第8話 来訪者
跋逖に連れられて、ゆきは道から離れた。
そこは近くにあった小さな公園の、少ないながらも木々に囲まれた所だった。
ゆきが跋逖に呼ばれたことに気が付き、朔夜たちも後から付いてきているようだった。
「どうかした?」
ゆきが声をかけると、跋逖は立ち止まり、すっと顔を上げて視線を促した。
「?」
跋逖が示した先に、
「!」
突如ヒズミが現れた。
「夏目!」
朔夜はヒズミを遮るように、ゆきの前に出た。
ゆきは朔夜の腕越しにヒズミを見つめる。
そこから出てきたのは、傷だらけで、体液で蒼く染まった着物を着た、若い女の鬼だった。
肩まで伸びた漆黒の髪が乱れ、目までかかる前髪の間から、額の中央部にある一本の角が見えた。
その角がなければ、肌色の手も足も細く、五本指である彼女は人間だと見間違えるほどそっくりだ。
艶やかな白い肌は、切り刻まれた着物の隙間から蒼い体液と共に見え隠れする。
頬には、大きく切られた傷があり、体液がまだ流れていた。
「あれ、このこ、鬼人だ」
「きじん?」
ゆきの横から、のぞみも同じように彼女をうかがっていた。
「うん、鬼と人間の間の子」
「え?」
「ありえなくないらしいよ。妖の世界に行ってしまった人間でも、食べられずに生きていけることもあるみたい」
「たべ……、そうなんだ」
のぞみの言葉に、ゆきは複雑な思いだ。
『お前は……』
まともに歩けない彼女は、ヒズミから出てくるとよろめき、見上げた視線の先の跋逖に何か話し掛けていた。
前髪の隙間から見える瞳は、跋逖と同じ、鬼の目、だった。
苦痛に耐えきれず倒れこむ彼女を、跋逖が支える。
「彼女、大丈夫なの?」
ゆきの問いに、のぞみが答える。
「もともと人間の血が混ざってるから、正気を失うことはないと思う。けど、あの傷ではね……。たとえ人間の血が混ざっていても、自力であっちに戻ることはできないだろうし」
「………」
「和樹、先行ってて。俺たち後から行くわ」
「ああ。わかった」
俺たち、に、自分も含むことを理解して、ゆきは朔夜と共にここに残ることにした。
「あ、夏目ちゃん」
天馬は思い出したように足を止め、戻ってきてゆきにこそっと耳打ちする。
「彼女、跋逖の知り合いかもしれない」
「え?」
「確認したほうが、いいかもよ」
真面目な瞳が、ゆきを見ていた。
「……わかった。ありがとう」
うなづいたゆきを見て、天馬はまたすぐに笑顔に戻り、じゃあね、と、のぞみと共に学校へと向かって行った。
「和樹、なんだって?」
二人を見届けた朔夜が、ゆきに尋ねる。
「うん、彼女、跋逖の知り合いかもって」
「……そうか。和樹が言うなら、そうかもしれないな」
と、朔夜は何かを考えるように彼女を見た。
跋逖に支えられた彼女は、苦しそうに呼吸をしている。
彼女が出てきたヒズミは、自然と消えたようだった。
「とりあえず、木陰に座らせよう」
朔夜が彼女を支える跋逖に促し、跋逖は近くの樹木に彼女の背を預けた。
「何があったんだろうね、彼女に」
心配そうに覗くゆきのつぶやきに。
―――何があったかは不明だ。しかし……
跋逖はおもむろに、目を隠していた布を外した。
額にある、第三の瞳が縦に開き、目玉がギョロっと左右に動く。
妖などの気配を探るときに、その目を開けるのだ。
以前、廻廊に迷い込んだゆきを探すときにも、この目が活躍したのだろう。
跋逖の隠されていない顔を久しぶりに見るな、と、ゆきはその様子を見守っていた。
「相変わらず、かっこいいのに。布で隠してるなんて、もったいない」
ゆきのつぶやきが聞えたのか聞えないのか。
跋逖は静かにまた布をかけた。
顔の半分が布に隠れてしまう。
―――……いるな。別のモノが。強い妖気を感じる。
「別の?」
―――今は近くない。
「……なら、俺がここに結界を張ろうか?」
朔夜の問いに、跋逖はうなずいた。
―――この傷だ、動かすのは難しい。それに、時間稼ぎにもなる。吉良の結界内なら、簡単に見つからないだろう。
わかった、と、朔夜は結界を張る為に、紫苑を呼び出していた。
再びゆきの視線が彼女へと戻った。
跋逖は、なぜ彼女が来るのがわかったのだろう。
こんなことは初めてだった。
ヒズミができる瞬間を見るなんて。
天馬の言う通り、知り合いだったから助けたかった、のだろうか。
そんなことをゆきが思っていると。
―――話せるか?
と、跋逖は跪き、彼女に声をかけていた。
『……うっ』
苦痛にゆがんだ顔が、ゆっくりと大きな目を開いた。
跋逖と同じ、薄紫で線状に縦に伸びた瞳孔が黒い瞳だ。
『……人間?』
ゆきの姿が目に入ったのか、彼女はその身を後退させる。
彼女はゆきの姿を見、驚いていたが、近くに居る跋逖を見て動きを止めた。
『……あの時の?』
跋逖は彼女の言葉をさえぎるように、尋ねた。
―――その怪我は?
『………』
彼女は自分の頬に手を触れ、顔をゆがめた。
白い手に、蒼い体液が付いた。
『傷が、治らない……?』
―――ここはわれらの世界ではない。契約を交わしていないお前の傷は治らない。
『ここは、人間の世界? なら、奴らは……。妹たちは……っ!』
状況を整理しながら、ハッと見上げた瞳に、ゆきと跋逖が映る。
『妹たちと一緒に逃げてきたはず』
姿の見えない妹たちを思い、彼女の顔が悲痛にゆがむ。
「……残念だけど、ここにはあなたしか居ない」
―――廻廊にも姿は見えない。こちらにも気配はない。おそらく、妹たちは来ていない。
『……そんな』
「戻るにも、来てしまった以上、このままでは戻れないんだよね」
ゆきの問いに、跋逖は目をそらす。
そんな様子に、ゆきは苦笑した。
そして、彼女を見る。
「どうする?」
『……どうって?』
戸惑う彼女は、混乱しているようだ。
―――こちらの世界に来た私たちの末路は、お前も知っているだろう。
『……ああ、そうだった』
落ち着いた彼女は、跋逖の言葉に納得したようにうつむいた。
『適応できずに、悪鬼になり果てる』
「……だよね。跋逖、彼女を助ける方法は?」
―――……それは。
跋逖は言いにくそうに言葉を噤んだ。