公式お兄ちゃん、ドラムを叩く⑤
最初からステージ上でマスクを外すつもりなんてなくて、二人に紹介されても喋らず、頭を下げてドラムを少し叩くぐらいにしておこうと思っていた。そうしたらあの二人はわざわざ仮面を取るように求めてきて、尺の都合もあったから逆らわずに外したというわけだ。映像も残るだろうに。
挨拶をしているときには宮浦のニヤニヤした顔がよく見えた。
ただ、そこは別に問題はない。遅かれ早かれだったと思うから。極めつけは『VIOLET』の演奏だった。最初から最後まで霧生紫苑を歌い表したあの曲で、二人は俺に求めてきた。
自分たちが夢中になる霧生紫苑がどういう存在か見せつけてよ、という挑発。
セッションのようなイントロは暫しの考える時間をくれて、これからどんな演奏をするのかという客席、もっとやれと期待する梨紗子ちゃんや双子たち、じっと俺だけを見つめる澪。そして、音でも背中でもやってよと主張する二人を見て……諦めた。
自分が主役の舞台でないと、先の三曲は彼女らを際立たせることに注力していたけれど、その主役たちが望むのだから。
走るようなドラムを父親譲りのフィジカルで目一杯に叩き、全力を出せばその内心が包み隠せず表情に出る。仕方がない、と歯を見せていた。
音を聴いた二人が確かに波に乗ってくる。二人を掌の上に乗せて運ぶようにリズムを刻み、誰がこの曲を作り出しているかを示すようにシンバルを打った。
碧依が作曲した『VIOLET』は四分弱ある中にこれでもかとドラムの難解で派手な見せ場が作れていて、その全てに応えていく。そうしていけば勝手に二人のテンションも最高潮になっていって、澪も目を閉じて微笑んでいた。自分も、楽しいと思っていたのは間違いないだろう。何かを誰かと全力でやれる瞬間は何にも代え難い。
汗をそのままにしながら、フィニッシュを迎える。二人のMCが多分わざと少しだけ長く取られたから、時間はあと三分とちょっと。一分の押しが確定した。スタッフさんマジでごめんなさい。
キメを打ってすぐに、打って変わった華やかなドラムを叩く。
ここからはもう一つの自己紹介の時間だ。
顔を出してしまえばもう、言い逃れはできない。
自分たちが何者かであるかを高らかに歌う番だった。
著作権を持っている誰かさん達に許可を取って、楽器のチューニングが必要ないよう編曲したその曲を二人は笑顔で歌い始める。
ステージがざわつくのを誰も止められない。そういうことかよと客席の客たちは膝を打って乾いた笑いを見せた。
『空の欠片』
父さんたちがリリースして大ヒットを果たし、今では音楽の教科書に載るくらいの曲だ。
原曲は双子の兄である高神空我が作曲し、弟の高神空也が作詞して、二人で歌っている。
学校で素性を明かしている時点でどこかで情報は流布していくのだからと、覆面の状態で鮮烈なパフォ―マンスをするだけしておいて、すぐにその正体を明かすこととした。
戦いは次の舞台……つまりは彼女らが目指す本当の舞台で、だ。
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控室に戻った際、HBC決勝より多くのレーベルや他のアーティストから声をかけられる、なんてことはなかった。あの時は結理ちゃんが十数人を一手に請け負っててきぱきと捌いてくれていたけれど、今日に関してはノータッチだった。強いて言うなれば大充実をして大興奮したという風なハンナンクラップと諫早の風の八人と俺も含めてハイタッチをして、HBCの運営の記念撮影を撮って出番は終わった。彼らはこれから打ち上げに行き、明日も合同で東京観光をしてから地元に戻っていくらしい。少し羨ましいくらいに意気投合しすぎである。
所変わって、東京郊外でも家からはやや遠い焼肉屋。十一人の大所帯となるのを見越して結理ちゃんが予約していてくれたお店に来て、梨紗子ちゃんが早速ビールを飲み干している。
「いやあー、ほんまにええもん見せてもろたわ」
「うん。なんだか懐かしくなっちゃった」
「栞と五十嵐君の文化祭を思い出すようだったわ」
その目のおおよそは黙々と肉と野菜を焼きながら子どもたちの皿に載せる俺の方に向いていて、聞かなかったふりもできない。
「栞ちゃんにも、風真君にも、全然及ばないでしょ」
「えー、そういうのじゃないよ。すっごかったし」
「重要なのはそこにあるドラマだよ、ショーンくぅん。四曲目、すっごかったね?」
「紫苑にいの過去最高記録を更新したかもしれない」
「もう、ほんと、流石シオンだった!」
朱音はともかく、ニヤつく碧依の皿の上にピーマンを乗せる。彼女は偏食ではないが、味覚が繊細過ぎて昔はどうしても苦手にしていたことを覚えている。せめてもの抵抗だ。
にこにこにこと、母親勢は嬉しそうにしている。実の母親ではないが、おむつを変えてもらって、沢山甘えてきて、母さんともほとんど変わらない時間を過ごしている人たちだ。ステージ上の距離感でも内心は見透かされていただろうし、簡単な反論はできなかった。
「楽しそうだったけどね」
「ノリノリだったけどね」
「まあ、それは、うん」
「いやあ、格好良かったなあ。ねえ澪」
「牛タン、追加」
「私もノンアルを」
「ビール追加で」
根は偏食の澪は自分の好きなものしか食べようとしないから、脂身のかりっとするまで焼いた肉と野菜を取り皿の上に載せておく。あとはもう好きに焼かせてしまえばいいだろう。その他の肉は食べ盛りの俺と、結局朝からずっと観客の中ではしゃぎまわっていた双子が回収する。
まあ実際、朱音たちと演奏をするのは楽しかった。たくさんの人の驚く顔が見られて、楽しんでもらえたと実感できる時間はいつだって嬉しい。父親たちが溢れる才能を活かして、長らくエンターテインメントを見せていた理由もよく分かる。
そして、生粋のエンターテイナーとしてヒット作を生み出し続ける梨紗子が、今回の仕掛け人に問う。
「P的には何点だったの、アオイチャン」
「百点満点、かなあ。一分四十秒押しちゃったけど、雰囲気は良かったし」
「歌も演奏も、満足できるだけのことはできたよ。できてたでしょ?」
「そらあもう。凄かったし、ヤバかったし、エロかったし」
「すご! やば! えろ!」
日本なら小学三年生にあたる桃華が梨紗子ちゃんの語彙を反復して、母親の美悠ちゃんの目が弧を描く。
「梨紗子ちゃーん……?」
「ごめんよみゆみゆ。でも大事だから! パトスもエロースも!」
「Pathos! Eros!」
「梨紗子の言わんとすることは分かるわよ」
桃華も家では日本語、外では英語を話す環境にあるから、積極的に耳に入った音を拾ってくる。俺たちもそうだった。ただ、やけにカタカナからの発音の変換が正しかったから、どこかでもう知っているようでもあった。
名誉挽回を狙うように、累計発行部数五千万部を大先生は居住まいを正す。ちょっと真面目な講評のお時間だ。
大人たちの手が止まっていたから、焦げそうなハラミを回収して双子の方にやった。彼らの前の七輪は複数枚広げられた牛タンに占拠されている。
「君らのやりたいことが、あのステージだけで表現できてたよ。ホリーとシュシュの魅力も。切り抜かれるとわかんないけど、フル尺で映像になればちゃんと後からでも伝わると思う。そこのナチュラルボーンラブコメ主人公をここで表に引きずり出したのも二重丸」
「誰が」
「そんなん一人しかおらんがなー」
「まさか紫苑先輩、自覚ない?」
双子の大袈裟な演技が大変不本意である。黙して、少し冷めた肉を食べた。ちゃんと美味しい。
「このチャプターは言う通りハナマル満点じゃないかな。次のチャプターもオタクとして楽しみにしたいもん」
シナリオを描く一人としての忠告を、二人は素直に受け入れている。
それから付け加えられた注意事項は、ちょっとだけ母親の顔が混ざった。
「前にも言ったけど、心は燃え上がってもいいけれど、炎上しないように。世間体も、君らの仲も。何より外から見てて冷めちゃうし、大人として手を加えないといけなくなるからね」
「その辺はお任せあれ」
「うん。アオとはちゃんと約束してる」
「……まあ、俺も別に」
「ソルティはあんまり心配してないよーんだ。ちょっとぐらい振り回されちゃえ」
人の名前を真面目に呼ぶのが好きではない梨紗子ちゃんは三つか四つのあだ名を使い回す。たまに原型を留めなくなるがそれはそれだ。伝わるので良い。
彼女がジョッキを手に取ると、場の空気が元に戻っていく。
「あーあ。大和も陽登もなんかあってくれたらなー」
「何もない感じ?」
「ほんとに何もない感じ」
「ヤマにいもハルにいも、モモ大好きだよ?」
「きゃー、もう、二人纏めて差し上げます! うちにお嫁に来てください!」
サッカー小僧。二人揃ってそんな感じの息子を持った母が嘆いてふざけている。
それでも大和の名前が出た時、視界の端で澪の箸がちょっとだけ迷ったのを俺は見過ごしていない。
表情を変えたり彼女と目を合わせたりはせず、網の上から牛タンを一枚貰うだけに済ませておく。
幼い時からずっと変わらない距離感のままでいるから、梨紗子ちゃんも気付かないのだろう。大和もしっかりしているけれど、だからこそ大事なことは胸に秘めて置くタイプだ。
果たして二人がどういう道筋を辿るのか。お兄ちゃんはただただ、弟妹達の幸福を祈るだけである。




