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色違いのアネモネ  作者: まつがえ小飴
2/8

ブラットの回想 2

 

 僕は一体何をしてしまったんだろう。僕は既婚者なんだぞ。なんで彼女とキスしてしまったんだろう。これでは浮気したも同然じゃないか。

 彼女と別れてから、僕は自分を責めた。彼女とキスした時、いや、彼女と共にいる時、僕の頭は完全に支配されていた。彼女のことを拒めない。体が言うことを聞かないんだ。



「何かあったの?」


 マリーに声をかけられて、はっとした。

 僕は今、妻と朝食をとっているんだ。僕は昨晩、妻を裏切った。本当に申し訳ないことをしてしまった。今すぐ謝りたい。でも、そんなこと話せる訳がない。


「昨日も帰りが遅かったもんね。仕事忙しいの?」

「うん……まあ、そんなところかな。」

「本当に疲れてるように見えるよ。大丈夫?」

「大丈夫。ごめん。」

「何謝ってるのよ〜 今日は仕事、無理しないで、」

「……うん。」


 今日は仕事の無理もクソもない。昼にキャロルとご飯を食べに行く約束をしてしまった。僕は本当にクズだ。一夜の過ちだけならまだ戻れた。なのに僕は彼女とキスしただけに留まらず、また会う約束をしてしまった。なんでそんな約束をしてしまったんだ。

 僕は今日キャロルと会った時に、彼女に別れを告げようと強く強く、決心した。


 待ち合わせの泉に着いた。彼女の姿がない。15分ほど待って、彼女がやって来た。

 僕は初めて昼間の彼女の姿を見た。そこにいたのは魅惑的な女性じゃなかった。白いシャツに青いスカートを履いた、普通の女性だった。


「ごめん!待ったよね?」

「いや、そんなに待ってないです。」

「そう?よかった!さぁ、行きましょう!」


 僕の腕を掴んで、彼女は歩き出した。声も、店にいる時よりも明るく、元気がいい。まるで少女と話をしているようだ。おそらくこっちが彼女の本当の姿なのだろう。僕はあっけに取られた。そのおかげで、彼女が来た瞬間に話し始めようと思っていたことを話せなかった。別れを告げようと思っていることをじわじわ忘れていく僕が、そこにいた。


「なんか、雰囲気違いますよね?」

「そう?」

「昨日会った時は魅惑的な女性って感じでしたけど、今はなんだか、かわいらしい少女って感じがします。」

「本当に?嬉しい!」


 重ねて言うが、彼女の姿、表情、声など、全てが本当に少女のようだった。昨日はあんなに魅惑的で、妖艶な女性だったのに。こんなにも振り幅のある彼女に、僕はますます惹かれていくようだった。


「何食べますか?」

「ねぇ、なんで敬語なの?」

「えっ?」

「私たち付き合ってるのに、敬語で喋られるとなんだか距離があるみたい。」

「ごめんなさい……」

「ほら!」

「ごめん、キャロル……」 


 にやり、と彼女が笑う。


「全然大丈夫よ、ブラット。」  


 結局、2人でレストランのテラス席に座って、パスタを食べた。


「確かに、あなたの言う通りなのよ。」

「何が?」

「お店の時の私と、今の私の雰囲気が違うって話。」

「あぁ……」

「なんかね、お店にいるときは、自分の中で『スターライトの歌姫キャロル』を作って、それを演じている感じなの。見た目とか、話し方とか、所作とか全部。最初は、自分が夜に働いてることが認められなくて、別の姿を演じることで元の自分を守ろうと思ってた。でも、だんだんこっちの姿でいる方がちやほやされるようになって。そうしたら、本当の自分がどんどん惨めに思えてきたの。だから、『かわいらしい少女みたい』って、褒めてくれて本当に嬉しい。ありがとう。そんな風に言ってもらえたの初めてよ……」

「それはよかった……」

「ねぇ、お店にいる時の私と今の私、どっちが好き?」

「どっちも素敵だよ。」

「え〜?決めてよ〜」

「……僕が最初に惹かれたのは夜の姿。でも、今は夜の姿と今のかわいい姿とのギャップにすごく惹かれてる。」

「どっちか決めてくれないの?」

「決められない。どちらかが欠けてても、今の僕の気持ちはきっと無かったと思うから……」


 キャロルが少し伏し目になって、ため息をついた。


「あなたって、本当に私の存在全てを肯定してくれるのね。嬉しい。私、もっと早くあなたと出会えたらよかったわ。神様っていじわる……」


 妻の顔が頭に浮かんだ。僕は目を覚ました。また彼女に酔いしれているじゃないか。僕は今日、別れを切り出そうと思って来たというのに……


「今、奥さんの顔が浮かんだんじゃない?」

「えっ……なんでわかったの?」

「私が思い出させるような発言をしたから。」


 彼女の顔は真顔だった。真っ直ぐ僕を見てる。


「ねぇ、私といるときは私のことだけ考えてて。」


 僕は、はっとした。


「逆で考えてみて?あなたが奥さんといる時、私の顔が浮かぶことなんてないでしょ?今は私があなたを独り占めできる時間なのに、その時も奥さんのこと考えてるなんて、ちょっと嫌。」

「……」

「……あ、ごめん。」

「いや、僕の方こそごめん。キャロル、僕はやっぱり不倫なんかできない。」

「私のこと嫌いになった?」

「いや、そんなわけじゃないけど……妻を裏切ってる罪悪感が、どうしても消えないんだよ。」

「私は、あなたのそういう真面目なところも大好きよ?」

「キャロル、だから……そうやって言われるのは嬉しいけど、同時に妻に対して、ものすごく悪い気持ちになるんだ。」

「私にどうしてほしいの?」

「……別れてほしい……」

「私と別れても、次は私のことが頭から離れなくなるわ。きっと。」


 思い当たる節がある。言い返せない。


「私のことも奥さんのことも、どちらも平等に愛しているなら、私は別に構わないと思う。もし、あなたが奥さんを愛せなくなったとするでしょ?その時に、愛があるように思わせる言動をあなたがとったら、それは裏切りに値するわ。あなたは奥さんのことを愛してないけど、奥さんはあなたから愛されてるって思い込んで、2人の気持ちの間に矛盾が生まれるもの。でもあなたは今、奥さんを愛してないわけじゃない。きっと家に帰っても、全身全霊で奥さんを愛せる。それって裏切りかしら?あなたには奥さんを愛する気持ちがあるし、奥さんも自分は愛されてるって思い込む。その2人の気持ちの間に矛盾は発生していないでしょ?それなら、奥さんを裏切ったことにはならないんじゃない?私なら、浮気されてたとしても、自分への愛があるなら全く気にしないわ。」


 今振り返ると、本当に恐ろしいことだ。僕はこの理論に納得してしまった。それ以降、罪悪感なく彼女と接することができるようになった。彼女から、『自分に会いに来るためにお金を払う必要なんか無い』と言われたので、スターライトに通うことはしなかった。でも、お店が閉まってからや、昼間などに何度もあって話をしていた。話をするだけではなく、手を繋いだり、キスしたりもした。


 全て、『妻への愛が消えたわけではない』という考えの下、行っていた。

 それが間違いだったと気付くには、もう少し時間がかかる。


「もし、あなたが奥さんを愛せなくなったら、それは奥さんとの関係を切る時が来たということなのよ。だって、愛のない関係を続けるということは、奥さんの愛を裏切るということになるから。それは私に対しても同じ。私への愛がなくなったら、私のこと嫌いになったら、潔く別れを告げて。その時は納得するから。まぁ、そんなことは起きないと思うけど!」


 彼女が僕を上目遣いで見つめて、にやりと笑った。


 僕が彼女に惹かれたきっかけは、彼女の見た目が魅惑的だからだと思っていた。だが、それは違うようだった。彼女が僕に見せる笑顔だ。僕を試すような表情で、歯を見せず、口角だけを上げて笑う。これは、夜の姿の彼女と、昼間の姿の彼女と、共通して見られる表情だった。この独特な表情は元からなのか、店で働いてる間に身についたのか。そんなことを知る由もないが、僕はこの笑顔に心を奪われていたのだった。




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