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第3話 正直令嬢と偽りの結婚

 結婚初夜。婚礼の儀を済ませたユリアナは、共寝用の寝室のベッドに座ってエーリヒを待っていた。ガチガチに緊張し、白いネグリジェは冷や汗でぴったりと背中に張りついている。

(初めての男女の営み。しかも、相手は愛していない人……。正直怖い)

 ユリアナは白いシーツをギュッと握りしめた。意外と質素な部屋の内装にも、今のユリアナは目を留める余裕がない。

(でも、私を信頼して愛してくれた人な訳だし)

 覚悟を決めたちょうどその時。寝室の扉を開けてエーリヒが入ってきた。


「遅くなってすいません。お祝いに来てくれた支持者たちを玄関でお見送りしていたんですよ。隣に座っても?」

「は、はいっ!」

 ユリアナがピンと背筋を伸ばして答えると、エーリヒは寝台の上、ユリアナの隣に腰を下ろした。

「ユリアナ嬢、どうなさいましたか? 顔が青い」

 心配そうにユリアナの顔をのぞきこむエーリヒ。

(こんなにいい人なのに、私はこの人を愛していないんだわ)


 良心の呵責に耐えられなくなったユリアナは、また悪癖を発揮した。

「えっと、文通が主であんまりお会いした事のない殿方と、その、初めての男女の営みをするのが怖くて……。二枚舌と噂されている方ですから、私と性格が合うか心配ですし……」

 ユリアナは本心をそのまま喋ってしまった。直後に大慌てでフォローする。

「あっでも! 私の荒唐無稽な話を信じて下さったので、心から感謝し申し上げているのは本当です! せっかく愛して下さっているので、えっと、あの」

 ユリアナは真っ赤になった。何を話していいのか分からなくなってしまったのだ。


「誠心誠意、エーリヒ様に尽くします! 料理も掃除も出来ませんが、エーリヒ様のためになる情報を提供するとか、後は、その、夜の方とか嫌なことも頑張りますから……」

 ユリアナの言葉はゴニョゴニョと尻切れとんぼになった。初夜が怖いやら自分の失言が情けないやらで、青い瞳に涙が溜まっている。今にもあふれそうだ。


 エーリヒはそんなユリアナを、信じられないと言いたげな目で見ていた。しばらくしてゆっくりと口を開く。

「……俺はあなたを愛するつもりなどありませんよ、ユリアナ嬢」


(終わった……。完全に嫌われたわ)

 ユリアナは絶望した。

(もうおしまいだわ。このまま実家に送り返されて、お母様ともどもヴォルフの策にはまって社会的に死ぬのを待つばかりなのね)


 しかし、次にエーリヒの口から出た言葉は、ユリアナの予想を裏切るものだった。

「さすがの俺も、こんな裏表のないお嬢さんの純潔を奪うほど外道にはなれない」

 エーリヒはユリアナを見つめて微笑んだ。ランプの薄明かりに照らされた緑の瞳は、少しだけ自嘲をはらんでいるようにも見える。


「俺もね、最初はあなたを抱くつもりだったんですよ。手紙で甘い言葉を囁いて、夫婦になって、愛していないのに愛しているふりをして、情報を引き出せるだけ引き出そうと。でも……」

 エーリヒはため息をついた。

「ユリアナ嬢の馬鹿正直さを見て気が変わったんですよ。ヴォルフ王子からは保護しますけれどね。馬鹿正直なりに一生懸命なあなたを夜の相手にしようなんて思えませんよ」


 ユリアナはエーリヒの言っている事がよく分からなかった。とりあえず実家に強制送還はされなさそうなので胸を撫で下ろす。

「それってつまり、仮面夫婦って事ですか?」

「その通り」

 エーリヒは言った。

「他の者には秘密ですよ? ヴォルフ王子の手の者に知られたら厄介な事になる。表向きは普通の夫婦として振る舞って下さい」


 ユリアナは渋い顔をした。

「それってつまり、世間に嘘をつくって事ですよね?」

「は?」

 エーリヒは訳がわからないと言いたげな顔をした。


「申し上げたでしょう、1回目の人生で歌姫だった頃の事」

 苦しかったあの頃を思い出し、ユリアナの目に再び涙が溢れる。

「ファンたちに『愛してる』って嘘をつき続けたあの頃、私は苦しくて苦しくて仕方がなかった!」

 声を詰まらせるユリアナ。エーリヒはどう声をかけたらいいのか分からない様子だ。


「舞台の上の私は、嘘で塗り固めた姿。身分も嘘、出自も嘘、笑顔も嘘、愛してるって歌うのも全部嘘。それを好き好き言ってくる下卑た民衆が、本当に気持ち悪かった。挙句嘘を誤魔化しきれなくなって私は殺された。もうあんな思いは二度としたくないのです」

 ユリアナは枕を抱きしめて啜り泣いた。

「私もう誰にも嘘なんてつけないし、つきたくもないんです……」


 枕に顔を埋めるユリアナの肩に、遠慮がちに触れる手があった。顔を上げると、困惑顔のエーリヒがハンカチを差し出していた。

「……使って下さい」

 ユリアナは首を横に振った。

「まず、私に嘘をつかせないと確約して下さい」


 エーリヒはしばらく考えていたが、やがてこんな提案をしてきた。

「嘘に期限を設けましょう。期間限定の仮面夫婦……。つまり、契約結婚」

 ユリアナは顔を上げた。エーリヒは続ける。

「ヴォルフ王子の件を片付けたら、俺はユリアナ嬢を解放しましょう。その後でならあなたは、仮面夫婦だった事実を正直に世間に公表して構いません。その方が再婚もしやすいでしょう。何よりユリアナ嬢が嘘をつき続けなくて済む」


 ユリアナはしばらく考えた。

(ヴォルフから守ってもらわないといけないのは事実だし、妥当な落とし所かも)

「はい、ではそれで」

 ユリアナは素直にハンカチを受け取った。


 受け取ったハンカチは白い木綿だった。涙を拭い鼻をかむと、素朴な石鹸の香りが鼻をくすぐる。

 一息ついて部屋を見回すと、部屋の調度品が目に入ってきた。淡いベージュで統一された家具は、どれも質素だが品がある。一国の宰相の寝室にしては狭い部屋が、家具の色合いのおかげで広く見える効果があるようだ。

(さっきまで心に余裕がなくて気がつかなかったわ。質素ながら工夫が凝らされているのね)


「素敵な家具のセンスですね。使用人が選んだのですか?」

「いや、俺です。花嫁にはいい部屋で暮らして欲しくてね」

 エーリヒが自分のために家具を選んでくれているのを想像して、ユリアナは胸が温かくなった。

「真心を尽くして下さって……。わがままを申し上げて申し訳ないです」

 しかし一方で疑問も湧いてきた。

「利用対象の私に、なぜそこまでして下さるのですか?」


「利用対象にもそれなりの礼節は必要でしょう。嘘の間柄でも誠意は重要ですよ」

 エーリヒはそう言うと、遠い目でダマスク柄の閉じたカーテンの向こうを見つめた。

「歌姫時代に『愛してる』って嘘をつくのが苦しかったそうですね? 俺みたいな政治家も同じですよ」

 エーリヒの唇の端に、少し疲れたような笑みが浮かんだ。

「選挙の時は民衆の前でハッタリ同然の公約を掲げ、政策を通す時は他の議員や貴族たちと腹の探り合い。まさに狐と狸の化かし合いです」

 エーリヒの緑の瞳が、ため息と共に下を向く。

(この人も苦労してるのね)

 ユリアナは親近感を覚えた。


 しかし、次の瞬間、エーリヒは顔を上げた。

「でもね、俺は自分のためだけに嘘をついてるんじゃない」

「え?」

 ユリアナが聞き返すと、エーリヒは言葉を続けた。


「嘘が、とりわけ民衆に向けたハッタリが、本当になる事を願って嘘をついてるんですよ。実際、公約のほとんどは何らかの形で実現しています」

 エメラルドグリーンの瞳が、ランプの光を映して光り輝く。その瞳は、今は目の前にいない民衆をしかと見つめているようだった。

「誰かを幸せにするための嘘なら、罪にはならない。それどころか、いつか本当になるかも知れない。そんな風に俺は思うんですよ」


 エーリヒの言葉を聞いて、ユリアナは考え込んでしまった。

(エーリヒ様の言う事も一理ある。でも……)

 ユリアナは1回目の人生で得た情報で、1つだけエーリヒに言っていない事があった。

(エーリヒ様、今から1年半後に汚職で逮捕される事になるのよね……。国王陛下の愛人のローゼンクランツ夫人と共謀して)


 文通をしている中で思い出した情報なのだが、本人に言うに言えず、ここまで来てしまった。新聞の見出しで読んだきりなので、詳細も分からない。

(私とは相容れない点もあるけど、エーリヒ様からは確かな信念を感じる。なぜこの人が汚職を?)

 それが分からない限り、エーリヒを完全に信頼する訳にはいかない、とユリアナは思った。

(でも今はとりあえず、この人の瞳の輝きを信じてみよう)


 ユリアナはエーリヒに向き直った。

「エーリヒ様、改めて決心いたしました。ヴォルフ王子打倒に協力いたします。そのためなら……期間限定ですが、嘘をついて見せましょう」

 エーリヒの瞳が一層明るく輝いた。

「よし、交渉成立。よろしくお願いしますよ、ユリアナ嬢」

 エメラルドの瞳に射すくめられ、ユリアナは覚悟を決めてうなずいた。

 読んでいただきありがとうございます! 楽しんでいただけたなら嬉しいです。


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