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龍の堕とし子  作者: あるけん
第一章 旅路と家路
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第五話 邂逅



 目の前の光景を、いかにして信じようか。


 おぞましい怪物は、突然現れては血に塗れた殺意を向けてこちらに襲い掛かってきた。

 リルフェーニがどれだけ必死に逃げようとも、その恐ろしいまでの腕力ですべてをなぎ倒し追いかけてきた。

 その圧倒的な膂力と執着に、彼女には逃げる場所も体力も残されてはいなかった。


 もはや、死を待つ以外の道は無い。

 そう思った直後の出来事だった。


「――大丈夫ですか」


 さざ波のような落ち着いた声が聞こえて目を開けた先には、そんな怪物の前に平然と立ちはだかる青年の姿があった。

 リルフェーニと然程年も変わらなそうなその青年は、その手に持った細い剣一つでその何倍も太い怪物の腕を制止させている。


「グルルル・・・!」


 弱った獲物に止めを刺していたはずの攻撃が、いとも簡単に防がれた。それどころか、いくら力を入れて押し込んでも、突然現れたそれはビクともしない。


 腕力で負けている。それも、こんな小さな生き物に。


「グゥ・・・ガァアアアアア!!!」


 癒着したプライドが撃鉄を起こしたように、狂気じみた怒りが爆発する。怪物は細い刃に受け止められて膠着状態にあった腕を引くと、その反動で反対の腕を水平に薙いだ。


 しかし。

 青年の姿は、すでにそこにあらず。


「!?」


 目の前の怪物は勿論、それを虚ろに眺めていたはずのリルフェーニにもその瞬間は見えなかった。。

 どこへ消えたのか。その答えは、すぐに分かった。


(上・・・!?)


 リルフェーニは空を見上げる。一瞬のうちにどうやって移動したのか、彼は怪物のその巨体のはるか上に飛んでいる。

 その手に握られているのは、逆手に持ち替えた剣。


「ガァア!?」


 気付いた頃には既に手遅れ。

 青年は、混乱する怪物の脳天にその刃の切っ先を振り下ろた。


 果たして、その威力は絶大だった。

 圧倒的な体格差を平気で無視するかのように、強烈な一撃は怪物の額に浮かぶ輝石を捉え、その巨躯を地響きが起きるほどの勢いで容赦なく地面にたたきつけた。


「っ・・・!」


 凄まじい威力に轟音とともに砂ぼこりが辺り一面に巻き上がり、思わずリルフェーニは腕を上げて顔を背ける。

 ほどなくして、砂塵が収まったころ。庇っていた腕を下ろした彼女は、その光景に思わずつぶやいた。


「・・・すごい・・・」


 ピクリとも動かなくなった巨体。その額に光っていた石は、深々と突き立てられた刃によって粉々に砕け散っている。

 やがて剣は、横に立っていた青年によって無造作に引き抜かれた。彼は剣先に付いた血を払うと、背負っていた鞘にそれを仕舞い込んだ。


 唖然としてその様子を見ていたリルフェーニは、青年がこちらに向かって歩いてくるのに気が付く。

 彼女の前に止まった青年は、ゆっくりと手を差し伸べた。


「・・・怪我は、ありませんか?」


 柔らかく、優しい声。つい先ほどまで殺し合いをしていたとは思えないほどに温和な青年の声色は、体の奥にすっと入って染み渡っていくような心地よさを感じさせた。


「ん。だいじょう、ぶ・・・」


 疲れ切った心身にその声が子守歌となったのか、緊張から解き放たれたことに力が抜けたのか。


「あ、ちょっと!」


 青年の慌てたような声も届かず、リルフェーニは大岩に体を預けたまま、ゆるやかにその意識を手放したのだった。



 ◆



「ん・・・」


 整えられたベッドの中で、リルフェーニは目を覚ました。開け放たれた窓から入ってくるそよ風が、彼女の髪をそっと揺らした。

 外からは、草のそよぐ音に混ざって野鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。太陽の匂いとでもいうべきか、どこか埃っぽい香りが柔らかく部屋全体を包み込む。


(いつもの、匂い)


 ここは家だ。まだはっきりしない意識の中で彼女は気付いた。

 ゲルバの朝は穏やかだ。まるで雲の上で寝ているかのようなまどろみの中で、リルフェーニはしばらくうっすらと目を開けたままにしていた。


(そう、だ・・・)


 止まったような時間の経過に連れて、ぼやけた視界と共に意識が澄んでいくのを感じる。同時にリルフェーニは、自らの身に起こった出来事を少しずつ思い出した。


(首飾りを探してて・・・そしたら、大きな獣に襲われて・・・)


 頭に浮かんだのは、銀色の髪。


(『あの人』が、助けてくれて・・・)


 色々と衝撃的なことが多かったはずだが、もはや朧げにしか覚えていない。


 いっそ、全部夢だったのではないか。

 目が冴えてきた彼女はゆっくりと上半身を起こした。


「っ、・・・!」


 途端に鋭い痛みが全身に走った。痛覚が示した方に顔を向けると、その二の腕に薄く包帯が巻かれている。見てみると、それ以外にも体のあちこちに細かな傷が残っていた。

 林の中を、なりふり構わずに駆け抜けていたのだ。小さな擦り傷や切り傷は、あの夜が本物であったことを何よりも証明していた。


 その時、寝室の扉が開いた。


「リル!」


 桶を持って中に入ってきたのは、シェスカだった。彼女はいつの間にか目覚めていたリルフェーニを見ると思わず声を上げた。


「シェスカ・・・」


 湯の入った桶を無造作に床に置いて駆け寄ってくるシェスカ。リルフェーニは俯いたまま、彼女の顔を見ようとはしなかった。

 きっと怒っているに違いない。忠告を無視して夜の森に飛び出した挙句、死の間際へ追いやられるほどに危険な目に遭ったのだ。


 明るくなってから探しに行っていれば。せめて、出かける前に彼女に首飾りのことを話していれば。

 こんな事には、ならなかったかもしれない。


「・・・ごめん、なさい」


 口を突いて出たように、リルフェーニはぽそりと言った。

 どんな怒号が飛んでくるのだろう。彼女は頭を下に向けたまま、どんな顔をしているか分からないシェスカを見ることができなかった。


 しかし。

 いつものように声を荒げるでも、額を指で弾くでもなく。

 シェスカは何も言わず、リルフェーニを強く抱きしめた。


「シェス、カ?」


 予想もしていなかった反応に呆気にとられたリルフェーニは、彼女の体がわずかに震えているのを知った。直後、自分の肩になにか冷たい感触を覚える。


「・・・よかった・・・!本当に・・・生きてて、よかった・・・!」


 それは、彼女が初めて見せた涙だった。気丈で芯が強いと思っていたシェスカが大粒の涙を何度も流し、嗚咽を繰り返し、その度に抱きしめる腕に一層力がこもっていく。


(そっか・・・私は・・・)


 リルフェーニは、その時になって初めて。


(帰って、これたんだ)


 自分はまだ生きているのだと、実感したのだった。



 ◆



 あの夜。

 自室にいたシェスカは、突然地鳴りのような鳴き声を聞いた。ただ事ではないと感じた彼女が部屋を出た時、居間で眠っていたはずのリルフェーニの姿がないことに気が付いた。


「あの時は心臓が止まるようだった」


 玄関口を見ると、そこにあるはずの彼女の靴も、ランタンもない。唯一の灯りがない状況下では捜索に出ることもできず、シェスカは家の中でひたすら無事を祈るしかなかったのだという。


「お前がいないと気づいてから、どれほど経ったのか。朝が来るのをこれほど待ちわびたことはなかった」

「・・・ごめんなさい」


 その時のシェスカの心情はいかばかりか。

 ベッドに座ったままリルフェーニが謝ると、シェスカは首を横に振り、そっと彼女の頭を撫で始める。頭に手を乗せられたまま、リルフェーニはまた俯いた。


「そんな時。ある人間が、眠ったままのお前を連れてここに来てくれたんだ」


 それを聞いたリルフェーニは、すぐに顔を上げる。

 シェスカの言葉には、心当たりがあった。


「どんな、人?」

「珍しい銀色の髪をした少年だ。お前と然程年も変わらなそうな」

「それって・・・!」


 リルフェーニは突然身を乗り出すと、目を丸くしたシェスカに詰め寄る。


「今、どこにいるの?」

「それは――」


 シェスカが答えようとしたその時、不意に部屋の扉からそれは聞こえた。


「目が覚めましたか」


 声のした方へ、リルフェーニは振り向く。

 そこには、あの日の夜、巨大な怪物を撃退し命を救ってくれた青年の姿があった。


「あ・・・」

「どうですか?大方の処置はしてもらったようですが」


 あの時と変わらぬ物腰の柔らかい声で、彼は言った。リルフェーニは戸惑いつつも、自分の体を見て答える。


「・・・もう、平気」

「そうですか」

「改めて、礼を言わせてくれ。連れが世話になった」

「いえ。手遅れにならずに済んでよかったです」


 シェスカが頭を下げると、青年は謙遜するように手を振った。


「・・・それにしても」


 そう言って、話題を変えた彼の声色が少しだけ険しくなる。


「まさかあんなところで出くわすとは思ってもいませんでした」

「・・・あれは、一体」


 獅子と爬虫類を併せ持ったような巨大な体。太く長い爪。そして、額に浮かんでいた石。

 どれもリルフェーニが知る動物とはかけ離れた姿だった。


 彼女の問いに、彼は静かに答えた。


「『キメラ』と、僕たちは呼んでいます」

「キメ、ラ・・・?」

「古代の言語で、異なる種の生物同士が組み合わさってできた化け物を指すそうです。由来の通り、いくつかの動物の特徴を併せ持っています」

「聞いたことがないな。そんな生き物がいるなんて話」


 シェスカがそうつぶやく。


「当然です。本来、自然界に存在するようなものではありません」

「じゃあ、どうして」


 リルフェーニが問うと、彼は首を横に振った。


「キメラについては、分からないことが多いんです。なぜこのタイミングで、しかもこの場所に現れたのかは僕にも見当が付きません」


 青年はそう言うと、顎に手を当てて少し考えるようなしぐさを見せた。


「・・・明日、僕はここを離れます。それまでの間、ここに置いていただけませんか」

「え?」

「奴らについて、少し調べてみます。それと、二人が森に入る時は僕も付き添いましょう」

「いいのか?」

「ええ。またあんなのに襲われないとも限りませんから」


 あの並外れた戦闘能力を持つ彼が傍にいてくれるのであれば、こんなに心強いことはない。その強さを肌で感じていたリルフェーニは、青年の提案に小さくうなずいた。


「それじゃあ、よろしく頼む」

「こちらこそ」


 こうして、青年との二日間の生活が始まることとなった。


「・・・そういえば、名前を聞いていなかったな」

「ああ、そうでしたね」


 シェスカの言葉で思い出したように、青年は手をたたく。


「ファナ=アーシュルです。どうぞ、好きに呼んでください」


 そう言って、彼は人当たりの良い笑みを浮かべた。


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