第七話 普通じゃない
生きとし生けるものが暮らす地、オンス大陸。
中央に内海を据える巨大な円形をしたこの広大な陸地は、その昔各地で土地の奪い合いと国の淘汰を繰り返した動乱の時代を経て、現在は三つの国によって統治されている。
豊かな自然と商業の国、ペルネ。
古代の技術と歴史を守る王国、ラルドリオ。
そして。
「ザナム、王家・・・」
ファナの言葉に、信じられないような口ぶりでリルフェーニが声をこぼした。
砂漠の国、ザナム。
大陸の北側を支配するその国は、かつての戦火に溢れた時代において最も多くの戦いに勝利し、広漠な領地と資源を思うがままに手に入れたと聞いたことがある。
数多の武功に裏打ちされた、規律と軍事力。それが一般的に知られるザナムという国だ。
そんな大国の頂点に立つ血筋。
目の前の彼は、自分の正体について確かにそう言ってのけた。
「・・・突拍子も無い話をしていることは分かっています。こうして話している僕でさえ、俄かには信じられませんから」
「どう、して」
「順を追って説明しましょう。根拠は二つあります」
ファナは先ほど取り出した耳飾りを、もう一度二人の前に見せた。
「まずは、僕が持っているこの耳飾り。これは四年ほど前、僕がある人間から直接譲り受けたものです」
「ある人間?」
シェスカが聞くと、ファナは言葉に詰まったように口をつぐんだ。
言うべきか、言わざるべきか。幾ばくかの逡巡の後、しかしここまで言ってしまったのならと、彼はその重い口を開いた。
「ザナムの最後の王、ヴァミヤード=ザナムです」
「ヴァミヤード・・・」
「知ってるの、シェスカ」
リルフェーニが聞くと、シェスカも記憶を探るように眉を寄せる。
「いや、あたしも名前を聞いたことがあるくらいだ。何をした人物かはよく知らん」
周辺の都市から隔絶されたこのゲルバには、当然入ってくる情報も少ない。時折ファナのような旅人や行商人が村にやってきた際に多少なり話を聞く程度で、大陸の情勢に疎いのも仕方のないことであった。
「しかし、ザナムは共和制の国だろう。王なんているのか?」
ふと浮かんだシェスカの疑問に対して、ファナはすぐに答えた。
「共和制になったのは、今から二十年ほど前の話です。淘汰時代が終結し三国協約が結ばれる際、その条件としてザナムは王政を廃止することになりました」
「なるほど」
「市民が政治の指揮を執るようになったのは、その後のことになります。ヴァミヤードは、数百年続いた王家の歴史に幕を下ろした人物なんです」
「だから『最後の王』、か」
「はい」
長年続いた戦争時代の終わりを見届け、その権力を国民に明け渡した。それが、ヴァミヤード=ザナムの王としての最後の責務なのだという。
「彼は血筋による争いが今後起こらないよう、あえて子どもを残さなかったといわれています」
「誰とも結婚していなかったってことか?」
「いえ。王妃はいましたが、正式に後継ぎが生まれたという記録が無いんです。それに彼女は、15年前に行方不明になっています」
「行方不明?」
話をうまく読み取れないシェスカが聞き返す。
「王妃は、ある脅威から逃れるために国を出たと言われています。そしてその直前にヴァミヤード王が彼女に渡したものが、その首飾りなんです」
話を戻すように、ファナはリルフェーニの持つ石に視線を向けた。それにつられたリルフェーニも、首元に下げた首飾りを見る。
「これが・・・」
「僕が王から譲り受けたこの耳飾りを持っているのと同じように、あなたは王妃の手にあったはずの首飾りを持っている。当然、この石の断面と完全に一致するものは世界に一つしかありませんから、偽物であるという可能性もまず考えられないでしょう」
欠けた宝石を指差して彼は言った。
「つまり。それを持っているのは、王妃と何らかの関係がある人物に絞られるんです」
ザナム最後の王から、王妃に向けて手渡された首飾り。それをリルフェーニが持っていることが、彼女とザナム王家を繋ぐ根拠になるのだという。
「・・・君の言いたいことは分かった。それで、もう一つの根拠とは何なんだ?」
シェスカが腕を組みながら、神妙な顔で言った。
「実は・・・」
ファナは少し言いづらそうに顔を背けたまま、ぽつりと呟くように話し始めた。
「基本的にザナムの人間は青い瞳をしているんですが・・・」
「?」
「その。特に王家の血を引く者は、必ずその体のどこかに蛇を象った痣が現れるんです」
「・・・!」
その時、ハッキリしない彼の言わんとしていることを、リルフェーニはそれとなく察知した。そうして周りに分からない程度に顔をしかめた彼女は、ぽつりと声を漏らした。
「背中」
「え?」
リルフェーニはまごつくファナに対して背を向けると、おもむろに着ていたシャツに手をかけた。
「ち、ちょっと!」
突然の行動に驚いたシェスカが声を上げるのも聞かずに上着を脱ぎ捨てた彼女は、片手で髪を横にかき寄せてファナに言った。
「これのこと・・・でしょ」
そう言ってリルフェーニが見せるのは、右の肩から腰に掛けて浮かび上がった一つの痣。
ともすれば入れ墨とも見紛うほどにくっきりとしたその痣は、まるで堂々と地を這う蛇のようなうねりを見せている。
「・・・はい」
ファナが静かにうなずくと、不審に思ったシェスカが声を上げた。
「ちょっと待て。何故君がこれを知っている」
「え」
「まさか、リルに何か妙な事でも」
「い、いや、そんなんじゃありませんよ!アレは事故だったというか・・・」
ファナは昼間の事件について何とか弁明しようと試みたものの、訝しげに睨むシェスカとそれを因果応報だと言わんばかりに横目で眺めるだけのリルフェーニを見て、耐えかねたように話題を反らした。
「と、とにかく!」
「・・・・・・」
「この痣は、ザナムの王家に生まれた人間にしかありません。これが体のどこかにあるということは、王の座を受け継ぐ資格を持っている証拠なんです」
眉を顰めていたシェスカが、諦めたようにファナの話に耳を傾けた。
「・・・そう、か」
そう言ってシェスカは椅子の背にもたれかかると、腕を組みながら思案し始めた。
ここまで、目の前の彼から聞いた話には何度も驚かされてきた。ようやく落ち着く機会がやってきたところで、彼女はこれまでに聞いてきた大量の情報を頭の中で整理しながら、やがて独り言のように喋りだす。
「あたしたちを襲ったキメラは、リルが持っている『何か』に惹かれてここまでやってきた」
「ええ」
「・・・その原因は、リルがザナムの王の血を引いているから。そういう事なのか?」
「そうと決まったわけではありませんが、無関係ではないと思っています」
シェスカは腕を組んだまま、しばらくの間考えに耽った。
リルフェーニとファナがそれを黙って見つめる中、ややあって彼女は口を開いた。
「・・・リル」
急に呼ばれてシェスカの方を振り向いたリルフェーニは、彼女の射貫かれるような視線を感じた。
「ファナが帰ってくる前に、今日お前が話しかけていたこと。あれと、何か関わりがあるんじゃないのか」
「・・・!」
心臓が跳ねるような思いだった。根拠などありはしないが、それでもシェスカが言ったことは、今まさしく彼女自身が気づき始めていたことでもあったのだ。
「・・・・・・」
リルフェーニは下を向いた。
『あの話』と、一体何の結びつきがあるのかは分からない。たとえ話したところで、この場をいたずらに混乱させるだけかもしれない。
しかし。
「・・・実は」
それでも、リルフェーニは話すことにした。
「この間、川で――」
・
・
・
・
・
「それで、その『ネア』に帰るかどうかを決めろ、と。そう言われたんだな?」
シェスカが確認するように問いかけると、リルフェーニは俯きながら小さくうなずいた。
「・・・ふむ」
「シェスカ」
下を向いたまま、リルフェーニが声をかける。
「あたしは・・・どうしたらいい・・・?」
この数日。あの謎の男に言われてからずっと、リルフェーニは考え続けてきた。
本当かもわからない自分の故郷に帰るべきか、それともこの家に留まるべきか。果たして正しい選択はどちらなのか。
しかし、いくら考えても一向に結論が出ることはなかった。それどころか、そうする内にやがて気付いてしまうのだ。
迷うということは、いずれの道も捨てきれないのだということに。
どちらを選んだとしても、辛い思いをするのだということに。
「リル・・・」
シェスカは、彼女の顔色を窺うように卓に少し身を乗り出した。目を合わせようとしない彼女に、シェスカは今度はファナの方へと目を向けた。
「・・・ファナ。君はどう考える」
「僕、ですか」
会話の矛先を向けられたファナは、言われて少し考えるようなそぶりをする。
「・・・もし。彼女が本当にザナムの血を引いているのだとしたら、その親はヴァミヤード王とその妃ということになります」
「そうなのか?」
「蛇の痣が現れるのは、代々最初に生まれた子供だけです。ザナム王家は自然の摂理によって、その血筋が枝分かれしないように運命付けられた一族なんです」
ファナは続ける。
「それに、彼女の故郷がネアだという話が本当ならば、ザナム王妃が行方不明になったことにもひとまず説明がつきます」
リルフェーニを生んだ彼女が行き方も分からないあの空飛ぶ島にいるとなれば、大陸中をいくら探したところで見つかるはずもない。
シェスカは納得したようにうなずくが、同時に疑念を持ったように眉に皺を寄せた。
「しかし、あんなところにどうやって行くんだ?それこそ空でも飛ばない限り・・・」
言いかけてシェスカは、ふとファナの方を見る。ほんの一瞬、彼が目を逸らしたのを彼女は見逃さなかった。
「・・・もしかして、知っているのか」
視線を彼女が外したまま、ファナは静かに言った。
「・・・一応は」
それを聞いたシェスカは、自らの頭に手を乗せると、まるで呆れたようにひときわ大きな息を吐いた。
「君は・・・一体、何者なんだ」
呟くように放った言葉に、ファナは逸らしたままの目を伏せる。
「キメラという怪物や、ザナム王家の内情にやたらと詳しい。おまけにあの島への行き方も知っている。どう考えても普通じゃない」
「・・・・・・」
ファナは、シェスカの言うことを黙って聞いていた。そして、まるで喉の奥から押し出されたかのような細い声で、彼は言うのだった。
「・・・連れて行こうと思えば。その子をネアまで送り届けることは出来ます」
それまでうつむいていたリルフェーニが、少しだけ首を上げる。ファナは顔を横に背けながら話し続けた。
「元々目的があって旅をしていたわけではありません。同行する人間が一人増えたところで、大した負担にはならない」
「しかし・・・」
「分かっています」
シェスカの言葉を遮るようにファナは声を上げる。
「怪しいと感じるのは僕が一番知っています。だからついて来いとも言いませんし、どうすべきだという話もしません。僕の言うことを信じるかどうかも、僕ではなく二人が決めることです」
「ファナ・・・」
「話は、以上です」
彼はそう言うなり、おもむろに居間の奥へと歩き出した。
そして、奥の部屋へとつながる扉のノブに手をかけると、二人に背を向けながら言った。
「・・・明日の朝。僕はここを出ますから。それまでにどうするか決めてください」
そうしてファナは小さく頭を下げると、そのまま扉を開けて奥の寝室へと消えていった。
残された二人は、彼が入って閉められた扉をしばらく見つめていた。
「・・・・・・」
そこには、何の言葉もなく。
ただ、むせ返るように暑く重い空気が漂うばかりであった。