高校生です。この前入学しました」

「うっそ、そうなのごめん!」


 身長は178cmあって、服装はイギリス時代に買い揃えたものばかり。ちょっとした腕時計だって付けている。

 老けて見えるというより、日本ではあまり年相応に見えないかもしれない。


 それから何より、このお店に男子高校生が一人で来ることなんて無いのだろう。

 驚いて顔をまじまじ見てくる店員さんに苦笑いしながら、二千五百円を渡す。


「……パスタ好きなの? もしかしてコーヒー?」


 来た、と思った。

 本当はこういう良いお店があったらメールや電話でアポイントメントを取ろうと思っていたけど、今この状況なら、進めると予感する。


「実は料理全般がすごく好きで。家でもずっと」

「へぇ! 若いのにすごいね!」


 ありがたいことにきちんと食い付いてくれた。

 自分は高校一年生だと言い聞かせ、多少なりとも年相応なところを見せていいだろうと続けて口を開いていく。


「それで、できたら、こんなお店でアルバイトして、お店のこととか、料理のこととか勉強できたらって!」

「バイト」

「はい! 接客でも、お皿洗いでも、何でも。無理なお願いだとは思うんですけれど……」


 少し弱った声を出すのは自分でやっていて気恥ずかしくなってくるけれど、こちらの方が成功率が高そうなのだから背に腹は代えられない。押し通る。


「えー、バイトかー。増やしちゃってもいいと私は思うんだけど、ちょっと旦那に聞いてくるね? 手も空いただろうし。オーナーだから」

「はい!よろしくお願いします!」

「そこで待っててー」


 五分後、俺のバイト先が決定した。



 ****



 Cafe Dining Yoのオーナーである友一さんは保護者の同意の有無と希望シフトを聞いて、あっさりと了承してくれた。

 キッチンは彼と弟子の智哉さん、専門学生の凱斗くんで回っているということで、俺は一先ずホールでの接客と簡単なドリンクの用意だ。

 それでも原価や客単価、この立地でこの値段帯だとどういう客層が集まって、どういうメニューがよく出るのかを観察できて勉強になった。

 大学生が多いホールの先輩方や奥さんの羊子さんに可愛がってもらいながら、ひと月、ふた月。

 テスト期間も店には伝えず、夏休みにはさらに精力的にシフトへ入って、一度昼の賄いを作らせてもらったところからキッチンの手伝いにも入れてもらえるようになった。


 仕事の幅が広がった俺は扶養の上限も気にせずシフトに入り続け、いよいよ強制的に休まされたら東京の名店を絵梨花ちゃんと巡り、食材を買い揃えて手の込んだ料理を双子たちに振る舞った。

 学校の友人も一応できて、バイトのない土日に月に一度くらい、都心のラーメン屋やカフェに電車で行って一緒に並んでいる。


 それで気が付けば一年が経っていた。


 あの森の実家には一度も戻らず、日々のメッセージ交換と定期的な通話をしていた。一応、俺の活動については絵梨花ちゃん経由で伝わっているらしい。



 ****



 だから、そこで向こうから話題にされなかったから、こうなるとは思ってなかった。


「ぐえっ」

「……シオンの匂い」

「ほんとだに〜。でも洗剤は変えておるな」


 陵明高校のブレザーを身にまとった絶対的美少女二人。


「来ちゃったよ、シオン」

「よろしく、紫苑にい」


 隣の部屋は結局この一年ずっと空きっぱなしだったけれど、今は結理ちゃんが鍵を開けている。つまり、そういうことだ。

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