五話 Moment
『凄いじゃないの!それで、スカウトの話は受けるの?』
電話越しの女の先輩は声音が少し嬉しそうだった。
まるで自分のことのように喜んでくれているらしい。
職場を歌姫の亡霊に襲撃されてから三日。
オフィスは瓦礫が散乱しとても立ち入れる状態ではなく出勤したところで仕事になるはずもなく。
ひとまずは自宅待機を言い渡され一人で部屋に篭もっていた一音のもとに先輩から連絡が来たのだった。
「先輩、本気で言ってるんですか?!……今の仕事もありますし」
『前に歌手になりたかったって言ってたじゃない。歌守は、普通の歌手よりも大変かもしれないけどチャンスなんじゃない?』
先輩の言葉が小さなトゲのようにちくりと刺さる。
正直なところ三日前の高揚感が未だに忘れられないでいた。
いつか飲み会のノリでちらりと話しただけのことをよく覚えてたものだと感心した。
「いやあの、だってそれかなり小さい頃の夢ですって。それに断るつもりですし……」
電話越しに悟られないようできるだけ明るくトーンを上げて、それから冗談めかしてそう返す。
(私が歌守になれるわけがない)
先輩からは見えないというのに無意識に作り笑いを浮かべていた。
『えっほんとに?勿体ない、成瀬さん歌すごく上手なのに。私大好きだよ!それにー』
何かを言いかけた先輩を遮るようにピンポンとインターホンが鳴らされた。
「あ、すみませんちょっと待ってください!誰か来たみたいで」
誰かが尋ねてくる用事も宅配便の予定もなかったはずで、急いでカメラを覗き込む。
「え゛」
カメラに映し出された人物をみて思わず低い声が漏れた。
電話を耳に当てたままにしていたおかげで先輩にもはっきりと聞こえたことだろう。
『成瀬さん?どうかしたの?』
「……っすみません、ちょっとお客さんが来たみたいで、後からかけ直しますね?」
『うん、分かった。じゃあ、またね』
急いで通話を切るとバタバタと玄関に向かい、鍵を外してドアを開けた。
「やあ、こんにちは」
「昨日ぶり」
そこに立っていたのは私服姿の鷹沢璃人と加賀見沙天だった。
「なんっ、何してるんですか?!」
玄関口でドアを開けたまま危うく大声を出しかけた。慌てて近隣に聞こえないよう声をひそめる。
「キミがここに住んでると聞いたから。来てしまったよ」
なんともにこやかに答えたのは璃人の方だった。
顔に似合わずなんとも軽やかなノリで訪問してきたものある。
物珍しそうに玄関周りを見回していた。
「璃人、人の部屋をあまりジロジロ見るものじゃない。失礼だろう」
「ああ、ごめん。誰かの家なんて珍しくてね」
沙天はそれをたしなめるとすぐに一音の方に向き直った。
「急に来てすまない。私達、今から街中に行く用があったんだけどあなたも来てくれないかと思って誘いに来たんだ」
「私も、ですか?ええ……と、とりあえず見つかると騒ぎになるので一旦中に入ってください」
推している歌手ユニットの二人が自分の家に来るなどという夢みたいな出来事だ。
喜ぶ一方で反面、不安も生まれる。
一音が住むのはごく一般的なアパートだ。もちろん隣近所の部屋にも住人がいる。
誰かに見られていないか素早く周囲を確認してから二人を玄関に迎え入れた。
「この辺りは詳しくないからね。もし良ければあなたに案内して貰えたらありがたいんだけど」
ドアを閉じると同時に口を開いた沙天は、突然の誘いに戸惑う姿を見てかそう付け足した。
「……それは別に構いませんけど……用事、ですか」
仮にお忍びだとしたら二人とも帽子やマスクと言った定番の変装アイテムを身につけているわけでもなく連れ立って歩けば騒ぎが起きかねない。
「ああ、変装ならするさ。あなたを訪ねるのに顔を隠したら分からないだろうと思って」
顔の前に一瞬だけ手のひらをかざすとたちまち音もなくその姿は変化する。
ふんわりとウェーブがかった長い茶髪に、服もグレーのニットに黒の柔らかな生地のワイドパンツという出で立ち。
顔立ちこそ大きな変化は無いものの髪と服で印象がかなり変わる。
一見しただけでは少し背が高い程度の一般女性にしか見えず、すぐに沙天だとは思わない。
「……凄い!絶対わからないです」
「これなら大丈夫だろう?」
「あ、はい。えっと、じゃあすぐに準備してくるので少し待っててください」
玄関先に二人を待たせると急いで一音は寝室へ戻る。
二人を待たせている以上、化粧もそこそこにクローゼットから手近なキャメル色のロングのニットワンピースをとり出し、それからデニムのジャケットを羽織ると小さめのバッグを引っ掛けた。
「早いね、大丈夫?急かすつもりはなかったんだけど……」
十分と掛からずと玄関へと舞い戻れたのは一音の中でも脅威のスピードだ。
あまりに早く支度を済ませて戻った一音に沙天がすまなそうな顔をする。
「とりあえず」
隣の璃人は黒っぽいパーカーとスキニーというラフな出で立ちで、色は黒のままだが髪が短くなっている。
イヤホンを耳につけて音楽を聴いていたようで一音が準備できたのをみてそれを外した。
「じゃあ行こうか」
アパートの外にはセダンタイプの黒い乗用車が止まっていた。
助手席には璃人が、後部座席には沙天が。二人とも躊躇いなく乗り込むところをみるとこれに乗ってきたのであろうことは察しがつく。
「さ、乗って」
「車待たせてたんですか?」
一応自分の車を使うつもりで鍵をバッグに入れていたのだ。これは予想外だ。
これならわざわざ自分が誘われる理由が分からない。
「いいからいいから」
沙天に緩やかに腕を取られていつの間にか座席に乗せられていた。
運転手は昨日一音を乗せてくれた人物だった。
目が合うも小さく会釈するのみで一言も発しない。
全員乗り込んだのを確認すると車は発進しアパートが離れてゆく。
三人を乗せた車はショッピングセンターや商業施設の立ち並ぶ大通りの入口でゆるやかに停車した。
「それで、用ってなにをする予定なんですか?」
「そのうち分かるよ。そうだな、少し時間を潰そうか」
時間を確認すると二人は行先も告げずさっさと店のある方向へと歩き出してしまった。
「えっあの!」
璃人は何も言わずに沙天に着いていくので一音は二人を慌てて追う。
服屋や雑貨屋を覗き、軽食をつまんだりしながらしばらくぶらぶらと街中を歩き回る。
(これ私別に必要ないんじゃ……ていうか目的ってショッピング?)
特に案内を必要とすることもなく一音は二人にただ着いていくだけという現状に自分が連れ出された意味を考える。
そんな考えを巡らせる一音をよそに沙天が次に足を踏み入れたのはアクセサリーショップのようだった。
(なんか、テレビの撮影みたい)
店内には男女どちらでも使えそうなシンプルなデザインが多い。
次のPVの撮影がどうのと小声で話しながら見比べている姿は真剣だ。
「撮影の小物とかは自分達で選んでるんですか?」
二人を横目に一音もネックレスやら指輪やらを時々手に取り眺めながら、近くにいた璃人に尋ねた。
「時々ね。俺は歌うことしか興味無いから、衣装とかそういうのはほとんど沙天に任せてるんだけど」
「じゃあ、私服とかはどうしてるんですか?」
「人に選んでもらったり、あとは適当……かな」
確かに沙天に比べるとあまり興味なさそうに店内をみたりしているようではあった。
「璃人は元々センスがあるから適当に選んでもなぜかハズれないんだ」
「えっ羨ましい。スタイルもいいですしなんでも似合いそうですもんね」
話を聞いていたのかくすりと笑いながら沙天が戻ってきた。
手にはアクセサリーを数点乗せた小さめのトレーを持っている。
適当に選んだ服が自然におしゃれに見えることなどそうそうない一音はがくりとうなだれた。
「沙天、俺はそろそろ飽きてきたしその辺のカフェで待っているよ」
「だろうと思った。一音さんはどうする?」
「えっと、私はどっちでも……」
「そうか……なら、璃人を連れて行ってもらいたい。私はもう少しかかりそうだから」
沙天に頼まれすぐ斜め向かいにあるお洒落なカフェへと璃人を連れて入る。
運良くあまり混んでおらず、特に他の客から離れた見通しの良いテラス席へと腰を落ち着けた。
(おお……なんか、罪悪感が凄い。ちょっとだけデートしてる気分。世のファンの子が知ったら私生きてられないんじゃないかな)
目の前に座る璃人は変装しているとはいえ整った顔であることに変わりはない。
街ゆく人を眺めるふりをして時々ちらりと顔を盗み見る。
あまり口数の多くない璃人は頼んだホットコーヒーを優雅にすすりながら通りに目を向けている。
「‘Dear moment’」
「へ?」
唐突に彼が発した言葉に咄嗟に反応出来ず、間抜けな声を出した一音は呆けた顔で瞬きを繰り返した。
「あの曲」
それが指すのは一音が一番好きな曲のタイトル。
マイクを起動させた時に流れた曲の事だと気付くのにそう時間はかからなかった。
「toyaの曲だね」
「toyaを知ってるんですか?あの曲、昔から大好きなんですよ!(結構マイナーな歌手だと思ってたのに)」
「大先輩だよ。俺達の」
「大せんぱ……っ歌守、だったんですか?」
危うくマイナーなどと思ったことを口に出さずに済んで胸を撫で下ろす。
同時に頷いた璃人をみて、初めて知った衝撃の事実に驚いた。
「初めてのライブでその場で即興で作詞作曲して披露してくれたんですよね。私、そのライブを見に行ってて……すごく胸に刺さったんです」
「最初期の歌守さ。あの人、それほど歌は上手くないし歌声に華がある訳でもない」
大先輩だと言う割にあんまりな言いようだ。
(確かにそうだけど……)
璃人の言う通りではあるのだが、せっかく言葉を飲み込んだ一音の小さな労力が無駄になり小さく口元をひきつらせた苦笑いを作ってしまったのだった。
「でも、曲は最高。魂のこもった凄くいい歌だと思う」
そう言って璃人は嬉しそうに微笑んだ。
さっきまでの何事にも興味が無さそうだった雰囲気が一変する。
本当に歌にしか興味が無い様子だ。
「そうなんですよね!正直まあ、歌はあまりあれですけどいい曲ばっかりで。デビュー曲とかもいい歌ですし……」
あれもこれも上げ出すとキリがないが嬉しくなって顔を綻ばせた一音は指を折りながらいくつか曲名を上げていく。
「キミは、歌が好き?」
「大好きです!」
うっかり上がったテンションのままに子どものように元気よく返事をしてしまい口元を手で覆う。
「あの歌も歌い慣れてるね。聞いててすごく馴染んだ」
「あはは……一応カラオケの十八番なんです。ずっと好きなきょくですから」
「そう。それなら、充分歌守になれる」
璃人の言葉ではっと我に返り思い出す。
急に表情に陰を落とすと一音は伏し目がちに視線を逸らした。
「……そのことなんですけど、実は辞退するつもりで」
まるでそんな言葉が出てくるとは思っていなかったと言いたげな顔で璃人はきょとんと一音を見つめてくる。
「それはどうして?」
「私みたいな中途半端な人間はなっちゃいけないんです」
ますます分からないというふうに首を傾げると次の言葉を待つように彼は口を閉じた。
「今まで本気で取り組んで本気で頑張ろうって思えたことがなんにもないんです。それに亡霊を相手にするなんて私には出来ません」
「この間は堂々と歌えていたよね」
「あれは無我夢中で……それに自分の命もかかってましたし」
手が震えていたのを覚えている。
「仰々しく言っちゃうと好きな事だから汚したくないんです。だから、すみません」
唇を一文字に結び小さく頭を下げる。
「あ!そういえば沙天さん来ませんね。まだ悩んでるんでしょうか」
わざとらしくなってしまったが重くなった空気をかき消すように無理に明るく取り繕うと通りに沙天の姿を探す。
先程のアクセサリーショップからはどうやらまだ出てきていないらしい。
通りに出てはいないかと人混みを探そうとしたその時だった。
ドンッ
爆発のような衝撃音がして通りから数人の悲鳴が響き渡った。