第2話 正直令嬢と嘘つき宰相
あまりの事態に、ユリアナは呆然とその場にへたり込んだ。ヴォルフが苛立った様子で話しかけてくる。
「哀れを誘うようなポーズをしても無駄だ。ユング侯爵家は古い家柄だが、かつての勢いは失っている。そんな出自の令嬢、僕の妻にふさわしくない」
周りに集まった人々からクスクス笑いが漏れる。同情の視線を向けてくる者も数名いたが、ユリアナに救いの手を差し伸べる者はいなかった。
「今は亡きユング侯爵、放蕩が過ぎましたものね」
「いつかこうなると思っておりましたわ」
「でも、なぜこんな形で?」
そんな声が漏れ聞こえてくる。
「な、何という事を仰るのですか!」
人ごみをかき分けて飛び出してきたのは、ユリアナの母、ユング侯爵夫人。しかし、クスクス笑いは一層大きくなるばかり。
ユリアナは惨めで泣きそうになった。大理石の床を映した視界が滲む。だが、歯を食いしばって何とかこらえた。落ち着いた様子を装って立ち上がる。
(ここで泣いてはダメ。すがってもダメ。ヴォルフの思う壺だわ)
1回目の人生では、ユリアナはここで泣いてすがってしまった。ユリアナの母も加勢し、最終的には2人で大広間からつまみ出された。
それでも諦められず、2人はヴォルフに毎日手紙を書き送った。ヴォルフとユリアナの婚約は、父の放蕩と死で傾いたユング侯爵家を救う最後の頼みの綱だったのだ。
「我々は歌魔法を操る旧い貴族の家柄。その令嬢たる私を娶らねば、国が傾くのではないかと心配です」
手紙の中のその一文が、ヴォルフが揚げ足を取る絶好のチャンスとなった。
「婚約破棄された腹いせに国家転覆をほのめかした!」
言いがかりをつけられてユリアナと母は逮捕され、侯爵家はお取り潰し。母は獄中で亡くなり、ユリアナは歌姫に身を落としたのだ。
(2度目の人生、あんな思いをしてなるものか!)
逆境は女を強くする。ユリアナは優雅にドレスの裾をつまみ、ゆっくりと頭を下げた。完璧なお辞儀。
「承知いたしました。ご機嫌よう」
虚を突かれた様子のヴォルフを放置し、口をパクパクさせている母を引きずって、大広間の出口へと向かう。
「待てユリアナ! このままじゃ僕はあの人に申し訳が立たない……」
ヴォルフが何か言いかけていたが、ユリアナは無視して退場した。
王宮の玄関から外に出たところで、ユリアナの母はさめざめと泣き出した。
「ユリアナ、どうしてあそこで粘らなかったの! ヴォルフ王子との婚約は、我が家を再興する最後の希望だったのに!」
ユリアナは何と説明すべきか迷った。嘘をつくのは心苦しいが、死に戻りの事なんて話しても気が触れたと思われそうだ。
「お母様、ヴォルフは私たちを陥れようと……」
「何でそんな事が分かるの?」
母に瞳をのぞきこまれ、ユリアナはウッと言葉に詰まる。
「ユリアナ。お母様に隠してる事、あるでしょ」
ユリアナが嘘をつくのが苦手になったのは、この母のせいだった。
亡き父は大嘘つきで、朝帰りを重ねたり、カジノで大負けしたり、何人も愛人を作ったりするたびに嘘をついて誤魔化した。
母はよく泣きながらユリアナに言ったものだ。
「ユリアナ、あなたはお父様みたいな嘘つきになってはダメよ。どんなにおべんちゃらで飾っても、嘘はいつかバレるものだから」
フラッシュバックに見舞われていたユリアナの意識を、1人の男の声が現実に引き戻した。
「いやぁ、ユリアナ嬢。さっきの振る舞い、見事でしたよ」
ユリアナが振り返ると、息を飲むほどの美青年が笑顔で立っていた。
深い紅の髪が艶やかに秋の夜風になびき、エメラルドグリーンの双眸は月光を反射してキラキラと輝いている。適度に日焼けした肌は健康的だ。細身で背が高い体に程よく付いた筋肉が、正装の上からでも伺える。
何より印象的なのはその笑顔だった。白い歯が唇の間からのぞき、一見爽やかなのだが、目が笑っていない。まるで笑顔を演じて、嘘をつく事に慣れきっているかのような……。
「エーリヒ・エグナー宰相?」
ユリアナの母は冷たい眼差しを青年に浴びせた。
「ご機嫌よう、ユング侯爵夫人」
エーリヒはそつのない笑顔を返す。対するユリアナの母は警戒心むき出しだ。
「得意の二枚舌で、若くして平民から宰相にのし上がったご気分はいかが? 成金宰相さん。あなたが宰相として国中に鉄道網を敷いていく中で、各地の建築業者との癒着が噂されておりましてよ」
まくし立てる母を見ながら、ユリアナは必死で頭を巡らせていた。
政治に疎いユリアナも、エーリヒの名前は聞いた事がある。王国史上初の平民出身の宰相で、人心の掌握に長けているらしい。民衆からの支持が厚く、議会の取りまとめも上手いという。
ヴォルフとは政治的に対立しているらしく、ヴォルフはしょっちゅうエーリヒの悪口を言っていた。王権を拡張したいヴォルフと、宰相や議会の出来る事を増やしたいエーリヒは犬猿の仲だそうだ。
(この人の協力を得られれば、ヴォルフの魔の手から身を守れるのでは?)
ユリアナは閃いた。
「お母様、みっともないわ。お黙りになって」
ユリアナは母を黙らせると、エーリヒに向き直った。石畳をヒールでカツンと踏み締め、精一杯気合を入れる。
(政争に関わるなんて、私の柄ではないわ。でも今はやらなきゃ、ヴォルフに社会的に殺される!)
「あんな場での振る舞いをお褒めいただき光栄ですわ。ありがとうございます」
早鐘を打つ心臓には気づかないふりをして笑顔を作る。そして、単刀直入に本題に入った。
「エグナー宰相、あなたはヴォルフ王子と政治的に対立なさっていると伺っております。私もついさっきヴォルフ王子に辱めを受けた身。このままでは……」
ユリアナはガバリと頭を下げた。政治経験の無いユリアナには、誠心誠意頼み事をする以外の方法が思いつかなかったのだ。
「私たちはヴォルフ王子に破滅させられます! 私たちを助けると思って、ヴォルフ王子を倒して下さい! 出来る限りの情報は提供しますから……」
ユリアナが言い終わる前に、エーリヒの形の良い眉がピクリと吊り上がった。
「ユリアナ嬢、あなたはちょっと馬鹿正直が過ぎる。王宮の玄関先で王子の悪口を言えばどうなるかくらい分かるでしょう? いくら俺でも言い逃れ出来ませんよ」
数枚の落ち葉が足元を吹き抜ける。ユリアナはガックリと肩を落とした。
(またやってしまったわ……。私は嘘や策略が不得手って、1回目の人生で身に染みて分かったはずなのに)
「ごめんなさい……。あなたを巻き込むつもりはなかったのです。ただ悔しくて……。嘘をつくの、昔から苦手で……。」
そんなユリアナを見て、エーリヒの口調が幾分柔らかくなった。
「ユリアナ嬢、あなたは不器用な人だ。こういう時はね、もっと根回しとかが必要なんですよ」
エーリヒの緑の瞳には、心なしか慈しみが宿っているように見えた。
「でも、ユリアナ嬢には芯の強さがある。公衆の面前で婚約破棄されても取り乱さなかったのがその証拠。あそこで平静を失っていたら、『誰かの』悪意の餌食になっていたでしょう。ご立派だ」
ユリアナはハッと顔を上げた。
(この人、私の事を分かってくれているみたい)
ヴォルフがユリアナを陥れようとして今回の婚約破棄を仕組んだ事を、エーリヒは最初から察していたのだろう。
わざわざ追いかけてきて声をかけたのも、ヴォルフとの政争にユリアナを利用できると思ったからかも知れない。
だとすれば、協力し合う余地は十分にある。
「ありがとうございます。帰ったらお手紙差し上げても構わないでしょうか? お伝えしたい事がたくさんあるのです。お役に立てたら嬉しいのですが」
意を決してユリアナは切り出した。ヴォルフ打倒に関して役に立てそうな情報をたくさん持っている、と暗にほのめかす。
しばしの沈黙。鈴虫の声だけが暗闇から響いてくる。
ユリアナはハラハラしながらエーリヒの返事を待った。エーリヒはしばらく探るような目でユリアナの青い瞳を覗き込んでいたが……。
「いいですとも。こんな可愛いペンフレンドが出来て、俺は幸せ者だ。たくさんお話を聞かせて下さい」
エーリヒの快諾に、ユリアナはホッと胸を撫で下ろした。
◆
半年間の文通の末、ユリアナは何とエーリヒと結婚する事になった。ユリアナが1回目の人生での体験を包み隠さずせっせと書き送ったところ、
「ユリアナ嬢の事をもっとよく知りたいのです。結婚して下さいませんか?」
と言われたのだ。
「本当に綺麗よ、ユリアナ。なのにあの成金二枚舌男に嫁がないといけないなんて……」
婚礼の当日、手ずからユリアナに化粧を施しながら、ユリアナの母は咽び泣いた。
「心配しないで、お母様。エーリヒ様はまだ25歳。年齢が近いし、きっと上手くやっていけるわ」
慰めるユリアナ。母に死に戻りの事実を隠しているのが後ろめたくて、心がズキリと痛む。
(ヴォルフの悪意から自分と母を守るためとは言え、愛してもいない男性と結婚するなんて……。自分の心に嘘をついているみたい)
生来正直者のユリアナにとって、嘘をつき続ける生活は重荷だ。今までのエーリヒとの文通内容を思い返して、自分を励ます。
(エーリヒ様は、私の荒唐無稽な死に戻りの話を信じてくれた)
プロポーズされた時の手紙を、白い手袋をはめた手で握りしめる。
(私の真っ直ぐな人柄が伝わったのね。愛されているんだから、きっと結婚しても大丈夫)
ユリアナは無邪気にエーリヒの愛を信じこんでいた。
(でも懸念が1つ。エーリヒ様が『二枚舌の嘘つき宰相』と陰で呼ばれている事。私と上手くやっていけるかしら……)
一抹の不安を抱いて、ユリアナは婚礼の飾り付けをした馬車に乗りこんだ。
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