第7話
―――!!
跋逖は勢いよく天井を見上げる。
それに遅れて、ゆきと朔夜も気配を感じ、お互いに顔を見合わせた。
「なに、この気配……」
気味が悪い感覚に、嫌な汗がゆきの背中を流れた。
「……花が、消えない」
不意に確認した手には、痛みは消えたものの、浮かんだ赤い花が消えずに残っている。
結界の時も、燕燕の時も、すぐ消えたのに……?
―――主様。
董鉄が、朔夜の前に現れた。
―――この旅館一体に、妖が出没しています。
「!」
董鉄の言葉に、朔夜もゆきも、身を強張らせた。
「妖が? どうして?」
―――漿果と逸樹、綜信が対応しておりますが、どうも意図的にこちらに来ているようで……、このままでは人間に被害が。
「意図的に……? ヒズミでもあるのか?」
―――おそらく……。かなり大きなものが近くにあるのかと。
董鉄の危機迫る声に、朔夜は息をのむ。
「……とにかく、俺たちでできるだけ処理しよう。妖はお前たちに頼んだ」
―――御意。
董鉄は朔夜の指示を受け、素早く行動に移った。
幸い、見えない人たちは異変にまだ気付いていない。
「……夏目さん! 吉良くん!」
異様な気配を感じたのか、旅館の奥から相馬も慌てて飛び出してきた。
近くには、相馬を護るように燕燕もしっかり辺りを警戒している。
「……」
「なにか、あったんだね」
相馬はすぐに状況を把握したよだ。
「……どうする?」
「宿泊客に影響が出る前に、どうにかしないと」
朔夜が険しく顔を歪める。
「ヒズミを、さがしてくる」
ゆきの言葉に、朔夜が頷いた。
「相馬さん。相馬さんは館内の対応をお願いします。あやかしたちが人間を襲い出す前に、誘導する必要が出てくるかもしれない。ここで待機していてください。今はまだ、俺たちの従者が、妖を引き留めているはずですから」
「わかった」
朔夜の指示に相馬が頷いた。それを確認して、ゆきと朔夜は旅館を飛び出した。
「! ヒズミが……旅館を飲み込んで……?」
外に出たゆき達の視界に入ったのは、大きな黒いヒズミが旅館を飲み込むように旅館の上空に現れているところだった。
「天馬哲也!」
そのヒズミから、旅館の屋根に姿を見せたその人物に、朔夜はその名を叫んだ。
「あれ……君たち、居たんだ」
哲也は二人の姿を確認すると、
「……まあ、当然、鵺ちゃんか」
呆けたように呟いた。
そして。
「ああ、そういえば、この前綿貫さんをこっちで見かけたよ」
「え?」
「彼女、祓い人だったんだね」
「……」
「君たちのその反応を見ると、知ってたか……」
と、哲也は小さく笑う。
「彼女、何がしたいんだろうね。まあ、俺には関係ないけど」
哲也はヒズミを振り返る。
数体の妖が、出てくる様子が見える。
「まあ、今日はテストみたいなものだったし、君たちが居るんだったら長居はしないよ」
ひらひらと、哲也は手を振る。
「頑張って、こっちとあっちのヒズミ、閉じてね。じゃあ」
と、哲也はヒズミに消えていった。
「あいつ……っ」
逃げられたことに、朔夜は悔しそうだった。
「……」
人間界と妖世界をつなぐ扉。
これが、試作品?
「……やばいな。つぎつぎ出てくるみたいだ」
朔夜の声に、ゆきは我に返る。
今は、こっちの対応を考えないと……。
ヒズミを見上げたゆきの元に、跋逖と介がやって来た。
―――廻廊内には、私が行こう。これ以上妖がこっちに出てこないように。
「……一人で、大丈夫?」
つい出た言葉に、跋逖は笑う。
―――私を、誰だと?
「ああ、そうでした。最強の鬼さん」
ゆきは跋逖を見て笑う。
「朔夜くん、私はあのヒズミを閉じてくる」
「わかった」
頷いた朔夜を見て、ゆきも頷く。
「お願い」
跋逖はゆきを抱き上げると、そのまま屋根に飛び乗った。
介も、その後を追う。
「……」
ゆきを見送った後で、朔夜は式の紫苑を呼び出していた。
「俺達も行くぞ、紫苑」
屋根の上の、比較的足場の良い所に、ゆきは下された。
跋逖と介は、直ぐさまヒズミから出てくる妖を一瞬にして灰にする。
ゆきは、手のひらを合わせ、淡く赤色に光る手の中から日本刀を引き出した。
「……?」
完全に引き抜いたのに、ゆきの身体は景康には変化しなかった。
「……赤い?」
ゆきを囲う淡い赤色の光に、ゆきは驚きを隠せない。
いつもは青いのに……
そんなゆきに、跋逖がゆきの手をとり、ゆきの身体を後ろから包み込むように、日本刀を構えた。
―――ゆきにもできるとの、判断だろう。
「え?」
―――心配ない、私たちがついてる。
「……、わかった、やってみるけど」
ごくんと、ゆきは唾を飲む。
手が震える。
この刀で、自分を傷つけ、血を出す勇気はまだない。
ゆきが戸惑っていると、跋逖が気が付いたように声をかける。
―――……血を出す必要はないようだ。
「え……?」
―――蘭華が、力を貸してくれる。
ゆきは刀を構えるその親指のつけ根に、赤く光る花を見た。
「……蘭華?」
ゆきの声に反応して、ゆきの手と刀を覆うように、赤い、小さな花びらが吹き荒れる。
―――廻廊に行ってくる。しっかり、やれよ。
「……」
跋逖がフッとその表情を緩めるので、ゆきは驚き、その背を見送る。
その時だった。
―――誰だ!
と、介の警戒する声がゆきの耳に届いた。
『妖側のヒズミは、僕が閉じておくよ』
介が睨む先に居たのは、全身を真っ黒な布で覆い隠した人のようなモノだった。
黒の布の隙間から覗く瞳が、ゆきを捉えている。
その瞳から、人間に近い姿形をしているのではないかと、思えた。
「……」
ゆきは、その気配に戸惑う。
人でも、妖でもない、不思議な気配だった。
キッと目を吊り上げ、介は全身を殺気だたせ、その人物を睨んでいた。
しかし、目の前の人物は介を見て微笑んでいるようだ。
『君の主に危害を与えるつもりはないよ』
と、優しく告げられる。
そして、ゆきに近づくと、ヒズミに入って行こうとする素振りをみせる。
「……っ!」
慌てるゆきに、その人物は声をかける。
『夏目ゆきさん』
「!」
名を呼ばれ、ゆきも介も驚き、動揺する。
瞳しか見えないのに、その穏やかな声から、その人物が微笑んでいるようにさえ見える。
『今は急ぐからお話しできないけど、機会があったら、また』
と、言葉を失っているゆきを残し、ヒズミに消えていった。
「……」
―――主様。
介の声がして、ゆきは我に返る。
ゆきは気を取り直して、ヒズミを見た。
一呼吸置き、
「……うまく行きますように」
と、呟く。
手にした刀を、景康がするようにヒズミに押し込んだ。
その反動で、大きな風がゆきを襲う。
吹き飛ばされそうな身体を必死にこらえながら、力を込めてゆきは刀を押し込め続けた。
どうしよう、ちからが続かない……っ!
そう思った瞬間、ふわっと、身体の負担が軽くなった感触がした。
「朔夜くん……っ?!」
紫苑の背に乗って上がってきた朔夜が、ゆきの横に立ち、右手でゆきの手を、左手をゆきの腰に回し、その身体を支える。
気が付けば、反対側は介が支えてくれていた。
「夏目、もう少しだ」
と。
ゆきは改めて手に力をこめると、小さくなるヒズミが完全に消えるまでその刀を押し込めていた。