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色違いのアネモネ  作者: まつがえ小飴
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キャロルの回想2


 私はとにかく早く、遠くへ逃げることしか考えてなかった。もしかしたら父が追いかけてくるかもしれないと思うと、気が気でなかった。少し歩くと、大きな川に出た。私は、川の向こうへ渡ったことがなかった。ここから向こうは、未知の世界だ。だからと言って、迷っている暇はない。川にかかる大橋を全速力で渡った。


 川の向こうへ渡ると、そこは市街地だった。後からわかったことだが、あの川が市街地と、私の過ごした貧民街の境界線になっていたのだった。川の向こうは大きな建物がたくさんあって、街行く人も綺麗な格好をしている。ちょうど朝の時間帯だったので、通勤する人で街はあふれていた。私は橋からより遠くへ、より奥へと進んだ。見たことない景色に心躍らせると同時に、自分の薄汚れた格好がとても恥ずかしくなった。朝の混雑がおさまり出した頃、私は歩き疲れて階段に座り込んだ。


「あなた、どうしたの?」


 後ろから、知らない人に声をかけられた。見上げると、そこには腰の曲がったおばあさんが立っていた。


「異常に痩せているし、服も汚れているじゃない。私のところへ来なさい。一緒に何か食べましょう。」


 私は、見ず知らずの人に声をかけられたことに恐怖を覚え、固まってしまった。ただただ見つめるだけの私を不審に思ったその人が、私の手を取ってこう言った。


「私はそこのアリビオ礼拝堂のものです。悪いようにはしません。今から帰るところなので、ついて来てください。」


 その人は私に背を向け、ゆっくり歩き始めた。私はタダでご飯が食べれることを期待し、この人に付いて行くことにした。不純なこの行動が、結果的に今の私を作るきっかけになるのだが、まだ私はそれに気づいていない。


「どうぞ、中に入ってください。」


 その人に促され、中に入った。私はその時の感動を一生忘れないだろう。扉を開けると、そこは大広間だった。広間の前方正面には5体の像が立っており、それらは天井から注ぐ光によって、やわらかく照らされていた。また、壁にはぐるりと囲むように壁画が描かれており、私はその景色に釘付けになった。


「今から食事の準備をして参ります。少し時間がかかりますので、ゆっくりとこの大広間の壁画を楽しんでいてください。料理ができ次第お呼びします。」


 その人が奥に消えてからも私は、その場から動くことができなかった。あまりにも圧倒されていたからだ。しばらくして私は壁画の方へ近づき、それをじっくりと眺めた。どうやらこの壁画は6枚のパネルで構成されているみたいだ。1枚目のパネルは、男の人が描かれている。いかにも強そうで、勇ましい姿だ。2枚目のパネルは、女の人だ。真っ白な服を着ていて、清純そうに見える。そして三枚目は……


「ビルチュード教の文化に触れるのは初めてですか?」


 その人が立っていた。私は静かに頷いた。


「そうでしたか。それでは、あとできちんと解説して差し上げましょうね。さぁ、まずは食事にしましょうか。」


 奥の小さな部屋に案内された。その部屋の中心にテーブルがあり、もうすでに料理が用意されており、綺麗な食器からは湯気が立ち上っていた。


「さあ、召し上がれ。」


 私はがっつくようにマカロニスープを食べた。こんなにも温かくて美味しい料理を食べたのは久しぶりだった。私はなんだか泣けてきてしまった。その人は私に何があったのか問わず、ただただ「食べるのはゆっくりで構わない、落ち着いてからで大丈夫」と声をかけてくれた。


「私はここの支配人のタマラと言います。今からビルチュード教について説明をしますね。」


 食後、タマラさんと大広間に戻り、説明を受けた。


「ビルチュード教は、人として良い道を歩むための教えです。そのために、この町の守護神たちに祈りを捧げています。この町の守護神である5人の神々は、この町を守るだけでなく、それぞれ人として重要な5つの心を表しています。1枚目のパネルに描かれている『コラージ』は、勇気を表しています。勇ましい姿で描かれていますよね。次のパネルの『ブランキュラ』、純情さを表す女神です。いくつになっても、子供のような白い心を忘れてはならないことを示しています。その隣、『クーパー』は、協力を意味しています。ほら、一人で生きようとするけども、それができずに苦しむ姿が描かれているでしょう?そして「カルマ』、穏やかさを表します。実は次のパネルに描かれている『ペルドン』と姉弟の関係で、彼女は寛容の女神です。カルマは日頃から心穏やかに過ごす心、ぺルドンは誰かの過ちを許せる寛容な心を、それぞれ表しています。2人の意味は似ていますが、どちらかが欠けていてもだめなのです。」


 私はその話をしっかりと聞いていた。


「はるかむかし日照りが続き、この土地の水の源であった川の水が枯れてしまったことがありました。このままでは飢饉が起こると思った住民らは、毎日神々に祈りを捧げました。すると、5人の神々が降りてきて、この町にそれぞれ泉を湧かしてくれたのです。そして、その5人の神はこの町の守護神として、それぞれの泉に宿ったのです。それ以降、日照りが続き川が干上がってしまっても、神々が開いた泉だけは一度も枯れることなく、私たちの生活を支え続けました。この町が『泉の都』と称され繁栄した所以は、この話からきているのです。今でも守護神たちは、はるか高いところから私達を見守っているのではなく、地上にある『泉』で、私達と同じ目線で見守ってくれてるのです。最後のパネルに描かれている地図はこの町の地図で、星のマークは守護神の宿る5つの泉の場所を示しています。」


 話を聞いていて、私は泉のイメージが湧きにくかった。自分の育った地区に泉なんて無くて、水の入手源は川だった。だから、この町が泉の都と言われても、あまりピンと来なかったのだ。壁画に描かれた地図をよく見ると、川から向こうが描かれていなかった。どうやら私の過ごした『川の向こう』は、泉の都の範囲外のようだ。


「この町だけでなくて、私たち一人ひとりにも守護神がいるのです。さあ、私の手を握ってみて。」


 タマラさんのしわしわの手のひらに、私の手を重ねてみた。タマラさんはぐっと目を瞑って、私の手をぎゅつと握った。


「あなたの守護神は『ブランキュラ』のようです。どんなに厳しい状況や、困難な状況になっても、その真っ白な心を忘れてはいけませんよ。」


 私はびっくりした。あの壁画に描かれた、白いワンピースを着た美しいブランキュラが私の守護神?それに、その真っ白な心?私にはもうそんな心を持ち合わせていないはずだ。自分でもわかる。私は人を見る時に、まず疑ってしまう。もう誰も信じることができないのだ。どんなに優しく接してもらっても、ゆくゆくは怒らせてしまい、殴られたり、裏切られたりする気がするのだ。


「……私には、守ってくれる神様なんていません。『泉の都』の市民じゃないですから。それに私にはもう、白い心なんてないんです。だから……」


 タマラさんが顔色を変えた。


「何かあったのですか?私に話してみてご覧なさい。」

「……」


 しばらく、沈黙の時間が流れた。すると、タマラさんが表情を柔らかくして、言った。


「あなた、名は何というのですか。」

「キャロルです。」

「それではキャロル、ここに座って。一緒に紅茶でも飲みましょうか。」


タマラさんはそう言って、紅茶とお菓子を持ってきてくれた。おいしい紅茶だった。きっと美味しい紅茶を飲んだら、心も落ち着いて、私が今までのことを話すとでも思ったのだろう。私はそれを見抜いて、どんなに時間が経っても、私は自分の身の上話をしなかった。しばらくして、タマラさんが口を開いた。


「あなた、行く当てはあるんですか?」

「え?」

「お家に戻れるんですか?」


 私はうつむいた。


「自分の話は、もうしなくていいですよ。なんとなく、最初からわかってたんです。あなたは、何かから逃げてここまで来たんじゃないかしら?もしそうなら、ここにいても構いませんよ。」


 私は顔を上げて、タマラさんを見つめた。


「……ここに居てもいいんですか?」

「はい!その代わり、礼拝堂の掃除などをお願いしますが……それでもいいですか?」

「ありがとうございます……よろしくおねがいします!」


 本当に嬉しかった。まさかこんな私を助けてくれる人がいるなんて思ってもいなかった。私は一瞬、心が優しさで満たされるような感覚になった。でもしばらくして、初対面の人にこんなに優しくするなんておかしい、何か裏があるはずだ、と疑心暗鬼になってしまった。


「あなたには、人を信じることができなくなるような、つらい経験がたくさんあったんでしょう。きっと今、私のことも『何か裏があるんじゃないか』と思ったりしてるんでしょうね。でもねキャロル、この世は『見返りを求めない優しさ』で溢れているのです。今はまだ他者を信頼できなくても、この町外れの礼拝堂で過ごしながら、その心を取り戻すことができればいいと思います。ゆっくりでいいです。」


 私は、その場に泣き崩れた。


 その日の夕食の時間に、私は今までのことをタマラさんに全部伝えた。

 



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