第13話
第13話 敵
再び降り出した雨が、ゆき達の全身を濡らしていた。
妖の、悪意のこもった声は慣れることはない。
ぞわッとした身震いと共に視界に妖の姿が目に入る。
真っ黒な長い髪と、布で上半身の覆っていない半身の肌に黒い痣のような模様が全体に描かれているその妖は、顔にかかる髪の隙間からゆき達を睨んでいるようだった。
ドクン
と、大きく胸がざわついた。
消えない手の痛みと、嫌な感覚が全身を突き上げる。
妖の向ける視線は、人間を毛嫌いするような深い恨みのこもった闇深い瞳。
他の妖を祓い終えた李菲は、ゆきとその妖の間に立った。
その瞳がとても冷たく、その妖を見ている。
「……僕が来た理由が、わかったよ」
目の前の妖を確認して、李菲の静かな声が響いた。
「……知ってる妖?」
ゆきの問いに、サァ…っと李菲の表情が変わっていくのが目に見える。
「鵺様ってば、やっぱり僕を選んだ根拠があったみたい……あいつ、僕の家族を殺した、妖の片割れ」
「……」
「僕が、日本で天馬に預けられた理由でもある」
『長きこの時を、待っていた……』
震える身体を歓迎するように、その妖は声を上げる。
『兄者の敵、俺はお前を忘れたことはない』
「それは、こっちのセリフ! まさか、天馬哲也に下ったの?」
『お前を探し出すために同盟を組んだまで』
「……そのためには、人間と手を組んでもなんとも思わないってこと?」
片手で顔を覆っていた李菲の口から、くッとあざ笑う声が漏れた。
「……」
敵同士の再会に、喜んでいるかのように見える李菲と妖の姿に、ゆきは息をのむ。
「ゆきちゃん、手、出さないでよ」
李菲は一度もこちらを振り向かなかった。
今まで聞いたことのない、李菲の怒りに満ちた声。
「……約束は、出来ないよ」
ゆきの答えに、李菲はにッと笑いをもらす。
「ゆきちゃんらしいけどね」
李菲は再び大鎌を構え直すと、目の前の妖と刃を合わせた。
重なり合う金属音が、公園に響き渡る。
殺気立つ二人の間に入る余地もなく、ゆきは見守るしかできない。
「……」
必死に付いて行くのがやっとの状態ではあるが、ゆきは二人の動きを確認するように目で追った。
いつかの何も見えない状況ではない事が、胸をぞわぞわさせる。
跋逖のような安心感はない。
李菲の大鎌も、妖の持つ長いなぎなたのような槍のような刃も、お互いの肌を少しずつ切り刻んでいく。
さらに、お互いが振る刃に風圧が加わって、その風がまたお互いの肌を切り刻んでいた。
与える傷が徐々に大きくなってきている。
風が皮膚を切り、双方の血をまき散らしていた。
「うぐ……っ」
妖の大きな一撃を避けきれず、李菲の肩に妖の刃がめり込んだ。
刃が李菲から離れると、辺りに赤い血が飛び散る。
しかし、李菲はその傷を痛がる様子もかばう様子もなく、李菲もまた、妖に大きな一撃を胸に与えていた。裂ける妖の皮膚から蒼い血が流れるが、妖の方もその傷を気にする様子はない。
「……」
双方の刃が重なり合うまま、互角の攻撃が続いている。
しかし、圧倒的に妖が有利だろう。
止めないと。
けど、自分に何ができるだろうかと、ゆきは考えて思考が止まる。
妖が現れた途端に張られたこの結界内に、跋逖も朔夜も入ることは出来ないだろう。
だからと言って、自分が横やりを入れるつもりはなかった。
ただ、この場から離れたい。
それだけ。
どうすれば、ここを離れることができるだろうか。
「……ヒズミ」
ここにヒズミが出来ないだろうかと、ゆきはふと考える。
白檀や天馬哲也がヒズミを作り出すように、自分にも出来ないかと……。
「景康さんの力なら、もしかして……?」
ヒズミができたら、李菲と共に廻廊に飛び込んでヒズミを閉じればいい。
「……」
それならば、あの妖も追って来れないはず。
一度廻廊に入ってしまえば、同じ廻廊の空間につながる可能性は低いはずだった。
跋逖は、ゆきに答えて廻廊内でも合流する事ができるのは以前確認済みだ。あとは、跋逖に李菲を吉良家に連れて行ってもらい、印が付いた自分は別の場所に移動する。
「……やってみるしかない」
ゆきは大きく深呼吸をする。
意識を集中して、ヒズミを……。
「!!」
意外にあっさりと目の前にヒズミが出現して、驚いた。
しかも。
ゆきは感じ慣れた気配を察知し、名を叫ぶ。
「……跋逖っ?!」
廻廊に待機していた跋逖の手が李菲を掴み、廻廊へと引きずり込んだ。
「なにを……っ!」
状況を飲み込むのに時間がかかった李菲の声を廻廊が飲み込む。
それに遅れずゆきも飛び込んだ。
『逃げるのか……っ!』
妖の怒りに満ちた声と追いかけて伸びる妖の手が、ヒズミと共にゆきの前から消える。
「……間に合った」
ホッと胸をなでおろしたゆきの前で、何が起こったのかわからず、李菲は跋逖に捕まれたままゆきを怪訝そうに見ていた。
全身びしょ濡れで、肩から流れる血が制服を赤くぼやかし、頭から流れる血が濡れた髪と顔を半分染めている。
痛々しい姿が、ゆきの胸を締め付ける。
「跋逖」
―――こっちは任せろ。後で合流する。
跋逖の言葉を聞いて、ゆきは頷いた。
李菲は跋逖に引きずられたまま廻廊を行く。
「……」
トタトタと、銀の狐が李菲の後を追っていった。
「ゆきちゃん!」
反対側に歩いて行こうとするゆきに、李菲が焦ったように声を上げる。
「……ごめんっ!」
謝る李菲に、ゆきは微笑んだ。
「印が消えたらすぐ戻るから。怪我、ちゃんと手当てしてもらってね。またあとで」
と、ゆきは背を向け、二人とは反対方向に歩き出した。
「……」
とは言いつつも、廻廊を一人で歩くことになるとはと、ゾッと身震いした。
相変わらずのこの空間は、慣れない真っ白な世界。紅い柱だけが際立って、肌を刺す空気はぞわぞわする。
変なモノと遭遇しないことだけを祈って、ゆきは先へ進んだ。
しばらく廻廊を歩いていると、前方に突然光る何かが現れる。
その、光の中から覚えのある姿が覗き込むので、ゆきは驚きの声を上げた。
「……? 相馬さん?」
「あ、夏目さん、よかった」
ゆきの声に気が付いて、相馬はホンワカ笑顔を浮かべてゆきを出迎えた。
「もう、出てきても大丈夫だよ」
と、相馬に手を差し伸べられて、ゆきは導かれるまま廻廊から外に出る。
出た先は、ゆきの学校だった。
もう誰もいない、閉められた暗い学校。
「……相馬さんがどうして?」
困惑するゆきの後ろで、ヒズミが閉じる。
ニコニコと笑顔を浮かべるだけで、相馬は問いに答えない。
「久しぶりだね」
「……」
その、相馬の足元に、見覚えのある少女に気が付いた。
「……燕燕?」
少女を見下ろすゆきに、少女はゆきを見上げ、にっこり笑う。
「え……?」
ゆきの記憶にある燕燕は、表情の乏しい妖だった。
こんな笑顔を浮かべるなんて……。
「……あなた、誰?」
混乱する頭の中でひとつの答えが導かれた。
燕燕は、依り代。
未熟な、妖。
器……を必要とする、存在。
「……鵺、様?!」
驚き上がるゆきの声に答えるように、少女は不敵な笑みを浮かべ、答えた。
―――言葉を交わすのは、今生ではこれが初めてか? 我が娘よ。