29 記憶
目を開けたら見慣れない部屋だった。
ベッドの上で慎重に体を起こして、まわりを見る。机と、服の収納がある。
太陽の光はオレンジ色だ。
夕方か。
着てるのは自分の服だ。
ベッドから降りたら、ここはおばちゃんの家だと気づいた。
来客用でもあるし、俺が泊まったことも何度かある。
そうだ。
急に安心した。
でも、夕方まで、なぜおばちゃんの家の客室にいたのか。
新たな不安が。
廊下に出て、居間をさがす。
と思ったら、テラスに出てしまった。なんだか頭が働かない。
「あらグレイちゃん」
おばちゃんがテーブル席から立ち上がった。
お茶をしていたようだ。
「だいじょうぶなの? 気分は悪くない?」
「はい」
「よかった。もうちょっと寝てたら?」
「平気です」
と言ったそばから、俺はよろけて、ひざに手をついた。
「ほら! くろちゃん?」
「ここに」
いつの間にか、俺はくろちゃんさんに肩を借りていた。
「連れていってあげて」
「かしこまりました」
いま来た廊下をもどっていく。
「すいません」
「お気になさらず」
「……あの」
「はい?」
「俺は、いつから寝てましたか?」
「そうですね、今朝、ギルドに行かれるとおっしゃっていましたが、気分が悪くなったともどっていらしたので、こちらの部屋にご案内いたしました」
「そうですか」
本当にそうだろうか。
まったく記憶にない。
でも、くろちゃんさんが俺に嘘をつくとも思えない。
よっぽど体調が悪いんだろうか。
さっきの部屋の、ベッドに案内された。
「全然覚えてないんですけど」
「ごゆっくりおやすみください」
「ありがとうございます」
俺はベッドで横になり、ふとんをかけてもらった。
目を閉じる。
頭のもやもやが晴れない。
「グレイくん!」
彼女の声がした。
彼女や、サーフさん、バリーゴさんが、俺をのぞきこんでいた。
彼らの向こうには、のびていく木の幹、枝、葉が見える。
俺は横になっているようだ。
これは森だ。
知っている。みんなで、巨大な鳥で行った森だ。
そうだ!
ここに来たんだ!
おかしい。
体が動かない。
「だいじょうぶ、ぼうっとしているだけです。体には影響ありません」
白髪の男が言った。
俺は、彼らに運ばれて、建物の中に入ってベッドの上に移動したようだった。
体が動かない。
頭が痛い。
「彼は、王位継承順位で第三位にあたる方です」
白髪の男が言った。
みんなの姿勢が変わっていた。すこし時間がとんでいる。
「グレイ君が?」
サーフさんが言う。
「王が、お妃様とは別の女性、青目族の女性を見初めて、ひそかに関係を持たれていた時期がありました。そのときの」
「まさか……」
「魔物を防ぐどさくさで、暗殺の危機にありました王子を、ひそかにあの森でかくまうことになりました。わたしはその役目を仰せつかったのです」
いったん、静かになった。
「跡継ぎにしようと?」
サーフさんは言った。
「いえ逆です。王は、そういうことから遠ざけようとしました。他の人間に、政治利用されるのをさけるためです」
「本人には?」
「ルーブ様、いえ、グレイ様と名乗られているのですね。グレイ様は、記憶をなくすような魔法といいますか、暗示と言いますか、そういったものがかけられています。王位継承権の本質に近づくと発動する、一種の呪いのようなものです」
「呪い……」
「ですから、ご自分がどういった身分なのか、ごぞんじないでしょう。秘密に近づけば、近づくきっかけになった周辺の記憶とともに、忘れていきます」
「私たちのこともですか?」
彼女が言った。
「いつからのお知り合いですか?」
「この数日ですね」
サーフさんは言った。
「でしたら……」
白髪の男は首を振った。
彼女が、なんともいえない顔をした。
また頭が痛む。
また、すこし時間が飛んだ。
「……お兄ちゃんたちが戦ってる間、私は、この森を、探検したりしてて、そのときに、ひとりぼっちの男の子がいて。遊んだりしてました」
彼女は言った。
「しかし、この森は、グレイ様は結界の影響を受けませんが、あなた方は強く受けたはず。いえ、いまも」
「このリリアは、戦天使などと呼ばれています。我々も、同程度の力を持っているとお考えください」
「なんと! それは、かつての町や城の防衛でもお世話になった方ですね。ウィース様とのつながりもあるはずだ……」
戦天使……。
それは、受付の女性なんじゃなかったんだっけ?
いや、それはちがったんだった。
ええと……。
「グレイ君は、いま、どういう状態なのですか?」
「このように、目は開いていますが、ほとんど見えていないでしょう。声も聞こえていないはず。順番に、忘れていっています。その作業が、頭の中で行われています。真実に近づきすぎたために、それが起きています。自己防衛のためです」
聞こえている。
全部聞こえている。
「王位に関することは、忘れるのですか?」
サーフさんは言った。
「はい。この意味をおわかりですね?」
「我々は、秘密は守ります」
サーフさんはうなずく。
「あなた方がここに来たということ自体、一定の信頼を得ている証拠と考えております」
白髪の男は言った。
「おそらく、グレイ様はこれから、ウィース様の主導で環境を変えることになるでしょう。目の青さが出ているのですよね?」
「ええ。もっと、人のすくないところに移るべきでしょうね」
サーフさんは言った。
「そのとおりです。環境を変えないと、何度も、呪いから、強い刺激を受ける可能性があります。それはグレイ様にとって、よろしくない」
「配慮します」
「感謝いたします」
彼女が俺を見た。
目を開いたら、あたりは暗くなっていた。
まだあまり気分はよくない。
夢を見ていた気がする。
内容は……。
頭が痛む。
ベッドを降りて、窓を開けた。
風がカーテンをゆらした。
窓の近くに椅子を持っていって、外を見た。
木々の間から、ひょっこりと、少女が出てきた。
十歳くらいだろうか。
俺の近くまでやってくる。
「なにしてるの?」
少女は言った。
「なにも」
俺は首を振った。
「ここがあなたの家?」
少女は言う。
「ちがう。ここは、おばちゃんの家の客室だよ」
「客室?」
女の子は変な顔をした。
まわりを見る。
森の中だった。
湖の近くにある、森と一体化したような家だ。
あれ?
おばちゃんの家って、なんだっけ?
おばちゃんって?
よくわからないことを言ってしまった。
そうだ。
じいやと一緒に、ここで暮らしていた。
しばらく、ここでいい子にしていたら、両親とまた会えるらしい。
静かな町で暮らせるという。
それを聞いて、うれしかった。
お城は嫌いだ。
母に嫌なことを言うやつばかりだ。
「君は誰? どこから来たの」
「私はリリア。お兄ちゃんたちと来たの」
「ここには、他の人は入れないよ」
「私は入れるよ。強いもん」
女の子は、にっこり笑った。
「君のお兄ちゃんたちは?」
「いま、戦ってる。魔物たちをやっつけてるよ!」
「ふうん」
本当だろうか。
「ねえ、一緒に遊ぼうよ!」
女の子は言った。
「え?」
「私もひとりでつまんないの」
「ここには、じいやがいるから、ひとりじゃないよ」
「どこにいるの?」
「いまはいない」
「だったらいいでしょ?」
「じいやが遠くへは行くなって」
「近くならいいの?」
「……そうかもしれない」
近くに誰かが来ることなんてない、とじいやは言っていた。だから、どう言ったらいいか、わからなかった。
女の子と一緒に、森の中をすこし歩いた。
遠くへ行ってはいけないので、家のまわりをぐるぐるまわる形になる。
「あっちに行こう!」
「遠くはいけない」
「ふうん」
女の子はつまらなそうに言った。
それから、なにかに気づいて、近くの木の裏へ走っていった。
「どうしたの?」
「これは?」
女の子は、小さくて円形の、青い金属を拾いあげた。
「おもちゃだよ」
「おもちゃじゃないよ」
女の子は言う。
「お金だよ」
女の子は言う。
「お金って?」
「知らないの?」
女の子は、ふしぎそうにした。
「うん」
「これで遊んでるの?」
「そうだよ。投げたりして」
「えー……」
女の子はおどろいたようだった。
「これは、ものを買うんだよ」
「え?」
「いろいろなものと、交換するの。大切なものだよ」
「へえ……。じゃあ、あげようか?」
「ええ?」
女の子は、おどろいたようだった。
そのあたりにあった、お金、を拾って集めた。
「はい」
「もらえないよ」
女の子は首を振った。
「どうして?」
「だって、お金だもん」
女の子は言った。
理由になっていないと思った。
いや、こちらが理由をつければいいんだろうか。
「遊んでくれたお礼」
「……遊んでくれたお礼は、お金じゃだめなんだよ」
「そうなの?」
「そう」
どうやらお金には、いろいろな決まりがあるようだった。
「じゃあ、交換しよう。なにか持ってる?」
「私も持ってるよ。お金」
女の子は、肩からさげていたカバンから、金色のお金と、銀色のお金と、銅色のお金を取り出した。
「そのお金は10ゴールドだから、えっと……。三十枚ちょうだい」
女の子は、金色のお金を三枚くれた。
「いらないって言ったのに、いっぱいほしいんだね」
「その色きれいだから。お兄ちゃんとか、いろんな人にあげたい。仲良くなりたい人にあげるんだ」
「ふうん」
女の子は、はっとしたようにこっちを見た。
「価値は一緒なんだからね! 金のお金は、価値が高いんだから! 私が得してるんじゃないんだから!」
「ふうん」
「……あっ」
女の子は、急に、耳をすますようにした。
「……そろそろ行かないと」
「え?」
「またね」
女の子はカバンに青いお金を入れると、手を振って、走っていった。
木の間に消えていった。
視界がぼんやりとして、にじんでいった。
目を開けると、ベッドだった。
いま、起き上がって、窓の外を見ていた気がしたけど。
夜風がふいていて……。
でも窓は開いていないし、まだ夕方だった。
うとうとしていたらしい。
ええと……。
ええと、なんだっけ。
頭が痛い。
とても眠い。
なんだっけ……。




