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第9話 小村のトンネル

「ねえ、まだ着かないの?」

「そろそろ着くって言っただろ」

 翌々日の朝。初夏の陽光に若葉がきらめく中、ユリアナとエーリヒは馬に乗って、ミヒャエル峠の工事を行うミヒャエル村を目指していた。エーリヒの地元だ。


「そのセリフ聞くの、8回目だわ」

 ユリアナはいら立って、白いレースの日傘を回す。動きやすい簡素な格好のエーリヒとは対照的に、ユリアナは優雅なフリルをあしらった帽子をかぶり、初夏の花々の繊細な刺繍が施された薄緑のドレスを着ていた。

「だからもうすぐだって。ユリアナちゃん、忍耐力なさすぎ」


 別荘地以外の田舎に行くのは、ユリアナにとって初めての経験だった。馬車も通れない未舗装の田舎道。ずっと馬に揺られてお尻が痛い。ユリアナは文句を言った。

「昨日1日かけて王都から汽車に揺られて、駅周辺で一泊して、翌朝馬で3時間……。ここまで人里離れた土地だなんて思わなかったわ」

「それ絶対村の人たちの前で言うなよ……。入り口までもうすぐだからな。ほらあそこ」

 エーリヒはため息をつき、手綱を緩めて馬の足を早めた。


 ユリアナが驚いた事に、早朝にもかかわらずほぼ全村民が通りに並んでいた。誰も彼もエーリヒを歓迎している。エーリヒたちは馬を降り、彼らにあいさつして回った。

「今回のトンネル工事の話を通して下すったおかげで、臨時収入が入りましただ!」

「おらの息子に就職先を斡旋して下すって、ありがとうございます!」

「エーリヒ先生はミヒャエル村の誇りでさぁ!」

 先を争ってエーリヒに寄ってくる村民たち。

「みんなありがとな。こんな熱烈に歓迎されて嬉しいぜ」

 エーリヒは笑顔で答えながら、一人一人と握手して回る。ユリアナもぎこちなくそれにならった。


「おらですだ! 名前覚えてますか?」

「もちろん。アルベルト・ミュラー君だろう。お母さんの具合はどうだ?」

「へえ、おかげさまで最近元気がいいですだ。エーリヒ先生が議会を通して下さった『薬価減免法』のおかげで、いい薬が手に入りましただ」

 アルベルトと名乗った農夫らしき壮年男性が、ゴツゴツした手をちぎれそうなほど振ってエーリヒと握手した。


「そんなら、おらの名前も覚えておいでですだね?」

 横から別の若者が、期待の眼差しでエーリヒを見つめる。

「えーと……」

 エーリヒが言葉に詰まる。

「デーニッツですだ……」

 少しがっかりした様子で若者は名乗った。


 するとエーリヒは笑顔で首を横に振った。

「いやいや、当然苗字は覚えてるさ、デーニッツ君。ただ上の名前が思い出せないだけだよ。えーっと……。フーゴ君だったかな」

 若者の顔が輝いた。

「んだんだ! フーゴ・デーニッツですだ」

「そうそう。お姉さんの事は残念だった……。俺も悲しいよ」

「いやいや。エーリヒ先生も悲しんでくれて、姉も草葉の陰で喜んでいますだ……」

 しんみりした表情になるフーゴ。


(エーリヒ、上手くこの人のフルネームを聞き出したわね。愛ある嘘ってまさにこの事だわ)

 ユリアナが内心舌を巻いていると、フーゴが思わぬ発言をした。

「エーリヒ先生、ご結婚おめでとうございますだ。婚約破棄された令嬢を嫁にもらうなんて、さすが先生は懐が深いですだね」


 フーゴは悪気のない笑顔だったが、ユリアナは腹が立った。

(何よ! 私に非があって婚約破棄されたわけじゃないのに)

 事情はどうあれ、自分は世間に傷物の令嬢として見られている。そう気づいたユリアナは惨めな気持ちになり、差し出しかけていた白い絹の手袋の手を引っ込めた。

 フーゴに苦言を呈そうと口を開くユリアナ。その時、笑顔でエーリヒがフーゴをたしなめた。

「まあまあ、フーゴ君。ユリアナちゃんは凄い歌魔法の使い手なんだぜ?」

「すいませんですだ……。とんだ失礼を」

 フーゴが詫びる。


 しかしユリアナはモヤモヤしていた。

(人が一番気にしている部分を軽率に口にするなんて。やっぱり民衆って品性を欠くわ)

 許したくないユリアナが仏頂面をしていると、エーリヒがそっとユリアナの手を握ってきた。横を向くと、緑の瞳がなだめるような色を浮かべている。

(……仕方ない、エーリヒのために許しましょうか)

「いいえ、お気になさらず」

 ユリアナは機械的に言ったが、手は引っ込めたままだった。


 その後、トンネルの起工式が広場で行われた。村長の話、エーリヒのスピーチに続いて、ユリアナの歌がプログラムに含まれている。

「プログラム3番、宰相夫人のお歌」

 エーリヒの従弟だという、若き村長のハンスが読み上げる。素朴な栗毛の若者だ。


 ユリアナは笑顔を顔面に貼りつけて舞台に出た。流れてくるハープのメロディーに乗せて、作業員たちの無事と村の繁栄を祈る歌を歌い上げる。

 歌っている間中、民衆のみすぼらしい格好や、日焼けで土っぽい色になった顔が目についた。都会風に着飾ったユリアナを、無遠慮な好奇の目で見る者も多い。ユリアナは密かに辟易とした。


「本日、愛する民衆の皆さんのお顔を拝見できて嬉しく思いますわ。トンネル工事の成功と、村の繁栄、神のご加護を願っております」

 歌の終わり、慈愛の笑みを無理矢理作って嘘をつく。

(やっぱり私、この人たちを愛する事なんて出来なさそう。エーリヒはすごいわ。愛ゆえの嘘はいつか本当になるって、そんなの私には無理よ……)

 落ち込んだユリアナは、歌い終えると早々に舞台裏に引っ込んだ。


 起工式が終わると、みんなでトンネルの入り口に移動した。ユリアナはその場に臨時で張った天幕内の折り畳み椅子に座り、村長のハンスと共に作業風景を眺める事になった。

 村民たちは土魔法で山肌を掘り、風魔法でもっこを浮かせて土を運び出し、草魔法で材木を運んで穴が崩れないよう支えている。作業に直接携われない者たちは、作業員たちに水を提供したり、汗を拭く手拭いを洗濯したりしていた。

 作業着に着替えたエーリヒは、村民たちの中心となって指揮を取っている。時々自らトンネル内に入っては、手の平から霧状のセメントを放出してトンネルの側壁を固めていた。


「宰相自ら現場に立たなくてもいいのに」

 天幕に初夏の太陽が照りつける。象牙の骨に白孔雀の羽が貼られた扇で、自らをあおぎながらつぶやくユリアナ。ハンスは聞き逃さなかった。

「さあ、どうだか。リーダーが率先して動かないと周りはついてこないって、エーリヒはよく言ってましただ」

 ハンスはユリアナにアイスティーのおかわりを注ぐ。


「ならハンスさん、あなたは何で働いていないの?」

 ユリアナが問うと、ハンスはニカっと笑った。

「おらの踏ん張りどころは、工事前日までですだ。見ていて下さい」

 ハンスが足元を指差すと、雑草がまるで意思を持ったかのようにピョコピョコ動き始めた。その内根っこを足のように地面から引き抜き、列をなして行進してどこかへ行ってしまう。

「おらの草魔法で、こんな風に山の木々を避難させて、トンネルを掘りやすくしておりましただ」

「すごいわ!」

 ユリアナは感心した。


「にしても、エーリヒは皆さんから慕われているわ。小さい頃から人気者だったんでしょうね」

 ユリアナは扇を使う手を休め、汗をかいたアイスティーのコップを握りしめてうつむく。

「いや、そんな事はないですだ。そもそもエーリヒがこの村に来たのは、エーリヒの母親、つまりおらの母さんの姉が行方をくらませた9つの時。母子で住んでいた山向こうの街から一人引き取られて来たんだす」

ハンスは難しい顔をした。

「あの女の息子とあって、初めは村中から腫れ物扱いでしただ。本人の性格も暗かったし」

 ユリアナは驚いた。今のエーリヒからは想像もつかない。


「『あの女』ですって? エーリヒのお母様は、魔法の修行のために上京したって聞いているわ。『行方をくらませた』ってどういう事?」

 ハンスはパチンと自分の口を押さえた。

「なるほど、ユリアナ様にはそう言ってるんだすね……。これは失礼しましただ。忘れて下さい」

 ユリアナは非常に気になったが、ハンスがこれ以上話したくなさそうに顔を背けたので訊けなかった。


「暗いエーリヒなんて、空色のリンゴと同じくらい想像できないわ。何があって今の人望を得たの?」

 ユリアナは扇を閉じて訊いた。

「……あれはおらたちが12歳の時の、学校の学芸会でしただ」

 ハンスは遠くを見る目で語り始めた。


「おらたちの学年は劇で『ジークフリート王子の生涯』を演じる事になっていましただ。すると何を思ったか、エーリヒは主役に立候補しましただ」

「あらまあ!」

 ユリアナは驚いた。今のエーリヒならともかく、暗いと言われている孤児が主役に立候補するなんて、とても勇気が要っただろう。

「クラスのいじめっ子たちは歓迎しましただ。『あの暗いエーリヒが、公衆の面前で恥をさらすのが見たい』って。おらはいじめっ子たちが怖くて、何も言ってあげられなかったですだ」

 うなだれるハンス。足元に残ったツユクサやタンポポも一緒にうつむく。


「で、どうなったの?」

「エーリヒは自分の暗い性格を克服したくて主役に名乗り出たそうだす。家では毎日遅くまでセリフを練習していましただ。でも、開幕の長台詞でつっかえてしまうのがなかなか治らなくて。そんなある日、おらはエーリヒから相談を受けましただ」

 ハンスは自分もアイスティーを飲んで一息ついた。

「『ハンスは音響担当だろ? 俺が開幕のセリフを言い始めたら、ハープの音色を流して欲しい』って。メロディーに乗せて言葉を発すればつっかえないんじゃないか、という発想でしただ」


「それで本番の劇は成功したの?」

 ユリアナは訊いた。いつの間にか扇で自分をあおぐ事も忘れて、ハンスの話に聞き入っている。

「大成功でしただ。流れるメロディーに合わせて、長台詞を歌うようにスラスラ言うエーリヒに、観衆は皆圧倒されて」

 ハンスはニコニコと笑った。

「『民が讃えるは、我のふりして我を演じる我なり。我は稀代の大嘘つき。この世は芝居。人は皆役者よ』と大見得を切るシーンでは、万雷の拍手が巻き起こりましただ。それからはいじめも減って、エーリヒは徐々に明るい性格になっていきましただ」

「すごいじゃない!」

 ユリアナは目を輝かせた。幼き日のエーリヒの逆転劇が、自分の事のように嬉しかったのだ。


「だから……。エーリヒは、信じているんだと思いますだ」

 ハンスは微笑んで、ユリアナの青い瞳をのぞき込んだ。

「歌が人に力をくれる事を。偶像を演じる事が、嘘が、時に人に力をくれる事を」


「歌が、嘘が、人に力を……」

 ユリアナはハンスの言葉を反芻した。アイスティーのコップの氷がカランと音を立てる。

「だからユリアナ様を娶ったのかも知れませんだ」

 ハンスの言葉に、ユリアナは思い当たる節があった。

「あのフーゴって人をたしなめた時も、エーリヒは私の歌魔法の話をしてたっけ」

「そうですだ。フーゴは姉を亡くして余裕がないから失言が多いんですだ。どうぞ許してやって下さい」

 申し訳なさそうに小さくなるハンス。


(歌が人に力をくれる事……。偶像を演じる事が、嘘が、時に人に力をくれる事)

 ユリアナは考えこんだ。

(私の歌は、誰かに力を与える事ができるんだろうか。たとえ、その歌に込められた『愛してる』が、嘘であっても)


 その時、トンネルの中から奇妙な音がした。

 ピチョン。

(…水音?)

 最初はひとしずくに聞こえたその音は、あっという間に増殖し、プシャァァァァという不穏な音に変わる。


 トンネルの中は明らかにざわついていた。

「湧水だ!」

「嘘だろ、事前の検査ではこの辺りに地下水脈はなかったはず……」

「このままだと崩落するぞ!」

 作業員たちの焦った声が、トンネルの中で反響して外に届く。


(湧水? 地下水脈? そう言えば……)

 ユリアナは1周目の人生での記憶を思い出した。新聞の見出しで、どこかのトンネルが湧水で崩落して甚大な被害が出たと読んだ記憶がある。

(あのトンネル、もしかしたらミヒャエルトンネル!?)


 そんな中、エーリヒの冷静で良く通る声が聞こえてきた。

「こんなにたくさんの場所から、勢い良く一度に……。普通の湧水じゃない。避難しろ、人命最優先だ!」

 聞こえ方からして、エーリヒはどうやらトンネルの一番深くにいるらしい。ユリアナは動揺して立ち上がった。

「エーリヒ……!」

 象牙の扇がユリアナの膝から滑り落ちる。

(エーリヒに何かあったら、あの記憶を伝え忘れていた私のせいだわ!)

 ハンスが止めるのも聞かず、ユリアナは天幕から駆け出した。

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