第3話 鵺
―――…………。
薄暗い空間に、跋逖は姿を現した。
ろうそくの炎が揺れるたび、空間が揺らぐ。
ここは、今も昔も変わらない。
その部屋の主が、声をかけた。
「跋逖、久しぶりだな」
その、少女とも少年とも言えない声に、
スッ
と、跋逖はひざまずく。
―――鵺さま、お久しぶりでございます。
ろうそくの淡い光の中に、
ゆっくりとその姿を現したのは、
黒い巫女の着物に身を包み、長い長い髪が後ろでひとつに結われた、年齢不詳の娘の姿だった。
鋭い瞳が、切りそろえられた前髪の下で光る。
その瞳が、跋逖の右後方を捉えた。
跋逖も、その気配に気が付いた。
そこに居た何かがうなずき、部屋の外へ消えていく。
その後ろ姿らしき陰を、跋逖は見送った。
それが去ったのを確認して、鵺が再び声を上げる。
「ずいぶんと待ったぞ、跋逖」
その声に、跋逖は顔を上げることができない。
―――廻廊に……。先ほど、廻廊に吉良の者がいたのは偶然でしょうか?
ひとつの疑問を、跋逖は鵺に問いかけた。
「偶然? が、あると思うのか?」
わかりきったことを、と、鵺は笑う。
「妖は、自然とあの者のもとに集まる」
細められたその瞳は、変わらず鋭く跋逖を捉えている。
「十年、か。あの者を匿かくまって……。跋逖、そろそろ一人で背負うには限界であろう」
鵺は跋逖に背を向ける。
その背中に、跋逖は小さくうなずく。
―――ただ……主様は普通に暮らしてみたいと、ずっと仰せでした。
跋逖の脳裏に、景康の声が蘇った。
『跋逖、いつか私は、普通の人間として静かに暮してみたい。たとえ、今生では叶わぬとしても……』
その声は、今も鮮明に跋逖の胸に突き刺さる。
―――だから私は……。
跋逖はこぶしを握りしめた。
そんな跋逖に、鵺は微笑んだ。
「跋逖は景康に忠実だったな」
しかし、それはほんの一時で、再び跋逖に冷ややかな視線が投げかけられた。
「……あの者が、景康の力を受け継ぐものだと、いつ気が付いた?」
威圧する鵺の視線を受け、跋逖は顔を強張らせた。
―――……出会った時から。主様の匂いがしました。
素直に答えた跋逖に、鵺は小さなため息を漏らした。
「そうか。なら、あの者がわらわたちにとってどれほどの存在か、お主もよくわかっていよう」
―――………。
跋逖はずっと、顔を上げることすらできずにいた。
鵺の姿を見ることはなかったが、鵺の言わんとしていることを、跋逖は理解している。
初めから、わかっていた。
再び人間界に来てしまったあの時から……。
―――鵺さまの、………仰せのままに。
* * * * * * * *
「……行っちゃった」
跋逖が姿を消したのを見送って、ゆきは朔夜にたずねた。
「鵺様って? 跋逖も知ってる人なの?」
「……皇居の敷地内にある地下に囲われている、代々天皇家に生まれる預言者だ。廻廊の護り人でもある」
「―――――」
呆然とするゆきの顔を、朔夜は覗き込むように見た。
「大丈夫か?」
「―――うん、多分」
目をぱちぱちしながら、ゆきは戸惑いつぶやいている。
「今、なんかサラっと吉良くん言ったけど、え? 皇居? えぇ? 地下? 天皇家? 預言者? 護り人? ???」
思いもよらない単語の数々に、ゆきはため息をついた。
「まだまだ、教えてもらうことがいっぱいありそうね」
「跋逖は夏目を守るために、特に鵺様は遠ざけたいだろうからな」
「……みたいだね。でも、もう、関係ないなんて言えないね」
どこかさみしそうに、ゆきはつぶやく。
「……鵺様は、昔のことも、これからのことも、すべてを把握しておられるお方だ。この行く先が最善の道であるよう、俺たちを導いてくれている」
「跋逖は、もうずいぶん昔の鵺様と知り合いってこと? 名前が同じとか?」
「跋逖が会っていた当時の鵺様はもういないけど、聞くに、記憶が受け継がれるらしい。姿も声も、何一つ違わぬとか」
そんなことありえるの? と、再びゆきの頭にはてなが埋まる。
「そもそも、なんで地下に?」
「光を浴びると、能力を失うらしい」
「……囚われのお姫様、みたいね」
ゆきは昔、読んだことがある漫画を思い出した。
美しい女性の姿が脳裏に浮かぶ。
「まぁ、確かに美女だな」
「………」
はぁ、と息をつくゆきに、朔夜は笑う。
「やきもちか?」
「え?」
「夏目一人残して、跋逖は鵺様の所に迷わずすっ飛んで行った。いい気はしないんじゃないのか?」
「………」
朔夜に言われて、ゆきは力なく笑う。
図星だと、思ったからだ。
「子どもだと思われてても仕方がないね。思えば、廻廊にいた時間といい、今といい、跋逖とこんなに長い時間離れてるのは、初めてかもしれない。……ちょっと、心細いのは確かかも」
「……それは、俺が嫉妬しそうだな」
「え?」
空を仰ぎながらこぼれた朔夜の声が、ゆきにはよく聞えなかった。
「こんなところで待ってても仕方ないから、うち、来るか?」
「吉良くんの家?」
「あぁ、紹介するよ」
そう笑って、朔夜はゆきを見る。
「何を?」
唐突な申し出に、ゆきは不思議そうな顔をした。
「跋逖以外の妖に会っておくのも、これから先の、夏目の為にもなるかと思う」
「跋逖以外……。あ! 吉良くんの? うん、会ってみたい!」