第6話 ヒズミ
「ここ?」
山の麓にある鳥居と、ずっと上に続く石の階段。
小さな神社の入り口だ。
その前で立ち止まって、ゆきは階段が続く先を見上げたが、その先はまだ見えなかった。
「ああ」
と、答えた朔夜に顔を向けると、朔夜はまっすぐな瞳を返してきた。
その瞳に、ゆきは思わずドキリとする。
昨日引き寄せられた感触が肩によみがえり、思わず目を逸らしてしまった。
そんなゆきにムッとして、朔夜はゆきの手を取ると、
―― 立ち入り禁止 ――
と、書かれた黄色いテープを潜り抜けて、階段を上りだした。
「立ち入り禁止って、書いてあるよ?」
ゆきも引っ張られた手を引っ込める余裕もなく、朔夜を追いかけながら尋ねる。
「関係者以外って、書いてある」
「え?」
振り向き確認すると、確かに小さく関係者以外と、書かれてあった。
「俺たちは関係者だから問題ない」
「ああ、……そうか」
関係者、の言葉がストンと下りてきて、ゆきは妙に納得してしまう。
「………」
黙って階段を上っていた朔夜は、ふいに足を止める。
「?」
朔夜はゆきの手を放し、深いため息をついた。
そして、今度はゆっくりと、再び階段を上りだした。
「どうしたの?」
「……昨日は、その、急にあんなことして悪かった」
「……あんなこと? あー……」
「でも、気持ちは本当だから」
俺が力になるから―――。
朔夜の言葉を思い出して、ドキドキする。
温かい気持ちになる。
「うん。ありがとう。吉良くんの気持ち、すごくうれしい」
「……そうか」
「おばあちゃんにね」
「ん?」
「おばあちゃんに、よく言われてたこと、思い出したの」
「………」
「かっこいい人になりなさいって。見た目のことじゃなくて、内面や行動が人としてかっこいいってことだって。それがどんな人なのか、分からなかったけど、この前、景康さんの記憶が入ってきた時、人間や妖に厳しくても優しい景康さんを、かっこいいと思った」
「……うん」
「私、景康さんみたいになりたいと、思ったの。だから、この世界で生きていこうと、決めた。……私には吉良くんの助けが必要です」
「………」
「吉良くんや跋逖が居るこの世界で生きていくために、私、まっすぐ前を向いていこうと思う」
「うん、俺も、夏目の支えになれるように、頼れる人間にならないとな」
と、朔夜はゆきに手を差し伸べた。
「………」
一緒に歩んでいこう。
そう言ってくれている気がして、ゆきは朔夜の手を取った。
「ねえ、どうやって立ち入り禁止にしているの?」
ふと思い浮かんだ疑問を、ゆきは口にする。
「ここは、警察に頼んで、立ち入り禁止にしてもらった」
「え? 警察?」
「妖なんて、見えなければそんなの居ないのと同じことだと処理されるけど、お互い、協力しなければならない立場にいる。鵺様がいなければ理解し合えない組織だな」
「……鵺様」
皇居の片隅にいるという預言者。
「まあ、皇居の地下には、政治家や警察官僚、その他権力者が鵺様を頼って行くらしいけど、会える人間も限られているらしい」
「……私もいつか、会えるのかな」
境内に入って、ゆきは足を止めた。
大きな大きな歪んだ空間を見つける。
真正面、祠へ向かうその道に。
「……こんな大きいヒズミ、初めてみた」
ゆきのつぶやきに、同じように足を止めていた朔夜も、ヒズミを見る。
「昨日は、ここから廻廊に入ったんだ」
「ここから?」
「契約した妖たちとは違って、祓い人もヒズミを通らないと廻廊には入れない。さすがに、入り口は作れないからな。自然にできたヒズミを利用するしかない」
「跋逖たちは違うの?」
「……血の契約を交わした妖たちは特権的に、自由に廻廊を使えるようになるらしいんだ。イメージすれば、そこが廻廊につながる感覚だと、言っていた」
「………」
「ここのヒズミは長いことこのままで、何人もの人が消えている。だいたい、ヒズミは自然と消えるものなのに、ここのは一向に消える気配がない。しかも、見つけた時はまだ小さかったが、ここ数か月の間に広がってきた」
「立ち入り禁止にしなければ、ここに来た人みんな……」
ため息をつくゆきに、朔夜は。
「鵺様は、夏目がこれを閉じられると言っていたんだ……」
と、まっすぐな瞳を向けてはいたが、何かに気が付いたように、ゆきの手を引いてゆきを自分の背に隠した。
「―――」
ゆきが驚き、声を上げようとしたその時。
「!!」
朔夜は慌ててゆきを抱えてそのまま横へ転がり、ゆきをかばうように体制を立て直す。
跋逖も、すでに近くでゆきを護る体制をとっていた。
何が起こったか理解できぬまま、ゆきは自分の身体に起きた衝撃に耐えながら、朔夜の背中を見た。
そして。
『ああ、ああ、ああ。お前たち、ジュケツだな。うまそうな匂いがする』
朔夜の背中越しに聞こえる不気味な声に、身震いした。
妖、だ。
目は赤黒く濁っているのに、言葉を発している。
妖は、人間界に長くいると正気を失うと聞いていたが、廻廊で会った妖や、今目の前にいる妖は、言葉を発し、しっかりとした意思があり、正気を失っているようには見えなかった。
要するに、この妖は人を喰らっているのだ。
跋逖を一回り大きくした様なその妖は、ゆきたちを見て、にやにや笑っているようだ。
「紫苑」
朔夜は名を呼んで、紫苑を呼び寄せた。
紫苑は朔夜の影から出てきたように、ゆきには見えた。
朔夜は跋逖の姿を確認するように一瞥すると。
「妖は俺たちが食い止めるから、ヒズミを頼む」
そう言って、妖に向かって走っていく。
目が紅く光っているように見えたが、朔夜はすでにゆきに背を向けていたため、もう一度その瞳を確かめることはできない。
「跋逖」
ゆきは立ち上がり、手についた砂を払いながら、小さく声を落とし、ため息とともに跋逖を呼んだ。
跋逖は、妖と朔夜の様子を見ながら、ゆきの横に移動してきた。
「景康さんの力を借りるには、どうしたらいいの?」
―――大きく、柏手を打てばいい。
「柏手?」
―――後は、身体が覚えている。
「……わかった」
ゆきはゆっくり息を吸うと、ヒズミを見つめた。
パンッ
大きな音と共に柏手を打つと、ゆきのその手が青い光でつつまれた。
何かを引き抜くようにゆっくりと手のひらを離していくと、そこから青白い光に包まれた刀がでできた。
ゆきの手のひらから刀が全部引き抜かれた頃には、ゆきの姿は景康に変わっていた。
景康は目の前のヒズミを確認すると、その刀で己の腕を切り、刀に自分の血を這わせる。
そして。
『我血もって滅せよっ!』
刀を勢いよくヒズミに突き立てた。
刀の半分ぐらいがヒズミに飲み込まれると、
ズバン
と、大きな波動がかえってきて、景康はそれに耐える。
景康の髪や袴が大きく後ろになびいていたのがゆっくりと収まった頃、
ヒズミは完全に消えていた。
それを見届けて、景康はゆっくりとその空間から刀を引き抜いた。
『跋逖』
―――主様。
名を呼ばれた跋逖が、傍に仕えた。
『この身はまだ私の力には耐えきれぬ。この程度で……』
フッと景康は気を失うと、後ろにゆっくりと倒れた。
跋逖がその身体を支えた時には、その姿はすでにゆきだった。