09 彼女はハンバーグ
めずらしく昨日は短時間でいいお金がもらえたので、今日は午前から食堂に向かうことにした。いいもの食べちゃおっかな?
と入っていくと、パラパラとしか客がいない。
俺は安心して、隅の二人がけの席に座った。
今日は、ハンバーグとか、食べちゃおうかな?
「あの」
手をあげてウェイトレスを呼ぶ。
厨房に通じる小窓の前で、ウェイトレスがぼうっとしていた。
「あの、すいません、注文を……」
返事がない。
どうしたんだろう。
「おい! 客だぞ!」
厨房から怒鳴り声がかかると、ウェイトレスがはっとしたように顔を上げた。
「すみません!」
「これ以上ミスしたらクビだからな!」
「すみません!」
ウェイトレスがやってきた。
「ご、ご注文は」
そう言って紙束を構えている彼女だったが、ペンは逆向きだった。
「あの、ペン……」
「はい?」
「ペンが……」
「すみません、ペンは売ってませんので」
ウェイトレスは軽く頭を提げた。
「え、あ、はい」
「あっ」
ウェイトレスがペンに気づいた。
「あ、すいません!」
ペンを握り直そうとして、床に落とした。
「すいません!」
急いで拾う。
「あ、ゆっくりでいいですよ」
「すいません!」
「じゃあ、ベーコンと野菜の炒めものを」
あ、ハンバーグ食べたかったのに。
思ったけどもう言ってしまったし、と俺はベーコンとじゃがいも炒めの分の食券を置いた。
「では」
ウェイトレスが不意にふみだした足で、椅子をけってしまった。
大きな音がすると、厨房から怒鳴り声がした。
「うるせえぞ!」
「すいません!」
厨房へ頭を下げる。
俺に向き直った顔は、つかれきって見えた。
「では、ご注文は以上でしょうか」
「あの……」
「はい?」
「厨房ってあんな感じでしたっけ?」
怒鳴り声どころか、コックがいるかいないかわからないような静かな厨房だったような気がするんだけど。
「……いつもの料理長が体調不良で……。あの人は昨日から、町の大きな食堂から来てくれているんですが……。有名なお店だそうで……」
「なるほど」
おれはこんなところで料理を作ってるような人間じゃないのに、ということかもしれない。
じゃあウェイトレスをクビにする権限もなさそうだけど、でもそんなこと言ったらよけいにうるさいんだろう。
「あの、私がどんくさいだけなんで……」
たしかにこのウェイトレスはスプーンとフォークをまちがえたり忘れたりはするけど、逆にいえばその程度だ。料理を持ってくるのをまちがえる、というところまではない。
逆に、怒鳴ったりしているせいで悪化させている。
「おい注文まだか!」
厨房から怒鳴り声。
その怒鳴り声、ちょっとおかしいからな?
もはやウェイトレスに対する注意というより、さっさと注文しろよ客、ということになってるからな? 気をつけろな?
「あ、ご注文は」
「それで終わりです」
「ベーコンと野菜の炒めものですね。かしこまりました」
ウェイトレスは厨房に向かってオーダーを言うと、こっそりため息をついてから、空いた他の席の片付けを始めた。
そこで、ちょっとしたざわつきがあった。
彼女だ。
にこにこ笑顔で、男前二人に連れられやってきた。
ごつい男前が周囲の男たちにプレッシャーをかける。すると今日は、ほとんど食べ終わっていた男性客三人が先を急ぐように帰っていった。
「けっ、だらしねえ」
なんて言ってる。
あれ?
気づけば俺の他には誰もいなくなっていた。
自然と、彼らの視線がこっちに向く。
「あ!」
彼女が席を立って、やってきた。
俺の正面の椅子に座る。
「おはよう!」
「お、おはよう……」
向こうでは、ごつい男前が苦々しい顔でこっちを見ていた。
「リリア。すぐ迎えに来るから、お前は食ったらさっさと受付に行っていいんだからな」
ごつい男前が歯を食いしばったまま言う。
そんなにか?
「わかった」
「じゃあな」
「じゃあね」
男前たちは去っていった。
「さてと。なに食べるの?」
「え? お、俺は、ベーコンとじゃがいもの炒めもの……」
「そうか……。そういう手もあるか……。しかし……」
彼女は腕組みをした。
「いらっしゃいませ、ご注文は」
ウェイトレスがやってきた。
「えっと……、ちょっと待って下さいね。今日は、いつもと気分を変えたほうがいいかな、といま、ふと、思ったんですよ」
彼女は言った。
「ハンバーグ。あ、ちがった。炒めものをどうするかという、考えで……。ハンバーグ。……、あちがった。もっと、サラダを食べたほうがいいとは言われるんですけど……、ハンバーグ」
ハンバーグに決めるんだろうなということがだだ漏れな彼女のひとりごとを聞いていたら、ウェイトレスが顔をそむけて震えていた。
笑っているようだった。
「おい、注文どうした! のろま!」
しかし、その怒鳴り声が響くと、しん、と静まった。
「いま考えてますから!」
まさかの彼女、怒鳴り返した。
「……ああ!? 誰だ、いま言ったのは!!」
怒号が響く。
さっきまでの怒鳴り声がささやかに感じるほどの声だった。
さらに低く、体にどーんと響くような声だ。
ぬっ、と厨房とをつなぐ窓から顔が出てきた。顔がウェイトレスの倍くらいでかくて、目がぎょろりと大きく、脂ぎっていて、獣を生でむさぼり食いそうな印象の顔つきだった。
ナイフを持っている手も見える。
彼女が立ち上がった。
「あの」
まさか彼女、こんなやばそうなおっさんに文句言うのか。まさか。
いや言いそうだ。気にせず言っちゃいそうだ!
「あ、あの!」
俺は彼女とおっさんの間に立ち上がった。
「なんだてめえは。お前が言ったのか」
「……ハイ、オレデス」
裏声で言ってみた。
「このおれに意見するとはな。金のない冒険者程度にはわからないだろうが、おれはな。王都で金持ち相手に料理を作ったりしてるような腕なんだよ! お前たちは、信じられない幸運の中にいるんだよ! わかったら、おれを崇めろ。そして黙って食え!」
おっさんは言った。
味はわかっても、彼女の声と俺の声の区別がつかないらしい。
「ハイ、キヲツケマス!」
「でも」
彼女がなにか言おうとしたので俺はそれにかぶせる。
「デモデモ!」
「ああ?」
おっさんがにらんでくる。
「どの料理を食べるか考えるのは、大切だと思うんです。オモウンデス!」
裏声忘れかけた。
「うるせえ! おれの料理はどれを食ってもうまいんだよ」
「でも」
と彼女。
「でも!」
と俺。
「その中でも、その、どれを食べるか選ぶのかが、楽しいところで……」
「どれを食ってもうまいんだよ!」
「でも」
「でも! あの……、好き嫌いとかも……」
「おれの料理は好き嫌いも超越してるんだよ! お前みたいなやつにはわからないだろうがな!」
おっさんが怒鳴る。
「でも」
彼女はまだ言う。
どうする。そろそろ言うことがなくなってきた。
最悪、彼女のひとことで怒り狂ったおっさんが襲いかかってきたら、なんとか時間を稼がなければ。
彼女も強そうだけど、あんな顔のおっさんにナイフを向けられたら、いつもどおりの力が出ない可能性もある。そうなったら単なる美少女だ。
俺がなんとかしないと。
せめて、おっさんの視界から彼女がはずれるようにと、おっさんへ一歩ふみだした。
「世界一おいしいハンバーグが出てくるなら食べるけどなあ」
彼女の声がした。
「……世界一だと?」
おっさんは言った。
「できる?」
「やってやろうじゃねえか!」
おっさんは威勢よく言って、厨房に引っ込んだ。
ぽかん、とする俺とウェイトレス。
彼女が俺を見た。
「あ、あの人には、いつもこういうふうに注文するんだよ」
「え……、知ってる人?」
「うん。今日は、あの人のハンバーグの気分だったんだけど、こっちのお店に来てるっていうから来たの。あの人はね、怒鳴ってきたら、こっちも怒鳴ったり、挑戦的にするといいんだよ?」
「なんだ……」
俺はへなへなと椅子に座った。
「俺はてっきり、本当にやばい人なのかと思って、だから、どうにかしないとって……」
「はい……」
ウェイトレスもつかれた声を出す。
背もたれに体をあずけた。
戦うかもしれない、と思っただけですっかりつかれた。もう帰って休みたい。
ぐったりしていたら、彼女と目が合った。
にこーっ、と微笑んでいる。
「なに?」
「ありがとう」
にっこり。
「え、なにが」
「ふふふ」
彼女はにこにこと、俺を見ていた。




