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第18話 切っても切れない

 その頃エーリヒは、ローゼンクランツ邸の奥の間で、ローゼンクランツ夫人と向き合って立っていた。

「やっぱりあんただ……。母さん」

 緑の瞳に怒りをあらわに燃やし、夫人をにらみつける。


 対するローゼンクランツ夫人は、ソファにもたれて余裕の表情を見せていた。

「久しぶりね、エーリヒ」

 彼女の声には、不気味なほどの優しさが感じられる。


「何が『久しぶりね』だよ!」

 エーリヒは激昂した。

「酔った母さんにヤカンを投げつけられた火傷、まだ残ってる。母さんが取っ替え引っ替えする男は、みんな俺を召使みたいに扱った。賭博場に出かけたまま帰らない母さんを1週間1人で待ち続けた時、俺がどんなに心細かったか!」

 9歳まで街で母と過ごした、貧しく辛い日々の思い出をぶちまける。


「あげくお忍びの貴人と駆け落ちして、今の今まで音沙汰なし。あの相手、陛下だったんだろ」

 エーリヒは声が震えるのを抑えられなかった。

「絶対迎えに来るって約束したくせに!」

 気がつけば、エーリヒの両目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「仕方ないじゃない。コブ付きじゃ国王陛下の愛人になれないもの」

 事もなげにローゼンクランツ夫人は言った。

「エーリヒと別れるのは辛かったわ。でもエーリヒは、何があっても絶対母さんの事を好きでいてくれる。母さんはそれだけで十分だったのよ」


 エーリヒの脳裏に、母と別れた日の記憶が蘇った。

 派手な化粧をして一張羅のワンピースをまとった母は、思い詰めた顔をしてエーリヒにこう訊いたのだ。

「エーリヒ、母さんの事好き?」

「うん、好きだよ」

 幼かったエーリヒは、母に笑って欲しくて必死でうなずいた。

「何があっても?」

「うん、何があっても」

 母はほっとしたように笑った。

「それだけで十分よ」

 母はエーリヒを抱きしめた。

「母さん、絶対迎えに来るから。待っててね」


 エーリヒは辛い記憶を振り払おうと頭を振った。

「母さんの事、今は憎くてたまらない。一言謝れよ!」

 語気を強めるエーリヒ。ローゼンクランツ夫人は嬉しそうに笑う。

「謝れ、ねえ? それだけまだ母さんに期待してくれてるんでしょう?」


 エーリヒはウッと言葉に詰まった。

「そ、そんなんじゃ……」

 ローゼンクランツ夫人は満面の笑みを浮かべた。

「隠密を送って叔母さんから聞き出したのよ。エーリヒが上京して政治家として上り詰めたかった本当の理由。さる貴人の愛人になっていると噂のあたしを、見つけ出して謝らせたかったからだって」

 ローゼンクランツ夫人は興奮に頬を染めた。

「そこまで母さんに執着してくれてるのね! 母さん、愛されてる!」


「それだけが理由じゃない!」

 エーリヒは必死に言い返す。

「政治家をやっていく内に、こんな俺でも応援してくれる人たちが出来たんだ。民衆たち、後ろ盾の貴族の方々、そしてユリアナ。俺は愛する彼らのために……」

 エーリヒが言い終わらない内に、ローゼンクランツ夫人は怒りをあらわにした。

「嘘ね!」


 ドスの利いた声で言うや否や、夫人は手の平から熱湯を噴き出した。エーリヒは土壁を作って防御しようとするが、間に合わない。なぜ闇魔法使いの夫人が水魔法を使えるのか、疑問に思う暇もない。

 湯気を立てる熱湯を、エーリヒはもろに浴びた。


 灼熱の痛みが顔と上半身を襲う。両手は見る見る内に水膨れに覆われた。

 幼少期、ささいな事で激昂した母にヤカンの湯を浴びせられたトラウマが蘇る。

 幼く無力だった頃に繰り返し植え付けられた、圧倒的な暴力による支配。

「熱い、熱い、熱い……。やめて、母さん……」

 気がつけば、エーリヒは膝から崩れ落ちてうめいていた。愛する母からの理不尽を甘受するしかなかった、あの日々のように。


「ごめんね、エーリヒ! 母さん、ついカッとなって……」

 ローゼンクランツ夫人の声が頭上から聞こえた。同時に、彼女の柔らかい腕が頭に回される。

(小さい頃もこうだった。暴力を振るわれた後は、決まって砂糖のように優しくされるんだ)

 エーリヒは逃れようともがいたが、夫人の力は思いの外強い。


「でもエーリヒが悪いのよ。エーリヒが嘘つきの悪い子だから」

 ヤカンを投げつけた時と同じセリフを吐くローゼンクランツ夫人。

「分かってるんでしょ? あいつらが応援してるのは、笑顔の仮面をかぶって嘘をつき通すエーリヒ。エーリヒだって本当はあいつらを愛しちゃいない」

 ローゼンクランツ夫人のキツい香水の香りが、エーリヒの鼻腔に無理矢理侵入してくる。息が苦しい。

「民衆が何よ。後ろ盾の貴族連中が何よ。ユリアナが何よ! 本当のエーリヒを愛してるのは母さんだけ!」

 夫人の勝ち誇った声が、エーリヒの火傷の傷をヒリヒリさせる。


「……だって、母さんはヴォルフを操って、俺を、処刑」

 エーリヒは息も絶え絶えに抗弁した。

「処刑寸前まで追い詰めてから救い出すつもりだったのよ。エーリヒの本当の味方は母さんだけだって分からせるために。トンネルの小細工もその布石」

 ローゼンクランツ夫人はクスクス笑った。


 そして、甘えたような囁きをエーリヒの耳元に浴びせる。

「あたし、エーリヒが大好きよ。貧しくて大変な中、一生懸命育ててきたつもり。時々いっぱいいっぱいで爆発しちゃう時もあったけど、エーリヒはいつも母さんを慰めてくれたわよね」

 どうやら夫人の脳内では、そういう記憶に書き換わっているらしい。

「もうあの頃とは違う。2人とも貧しくないわ。2人が組めば、国の富を使いたい放題だもの」

 ローゼンクランツ夫人の細い指が、エーリヒのうなじを愛おしそうになでる。

「また家族に戻りましょう」


 また家族に戻りましょう。その言葉で、エーリヒの心はグラリと揺らいでしまった。

(馬鹿な俺。母さんと仲直りできる事を、心の底ではずっと望んでいたんだ)

 諦めの悪い自分を、初めて自覚する。


「自分に嘘をつき続けるの、苦しいでしょ? もう内気で暗い、ありのままのエーリヒでもいいの。親子2人で、 思う存分国の富を利用して、ずっと幸せに……」

 夫人はエーリヒの背中をさすりながらささやき続ける。エーリヒのもがく力が、徐々に弱まっていく。

(ああ、母さんの香水の香りが、むせかえるよう……)

 エーリヒが抵抗を諦めて、完全に母に身を委ねかけた、その時。


「そこまでよ!」

 バーンとけたたましい音を立てて、部屋のドアが蹴破られた。

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