第29話 再会
「……ありがとう。助かった」
すっぽりと頭を着物に隠したまま、朔夜は白髪の妖、綜信の後をついて歩く。
さらにその後ろを、景康は身をひそめることもなく、悠々と歩き、辺りを見渡していた。
しばらくすると、小さな集落に出た。
レンガでできた小さな家が、何軒か集まってできているようだ。
それぞれ高い塀に囲われ、仕切られている。
その一角に、綜信は入って行くので、二人も後に続いた。
「ここに、住んでるのか?」
綜信の後をついてきた朔夜は、レンガの塀で高く囲まれた敷地内を見渡した。
入り口付近には小さな庭があり、その奥に、塀と同じレンガでできた家がある。
庭は、人間界では見たこともない植物が多くあった。
朔夜は綜信の着物から頭を出した。
『しばらく、私の着物を羽織っていてください。ここでも、人間の匂いをさせるのは、危険です』
どうぞ、と腰掛に促されて、朔夜は庭にある椅子に腰掛ける。
『なぜ、こっちに?』
「……わからない。でも、理由はあるはず。鵺様に、飛ばされたな」
『そんなこと、可能ですか?』
「鵺様なら、な」
綜信の問いに、朔夜はため息をついた。
『鵺様とは、よほどの力の持ち主なんですね』
まあね、と、朔夜は苦笑する。
「先ほどの妖たちも、君主と、言っていた。綜信は聞いたことが?」
考え込むものの、綜信は即座に答える。
『……君主。最近、妖の間で話題によく上がることかもしれません』
『詳しく話せ』
景康も、綜信の家を一通り確認し終えたようで、朔夜の前に座った。
『なんでも、人間を食すために妖を集めているようです。そのトップが、君主と呼ばれている』
『人間を、食べる?』
『提供、する人物がいるんだとか。人間界に出向いて、人間をさらい、食料にする。人間は、妖にとって美味であると共に、様々な能力を与える。この上ない、食料だと聞きました』
『………そうか』
「けど。人間界とこちらを行き来できるものとなると、限られてくるな……」
『………』
『ゆき殿と、代わられますか?』
考え込んでいる景康に、綜信は話しかける。
『お湯を用意しますが』
『……ああ、頼む。ゆきの従者は、蘭華、と言ったな』
不意に確認するように、景康は宙に向かって話し掛けた。
―――主様!
名を呼ばれ、紅い着物を翻し、鬼人である蘭華が慌てた様子で姿を現した。
『来たか』
名を呼んだ主が、景康だと気が付き、蘭華は動きを止めた。
―――景康様。お久しぶりでございます。
『ああ、以前会っていたな』
近くで跪く蘭華を見て、景康はその表情を緩めた。
『元気そうで、何より』
―――名前を呼んでいただけて、助かりました。こちらに来ているらしいことはわかったのですが。
『お主では、ゆきを捜しきれないか』
―――はい。跋逖殿は以前行方が分かりません。私は主様の気配を感じ取っても跋逖殿のようにはっきりとした位置までは把握できません。
『まあ、跋逖は目が三つあるからな』
と、景康は面白そうに笑う。
『跋逖は、鵺様の元にいる』
―――え?
『あの女、何を考えているのか』
険しい表情になった景康に、朔夜は不思議そうに問う。
「俺達をここに飛ばしたかったからではないのか?」
『それも、あるだろうな。……まあ、いい。蘭華よ』
―――あ、はい。
『ゆきの衣服を用意しろ。できればお前か……、あの、凛音とか言う妖の衣服がいい。多少の誤魔化しになるだろう』
―――御意。
蘭華は頭を下げると、その姿を消した。
『お前は、綜信の衣服を借りるといい』
と、景康は朔夜に告げ、綜信から受け取ったお湯の入った桶とともに、建物の中に消えていった。
―――主様。
ある程度の血を身体から拭き取った景康は、蘭華が戻ってきたのを確認すると、ゆきと入れ替わった。
「あ、蘭華。ありがとう」
―――いえ。
蘭華は微笑むと、持ってきた衣服をゆきに着せる。
―――私たち鬼人の匂いも、こちらでは安全ではありません。凛音殿の衣服のほうが安心でございましょう。……景康様は、よくわかっていらっしゃる。
「……そうだね」
―――介が先ほど天間様の所まで行って、借りてきてくれました。あの子はあの子なりにお役に立ちたがっています。
「介が? そっか、帰ったらお礼を言うよ」
―――はい。主様は、こちらの衣服も、よくお似合いかと。
と、にっこり微笑みながら、蘭華はゆきにフードをかぶせた。
凛音の衣服は、真っ白で全身ひらひらしている。
胸元の帯の銀の刺繍が綺麗だった。
「凛音さんて、何の妖?」
不意に疑問に思って、ゆきは尋ねた。
―――白狐ですよ。
「えー。白くてふわふわか……」
服のイメージ通りだと、ゆきは思った。
―――綜信殿、主様たちを助けていただき、ありがとうございます。
蘭華はゆきと共に表に出ると、綜信に礼を言う。
『いや、ゆき殿には恩がある、これくらいは私でも役に立とう』
綜信は大したことはないと、蘭華に告げた。
―――主様、これからどうされますか?
「え? ああ、……そうね。ヒズミがないと私たちは戻れない。……ヒズミの番人、白檀さんを探さないと」
―――白檀様でございますか?
「うん、こっちにいると思うんだよね」
『……なら、私が案内しましょう』
「しってるの?」
驚くゆきに、綜信は頷く。
『祐樹の件以来、気にかけてもらっています』
「……あの人は、いい人なんだか悪い人なんだか」
『……あの方は、あの方なりの真理がおありになる』
「そう?」
綜信の後ろから戻ってきた朔夜が視界に入り、ゆきは言葉を失う。
「これ、意外に動きやすいんだな」
ブンブンと腕を回しながら、綜信の夜行衣を着た朔夜が姿を現した。
顔を上げた朔夜が、ゆきを見て顔を染める。
「……夏目は、何着ても似合うな」
「吉良くんも、それ、コスプレみたいだけど……」
かっこいいね、とは言えずに、ゆきは押し黙ってしまっていた。
「……でも、なんか思ってたのと違った」
綜信の家を後にしたゆき達は、綜信に付いて、白檀の元に向かっていた。
『……?』
声を上げたゆきの言葉に、綜信はゆきを振り返り見た。
「妖世界は、もっと、こう、薄暗くて、怖いイメージ。でも、そんなに違わないよね。多少、カサカサしてるけど」
「カサカサ?」
と、朔夜は笑う。
『ああ、そうですね。いくらか、人間の世界は発展してる。それは、もともと生まれ持った能力の違いでしょう。人間は弱い、それを補うのに、道具は必要だ』
「………」
『どうしました?』
「綜信は、何の妖?」
『ああ、私は雑種です』
「え?」
『いろいろ、混ざっております』
「人間そっくりなのも?」
『鬼人の血が、混ざっておるかもしれませんね』
「それもわからないくらいなんだ」
『………』
急に、先を行く綜信がしゃがめと合図してきた。
ゆき達はその身をかがめる。
「どうしたの?」
『前方に、ここからかなり離れてはいますが、ヒズミができました』
「え?」
促されたその先を見ると、妖が集まるその先に、突如ヒズミが生まれた。
『我らが君主のお出ましだ!』
『天馬様!』
『天馬様!』
妖から上がる歓喜に紛れて聞えた言葉に、ゆきは身震いする。
「……てんま?」
朔夜もその言葉を疑う。
恐る恐る覗くその先に、人間の姿があった。
彼、天馬と呼ばれた青年は、ヒズミからやって来たようだ。
彼は妖たちに向かって何か言っているが、ここからは遠すぎてよく聞こえない。
「吉良くんの知ってる人?」
祓い人である天馬が、どうして妖の世界に来る必要があるのか。
それに、彼はそこに集まった妖たちに襲われる気配はなく、むしろ、慕われている。
しばらくして、そのヒズミから数人の人間が妖の手によって、引きずられてきた。
廻廊を行き来できるのは、彼の従者である妖たちであろう。
妖の集団から再び歓喜の声が上がり、連れてこられた人間たちの悲鳴が聞こえる。
「……遠すぎて良く見えないが、多分……」
『あれは、天馬本家の現当主、天馬 哲也だな』
「!」
ゆき達の後ろに、白檀が姿を現した。
「私たちがここに飛ばされてきたの、気が付いてたの?」
『まあな。鵺はそれをお前たちに見せたかったのであろう』
腕を組んだまま、顎で白檀はそれ、と、天馬を指示した。
「……祓い人が、妖に人間を提供しているのか?」
『……あいつは、落ちるのだろうな』
「……妖に?」
『人間ではなくなる。……何か企んでいるのか』
『私が、調べてみましょうか?』
「綜信が?」
『祓い人と契約をしていないものの方が、動きやすいこともあるでしょう』
―――では、私が連絡役を。
「うん、ありがとう。気を付けてね」
自ら引き受けてくれた綜信に、ゆきは声をかけた。
『いえ、ゆき殿。いずれ、また』
綜信はそう言って、頭を下げる。
『とりあえず、お前たちは人間界に帰る必要があるな』
白檀は、手のひらを開き、近くの空間を押すように、グッと力強くゆっくりと腕を伸ばした。
その先に、ヒズミ、ができる。
そして、その奥にも、廻廊をまたいで人間界側のヒズミができていた。
朔夜と式で狼の紫苑が先に廻廊に入り、その安全を確かめる。
「大丈夫だ」
と、朔夜はゆきに言うと、ゆきも頷いて廻廊へと足を踏み入れた。
『また、景康に会いそこなったな』
と、白檀はヒズミに入っていくゆきに向かって笑うと。
『……鵺には、気をつけろ』
そう、振り返ったゆきだけに聞えるように告げた。