人違いプロポーズから始まる結婚
――――どうしても、あなたを手に入れたかったのです。
王都で年に一度開かれる仮面舞踏会。
天井がガラス張りになっている会場から覗くのは満点の星空。
吊るされた大きなシャンデリアが輝き、会場内にきらきらとした光を降り注いでいる。
自分も相手も素性がわからない解放感から、人々は普段よりも積極的になって踊りや交流を楽しんでいた。
煌びやかで賑々しい室内を反転したかのように、この会場のバルコニーはほとんど静かと言ってもよかった。
何人かバルコニーに出てきている人はいたものの、皆恋人同士の雰囲気を漂わせており、それぞれ静かにグラスを傾け、自身の相手との語らいを楽しんでいる。
そんな中、私は一人、ある人物がここに現れるのを待っていた。
この会場には舞踏会の始まりと共に訪れ、来てからはずっとここであの人を待っている。
緊張はとうに解れ、星空を愉しむ余裕さえあった。
しかし、実際に現れたあの人を目にしてしまうと―――私の心臓はここに来て以来一番大きな音で鳴り始め、手にはじんわりと汗がにじんだ。
触らなくても自分の頬が真っ赤になっているのがわかる。
今が夜で、仮面をつけて顔を隠せていることに感謝したい気持ちでいっぱいだった。
私は内心の動揺と緊張を隠し、精一杯品位を持ってあの人の方を振り向く。
あの人の目に―――あの方がここにいるように写るように。
茶色に近い金髪を後ろでゆったりと括り、舞踏会にふさわしい黒の燕尾服を身にまとったあの人は、私を見て一瞬驚いたように足を止め、すぐにしっかりとした足取りでこちらへ近づいてきた。
仮面をつけていても、あの人の美貌は隠せない。
髪と同じ色の整った眉、すっとした高い鼻梁、引き結ばれた唇。
中でも何より、仮面から覗くルビー色の赤い瞳は、宵闇の中にあっても宝石のように美しくきらめいていた。
あの人―――私がもうずっと片思いしている人。
公爵令息ラオリー・グレンヴィル様。
ラオリー様は、私の前に立つと、優雅に膝を折って私に手を差し伸べ、こう言った。
「私と結婚していただけませんか?」
いつの間にか、バルコニーに出ていた人々が皆私たちに注目している。
私は自分ができる一番の演技でしずしずと彼の手を取り、うなずく。
「はい」
そして付けていた仮面を取り払った。
現れた私の正体に、周りの人々だけでなく結婚を申し出た本人であるラオリー様までもこっそり息をのむのがわかる。
しかしラオリー様は周りにはそれに気づかせず、目を細めて微笑むと、自身も仮面を取り素顔を私に見せた。
こうして今ここで結婚を誓い合った二人の正体を知った周囲の人々から、自然と拍手が沸き起こる。
貴族の噂は伝わるのが早い。きっと明日には、王都中の貴族が私たちの婚約を知ることになるだろう。
こうしてこの夜、公爵令嬢である私、レイラ・カートレットと、ラオリー・グレンヴィルの婚約が相成ったのである。
******
私たちの婚約を知った両親は、歓喜していた。
「よくやった、レイラ!ついにあのグレンヴィル家とのつながりができるとは、本当に喜ばしい。これで我が国もますます安泰だ。お手柄だぞ」
私たちカートレット家と、ラオリー様の生家であるグレンヴィル家は大昔にいざこざがあり、長い間対立が続いていた。
しかし時間が二つの家の対立を緩め、次第にどちらの家もどうにかして仲直りする機会をずっと探っていた。
どちらも王族と親しくこの国の行く末を思う心は一緒だったため、お互いに手を組み王族と対立する者たちと戦っていきたいと考えていたからである。
しかし双方プライドが高かったため、どうしても自分から関係改善を言い出せなかった。
そこに、レイラとラオリーの婚約である。
両親の喜びたるや、想像するに難くない。
二人の婚約で、国内の情勢もまた変わってくるだろう。
レイラの母は嬉しそうにしながらも、首をかしげてレイラに尋ねた。
「それにしても、どこで知り合ったの?あなたたち面識あった?」
「……ラオリー様は、一時期ハリエット様の護衛騎士だったのです」
「まあ、そうだったのね!あなたハリエット王女殿下と親しいものね」
「ええ」
できるだけぼろが出ないよう、私は言葉少なにうなずく。
それでも母は私の返事に満足したようで、それ以上は何も聞いてくることはなく、父親と一緒に今後のことを話し合うのに夢中になっていた。
******
次にラオリー様と会ったのは、グレンヴィルの屋敷でだった。
グレンヴィルの屋敷は、王族の住まう城を挟んで反対側に位置している。
白を基調とした大きな建物も、季節の花々が咲き誇る庭園も、どれもカートレット家のものとは趣向が違いながらもまた違う方向で素晴らしかった。
ラオリー様はこの日もダークブロンドの髪を後ろで括り、シャツにトラウザーズという簡素ながら清潔感のある装いで私たち家族を迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞお掛けください」
ラオリー様に勧められるままに、私たち家族は三人揃って赤い布に金の刺繍が施されたソファに腰を下ろす。
目の前にはラオリー様と、そのご両親が座っていた。
「この度は、ありがとうございます」
「いや、お互い様でしょう。本当にめでたいことだ。二人には感謝しないとですな」
挨拶もそこそこに、両親たちはすぐに話に花を咲かせる。
私たちの婚約の話題などすぐにどこかへ行ってしまい、政治の話ばかりで私とラオリー様が手持無沙汰になった頃、ラオリー様のお父様が私たちに言った。
「ラオリー、レイラ嬢を庭園に案内して差し上げなさい」
「いいわね。今はクレマチスが見頃よ」
ラオリー様のお父様の言葉に、ラオリー様のお母様も同意する。
それを受けてラオリー様は立ち上がり、私の手を取った。
「では、行こうか」
「はい」
私はラオリー様に手を引かれながら庭園へと向かった。
秋に差し掛かるこの時期、庭園では整然と植えられたガウラやクレマチスが美しく咲き誇っていた。
しかし、この美しい庭園にあってもラオリー様の美貌は霞まない。
私は花を眺めるラオリー様の美しい横顔をこっそり眺めては、気づかれないくらい小さくため息をついた。
ラオリー様はしばらく黙っていたが、やがて私に向き直る。
「レイラ……嬢」
「ラオリー様、どうぞレイラと」
「では、レイラ。あなたはなぜ……」
私は次に続く言葉を想像し、身構えた。“なぜバルコニーにいたのか?”“なぜ私のプロポーズにうなずいたのか?”いずれを聞かれても、ぼろが出てしまいそうだ。
しかしラオリー様の言葉は想定と全く違っていた。
「なぜ、私がハリエット王女と一緒にいるとき、いつもその場からいなくなってしまわれるのですか?」
「……っ!」
それは、あなたがハリエット様を好きだから。
本当はあの仮面舞踏会の日―――あなたがハリエット様にプロポーズしようとしていたことを知っている。
私は、ハリエット様と同じ黒髪で、背格好もちょうど同じくらい。
私の髪はウェーブがかかっていてハリエット様より少し長いけれど、コテをあてて長さも同じくらいに切ってしまえば、仮面のおかげで夜の薄暗さの中だと王女と見間違えられることがわかっていた。
あなたは私の予想通り、私を王女と見間違えて、私にプロポーズした。
うなずいてすぐに私の正体を明かしてしまえば、プロポーズを取り消せなくなることも想定済みだった。
……幸せなのは、私ばかり。
私は少しうつむいた後、小さな声で答える。
「私の存在を、ご存じだったのですね」
ラオリー様の目にはハリエット王女しか映っていないと思っていた。
少し浮上した私の気持ちを、しかし次のラオリー様の言葉が再び地に沈める。
「それはもちろんです。あなたとハリエット王女が楽しそうに談笑するさまを、遠くからよく眺めておりました」
やはり、私はハリエット王女の“ついで”。
そのことに改めて気づかされ、私はラオリー様に見えないように自嘲的な笑みを浮かべた。
でも、それでもいいと思ったのは私だから、落ち込んでいることに気付かれてはいけない。
「そうですか。知っていていただけてよかったです。私はラオリー様と結婚できること、とても嬉しく思っております」
私のこの言葉は想定外だったのか、ラオリー様は少しだけ頬を染めて目を見張ったあと、口元を手で隠しながら言った。
「……では、距離感から変えていこう。私は敬語を使うのはやめさせていただく」
ラオリー様の言葉に、私の胸は歓喜に震えた。
まさかラオリー様から歩み寄ってくださるとは思ってもみなかったのだ。
ラオリー様は、嫌ではないのだろうか?
間違えてしてしまったプロポーズが。好きでもない私との婚約が。
でもそれを聞くことはできない。
私はあくまで、ラオリー様に突然プロポーズされて了承しただけ。
だから、笑顔でこう答えるのだ。
「ありがとうございます。これから末永くよろしくお願い致します」
******
ラオリー様とグレンヴィルの屋敷で会った2日後、私はハリエット王女とお茶会を開いていた。
「聞いたわ、レイラ。あなたラオリーと婚約したそうね」
何も知らない王女は、無邪気に笑いながら私に言う。
「はい。つい先日のことなので、まだ実感がないですが」
「あなたラオリーが来るとそそくさとどこかへ行ってしまうものね。まさか想い合っていたなんて思わなかったわ」
想い合ってなどいない。完全に私の片思いだ。
片思いだったから……ずっとラオリー様を見ていたから、ラオリー様がハリエット王女のことが好きなことにもすぐに気が付いたのだ。
私はそっと目を伏せ、紅茶に口を付けてから、王女に答えた。
「私はずっと……ラオリー様をお慕いしておりました」
「まあ!ずっと仲良くしてきたけれど、あなたのそんな乙女な表情は初めて見たわ。はやく言ってくれれば、わたくしが仲を取り持ったのに」
ハリエット様のその言葉に、私は苦笑する。
そんなラオリー様に酷なことができるはずがない。
私は話題を逸らすように、一冊の本を取り出した。
「そんなことより……こちら、貸してくださってありがとうございました。とても面白かったです。ハリエット様が読むより先に読んでしまったのが申し訳ないですけれど」
「そんなことないわ。私はここのところ忙しくて読んでいる暇がなかったから。そういえば、その本をくれたのはあなたの未来の旦那様よ」
「そうだったのですね」
私はとぼけたが、実はそれも知っていた。
だって、その本に挟まっていたのだ。
ハリエット王女を仮面舞踏会に誘うメッセージカードが。
メッセージカードには、『愛しています。私の気持ちに応えてくださるならば、仮面舞踏会の会場にあるバルコニーにてあなたに結婚を申し込みたい』と書かれていた。
ハリエット王女が本を開く前に私の手にこの本が渡ってしまったことが、ラオリー様にとって最大の不幸だったと思う。
だって、私はそれを悪用した。
王女になりすまして、ラオリー様のプロポーズを受けたのだ。
ラオリー様は貴族らしく表情に感情を出さない訓練をされている方だから、私の正体に気付いたあとも優しく微笑んでいたけれど、内心どんなにか絶望したことだろう。
ラオリー様は私のような性悪女に目を付けられて、本当にお気の毒だ。
私の考えなど露程も知らないハリエット王女は、ラオリー様の気持ちになど微塵も気付かず無邪気な笑顔を見せる。
彼が今ハリエット王女の護衛騎士の任から離れていて――この会話を聞かれなくてよかったと心から思った。
******
数日後、私は街へ出かけていた。
今日は一週間に二度、教会からお願いされて行っている授業の日だ。
この国の平民は学校に行けるだけの時間や財産を持っている人が少ない。
そんな人々に、縁あって私は無償で文字の読み書きを教えていた。
今日も無事に授業が終わり、教会から外に出たところで後ろから生徒である果物売りのおじさまに声を掛けられる。
「レイラ様、申し訳ありません。ひとつ質問が――」
「あ、はい」
授業後にこうして質問に答えることも日常茶飯事なので、私は油断していた。
この時間、ラオリー様がこの地区の巡回担当であることを忘れていたのだ。
私がおじさまの質問に答えていたところで、ふっと私の上に影がかかった。
太陽が陰ったかな、なんて思いながらなんとなく振り返ると、私のすぐ後ろにラオリー様が立っていて仰天する。
背が高いラオリー様が後ろに立つと、私はすっぽり影に入ってしまうことにこのとき初めて気が付いた。
文字通り飛び上がった私を見て、ラオリー様が苦笑する。
「驚かせたかな、申し訳ない。レイラはここで何を?」
「あ、その……」
私が答えるより先に、私に質問してきたおじさまがにこにこ笑ってラオリー様に答えた。
「レイラ様は、ここでわたしら平民に文字の読み書きを教えてくださっているんですよ!レイラ様の授業は本当にわかりやすくて助かっております」
「へえ……」
おじさまの言葉に、ラオリー様が意外そうな表情で私を見る。
私は彼に見つめられて顔にじわじわと熱が集まるのを感じていた。
いつもは、ラオリー様が通る前にここを離れるようにしていたのに。
この間初めて少し長く話せてしまったから、気が抜けていたのかもしれない。
おじさまは微妙な雰囲気の私たちを見比べて、不思議そうに尋ねてきた。
「失礼ですが、騎士様とレイラ様はどういったご関係で?」
おじさまの言葉に、ラオリー様はすっと自然に私の肩を抱き、にこやかに告げる。
「つい最近、私はレイラの婚約者となりました。以後よろしくお願いします」
「それはそれは……!おめでとうございます!」
比較的大きいおじさまの声に、教会に残っていた他の人々がなんだなんだと集まってくる。
「どうした?何事だ?」
「いや、めでたいぞ。ついにレイラ様が婚約されたとのことだ」
「なんだと」
「お相手は?」
「目の前にいる、この騎士様さ」
「なんとまあ、男前じゃないか」
「レイラ様をよろしくお願いします」
「よかったなあ、レイラ様」
口々に話す皆と一緒に、これまた教え子である子供たちが飛び出してくる。
私の開く教室には、子供から大人まで幅広い年齢層の人々が集まっているのだ。
「レイラ、結婚するの?!俺とする約束は!?」
「レイラ様があんたみたいなのと結婚するわけないでしょ!」
「なんだとー!?」
やいやい言い合いを始めた子供たちをどうやってなだめようか考えていると、横からラオリー様が現れて、ひょいっと最初に飛び出してきた男の子を担ぎ上げた。
「うわあ、なんだよ!?お前がレイラの結婚相手なのか?」
「そうだよ。レイラと結婚したいなら、まず私を倒してもらわないと」
いたずらっぽく笑いながら悪役のようなセリフを言うラオリー様は、いつもと雰囲気が違ってまた格好良かった。
やがて他のこどもたちもラオリー様を取り囲み、戦いごっこを始める。
私や周りの大人たちは、それをしばらく笑いながら見守っていた。
******
それから一週間後のこと。
我がカートレット公爵家に、事前の連絡なくラオリー様がやって来た。
私の前に案内されたラオリー様は、いつになく余裕のない表情をしていた。
メイドがお茶を給仕して退出し、部屋に私とラオリー様の二人きりになったあと、ラオリー様がゆっくりと口を開く。
「ハリエット王女殿下が隣国の王子と婚約することが発表された」
「ええ」
「きみは……これを知っていたな」
「……はい」
そう、私は、ハリエット王女が婚約することをずっと前から……それこそ、ハリエット王女がラオリー様に本を渡される前から知っていた。
親友である私に、内緒で王女が教えてくれたのだ。
「……そうか」
ラオリー様は呟くと、なんだか悲しそうな顔をして俯く。
それから何か覚悟を決めたような顔でこちらを見据え、今度こそ、あの質問を――グレンヴィル邸で聞いてこなかった質問を、私に投げかけた。
「きみは、なぜ……あの仮面舞踏会の日、バルコニーにいたんだ」
「……」
答えない私に、焦れたようにラオリー様は頭をがしがしと掻く。
「いや、……わかっている。きみは、私に同情したんだ。きっと、たまたまきみは私がハリエット王女に宛てたあの手紙を見つけてしまったんだろう。きみは王女があの場に絶対に来ないことがわかっていたから……だから代わりに来てくれたんだ。私を一人にしないために」
「違います」
思い違いをしているラオリー様がもどかしくて、思わず私は口を挟んでしまった。
言ってしまってから、後悔が胸に押し寄せる。
だって、もう、止まれない。
「……あなたを……、
……どうしても、あなたを手に入れたかったのです」
ああ、こんな、貪欲でどろどろとした重たい気持ち、あなたには知られたくなかった。
あなたといると私は自分を抑えらえれなくなる。
だから、あなたの前にできるだけ姿を現さないようにしていたのに。
婚約で、形だけでもあなたが手に入れば、気持ちを抑えられると思っていたのに。
やっぱりあなたといると、あなたのすべてが欲しくなる。
私の言葉にラオリー様は今度こそ、その大きな赤い目を見張った。
◆◆◆
私がレイラと初めて会ったのは、4年前。
ハリエット王女の護衛の任にはじめて着いたとき、ハリエット王女の傍らにレイラがいた。
垂れた目に知性をにじませる落ち着いた雰囲気の王女に対し、レイラは海のように青いアーモンド形の目も、目元のなきぼくろも、赤く色づく唇も、すべて妖艶で美しかった。
それまでに騎士仲間がとんでもない美人がいるがクールで近寄れない、とレイラのことを噂していたのは知っていたが、まさかここまで噂通りに美しいご令嬢だとは思わなかった。
しかし、初めて会った日以来レイラは私を避けるようになった。
私が護衛の任につくと、何かと用事を見つけて王女の傍から離れてしまうのだ。
私のことを嫌っている、と認識するのにそう時間はかからなかった。
立場柄、私には敵が多い。私を嫌う人物をいちいち気にしていたら身が持たない。
私はすぐに、レイラを自身の頭の中から排除した。
ハリエット王女は、初めて会ったときの印象通り知的でユーモラスな魅力的な女性だった。
王族でありながらいまだ婚約者のいない彼女を好きになるのにそう時間はかからなかったように思う。
公爵という地位なら、王女が降嫁することもままあることだ。
私はハリエット王女との未来を漠然と夢見ていた。
しかし、護衛騎士の任が解かれ、彼女との接点がなくなったことで私に焦りが生まれた。
このままでは結婚適齢期になった彼女はすぐに相手が決まってしまうだろう。
そうなる前に、なんとか気持ちを伝えられないか、と苦肉の策で、私は本に自分の気持ちをつづったメッセージカードを挟み、彼女に贈った。
本当は、わかっていた。
たとえ隣国の王子との婚約がなくても、ハリエット王女があのバルコニーに現れないことは。
私は、ハリエット王女から一度も自身に対する恋情を感じたことがなかったからだ。
それでも一縷の望みにかけて、私はあの場所に足を運んだ。
迷いから会場への到着時間が少し遅くなってしまったが、どうせいないのだから、とあまり気にしていなかった。
だから、バルコニーに一人たたずむ黒髪の女性を見たとき、どんなに私が驚いたかわかってもらえるだろうか。
一瞬、本当にハリエット王女がそこにいるように思ったのだ。
幻でもそれでいい、と思い、私は熱にうかされるようにその美しい存在にプロポーズした。
信じられないことに、私の幻覚は私に「はい」と返事をした。
そして仮面が取り払われた瞬間―――それまで朧気だった意識が、一気に覚醒する。
そこにいたのが、私の中で一番ありえない人物、レイラだったからだ。
もしかして何か罠にはめられたのか?と私は疑ったが、そんな思いもレイラの嬉しそうな微笑みを見てすぐに消えた。
彼女の手を取ると、彼女はなぜか小刻みに震えていた。
それに気付いたらなんだか彼女を大事にしなければいけないような気がして、私もつられるように微笑んでいたのだ。
******
それでも、家に帰った私は冷静になっていた。
そもそもなぜあの場所にレイラがいたのか?
ハリエット王女とレイラにからかわれたのかもしれない。王女がそんなことをする人物だとは思えなかったが、その可能性は否定できなかった。
それか、たまたま――本当に偶然あの場所にいたレイラに、私が浮かれてプロポーズして、レイラは断れなくなっただけではないだろうか?
もしそうだったらレイラに申し訳がない。
だから、もしそうだったら両家の顔合わせのときに婚約を解消しようと思っていた。
しかし、グレンヴィルの屋敷にやってきたレイラは始終緊張しつつも嬉しそうにしていて、私はまずそこに意表をつかれた。
そして彼女の真意を探るための私の言葉に、彼女はこう返したのだ。
――私はラオリー様と結婚できること、とても嬉しく思っております。
これを聞いたとき、私の彼女に対する意識が変わった。
頬を染め、そう言う彼女を、私はとてもかわいいと思ったのだ。
それからさらに彼女の印象を変えたのが、街の教会での出来事だった。
彼女を囲む人々の目はどれも優しくて、彼女が自身の教え子たちから慕われていることがよくわかった。
王城での彼女は、他の騎士仲間の言う通りクールで人を寄せ付けない印象だったから少し驚いたが、本来の彼女はこちらが本当の姿なのかもしれない。
彼女と結婚の約束をしたという子供に思わず対抗意識を持ってしまったことは、自分でも大人げなく思っている。
でもこのとき確実に、私は彼女に惹かれ始めていた。
******
だから、ハリエット王女の婚約が発表されたときはショックだった。
ハリエット王女が結婚することがショックなのではない。
レイラが――クールに見えて本当は優しいレイラが、同情からあの場に来てくれただけなのかもしれないことが、ショックだったのだ。
彼女の真意が知りたくて、矢も楯もたまらず私は彼女の元に向かった。
そして私は、彼女からあの言葉を聞くこととなった。
◆◆◆
―――どうしても、あなたを手に入れたかったのです。
この言葉にラオリー様が驚いた顔をしたのは一瞬で、すぐに彼はとろけるような笑顔に変わった。
私はその変化に驚いてしどろもどろになる。
重たい私を知ったら、彼は引いてしまうと思っていた。なのになぜそんなに嬉しそうに笑うのだろうか。
「レイラは……私のことが好き?」
今更取り繕っても仕方がない。
ラオリー様に聞かれて、私はゆっくりと頷く。
「ずっと……初めて会ったときからお慕いしておりました」
「そうか……」
ラオリー様はかみしめるように呟くと、優しく目を細めて言った。
「今になって思うと、あの場に来てくれたのがハリエット王女ではなくレイラで本当に良かった。ありがとう」
ラオリー様の言葉に、私の目に涙が浮かぶ。
まさか、私の想いをラオリー様が重たがらずに受け止めてくれる日が来るなんて、信じられない。
でも、ラオリー様の目はたしかに私を愛おしんでくれていた。
向かいの席に座っていたラオリー様だったが、泣き出しそうな私を見てすっと立ち上がると私の横に座り、私の頭をそっと抱き寄せた。
ラオリー様の服に私の涙がじんわりとにじんでいく。
ラオリー様は私の頭をしばらく優しくなでていたが、ふいにその撫でていた場所に口づけを落とした。
びっくりして顔を上げると、今度は額に口づけされる。
次は耳に、頬に、鼻に――――そして、
「……最後は、結婚式まで取っておこう」
そういたずらっぽく笑って言ったラオリー様に、私はたまらない気持ちになって、真っ赤な顔でぎゅっと抱き着いたのであった。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
もし気が向いたら評価や感想等いただけるととても嬉しいです。