みんな同じ顔
「伊坂さんの奥さん、いつも変わらないわねえ」
「そうよねえ、もう40代なんでしょ。パッと見20代だもの」
「いろいろやってるのかしら 。……ほら、美容整形とか ?」
「私もシワ取りしようかしらね」
「あら、奥さんがすれば私もしようかな ? 」
ごみ投げついでの朝の井戸端会議は、噂話が多め。
でも、市役所に勤める俺は知っている。
「伊坂ネルの妻、サチミは4回目の妻だ」
最初の妻は 佐々木サチミ
2番目の妻は 野良マイ 結婚前に改名して野良サチミ
3番目の妻は 真鍋ヒロコ 結婚前に改名して真鍋サチミ
4番目の妻は 版ヤスミ 結婚前に改名して版サチミ
だから結婚したら、全員伊坂サチミだ。
顔は似ているのか、整形したのか ?
たぶん彼の会社の人も気づいてないはず。
そもそも、普段会話している主婦も気づかないのだろうか ?
気づいていて、気づかない振りをしているのだろうか ?
『4番目の伊坂サチミは24才だから、あの奥様の読みは正しいぞ』
そう言えば、俺の戸籍住民課の担当はころころ人が辞めるらしい。突然出勤しなくなったとかで……既に3人も変わっている……。
おい、これヤバイ案件か ?
アンタッチャブルのやつか ?
「はははっ、そんなまさかな」
ドンッと音がして、俺は車に跳ねられた。
病院のベットで、当直医が微笑む。
「もう少しずれてたら、肋骨の骨折くらいじゃ済まなかったですよ。運が良いです」と、言って去っていく。
俺は右足も骨折して、ギブスで固定されているのに、運が良いとか言うなよ。歩く時松葉づえなんだからな。ちょっと苛立つ。
先ほど笑っていた医者は、件の伊坂ネルだった。
ここは彼が勤務する病院。
伊坂の前妻の行方もわからない。
…………そもそも気にしてるのは俺くらいなのか ?
…………家族は何とも思わないのか?
もしかしたら、彼女らの家族達も整形した顔を知っていて、もしくは同じ顔で、4番目の妻を見て自分達の子が元気だと思っているのか?
確かに遠目では分からないだろう。
けど話せば、食い違うんじゃないのか ?
ああでも、俺だって田舎に5年は帰ってない。
同じ顔なら疑わないかも。
ああ、ここは4人部屋なのに、俺しか入院してない。
夜中の病室の扉、上のすりガラスに人影が映っていて動かない。看護師なら入ってくるよな。
怖い……………
俺は、早く朝になるのを待つばかりだ。
◇◇◇
私は伊坂ネル。
大学病院に勤めている。
私は妻のサチミを、旧姓佐々木サチミを深く愛していた。
けれど彼女は病に倒れ、32才でこの世を去った。
優しい笑顔で私を癒してくれる、物静かな女性だった。
私は優秀と呼ばれた心臓外科医だったが、もう全てが嫌になり引き籠った。食事も睡眠も疎らで、今が昼か夜かも分からない。
それを引っ張り出したのが、親友で病院の副院長である吾味与四郎だ。
「お前には、たくさんの人の未来がかかっている。このまま逃げるのは殺すことと同じだぞ! 戻って来い!」
私は横に首を振った。
もう何も意欲が湧かないのだ。
いつ死んでも良いくらいに。
すると、吾味が言うのだ。
「俺はクローン技術が専門分野だが、仲間にips細胞や生殖医療の専門家もいる。なあ、俺を信じて見ないか? 絶対にお前のサチミさんを復活させてみせる。だからお前も俺に協力してくれ。頼むよ」
そう言われて、私は悩んだ。
けれど私は縋ってしまった。
『もう一度、サチミに会いたい。会えるなら何でもする』と。
そして私は、栄養失調で死に至る直前の危機を脱し、健康を取り戻して外科医に戻った。
寂しさに耐える私に吾味が、野良マイに会わせたのだ。
「繋ぎだが、顔はサチミさんに変えてある。背丈も同じだから寂しさを紛らわすには良いだろう?」
マイは孤児だった。
顔を整形することに抵抗はなかったのかと聞いたが、以前の生活は辛かったから未練はないと言う。
確かに彼女は顔は同じだった。
けれどとても活発で、性格が全然違った。
初めはそれも新鮮だと見守ったが、次第に増長し始めた。
私が医者だと知ると、衣類や宝石を思うままに買い、浮気までしだした。
けれど彼女は言う。
「貴方は私を見ていない。いつも冷めた目で誰かと重ねている。ならさぁ、贅沢くらい許してよ!」
そんなことを、愛するサチミの顔で叫ぶのだ。
私は絶望した。
そして吾味に相談したのだ。
もう無理だ。離婚したい。これなら元の一人でいる方がマシだと。
吾味は頷き、マイを連れ出した。
彼女の腕を掴む黒服の男達は、屈強な体をしてサングラスで顔を覆っていた。
「離して、嫌よ! 助けてネルさん。……このぉ助けろ、バカヤローが! くそっ、離せや!」
体をくねらせ必死に暴れるマイは、最後には暴言を吐いていた。
「こんなの、サチミじゃない」
私は落胆し、また一人になった。
そしてまた、吾味がサチミと同じ顔の女性を連れて来た。
出自は分からないが、今度は気立てが良さそうな人だった。
私は寂しさから、共に暮らすことを受け入れた。
けれど彼女はある日、私の貯金を引き出して居なくなった。
吾味はすまなかったと謝り、貯金も取り戻してくれた。けれど心には穴が開いたままだ。
もう裏切られたくない。
傷ついた心は、血を吹き出していた。
そして私は仕事を休むようになった。
半月後、吾味が現れた。
その隣にいるのは、版ヤスミと言う女性だった。
少し幼いが、妻を若くしたような姿だった。
「サチミさんのクローンだ。もう少し後に、せめて彼女が16才になってからと思ったのだが、お前が苦しそうだから連れて来たんだ。話して見ると良い」
私とサチミは幼馴染みだった。
あの時と同じ笑顔が、会話している彼女から漏れた。
そしてこの彼女もサチミと同じように、眉間を中指で軽く丸を描いていた。彼女のいくつかある癖の一つだった。
「ああ。今後こそ本当のサチミなんだね。戻って来てくれたんだね。……おかえりなさい」
サチミはまた微笑んで、ただいまと言ってくれたのだ。
私は泣きながら、彼女を抱き締めた。
◇◇◇
クローンの彼女に戸籍はない。
だから吾味は、版ヤスミと言う女性の戸籍を買い取って来てくれたのだ。
戸籍の女性は24才だが、サチミは15才だ。
彼女が16才になったら本当の夫婦になろと誓い、籍だけは既に入れている。
けれど私は、版ヤスミと言う女性のことを全く知らない。お礼も言いたいが、吾味が会わせてくれないのだ。
そんな吾味は、大金を出したのだから心配するなと笑うだけだ。
私もサチミのことで気がまわらず、幸せに浸っていた。
「いつもお仕事ご苦労様です。無理しないでね」
「ああ、ありがとう。私は幸せだよ。…………いつもありがとう」
私の言葉に頬を染めるサチミに、以前に開いた心の穴は塞がり、暖かさで満たされていく。
サチミは以前と違い、心臓が悪くない。
だからいつでも一緒に行動でき、買い物にも旅行にも行ける。
優しく微笑むサチミがいれば、私はいつでも頑張れるのだ。
私とサチミと吾味は、幼馴染みだった。
あの時の3人の絆は、少し違った形だけど続いている。
「私はもう、吾味に頭が上がらないな。感謝してるよ」
「何言ってるんだよ。親友だろ、俺達は」
「そうよ、ネルさん。水くさいわ」
「ふふふっ。そうだね。今さらだよね」
「本当、今さらだよ。俺達の絆は永遠だ!
はははっ」
昔のように笑い会える私とサチミと吾味だ。
……でも私は、一つだけ不思議なことがあった。
◇◇◇
俺は車に跳ねられ、入院していた戸籍住民課の職員だ。
無事に家に帰りついたが、すぐに異動の辞令が送られてきた。市役所なので、他県に移動って可笑しいだろ?
けれど妻の父が訪問し、市役所の決定には口出しせずに従えと言う。
「君には尾行が付いていた。伊坂さんの奥さんを、怪しそうに見ていたそうだね。この地域でそれは禁忌肢なのだ。他所から来た君は運が悪かった。……申し訳ないが娘とは、離婚して貰うよ。慰謝料は多く払おう」
※禁忌肢 = 選んではいけない選択肢のこと。
「な、何でですか? 俺は何も「もう、決まったことだ。諦めてくれ。そして伊坂さんのことは他言無用だ。命が惜しいだろ?」……っ、はい、分かりました……」
義父の勢いに俺は呑まれ、離婚届けにサインをした。
「何で、こんなことに……。真面目な貴方なら、気にせず職務を全うすると思っていたのに。……やっぱり他の地域の人との結婚はうまくいかないのね。ぐすん」
「ああ、アヤミ。ごめんな」
「ううん、仕方ないわ。貴方も元気で」
「っ、本当に、何で…………うっ……」
俺は訳も分からないまま、他県に出された。
家から付いて来てくれた市の職員は、俺を次の職場に案内してくれた。
何とそこは刑務所の職員だった。
「何で?」
驚く俺に市の職員は、静かに告げる。
「黙って仕事に打ち込むんだぞ。余計なことを喋れば、あんたもあっち側に入ることになるから」
「ど、どう言う「喋るな、巻き込まないでくれ、じゃあな」……」
去っていく市の職員の言葉に、俺は胸が苦しくなるのを感じた。
その後の俺は、寡黙を貫き無事に生きている。
刑務所の仕事も公務員なので、給料も良い。
普通に彼女も出来て、不自由なく暮らせている。
だけど…………。
酒に酔って失敗しないように、俺は禁酒を続けている。
刑務所の囚人の中に以前の同僚を見つけ、何があったか悟ってからは一滴も飲んでいない。
(あの人、酒癖悪かったから…………。南無三です)
◇◇◇
私は伊坂ネル。
心臓外科医だ。
クローン人間は赤ん坊から育つから、オリジナルの記憶なんて持っていないはずだ。けれどサチミは詳しい過去の話を知っている。
愛の奇跡なのだろうか?
それとも……………………。
私は深く考えないことにした。
良いではないか。
クローンだって、本当のサチミなのだから。
無理やり自分を納得させ、今日も手術を成功させて感謝される。今や院長に就任した吾味は、ご満悦だ。
「多少無理したが、やはりお前に投資して良かったよ。これからもよろしくな、親友!」
「ああ、ありがとう。勿論頑張るよ」
吾味は実の姉と次期院長の座を争っていた。
世界的に認められた俺の後見人が吾味だから、院長に寸でで王手をかけたらしい。
そんな俺は吾味には逆らえない。
今のところ、そんな気はないけれど。
◇◇◇
この地域にいる有力者達は、多くの患者で順番待ちの伊坂の手術を優先的に受けて命を繋いでいた。
だからそれを斡旋した吾味を裏切れない。
今後の心臓のサポートも、伊坂が居なければ不安だからだ。
そんな彼らに市役所の采配などは、簡単なことだった。
それに…………。
吾味は裏ルートで、国の重鎮や他国の富豪等の有力者の手術斡旋もしていた。伊坂を手放すことは出来ない。
本当の親友なら、妻を失った彼に他人をあてがわないだろう。たとえクローンでも、違う個体なのだから。
吾味はもう、伊坂の親友ではない。
対等ではない立場はもう…………。
◇◇◇
版ヤスミの戸籍を得た、伊坂サチミのクローンである彼女も苦悩していた。
赤ん坊から吾味と彼の配下に育てられ、教育された彼女。
オリジナルの記憶を持っていない彼女は、吾味にオリジナルの情報を覚え込まされる。
「顔が同じのあいつらがうまくやれば、こんな手間はいらなかったのに。くそっ!」
完全なるクローンの彼女は、他の子供のように教育を詰め込まれ、さらにサチミに成り代わる教育も無理やり詰め込まれる。
「お前はクローンだから、戸籍がない。戸籍がない人間は犬や猫と同じだ。死んでも誰も気にしない。だから人間として生きたいなら、死ぬ気で伊坂サチミになれ。伊坂に気に入られ、生きる希望を与えろ。それがお前の唯一の生きる方法なのだから」
「はい。分かりました」
そう言われ生きてきた彼女。
伊坂に会うのが16才と決めていたのは、未だ教育が済んでいなかったからだ。大学のカリキュラムなど不要だと思われたが、ボロが出ては困ると思う吾味も、神経が過敏になっていた。
今度こそ失敗は出来ないと。
だが教育途中だが、何とかうまくいったようだ。
彼女は伊坂に寄り添う。
オリジナルだった、伊坂サチミのように。
「私、わたしは、伊坂サチミ。でも本当の私はもういないの。じゃあ、私はいったい何なの?」
伊坂に愛されているサチミだが、彼の愛しているのは自分ではなく、あくまでもオリジナルなのだと思い涙が止まらない。
ずいぶんと歪な関係だが、いつまで続くのだろうか?
……サチミの瞳に、愛を乞うがゆえの狂気が宿る。
破綻の足音は、少しずつ近づいていた。