第10話 アイドル聖女
ユリアナがトンネルの入り口に駆けつけると、中から続々と作業員たちが飛び出してきた。みんな膝上まで泥水でぐしょ濡れだ。
「ユリアナ様! トンネル内のあちこちに、こんなものが……!」
濡れ鼠になったフーゴが、ユリアナに直径3センチほどの球体を差し出す。ひと目見たユリアナは、事態の深刻さを理解した。
「強力な水魔法の魔紋……!」
しずくの模様を刻んだ青い水晶玉が、テラテラと妖しく輝く。
(これは水魔法の中でも高貴な人間が好んで使う魔紋。まさか、ヴォルフの計略!?)
ユリアナは拳を握りしめた。
「逃げ遅れた人はいない?」
「まだ1人だけ、エーリヒ先生が……!」
フーゴが悲痛な声で言う。
「先生は、トンネル内で排水横坑を空けて回っているんですだ。このままだとトンネルの外まで水があふれて、村やユリアナ様にまで危険が及ぶから!」
実際フーゴの言う通りだった。今やトンネルは山肌ごと震え始め、不気味に鳴動している。
(エーリヒ! たった1人で、民衆や私のために命を懸けるなんて!)
ユリアナは胸を打たれた。
「皆さん、こんな危険を冒してまで、なぜトンネルを……」
「何を仰るんだすか、ユリアナ様!」
フーゴはユリアナの言葉を遮った。その口調にはやり場のない無念さがにじんでいる。
「トンネルがなかったら、冬場に病人が出た時、戸板に乗せて雪道を運んで行かにゃならんだす。姉さんが峠の途中で事切れた時の、戸板の上で冷たくなっちまった時の、あの無念と言ったら!」
フーゴが涙ぐむ。村人たちもそろってうんうんと頷いた。
「エーリヒ先生はおらたちの気持ちををよーくご存じだ。ユリアナ様はあの無念をご存じないから、そんな事が言えるんですだ……」
言うが早いか、空のバケツを持ってトンネル内に引き返そうとするフーゴ。バケツリレーで水をくみ出すつもりなのだろう。村民たちも皆後に続く。
村民たちとエーリヒのひたむきな行動は、ユリアナの心を溶かすには十分だった。
「待って!」
ユリアナは大声で村民たちを引き止めた。
「魔紋によって引き起こされた湧水なら、歌魔法の方が効果的よ」
民衆は驚いた様子で、一斉にユリアナを振り返った。
「まさか、ユリアナ様……」
「私が自らトンネルに入って、湧水を鎮めましょう」
ユリアナは晴れやかな笑みを浮かべてみせた。
「危険ですだ!」
慌てて止める村民たち。
「いいえ、怖くないわ。愛する民衆のためですもの」
とびきりの笑顔で宣言するユリアナ。彼女の青い瞳はキラキラと輝いていた。
(怖くないなんて真っ赤な嘘。正直怖い。でも、それは皆さんには内緒)
リボンで飾り立てられた靴を脱ぎ捨て、黒い長靴に履き替える。
(エーリヒは変わったんだもの、私も変わってみせる。エーリヒが見ている方向を、私も一緒に見つめたい)
ユリアナはトンネル内に飛び込んだ。
トンネル内をユリアナは、祈るように歌いながら進んだ。
「水の神よ、山の神よ、鎮まり給え。怒り給うな……」
頭にかぶったヘルメットに刻まれた、光魔法の魔紋だけが周りを照らす。
「我らを殺し給うな。我らより奪い給うな。水の神よ、山の神よ、我らに恵みを与え給え……」
水深が段々深くなり、15分も進むと腰まで浸かってしまった。その上、徐々に水量は増え続けている。
(お願いエーリヒ、無事でいて!)
ユリアナの願いが通じたのか、暗闇の奥からエーリヒの声が聞こえてきた。
「ユリアナちゃん! 何で来たんだ!」
ユリアナが声のする方を向くと、トンネルの壁に手を当てて念じているエーリヒが照らし出された。トンネルの横壁はエーリヒが触れているところから形をゆがめ、徐々に長い横穴となって水を逃がす。しかし水位は少しずつ上昇し続けていた。
「ユリアナちゃん、危ないぞ! 今すぐ戻れ!」
焦った顔で追い返そうとするエーリヒ。ユリアナは頭を横に振った。
「エーリヒ、何もかも1人で背負わないで。私も一緒に民衆を愛するから!」
ユリアナは半ば泳ぐようにしてエーリヒのそばに寄った。ドレスが泥水まみれなのも気にならない。手を握り、そのまま愛の歌を歌い始める。
守られてばかりは柄じゃない
君が見つめる方、私も見つめたい
君がつく嘘は極上の愛
ありのままの民を私も愛したい
即興で精一杯韻を踏んで、歌詞をメロディーに乗せる。
雪降る峠は無念の墓場
トンネル通す君こそメシア
一人で背負わないでその十字架
君と2人目指すユートピア
ユリアナに握られたエーリヒの手が、暗闇の中で明るく光り輝く。エーリヒはびっくりして腕を押さえた。
「使い果たしかけていた魔力が……回復していく? 歌魔法はこんな事も出来るのか」
エーリヒが両手をトンネルの壁に押し当てると、一瞬で横穴が空いて水が流れ出した。さっきとは比べ物にならないくらい効率的だ。
「ありがとう、ユリアナちゃん! 急ぐぞ!」
それから2人は手を繋いだまま排水横坑を空けて回った。ユリアナはエーリヒに魔力を供給しつつ、ヴォルフのものと思しき水晶玉を拾い集めて壊していった。
トンネルの湧水がすっかりおさまり、2人が外に出る頃には、空には一番星が輝いていた。
「おお、エーリヒ先生!」
「ユリアナ様も! よくぞご無事で!」
2人の周りにわらわらと村人たちが集まる。
その中からフーゴが、ユリアナの足元にひざまずいた。
「おら、ユリアナ様がこんなに民衆想いな方だなんて、存じ上げなくて……。朝はとんだ失礼をいたしましただ」
周りの村民たちも口々に詫びる。
「朝はもっと浮世離れしたお嬢様に見えて……。誤解していてすまねえですだ」
「ユリアナ様は偉いお方ですだ。エーリヒ先生が選んだだけはある」
「そんな、ひざまずかないで!」
ユリアナは慌ててしゃがみ、フーゴと目線を合わせる。
「私が頑張れるのは、ありのままの皆さんを愛しているからなのよ」
愛したいと思った民衆の前で、精一杯理想の宰相夫人を演じる。
村人たちはどよめいた。
「こりゃもう、聖女様そのものですだ」
「歌って踊れて握手できて、民衆想いで……。まさにおらたちの偶像ですだ」
「でも『偶像聖女』じゃどうも響きが悪い。エーリヒ先生、何かいい案ないだすか?」
少し遠くから微笑んでユリアナたちの様子を見つめていたエーリヒは、こんな提案をした。
「海の向こうの言葉で、偶像を『アイドル』って言うそうだ。ユリアナちゃんさえ良ければ、だけどな」
ユリアナはしばらく考え、やがてニコリと笑った。
「『アイドル聖女』ね。とっても素敵だわ」
エーリヒがつけてくれたその名前は、重みがありながらも温かい気がした。
「ありがとう、エーリヒ」
「こちらこそ、ユリアナ」
初めて呼び捨てにされ、ユリアナはドキリとした。その意味を考える間もなく、エーリヒの両腕がユリアナに回される。気がついた時には、ユリアナはエーリヒに抱きしめられていた。
「ユリアナ、今日は本当にありがとう。俺と一緒に、命がけで民衆のために働いてくれて」
エーリヒの綺麗なテノールが、すぐ耳元で聞こえる。彼の息づかいが自分の後れ毛を揺らすのまで感じられて、ユリアナは頬が火のように熱くなった。汗と土の匂いが鼻腔を快くくすぐる。
「エーリヒ……」
ユリアナは思わずエーリヒの背中に手を触れた。そのままそろそろと抱きしめ返す。
「ユリアナがいると心強いぜ。宰相の妻としてふさわしい、素晴らしい女性だ」
エーリヒの発言は、半ば村人たちに聞かせているようでもあった。朝ユリアナが肩身の狭い思いをした事をフォローしてくれているのだろう。
「ヒューヒュー!」
「お熱いですなぁ!」
「トンネルが開通したら、ご夫婦の前途を祝って祭りを開きましょう!」
冷やかす村民たちの声が聞こえる。ユリアナは、いつまでもエーリヒの腕の中にいたいと心から願った。
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