ヒロインが誰なのか分かりません!
昔から何となく既視感というのか、見覚えがあるなぁと思う事があった。
初めて見る景色なのに「あれ?ここ知ってるかも」と思う事があったし、初めて会う人なのに何となく見覚えがあるような気がしたり。
それもそのはずだ。ここが『あなたと...初恋』の世界ならば見覚えがあるなんてもんじゃない。
この世界での私はミスリリィ・パスカモスという名前で侯爵令嬢として生きているが、前世では極々普通の社会人であり、貴族階級制度なんてとうの昔になくなって、国民全員平民な平和な世界で生きていた。
自分の名前は思い出せないが『あなたと...初恋』通称『あな恋』の事だけは鮮明に覚えている。
あな恋は私が前世でどっぷりとハマり、重課金しまくっていたスマホアプリ型の乙女ゲームだ。
自分が選択したキャラクターを攻略していくゲームで、ミスリリィはオクタビアスルートでの悪役令嬢である。
オクタビアス・ポラリティーはポラリティー皇国の第二皇子で、ミスリリィはオクタビアスの婚約者なのだ。
皇立学院に入学する所からゲームがスタートを切る。
攻略対象は最初に選択するので攻略対象全員を落とす逆ハーレムルートは存在しない。
何せアプリゲームだったから次々に新キャラとして攻略対象が増えていくし、期間限定イベントキャラ等も登場する為に攻略対象キャラが30人以上いたので逆ハーレムなんて無理だ。
入学して攻略対象キャラとの出会いを果たし着々と好感度を上げていく中でお邪魔キャラとして登場するのが私を始めとする悪役令嬢。
攻略対象キャラにより悪役令嬢は変わる。
私ミスリリィは当然オクタビアスルートでの悪役令嬢である。
因みに私の激推しキャラはオクタビアスだった。
結末は4種類あり、ノーマルエンド、ハッピーエンド、トゥルーエンド、バッドエンドその全てのエンドを網羅し、全スチルを解放し、イベント時にはNewエピソードが解放される為目の色を変えて課金までしまくって、ガチャ回したりしてエピソード回収を頑張っていた。
お正月に解放されたイベント用のエピソードなんてお泊まりドキドキエピソード(エロ展開はないよ、18禁じゃないから)だった為に大興奮で張り切ったものだ。
オクタビアスルートで悪役令嬢なミスリリィは仲を深めていくヒロインとオクタビアスに焦り、乙女ゲームとしてはよくあるヒロインイビリを行いオクタビアスからの好感度をどんどんと自分から下げに行き、嫉妬のあまりやり過ぎなあれこれを行った結果最終的に断罪されて婚約破棄されてしまう。
このゲームの優しい?点は断罪されても婚約破棄されるだけで、処刑も国外追放もない所だろうか。
ヒロインを虐める悪役令嬢達は犯罪と呼ばれるような事まではしない為にそこまで酷い結末にはならない。
ゲームをやっていた時は「どっちも温いなぁ」と思っていたけど、悪役令嬢ミスリリィだと分かった今となっては「温くて良かった」と思う。
これで結末が処刑一択だった場合最悪だった。
私とオクタビアスの婚約はオクタビアスの母親である正妃様のゴリ押しで纏められた物なので実際に婚約破棄となるとオクタビアスもタダでは済まないだろう。
何せヒロインは平民である。
私との婚約は筆頭侯爵家である我が家の後ろ盾を得てオクタビアスを皇太子、後は皇帝へと据えるべく結ばれたものだから、オクタビアスの皇太子の道も閉ざされてしまう。
第一皇子であるオクタビアスの兄は腹違いの側室の子供で、国母の座を虎視眈々と狙っている側室はあれこれ手を使ってオクタビアスを皇子の座から落とそうと画策しており、私との婚約破棄が実際に起きればこれ幸いとオクタビアスを落としにかかるのは目に見えている。
オクタビアス自身も後は皇太子となる事を目指して皇子としての役割を必死に果たしていた為にヒロインと出会ったからといってその道を捨てるような愚かな選択をするのか甚だ疑問なのだが、この世界があな恋の世界だと分かった以上強制力なるものが存在する可能性は否めず、ヒロインにも惹かれてしまうのだろうなぁと思うと胸が痛い。
政略的婚約だとしても今の私であるミスリリィはオクタビアスを心から慕っていたし、前世を思い出した今でも苦しい程にオクタビアスが好きだ。
オクタビアスとの関係はこれまで良好だったし、好かれているという自覚があるのだが、今後嫌われてしまうのかと、他の人に惹かれていく様を見なければならないのかと思うと涙が出てくる。
さて、ここまでベラベラと語ってきたものの、最大の困惑ポイントが存在する。
それはヒロインである。
ヒロインが平民である事は分かっているのだがその他の事があまり分からないのだ。
ヒロインの名前は自分で決めるタイプだったのでこちらの世界ではどんな名前なのか分からない。
私が前世で付けた名前は『ペルシア』だったのだけど、これは私のSNSネームだった。
初期設定的なデフォルトの名前は存在せず、こちらの世界での名が本当に分からないのだ。
ヒロインの家族の事を語るシーンも存在したが極々普通の優しい両親に育てられており分かりやすい特徴もない普通の子だった。
そして更に、ヒロインの外見が分からないのだ。
平民によくある薄茶色の髪に茶色くてクリクリした目をしている美少女という設定はあるのだが、ゲームやスチルで登場する際は後ろ姿やよくてチラッと横顔程度で、ミニキャラとして自分が作ったヒロインのアバターは登場するのだが髪色から顔まで全て自分好みに初期設定でカスタマイズ出来る(衣装だけはガチャでGETする)為に基本形がないのだ。
これは非常に困る。
私が前世を思い出したのは学院に入学したその日で、平民の新入学生はそんなに多くはないだろうと高を括っていたが、実際には全体の1/3は平民だった。
数年前に学院のルールが改正されて有能であれば平民にも門戸を開くとなった為に年々平民の入学生が増えており、特に今年はその数が多いらしくあちらこちらに平民がいる。
しかも皆さん大抵が薄茶色の髪に茶色い瞳である。
であれば美少女だけに焦点を絞ればとも思ったのだが、流石ゲームの世界と言えばいいのか皆さん一律に可愛いのだ。
モブなんだろうなぁと思われる男子生徒が可愛い顔をしていたり無駄にイケメンだったりするのに女子生徒だけがブスなんて有り得ないからなのか、本当に皆可愛いのだ、悔しい程に。
私の顔は悪役令嬢なだけに可愛いという感じではない。
赤みの強いオレンジ色の髪に濃い緑色の瞳で、目は悪役令嬢特有のキツそうなつり目だし、黙っていたら「不機嫌?」と思われてしまうような冷たい印象を与える顔をしている。
美人ではあるのだ、ド迫力美人と言える程に。
でも「守ってあげたい」と思わせるような可愛らしさはなくて、どちらかと言えば「1人で生きていけるだろう?」と言われてしまいそうな見た目強い系美人。
実際1人で生きていけるかと問われたら「否」としか言いようがないのだが、男からしたら勝手に「強い女」「俺が守らなくても大丈夫」と思われてしまうような女なのだ。
「他人の男を強奪するような女が実際か弱いはずねぇだろ!大概強かだわ!」と思う(前世の経験上)のだが、見た目のイメージに騙されてしまうのが男なのだろうからその点は諦めるしかないのだろう。
非常に解せないけど。
ではイベントに焦点を絞ればヒロインが見つかるかと思ったのだが、私と同じく前世の記憶持ちがいるのか、何故かイベントに現れる平民生徒の数が多い。
共通出会いイベントが起きる大きな桜の木の下に5人も薄茶色の髪の平民女子生徒が並んでいた時は目眩がした。
その女子生徒達を見てオクタビアスが「何だあれは?!」と近寄りもしなかった為にオクタビアスイベントは起きていなかったが、数名の攻略対象者が捕まっていたのでイベントで間違いなさそうだった。
**
「最近俺に接触してくる女生徒が多くて面倒だ」
非常に不機嫌な顔をしてオクタビアスが片肘を突いている。
入学して2ヶ月、オクタビアスの周囲には薄茶色の髪の平民女子生徒が次々に押し掛けている。
イベントを発生させようとしているようなのだが1つとして成功していないようで、オクタビアスは毎日私をランチに誘う。
「あれは何なんだ?幾ら学院内では皆平等だと謳っているといっても、婚約者がいる皇族の俺にあんなに寄ってくるなんて、節操がないのか、平民というのは!」
オクタビアスの中での平民女子生徒の評価が日に日にダダ下がり中である。
「特にあの『ナルーシャ』とかいう女、あの女は頭がおかしいのか?」
ナルーシャとは私が知る限りの攻略対象者達に一様に声を掛けまくり、イベントを起こしまくっている女子生徒である、勿論平民の。
既に3名の攻略対象者がナルーシャに落とされ掛けており、その者達の婚約者であるご令嬢達がナルーシャイビリを開始しているようだが、当のナルーシャは目を潤ませて「怖ぁい」と攻略対象者に縋り付いている。
ヒロインはナルーシャなのだろうか?
「リリィといるこの時間だけが俺の癒しの時間だ」
そんな事を言われると照れてしまう。
「そんな可愛い顔、俺以外に見せるなよ」
「み、見せませんわよ」
「絶対に見せるなよ。こんな可愛いリリィを見られたら邪魔な虫が増えて面倒だ」
「わ、わたくしの事なんて誰も注目しませんわよ。可愛げのない女ですから」
「ふっ、分かってないな、リリィは」
オクタビアスが席を立ち私の隣に座った。
あ、私、実際に話す際には自分の事を「わたくし」と言っております。
生徒会準備室の二人掛けのソファーは大きいようで意外と小さい。
ピタリと横に座られるともう逃げ場はなく、私のよりも大きくて逞しい腕に腰を抱かれると身動きすら取れない。
そのまま引き寄せられ、オクタビアスの胸に頭をくっつけるような格好になる。
「リリィ...顔を上げて」
「い、嫌です」
「いいから、顔を上げて」
羞恥で赤く染まった顔を見られるのは何時だって恥ずかしくて慣れない。
それでも見上げるように顔を上げるとオクタビアスの澄んだ青い瞳が優しい色を湛えてこちらを見つめていた。
「俺に抱き締められるだけで目を潤ませて頬を染めるリリィが可愛げがない女なはずがないだろう...」
私は存外に照れ屋で実は泣き虫でもある為、オクタビアスの前では恥ずかしい姿ばかりを見せている。
初めて口付けを交わした時には嬉しさのあまりポロポロと泣いてしまい「どうして泣くんだ?嫌だったか?」と問われ「嬉しくて」と言ったら「可愛い」とギューギューと抱き締められた。
そのまま唇が重なり、私の胸は幸せでポカポカになり、そうなると涙腺が少し緩み始め鼻の奥がツンとしてくる。
「可愛い...堪らない」
何時もは一度だけ軽くチュッと重なるだけの口付けが、今日に限って何度も降り注ぎ、最終的にはとても深いものへと変わってしまい、私は必死にオクタビアスにしがみついていたのだが、いつの間にかその力すら奪われるように抜け落ちてしまい、全身の力までもが抜けてオクタビアスに翻弄されてしまった。
「その顔は本当に絶対に誰にも見せるなよ!俺以外には絶対に」
いや、見せる訳がないだろう。
オクタビアス以外とキスを交わす事なんて今の所一切予定はない(寧ろしたくない、他の男とは)し、婚約破棄されて他の誰かの元へと嫁がない限りはそういう事をする予定もない。
「こ、こういう事は、オクタビアス様としかしませんので、そんなご心配はいりませんわ」
そう言うとオクタビアスは嬉しそうに微笑んだ。
ここで遅ればせながらオクタビアスの外見を紹介しよう(遅すぎ)。
オクタビアスは銀色の髪に澄んだ青い瞳が実に涼し気なクールビューティな皇子である。
現在の年齢は私と同じく17歳であり、この学院には2年間通う事となっている。
身長は180cmオーバーととても高身長で、160cmの私との身長差は20cmオーバー。
まだまだ成長期らしいので今後もっと伸びる可能性を秘めているのだが、あまり高くなり過ぎると常に見上げていなければいけないので首が痛くならないか心配である。
前世のスーパーモデル並にスラッとしていて手足も長く、一見するとモヤシかと思われがちだが、脱いだら凄いタイプの細マッチョで、ご褒美スチルでは上半身裸で水に濡れた色気ムンムンの吐血してしまいそうな姿がご披露されており、その時の腹筋がしっかりとシックスパックに割れていたのが脳裏に焼き付いていて離れない。
実際抱き締められた際にさり気なく確認したのだが、やっぱり体付きがガッチリしていてそうは見えないのに胸板も厚めで、エスコートの際に触れる腕もガッチリと逞しい。
総じて「好き」。
**
私達は2年に進級した。
今の所オクタビアスが誰かに攻略されている気配は一切なく、私達の関係は良好である。
寧ろオクタビアスの甘さが増えていて、2人きりになると必ず深めのキスをされるようになっている。
1学年の時に現れていたヒロインの可能性のある平民女子生徒達は素行の悪さから退学させられたり、イベントを起こす事に躍起になり過ぎたのか成績が振るわずに留年したりする子が出てきていて、進級出来たのはナルーシャだけだった。
やっぱりあの子がヒロインなのだろうか?
そのナルーシャと言うと現在5人の攻略対象者を完全に落としている。
彼女の周りにはその5人が常に張り付いており、ある種異様な光景となっている。
1学年の時はナルーシャに嫌がらせをしていた悪役令嬢でもある攻略対象者達の婚約者のご令嬢達は今では静かになり、呆れを通り越した非常に冷めた目で自分の婚約者の異様な姿を傍観している。
ところが最近ナルーシャはまたオクタビアスに接近するようになってきた。
5人も攻略対象者を落としておきながらまだ飽きたらないのか、それとも5人に飽きたのか(後者説濃厚)「オクタビアス様ぁ♡」と甘い声で接近してきてはオクタビアスに華麗にスルーされる日々を過ごしている。
前年度の主要イベントを尽く失敗したからなのかナルーシャがどんなに頑張ってもオクタビアスの好感度は上がる事はなく、寧ろ下がる一方で、近寄られる度に空気が凍る。
そんな空気も全く読まないナルーシャはガンガンオクタビアスに突進してくるのだが、流石にキレたオクタビアスに「俺に近寄るな!」と私ならば泣いてしまいそうな程に怖い顔で怒鳴られていた。
でもやって来るナルーシャ。
どれだけメンタル強いんだろうか、この子。
「あの、オクタビアス様?」
「何?」
「あの、あのですね、あの...」
「言いづらい事?」
「はい、あの...」
「もしかしてあの女の事?」
「...はい」
「俺があの女に靡いてないか不安?」
「...はい」
「リリィ!」
ガバッと勢い良く正面から抱き締められた。
オクタビアスの少し固い胸板に顔を埋める形になっていてとても、とても恥ずかしい。
「可愛いリリィ...嫉妬してくれるの?あぁ、可愛すぎる」
「殿方はああいう可愛い子がお好みなのでしょう?ですから、わたくし、不安で」
「あんな作り物なんて、リリィの本物の可愛さに比べたら全く魅力的に映らない」
作り物...。
「媚びを売る為だけの甘い声も、計算が透けて見える行動も反吐が出るだけだ」
反吐...。
「あの作られた甘ったるい声を聞くだけで鳥肌が立つ。そんな女に俺が靡くはずがない。でもリリィが妬いてくれるならあの女が俺に近付いて来るのも悪くはないかな?」
本日もしっかりガッツリと深いキスで翻弄されてしまいました。
**
朝、教室に入ると何やら異様な空気が漂っていた。
教壇の前にはナルーシャと5人の攻略対象者達。
「何事だ?」
私と共に登校してきた(送迎していただいています)オクタビアスが不機嫌そうな声色で問うた。
「オクタビアス様ぁ、私、私ぃ」
オクタビアスを見て急に泣き出した(ように見える)ナルーシャ。
教卓の上にはグチャグチャに切り裂かれた教科書が数冊。
『あ、これイベントだ』
そう思ったのだが、そもそもこのイベントは今の段階で起きる物ではなかった。起きるのは前年度だったのだ、オクタビアスルートでは。
そしてそもそも、何故ナルーシャはこの教室にいるのだろうか?
ナルーシャと私達はそもそもクラスが違う。
この学院は成績別にクラス分けがされており、私とオクタビアスはSクラス、ナルーシャはDクラスである。勿論Sクラスは成績優秀者クラスで、Dクラスは最下位クラスである。
クラスが違えばほぼ交流なんて生まれるはずもないのだが、ナルーシャはちょくちょくSクラスにやって来る。
だけど流石に切り裂かれた教科書を持参してSクラスにやって来て騒ぐのはおかしすぎる。
無理矢理イベントを起こしたいのだろうが無理があり過ぎる。
「私の教科書がぁ...」
両手で顔を覆ってあたかも泣いているように振舞っているナルーシャだが、声はいつもの甘ったるい声である。
泣き虫だから分かるのだが、本当に泣いている状態であの声は出せない。
絶対に鼻声になるし、言葉だって途切れてしまう。
だからあれは嘘泣きだと断言しよう!
「切り裂かれているな。それが?」
「誰かが私に意地悪するんですぅ」
チラッと指の隙間からこちらを見たナルーシャ。
やっぱり泣いていなかった。
「で?何故ここで騒いでいるんだ?騒ぐなら自分のクラスで騒ぐべきだろう。それとも何か?このクラスの者がやったとでも言いたいのか?」
チラッとまたこちらを見てから「だってぇ、こんな事をするのはぁ」と言いながらまたチラッとこちらに視線を投げるナルーシャ。
私に罪を擦り付けたいようだ。
「お前はこのクラスに犯人がいるかのような言動をしているが、何故このクラスの者がわざわざ別館にあるDクラスまで出向いてお前如きの教科書を切り裂く必要がある?そもそもそんな事をするとしたらお前が堂々と侍らせているお前の後ろにいる者達の関係者だろう!恨まれるだけの事をしているのだから、その位される覚悟くらい持っているのだろう?それとも何か?お前は人の婚約者に手を出しておきながら「ごめんなさい」とでも言えば許されると思っているのか?そんな事が通用するの平民の間でだけだ。貴族間の婚約というものは平民のそれとは異なり家同士の契約。それを壊して「ごめんなさい」で許されるとは思わない事だな。婚約が解消された際にはお前やお前の家族が一生掛かっても払い切れない程の賠償金や慰謝料が後々お前に請求される事となるだろう。貴族に喧嘩を売っているのだ、当然だろう?」
そうなのだ、SクラスとAクラスは学院本館にクラスを構えているが、それ以下のクラスは本館隣にある別館にクラスを構えている。
学習内容が完全に異なる為分かれているのだが、ナルーシャは別館からわざわざ本館へとやって来るのだ。
本館にクラスのある生徒は別館には行かない。行く必要がないからだ。別館の生徒もまた然り。
なのにやって来るナルーシャ。
そしてオクタビアスが言っていた事は間違っていない。
貴族間の婚約は稀に恋愛結婚もあるがほぼ政略によるものであり、家同士の契約と言って過言ではない。
だから互いに納得した上での解消なり破棄であれば賠償金や慰謝料は発生しないが、どちらかに瑕疵がある場合はきっちりと請求される。
浮気の場合は浮気相手にも当然それは請求されるものであり、それが平民であるならば「我が家に喧嘩を売った。泥をつけた」と取られて容赦なく取り立てられる。
領地持ちのある程度財力のある貴族や大きな商家ならば支払えるであろうが、貴族でも領地を持たない一代貴族や平民であれば身を売っても払い切れない金額になる。
ナルーシャにはそれが5人もいる為、最早国家予算レベルの金額が請求される事となるだろう。
攻略対象者達がナルーシャの分も負担してくれればいいだろうが、婚約者を捨てて平民に走ったのだからそれ相応の処罰を受けるだろうから(廃嫡等)そんな余裕なんてなくなると予想される。
「え?そんな...何で?」
オクタビアスの言葉に覆っていた両手を外して呆然としているナルーシャ。
当然泣いてはいなかったので青ざめているが顔は通常通りだ。
「何でとはおかしな事を。この国に住む者ならば知っていて当然の事だろう?お前が例え平民であろうと、貴族に喧嘩を売ればどうなるのかなんてその歳になれば知らない方がおかしいというものだ」
「そんなつもりなんてなくて...」
「またおかしな事を。婚約者のいる貴族をそのように侍らせておいて「そんなつもりはない」等とまかり通ると思うのか?その者達の婚約者である者の中には既に婚約破棄に向けて動いている者もいると聞く。勿論お前達の有責でな。そうなればどうなるのかなんて、考えなくても分かりそうなものではないのか?」
ナルーシャに侍っていた攻略対象者達の顔色までもがサーッと変わっていった。
本来ゲームであればヒロインも攻略対象者達も大抵が本館クラスなのだが、ナルーシャが侍らせている攻略対象者達は皆別館クラス。
ナルーシャに引き摺られるように成績が急下降した者ばかりである。
ナルーシャに攻略されなかった攻略対象者達は普通に本館クラスにいる。
私はというと、ゲームでは成績不振(ヒロインイビリに勤しんだ結果)で別館クラス(Cクラス)だったけど実際にはオクタビアスと共に勉強を頑張った結果Sクラスを維持している。
ゲームと同じキャラが出てくるが、自分の頑張り次第で成績等がきちんと伸びる世界である。
同じキャラが出てくるとはいってもゲームと全く同じ行動は取らない生きている人間なのだから当然といえば当然だ。
強制力はあったのかなかったのか謎だし、ナルーシャ自身が本当にヒロインなのかも未だに分からないのだが、どんなにゲームと似ている世界であってもこの世界にはこの世界としての当然のルールが存在していて、そのルールを破ると当然の報いを受ける事となる。
はぁ、良かったー、ヒロインに転生しなくて。
多分私がヒロインに転生していたとしたら、激推しだったオクタビアスをどうしても攻略したくてナルーシャのように動いた可能性がある。
『どうせゲームの世界なんだから』と高を括って最終的に自滅するパターンが頭に浮かんでくる。
ゲームでは綺麗な面しか出てこないし、エンドのその後なんて描かれていないから「めでたしめでたし」で終われるけど、実際に生きていればそれだけで終わるはずがない。
当人達が良くても家が、周囲が黙ってはいないだろう。
それこそ地獄の幕開けだ。
悪役令嬢の婚約破棄なんて可愛いとすら思える程の地獄が待ち受けているに違いない。
そう考えると私、悪役令嬢で良かったと思う、切実に。
平民や下級貴族がヒロインのパターンが多い乙女ゲームだが、実際にその身になれば何の後ろ盾もない、吹けば飛ぶような貧弱な身の上。
それで王子や高位貴族を落としまくったら最終的に身分の低いヒロインは悪役令嬢以上の悲惨な未来しか待ち受けていないだろう。
悪役令嬢は大抵が高貴な身分であるし、その財力に物を言わせて悪行を重ねるような潤沢な財源があるから、断罪後処刑さえされなければ多分何とかなる。
身分剥奪の上国外追放となったとしても元が高貴な身分なだけに他国にも人脈はあるだろうし、私のように前世を思い出した人ならばそうなる前に自力で財源を確保していたり、追放される予定の地に拠点を構えて備える位の事はするだろう。私ならする、追放されると分かってたら間違いなく。
その点ヒロインとなるとそういうのに弱い。
だって『私、ヒロインだもん!愛されて当然よね!』と思ってしまうと予想出来るから、万が一に備える事もせず、せっせと攻略に勤しんだ結果ハピエン終了後に地獄行き。
結ばれた攻略対象者が相当頑張れば何とか生きていけるだろうがゲーム内で夢見たような華々しい未来なんて到底無理だと思う。
厳しいのだ、現実は。
オクタビアスに何も言い返せなくなったナルーシャは青い顔のまんま教科書を抱えて去って行った、5人の攻略対象者を引き連れて。
その後、ナルーシャは学校に来なくなり、ナルーシャに攻略されていた攻略対象者達が元々の婚約者に謝罪する姿が目撃された。
内2名は婚約が解消されたのだが、ナルーシャは家族と共に何処かに姿を晦ましており慰謝料等を請求しようにも居場所が掴めなかったそうだ。
ナルーシャがいなくなった学院はとっても平和になり、私達は平和なまんまで学院を卒業。
卒業して1年後の私達が20歳を迎えた年に私とオクタビアスは無事に結婚式を挙げた。
「結局ナルーシャは何処に行ったのでしょうね?」
「他国に逃げたんだろうな」
「躍起になって探しておられましたものね、公爵家が」
ナルーシャは攻略対象者である公爵家嫡男であったギデオン・モンバラード様の婚約を壊した者として公爵家よりお尋ね者として捜索されており、国内で生活すると確実に捕まってしまう状況にあるのだが、未だに見つからないという事は国内にいないのだろう。
ギデオン様は長男であったにも関わらず既に廃嫡されて市井へと放逐されている。
公爵家は王族の直系親族な為ここに狙われるとこの国で生きていく事は出来ないだろう。
「あんな頭のおかしな女の事はどうでもいい。リリィ、俺に集中して」
「...はい」
今は初夜。
あんなヒロインだったのかどうだったのかも謎な人物の事なんか忘れて、オクタビアスの熱が私と同化する程甘い夜を過ごすのだった。