ブラットの回想3・キャロルの回想1
3ヶ月くらいが過ぎていただろうか。僕たちはお互いの家に行くことが多くなっていた。より寒さが厳しくなり、夜に泉のベンチで喋るのがつらくなって来たからだ。お互いの家とは言ったが、7割がキャロルの家だった。彼女の仕事の終わる時間に店の前で待ち合わせをして、そのまま彼女の家に遊びに行っていた。妻に怪しまれないよう、朝帰りなどはしなかった。いつも小一時間くらい話して、日付の変わる前には戻っていた。一方、僕の家に彼女を呼ぶ時といえば、平日に仕事が休みになった時ぐらいしかなかった。
ある日、僕の仕事が休みになった。その日は平日だったので、キャロルを家に呼ぶことにした。妻の仕事は17時までなので、それまでは2人でゆっくりできる。
「ごめん。今日はちょっと家が片付いてないんだ。妻の仕事が最近忙しいらしくて……」
「全然構わないわ。なんなら私が掃除しておこうか?」
「いや、綺麗になったら逆に不審がられるよ。」
「そう?」
彼女が不思議そうに僕を見つめた。
僕たちはコーヒーを飲みながら、他愛もない話をしていた。その日のキャロルは珍しく髪の毛をくくっていた。
「どうしたの?」
「何が?」
「髪型、いつもは下ろしてるじゃん?」
「特に意味はないわ。そういう気分だっただけよ。」
「そうなんだ……」
「かわいい?」
「うん、かわいい。」
キャロルが笑った。あの笑顔だ。
「でも本当に、あなたのおうち広いわよね。リビング以外にもまだ、他にお部屋があるんでしょ?」
「いや、広くはないよ。部屋はここ以外だと僕の部屋と寝室しかないよ。」
「そうなの?」
すると、彼女が目をきらっとさせて言った。
「私、まだあなたの寝室を見たことがないわ。ねぇ、案内してくれない?」
「え?別にいいけど、なんで?」
「何でもいいじゃない。あなたのお家の中で、見たことない部屋が寝室だけだと気づいたのよ。」
僕は、彼女を寝室に案内した。僕の寝室には、妻と共同の大きめなベッドがひとつあるだけだ。
「わーっ!大きなベッド!」
「妻と共同だからね。」
彼女の目が鋭く光った。
「ちょっとだけ座ってみてもいい?」
「別にいいけど……」
彼女はベッドに腰掛けた。
「うわーっ!ふかふかね!私もこんなベッドで毎日寝れたらいいのに〜!」
すると、彼女は自分の服のボタンを外し始めて、結んでいた髪を解いた。
真っ直ぐ僕を見ている。声色を変えて、彼女は言った。
「……あなたはもっと自分の欲望に素直になってもいいと思うわ。」
僕は気づいた。誘導されてたんだ。今日会ってからずっと誘われてたんだ。僕を寝室に案内させたのもそのためだ。
僕の中で、何かがぷつんと切れた。体が勝手に動く。僕は彼女に抱きついた。
その時、寝室のドアが開いた。
真っ青な顔の妻がそこに立っていた。
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生まれてくる場所を選べたなら、こんなところに生まれてこなかったと思う。
私の家庭はぐちゃぐちゃだった。父は酒飲みで、ろくに仕事にも行かず、もっと酒代をくれだのといろいろ理由をつけて、母に暴力を振るっていた。私もその対象になっていた。母の稼ぎだけでは生活が成り立つはずもなく、私は学校にも行けなかった。普段私がしていたことと言えば、近くのゴミ置き場を漁り、お金になるようなものを探すことと、暇つぶし程度に鼻歌を口ずさむことくらいだった。
15になった時に、売春宿で働くことになった。実は母も同じようなことをして日銭を稼いでいたのだ。さすがに同じ店ではなかったが、同じ通りに面していた。私の勤めるその店は傾きかかった小屋のようで、安いことだけを売りにしていた。
初日の様子をよく覚えている。母は私をお店のおばあさんに引き渡し、そのまま自分の店へ出勤しに行った。私は、控室に案内され、その艶っぽいおばあさんに化粧を施された。確か服も着替えさせられたと思う。私はまだ、この店が何をする店なのかわかっていなかった。母に聞いても教えてくれず、はぐらかされていたので、おばあさんに聞いてみた。そしたら、おばあさんは高らかに笑って、
「キャサリンはお前に何も教えなかったのか!逆にそれくらいの方が純粋でいいなぁ!」
と言い、私をそのまま客に引き渡した。そのお客さんの顔は知っていた。この近くで金貸しをしている人で、鼻が赤く、恰幅の良いおじさんだった。
「キャロル、お客さまを奥の部屋へお連れしておくれ。」
おばあさんに言われた通り奥の部屋へ案内し、扉を開けた。案内するだけだと思っていたので部屋に入らなかった。すると、客の方から部屋に入らないのか聞かれた。なんとなく入った方がいい気がしたので、部屋に入り扉を閉めた。その瞬間、おじさんは私を後ろから抱きしめた。すごい力だった。
「何するの?離してよ!!!」
「反抗するのか?それもまあ良い。」
顎のあたりをグッと押されてそのままキスさせられた。その後は、頭が真っ白になって何も感じなかった。
「また来るよ。」
客は私にお金を渡し、そのまま出ていった。その時に、全てを悟った。
最初は本当にショックだったが、3日もすれば慣れたものだった。その頃から私は、店での自分と、家での自分を演じ分けるようになった。その店では一番若かった(幼かった)こともあり、それなりに客がついたが、これっぽっちの金額しか稼げなかった。それに、収入が増えたからと言って、家計が楽になるわけでもなかった。母の稼ぎは父の酒代に、私の稼ぎは父の借金返済に消えていた。店に来る客も、いい人ばかりなら良いが、こんなところで金を使う人なんて、大体ろくな奴じゃない。みんな乱暴に私を扱った。
家に帰っても、店にいても、乱暴される。私は人から殴られるために生まれたのか。乱暴された代償であるお金は、手元に残らない。私に自由はない。そんな生活がずっと続いた。
このような状況が長くなると、人は限界を感じる。
18になったある日。その訪れは唐突だった。店から家へ戻る道の中途あたりで、私は足が止まった。
(家に帰る必要なんて、無いんじゃないのか?)
私は今まで、父に反抗したことはなかった。もし歯向かったら、倍になって返ってくると頭に叩き込まれていたからだ。おそらく、面と向かって父に反抗したら、私はきっと殴られるだろう。でも、家に帰らず、そのまま行方をくらませるという形で反抗したら……
殴られるだろうか?
家も店も全部捨てて、私は逃げた。
夜明け前、空が白んでくる時間帯だった。




