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公式お兄ちゃん、ドラムを叩く④

千紗視点です

 時刻は十五時に近付く。一度は曇ってくれた天気がまた晴れ始めて、ステージ前のエリアから日陰のあるところへ避難するお客さんも多い。


「見なきゃダメぇ?」

「絶対見たほうがいいよ」

「千紗が言うならしゃあないけどさぁ」


 連れてきてくれた杏奈と私がお目当てにしていたバンドは二個前までにもう終わっていて、杏奈からはもう帰っていいんじゃないか、せめて涼しくなるまで待たないかという声が聞こえるようだった。


「ドラムの子、超イケメンだから」

「バイト先の高校生くんだったっけ? でも仮面なんでしょ?」

「そうだけど、絶対すごいから」

「まあでも高校生だしなー」


 バイト先の高校生、霧生紫苑君。三個下。

 大人びていて、忙しくなっても余裕があって、年上の私や聖菜さんに指示を出すのも戸惑わず、お礼をする時にはふわりとした笑顔を見せてくれる。

 ほとんど同じ時期にYoでバイトを始めたけれどいつでも真剣で、今では多分、お店の誰よりも仕事ができてしまう。

 彼が入ってからお店が繁盛するようになったと奥さんの羊子さんは言う。確かに有閑マダムの常連さんは頻度が高いし、決して安いお店ではないけれど、高校生の女の子がお茶をしに来ることが多かった。お目当てはきっと皆紫苑君だ。


 背が高くて、手が大きくて、眉毛はいつも整っていて、二重の目は少し切れ長だけど優しげである。あと左頬の黒子がチャームポイントである。

 喋り方はいつもとても落ち着いていて優しく、声が格好いいと思う。


 聖菜さんと一緒に顔ファンなんて言ってからかっているけれど、私はもうずっと、普通に好きになりそうだった。私が何かミスをしても手際よく助けてくれたし、ちらっと口走っただけの誕生日には美味しいクッキーをくれた。


 三つ下にしてはあまりにも出来すぎである。

 東京の子はみんなこうなのだろうか。


 そんな彼のお父さんは霧生創太選手で、スポーツに疎い私でも知ってる日本の大スターだ。よくよく見ればところどころ雰囲気はあるけれど、印象は全然違う。私は断然、紫苑君派である。


 そんな彼が今からステージに立つらしい。ロックバンドなんてイメージ全く無かったけれど、お店によく来るあの二人、顔も名前も覚えた朱音ちゃんと碧依ちゃんにお願いされてサポートという形らしい。名前はヴァイオレットブーケ。紫、どう考えても彼を意識した名前だった。


 今日一番まばらな会場に、プロらしい熱の籠もったアナウンスが響く。各会場揃ったアナウンスは今からHBCの上位三組が会場をジャックするというもので、左右の他会場でも高校生たちがステージに立つのだ。


 私達の前にも三人が出てくる。結構前列に来れてしまったから、姿はばっちりと捉えられる。


「うおー、なんかアイドルっぽい」

「ね」

「後ろの子?」

「うん、らしい」

「……死なない?」

「心配だよねー」


 彼の言ったバンド名で調べた映像で見た通り、紫苑君は鳥のような変わったお面を付けていた。見るからに息苦しそうで、熱中症にならないかハラハラしてしまう。

 ただ彼の衣装は変わらずにTシャツとスラックスとマスクだったけれど、どちらもボーカルを担当する朱音ちゃんと碧依ちゃんの二人は制服をモチーフにしたような衣装を来ていた。杏奈の言う通りそういうアイドルのようだ。灰色をベースに紫、それからそれぞれ赤と青。仮面の色も含めてどちらがどちらか分かり易い。ギターとベースの色も丁寧に分けられている。


 舞台上でちょっとした音合わせが始まる。紫苑君の動きはステージの上でも淡々としていて、紫苑君だなと分かってしまう。他の二人もだけど飾りっ気がなくて、多分ニコリとも笑っていない。素の部分はそういう子だ。


 今一度アナウンスが鳴って、ステージの幕が開く。


「ヴァイオレットブーケです! まずは三曲、ぶっ通します!」


 朱音ちゃんが弾んだよく通る声で言えば、素早く紫苑君がカウントを取る。近くからは喋った! という声が聞こえて、多分HBCの本選から見ていたファンが来ているのだと分かる。


 そして、ギター、ベース、ドラムが揃う。本当に野外でやっているのかと思うくらい、揃う。揃って聞こえた。

 激しくベースが響き、ギターが鳴る。ドラムの音は会場を、胸を揺らしている。


 ああ、上手い。超上手い。ヤバい。


 たっぷりと二十秒以上のイントロは素早く流れて乱れず、高校生バンドと舐めていた観客の興味を掻っ攫っていく。私よりバンド好きで現場参戦経験も豊富な杏奈が目を丸くするように彼女らの手元を見ている。遠く木陰の客たちも、少し体勢を前のめりにさせた気がする。


 そして、碧依ちゃんが歌い始める。イントロから演奏のペースは変えず、ともすればさらに複雑なところがあるのではないかというくらいのコードを進めながら、口元に笑みさえ讃えて。可愛げの中にも少しだけ低く芯のあるような声を、絶え間なく私たちの耳に届けながら。

 その隣では楽しい! と全身で語らんばかりに、とんでもない密度のギターが奏でられていた。持ち方を変えて、スタンスを変えて。満面の笑みを浮かべて。


「やば……」


 まだサビに入る前だというのに、杏奈が声を漏らしている。けれど場は確かに釘付けになっていた。彼女らはアルコールも入ってテンションの振り切れていたはずの観客を音にノらせることもなく、自分たちの演奏を、歌声を聴けと主張する。


 そして、サビに入る。朱音ちゃんがひらりとマイクの前に戻ってコーラスをすればその声はイメージ通り明るいのにどこか艶があり、碧依ちゃんの歌声はさらに芯の確かさを主張した。


「わたしをきいて」


 その歌詞が碧依ちゃんの本当の声のようでゾクッとした。そして僅かな間奏でもベースを高らかに指で弾いて、迷わず二番に入っていく。


 すごい、すごい、すごい。


 とんでもないものを見せられている気分だった。暑いからといって帰らなくて良かった。私でさえそう思うのだから、たまたま聴いただけの人たちはどう思うのか。杏奈の顔を見る。隣の知らないお兄さんの顔を見る。木陰から小走りに走ってくる人影を見る。


 すごい。本当にすごい。


 二番のサビにもなると客席も驚きから帰ってきて、リズムに合わせて手が掲げられる。周りに負けじと私も手を伸ばす。紫苑君と目があった気がしたけれど、あのマスク越しだから全然わからない。


 そして演奏も声も全く衰えぬまま大サビに入り、碧依ちゃんのロングトーンで盛大にフィニッシュを迎える。


 さあ、盛大な拍手が待っている。


 そう思った時には紫苑君が変拍子のドラムを叩いていて、先程まで歌っていた碧依ちゃんは口を閉じて何事もなかったかのようにリズムに乗り、テクニカル過ぎるスラップベースを披露していた。


 音源を聴いた私も知らない曲だった。


 朱音ちゃんのギターが加わり二小節、彼女が歌い始める。軽快で、陽気で、それでいて強さをありありと感じさせる歌声。そして時折口元と声だけでも見せる不敵さ。

 私たちの拍手を不発に終わらせたのをからかうようにギターを爪弾き、まあまあ聴いてくださいなと声で酔わせる。

 まだ十五歳だという彼女は今、少なくとも数千人は集まった観客を一人で手玉に取っていた。

 彼女が歌い始めてからはほとんど主張せず忠実なリズム隊と、踊る赤のギター、それから快活な少女のようでいて一人の女性の声。


 歌姫の舞台。


 何かずっと先のことが見えた気がして、鳥肌が立った。多分このステージは本当の伝説になると感じさせられる。見に来て良かった。見に来られて良かった。教えてくれて良かった。


 多少なり、確かな嫉妬を感じていたはずの彼女らに対して、これまでと全く違った感情を芽生えさせられる。これが本当のスターというやつだと、肌で感じる。


 思う存分酔いしれた二曲目が終わり、やはり間髪を入れずに次の曲へ入った。

 ベースのソロから入るイントロは予選の二曲目にやっていたやつだ。アグレッシブな他の曲と違って、昔のUKロックを思わせるメロディは多分、みんな楽しめるし、落ち着いて聞くことができる。

 それは確かに正解で、キャッチーなフレーズに合わせて腕が伸ばされ、二人がギターとベースのヘッドの動きでそれを煽っていた。

 三分少々の曲が多幸感に満ちながらジャジャジャンと終わる。


 そこで私たちはようやく拍手ができて、それから皆が、今演奏していたのが高校生バンドだと思い出していた。


「え、すごすぎん?」

「ほんとに。ほんとにすごい」


 他のお客さんたちも他のプロアーティストのとき以上にざわざわしている。

 朱音ちゃんと碧依ちゃんはそれぞれに拍手に対して手を振っていて、多分いくつかは、知り合いを見つけたものだった。

 二人とも最初に纏っていたミステリアスな雰囲気はなくて、仮面の下から愛嬌が漏れ出している。


「はー、あっつい……仮面、外しちゃっていいですか?」


 え、外すんだ。


 みんながそう思ったのか、ちょっと間があってから、一斉に拍手が鳴った。私は手を叩かなかった。


「いいって! あっついもんね!」

「それじゃあ外しちゃう?」

「いえーい」

「いぇ〜い」


 ひょっこりと二人の顔が露わになると大型スクリーンもしっかりとそれを映していて、会場がさらにどよめいた。

 赤くなったほっぺに、多分口紅以外はすっぴんの顔。汗をかいて前髪が張り付く十五歳の美少女たち。それから、水を飲んだ朱音ちゃんのとびきりの笑顔。碧依ちゃんも静かに微笑んでいる。


「改めまして私たち、ヴァイオレットブーケです!」

「よろしくお願いしま〜す。いぇ〜い」


 再びの大きな拍手。

 超可愛いー!という後ろの方からの叫び声が聞こえると。


「ありがとうございまーす!」

「よく言われま〜す」


 と本当に慣れたように返している。

 どうしてもHBCでほとんど喋らなかった二人の場馴れではない。

 それからあちこちから飛び交う褒め言葉にありがとうございますとコミカルに二人が頭を下げていると、碧依ちゃんがはっと気付く。


「自己紹介してないよ、アカ」

「あ! していいですか? します! ヴァイオレットブーケの赤色! アルファベットの全部小文字でakaneです!」

「ヴァイオレットブーケの青色担当、全部大文字でエーオーアイ、AOIですよろしくお願いしま〜す」


 仮面を外したところからごくごく自然にMCに入っている。時間はどうかと見れば、持ち時間の二十分中まだ十一分しか経過していない。全て三分と少しに収まる曲を持ってきていたのだ。喋りも滑らかだ。


「あ、シオンがまだ外してない!」

「ふふ、すっごい嫌そう」

「暑いんだから! さっさと! うん!」

「お客さんも心配ですよね〜?」


 あ、紫苑君顔出すんだ。

 会場から笑いが飛ぶ中で、ちょっとだけ心がきゅっとした。


 促されて、彼が本当に渋々と仮面を外す。汗に濡れた前髪を振る姿がカメラに映され、またしても会場がざわざわとした。歓声は先程までよりトーンがずっと高く、黄色い。


「シオンです。二人のサポートとしてドラムやってます。短い時間ですが、最後までお付き合いよろしくお願いします」


 お前もイケメンなんかい! と誰かが叫んで、ありがとうございますとぼそっと返している。朱音ちゃんと碧依ちゃん、それから観客たちがどっと笑った。


「はい、というわけでハイスクールバンドコンテストの優勝ができて、今日はサイフェスという最っ高のステージに立たせてもらっています」

「高校一年生の私たち二人のデュオをシオンに助けてもらって、最高な経験ができています。最初からできる限りのステージにしようと心に決めていました」

「ラスト二曲、詰め込みます!」

「聴いてくださいまずは私たちの」


 二人の声が揃った。


「VIOLET」


 特徴的なギターのイントロ。四小節でベースが乗る。それじゃあ次は、最後の一人。


 先程まで淡々とドラムを叩いていた紫苑君が表情を変えた。

 優しげでありながら、仕方がないなと歯を見せる。そして波に乗ったドラムは影に控えて二人を誘導したこれまでの演奏ではなく、強く強く、自分の存在を見せつけて牽引するようであった。


 ……ああ。


 この一年と少しで見たことのなかった彼の姿。

 私の胸は強くときめき、それと同時にただ一つの理由をもって涙が溢れていた。

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