別離のとき
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ブラットはキャロルと、ベットの上で抱き合っている。そこへ入ってきたブラットの妻マリーは、目の前に広がる光景を理解できない様子だった。
「マリー!これは誤解だ!」
ブラットが焦ってマリーに話す。
「待って……頭が追いつかない……」
マリーはその場に崩れた。
「奥さん顔色が悪いわ。お水いりますか?」
「誰のおかげで気分悪いと思ってんだよクソがぁぁぁ!!」
ブラットは、見たことのない妻の気迫に怖気つく。キャロルは、脱ぎかけた服のボタンを留めながら、部屋を出て行った。
「あなた……裏切ったのね……」
「違うんだよキャロル……、マリー!!」
「私の名前まで間違うなんて、もう末期ね。あの女の名前、キャロルというのね。」
「奥さん、まずはお水でも飲んで。」
キャロルが、台所から持ってきた水をマリーに差し出す。マリーは受け取らない。
「なんであなたはそんなに冷静なの?あなた、自分が何をしたかわかってるの?」
「奥さん、あなたは裏切られてないですよ。だから、そんなに怒る必要ないんです!」
マリーは、キャロルの能天気な様子に苛立ちが止まらない。
「この状況でどう裏切られてないって説明するのよ?これは未遂だからって許されるもんじゃないわよ。誰が見ても明確な裏切り行為だったわ!もし、私が帰ってくるのが少しでも遅かったら……」
マリーは、遭遇したかもしれない場面を想像し、顔色が悪くなった。そんな妻の様子を見て、ブラットは何か喋りたいようだ。
「マリー、仕事は……?」
マリーの顔色がまた赤くなった。
「体調が悪くなったから帰ってきたのよ!朝食の時にも、今日は少し体調悪いって言ってたでしょう!話聞いてなかったのね……もうそのころから頭の中は、やろうとしてたことしか考えてなかったんでしょ!」
「違うよマリー……」
ブラットは妻の怒り狂った姿に困惑していた。
「何が違うの?何?まさか、今そんな質問してきたってことは、仕事から早く帰ってきた私が悪いって言いたいの?」
キャロルがマリーに声をかける。
「奥さん、彼はあなたに冷めたから、私に乗り移ったわけじゃないですよ。私のことも、あなたのことも、どっちも愛しているんです!」
「どっちも……?あなた頭おかしいの?」
「ほんとなんだマリー!聞いてくれよ……」
ブラットは、自分が納得した理論をしゃべろうとしている。
「たとえばさ……僕が君の事を嫌いになったのに、ずっとそれを隠して君と接していたら、君を裏切ったことになるだろう?ほら……君は僕のことを愛してるのに、僕は君のこと愛してなくて、僕らの気持ちに矛盾が生まれることになるからさ……」
「何が言いたいのよ?」
「僕はそうじゃないんだよ!君のことも愛していたんだよ!!」
「だからあなたは、裏切ってないって言いたいわけ?」
ブラットは、大きくうなづいた。キャロルは、後ろでなんだか得意げに座っている。一方マリーは、何やら考えているようだ。
「……あなたの理論的に言えば、私とあなたの気持ちに矛盾が生まれたら、裏切ったことになるってことよね?」
「まぁ……そういうことになる。」
マリーは声色を変えて言った。
「私はね、旦那が自分以外の人も愛してるとか無理なのよ。でも、あなたはその状況を別に何とも思ってない。この場合、二人の気持ち、矛盾してるわよねぇ?裏切ってるわよねぇ?」
ブラットの目がまた泳ぎだした。
「今まで裏切ってなかったとか、そんなことどうでもいいのよ!今!今まさに!あんたは私を裏切ってるのよ!それに何?二人の気持ちに矛盾が生まれたら裏切り?知るかよ。自分で勝手に理論作り上げて、自分の行為を正当化するんじゃないよ!なんだそのクソ理論は!あの女の知恵か。あんたにはそんなこと思いつく頭があるように思えないからね。あのねぇ!愛する妻以外の人と関係を持った時点で、それは浮気っていう裏切り行為になるんだよ!何だよ、『君“も”愛してる』って!妻に対して“も”なんて使うんじゃないよ!何?変な薬でも飲んだの?この理論がおかしいことに気づかなかった時点で、あんたはもう頭おかしいんだよ!!」
ブラットは妻の顔を見られなくなった。キャロルがマリーに話しかける。
「奥さんは、私たちにどうしてほしいんですか。」
「なんでちょっと上から目線なのよ……それにあなた、私から言われないなら謝罪しないでいいと思っているの?」
キャロルは、マリーに渋々頭を下げた。
「彼とのこと、黙っていてすみませんでした。」
マリーは、謝罪内容が思っていたものと違っていたようで、怪訝な顔つきになった。
「どうか、私たちの関係を認めてください。」
マリーは、もはや何も感じなくなった。ブラットも、まさかこんな風に言われるとは思ってもいなくて、あたふたしている。
「私に浮気を容認しろってこと?」
キャロルは、細々と語り始めた。
「私は、一生のほとんどを、地獄で過ごしていました。ずっと、自分に価値なんかない、自分のことを愛してくれる人もいないって思ってました。そんな時に、彼と出会ったんです。私は、彼がいないと生きてる意味なんかないんです。私には、彼しかいないんです……」
マリーは呆れている。
「悲劇のヒロインぶってるの?子供じゃあるまいし、見苦しいわよ。」
「私、ヒロインぶってなんかいないです。私は本当に、あなたが予想もしないような経験を、いくつもしたんです。」
「あー……はいはい。」
「なんでわかってくれないんですか……?」
「あんたの身の上なんてどうだっていいんだよ!」
マリーは、ブラットのほうへ視線を向けた。
「で?問題はあんたよ。あなたはどうしたいの?さっきから隅っこにいるけど、どっちを選ぶの?」
少しの沈黙のあと、ブラットは、髪をくしゃくしゃさせながら言った。
「どっちも愛してるんだよ……」
マリーは彼に対しても、呆れを感じた。
「……奥さんは普通の人だから、彼以外の人とも幸せになれます……」
キャロルの言葉に、マリーは耳を疑った。
「え?なんて?よく聞こえないんだけどぉ?」
キャロルは大きな声で言った。
「奥さんなら、彼以外でもいい人が見つかります!私には彼しかいないんです!だから!」
「だからぁ?」
「奥さんが手を引いてください……」
この時、ブラットが何か行動を起こしたら、マリーは考えを改めたかもしれない。だがブラットは、隅で小さくなっているだけで、マリーに声ひとつかけなかった。それにより、マリーの夫に対する愛情が完全に冷めた。
「ああそうですか。それなら結構、こんな夫くれてやるわ。」
そしてマリーは、キャロルに鋭く視線を向けた。
「ねぇ、あなた?あなたはきっと、こいつと一緒になっても幸せになれないわよ、絶対。だって、人のものを盗んで幸せになれるわけなんかないんだから。泥棒が幸せに暮らせるはずないのよ。泥棒は牢屋に入るか、一生『あの人は泥棒してたのよ』って後ろ指刺されて生きるかの二択なのよ。どちらにしても、幸せな結末なんてないわ。」
キャロルは少し気持ちが揺らいだが、すぐに立て直し、マリーに反抗した。
「盗みを働いたひとも、罪を償えば幸せになれます。」
「また屁理屈ばっかり。まあ、せいぜい頑張って罪を償ってください。」
そしてマリーは、ブラット前で仁王立ちになった。
「プロポーズの時、『結婚生活には信頼が必要だ』とか言ってたわよね。どの口がほざいてんだか。白いアネモネの花言葉も『真実』だからねぇ……期待してたんだけど、私がバカでした。」
そのままマリーは、いそいそと荷物をトランクにまとめ始めた。その様子を、キャロルは何も言わず見つめている。ブラットは、うつむいたまま顔を上げない。15分ほどたって、マリーは荷物をまとめ終わり、家を出て行った。
あきれた気持ちと、これでよかったのかと後悔する気持ち、なぜこうなったともやもやする気持ち、感情的になった自分への嫌悪感。街を歩く中で、マリーはいろいろなことが頭に浮かんだ。すると、雨が降ってきた。家から傘を持ってくるのを忘れたことに気づいたが、あの家に取りに帰るのがおっくうに思えて、そのまま駅へと向かった。雨はどんどん激しくなる。トランクが重くて早く歩けない。それに、怒りのパワーで抑えていた頭痛がひどくなってきて、足取りも、ふわふわとしてきた。雨でびしょびしょになった自分と、今の自分の状況が重なって、マリーは降りしきる雨の中、号泣した。




