第1話 馬鹿正直な歌姫はやり直す
「痛い、痛い……。ここで死ぬなんて嫌……」
深夜、イードル王国の歓楽街。ガス燈の光が届かない薄暗い裏路地の、冷たい石畳の上で、歌姫ユリアナは一人倒れ伏していた。
脇腹には刃物で深々と刺された傷口。止めどなく流れ出る鮮血が、晩秋の雨と混じって地面を濡らす。乱れた金髪が白い頬に張りついていた。
「誰か、助けて……」
弱々しく助けを求めるユリアナ。しかし建物の陰で人目につかず、彼女の声は誰の耳にも届かない。ゴミを漁りにきた巨大なネズミが数匹、ユリアナの安物のドレスのすそを横切っていく。
表通りを行く人々の声がユリアナに聞こえてくる。酔っ払いたちの笑い声。ヤクザ同士が喧嘩する怒鳴り声。娼婦が客を引く嬌声。誰もユリアナに気づかない。
(元侯爵令嬢だった私が、こんなところで人生を終えるなんて……)
諦めて青い目を閉じたユリアナの脳裏に、今までの人生が走馬灯となって蘇った。
代々歌魔法を操る侯爵の家柄に生まれたユリアナは、侯爵令嬢として何不自由なく過ごしてきた。
全てが狂ったのは2年前、18歳の時。許嫁のヴォルフ王子に、夜会の席で婚約破棄されたのだ。
そこからの転落はあっという間だった。無実の罪で侯爵家はお取り潰し。気がつけばユリアナは場末の歌姫に身を落としていた。
(それでも、腐らずに歌の腕前を磨いてきたのに……)
そっとポシェットに手をやる。中に入っているのは、のど飴と筆談用のペン。練習で酷使する喉をいたわるために、出来る限り日常生活で声を出さないようにしていたのだ。
愛してもいない民衆に、愛をささやく低俗な歌を歌うために。
(今日のコンサートも、歌は大成功だった)
ユリアナが歌うと、狭苦しい小劇場はタバコ臭い民衆で一杯になった。
「今日もユリアナちゃんの天使の歌声が聞けるぜ!」
「他の歌姫に比べて愛想はねえが、歌はピカイチだ!」
「ヴォルフ様がまた増税なすった。この世知辛い世の中、ユリアナちゃんの歌が生き甲斐でさぁ」
それがユリアナの評判だった。
ユリアナの鬼門はコンサート後の握手会だった。歌声も容姿も美しいユリアナ目当てでやってくる男性ファンたち。ユリアナは彼らの質問に、つい馬鹿正直に答えてしまうのだ。
年老いて歯が抜けた老人がニヤニヤしながら好きなタイプを訊けば、ユリアナは、
「好きなタイプ? やっぱり若くて格好いい人が……。あっごめんなさい!」
と答えて場を凍り付かせた。
熱心なファンがエビのクッキーを差し入れれば、
「ごめんなさい、私エビアレルギーで」
と突き返して泣かせた。
そんな訳でユリアナは、支配人にいつも怒られてばかりいた。いつかツケを払う事になるぞ、と。
(気持ち悪かったの。舞台の上の私しか見てない連中からの好意が)
ユリアナにはユリアナの言い分があった。
(舞台の上の私は、嘘で塗り固めた姿。身分も嘘、出自も嘘、笑顔も嘘、愛してるって歌うのも全部嘘。それを好き好き言ってくる下卑た民衆が、本当に気持ち悪かった)
しかし。
(結局支配人の言う通りになったのよね)
今日の握手会。兼ねてからユリアナにガチで恋していた熱狂的なファンがユリアナに訊いた。
「新曲の『恋って何か教えてよ』、ボクに向けて歌ってくれたんだよね?」
相手の男の臭い体臭。劣情をはらんだ瞳。その瞬間、ユリアナの中で何かが切れた。
「歌姫のファンサービスを何で本気にするんですか?」
ユリアナは怒りを隠そうともしなかった。
「あんなの皆さんを喜ばせるための嘘に決まってるじゃないですか!」
支配人にこっぴどく怒られた後、深夜に家路についたユリアナ。彼女を道中の暗がりで待ち受けていたのは、例のガチ恋ファンだった。
「嘘つき……よくも騙したな」
ユリアナを裏路地に引きずりこみ、耳元で囁く。
「ローゼンクランツ夫人から聞いたぞ。婚約者がいた事も、高貴な生まれである事も隠してたなんて。内心では俺たちの事見下してたんだろ!」
ユリアナは恐怖で息もつけない。なぜここで国王の愛人であるローゼンクランツ夫人の名前が出るのか、不思議に思う余裕などなかった。
「天罰だ」
彼のナイフが、ズブリとユリアナの脇腹を突き刺した。
(愛してるって嘘をつき続けた結果がこれなのね)
回想を終えたユリアナは、手足が冷え切って力が抜けていくのを感じていた。
(私、どうすれば良かったのかしら。もし人生をやり直せるなら……)
そう考えたのを最後に、ユリアナの意識は闇に沈んだ。
◆
「……アナ! ユリアナ!」
呼びかける声にユリアナは目を開けた。そして目を疑った。
ユリアナは王宮の大広間に立っていた。まとっているのは歌姫の安っぽいドレスではなく、侯爵家の家紋が織り込まれた重厚なドレス。脇腹を恐々触ってみると、傷は跡形もなく消えている。
「聞いているのか、ユリアナ!」
目の前で顔をしかめている銀髪緑目の少年は、3歳下の婚約者のヴォルフ王子。2年前の容姿と寸分違わない。
「ユリアナ・フォン・ユング侯爵令嬢! お前との婚約を、今日この夜会の場をもって破棄させてもらう!」
ユリアナはやっと理解した。
2年前、自分が婚約破棄された時点に時が巻き戻っている事を。
読んでいただきありがとうございます! 楽しんでいただけたなら嬉しいです。
少しでも面白いと思っていただけたなら、ブックマーク、および、スクロール先の広告の下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎で評価をお願いします! 励みになります!