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おっさんの徒然エッセイ

作品制作で気を付けていること




 仕事で先月は忙しかったのですが、夏バテの疲れと仕事疲れがようやっと落ち着いてきたこの頃、明日からは久しぶりの2連休でテンション上がり気味の奴隷です。

 先ほどまで、愛猫たちに替わりばんこで膝に乗られて、撫でていたので、足が痺れておりますが、それすらも幸せですなー(*´・ω・`)b


 という訳で左手を仕事で痛めてトレーニングを軽めなものにしている奴隷は、明日明後日と執筆に専念する予定(ノ゜ー゜)ノ 先月、仕事であまり構ってあげられず、愛猫たちがやたらと群がることを除けば、今の私に障害は無いっ!

 いや、左手は痛いので障害はあるんですけどねΣ(ノд<)


 さてさて、割烹のような前置きになりましたが、本題に入っていきますが、タイトルの通りに奴隷が作品制作で気を付けていることを、エッセイと詩と小説にわけてお話しようというのが今回です。

 創作論とかでなく、もっと手前の心掛けみたいな話ですが、興味のある方は御覧下さいm(_ _)m



 エッセイ編


 エッセイを書くときに気を付けていることは「わかりやすい文章」です。

 具体的に言うと「小学生高学年の児童が読んで十分に理解できる文章」です。


 勿論、これは奴隷がそう気を付けているというだけのことですから、実際にわかりやすい文章になっているかは読んだ方の感覚によると思います。ですが、そうじて「わかりやすい」という感想を良くいただくので、概ね実践できていると自負しております。

 

 何故、わかりやすい、それも小学生高学年にもわかる文章を心掛けているか、と言いますと、昔、奴隷は文筆を生業とされている職業ライターとおぼしき方のツイートで「小学生5年生がわかる文章を書けと教えられる」との業界の教えを呟いておられるのを拝見したんですね。


 これは非常に的確な教えだと思いました。

 我が国の小等教育の指導要領に従えば、凡そ小学生高学年で日常的な慣用表現を含む文章の読み書きは殆ど習得できると思います。

 反対に言えば、専門性の高い用語が多用されるものは別として、初学者向けの内容や、日常的な話題であれば、小学生高学年に理解できない文章というのは文章として破綻していると言えるんですよね。

 

 奴隷にとってのエッセイは、読み手に奴隷の考えや、思ったことを伝えるためのものですので、「理解されること」を最優先するなら、やはり「小学生高学年に十分理解可能な文章」で無くてはならないということです。


 

 詩 編


 はい、これは気を付けていることは特に無いんですが(笑)

 ただ、奴隷は創作を「削り落とすもの」だと捉えていますので、特に詩に関しては「何処まで表現を削れるか」「その上で詩情表現として過不足なく成立させるか」に視点が向きます。


 表現の方法として、敢えて埋め尽くすように言葉を重ねて、外枠を囲い込むように事象を浮かび上がらせるなんて、とんでもないことをした故中島らも先生の「バンド・オブ・ザ・ナイト」のような手法は奴隷には無理ムリ(ヾノ・ω・`)


 感覚的に事象の中核と思うところを捉えて、その外側を削り、削りだされた原石が宝石となって光を放つように、奴隷なりのカッティングで、その荒々しい断面とともに剥き出した本性を晒け出して、突き付けることが、奴隷の詩だと思ってます。

 なんで、奴隷の詩は語感に全振りしてます(笑)



 小説 編


 割と最近になって気付いたんですが、奴隷は設定厨です(笑)


 実際、あまりプロットを細かく練り上げてから書くタイプではなく、大筋の流れとおおまかな世界観を考えたら、そのあとは見切り発車で書き始めて、書きながら細かい設定を詰めていく感じなんですが、この細かい設定を考え出すと「あーでもないこーでもない」と悩み出して、ラストへと繋げるための伏線やら、仕掛けやら妄想しだして、だんだん書けなくなります(笑)


 ひとつでも納得いかないと、ある程度は満足できる設定で背景を説明できるまで考え込んでしまうので、連載作品が中々更新出来ず、申し訳ない思いなんですが、これは高校生の時に初チャレンジした長編を途中で断念して、そのまま20年断筆したことが影響してると思います。

 三徹のテンションのまま、書き続けたことで、何ヵ月もかけて用意したプロットから外れて、自ら作品をぶち壊して完成させることなく筆を折った思い出が、作品を仕上げるために常に冷静であることを強いているように思いますね。

 短編なんかは勢いで書き上げても、粗が出にくいので気にならないんですが、連載は書き進める程に気になっていきます。まぁ、奴隷の頭の悪さ故ですな(笑)



 それでも、登場人物一人ひとりが「作品のためのロールを演じる装置」にならないようにする。

 セリフは極力、自然で話し言葉として違和感ないものにする。

 そうしてリアルに描写しながら、フィクションらしい、盛大なホラを盛り込み、エンタメとして成立させることを意識しています。



 最後に、奴隷にとっては創作は自分を晒す行為ですから、これに共感や感動を得てくださり、評価や感想をいただけることは本当に嬉しく、感謝しております。

 承認欲求と自己顕示欲の権化のようなおっさんにお付き合いくださり、暖かいお言葉をくださる皆様に感謝して頑張っております。



 ではまた( ´・ω・)シ




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― 新着の感想 ―
[良い点] エッセイは五年生! ワシ、アクセントに変な諺とか入れてるからいかんのかな……? (@_@;)
[一言] 三徹後のエタは記憶に残りますね笑 その経験は作家としての乙氏にとって宝ですな(*´∀`)
[良い点] 七生は、深く考えたこともありませんでした! 貴重なエッセイありがとうございました~♪ [一言] リアルな描写に盛大なホラで、エンタメに仕上げる~ 共感しました!
感想一覧
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