22 研修 彼女の名は
「どう?」
彼女が言った。
「なにが?」
「森。こわい?」
「いや、全然」
「なんだ、平気なんだ?」
彼女が手をぎゅっとしてきたので反射的に俺も握り返してしまった。
いや、彼女のこれは、ただの、初心者への配慮であり、ただの、あれである。
それより、体の接触の率を考えるならこの前、おぶったときのほうがすごいし。
こんなの手が触れてるだけだし。全然平気だし。
「一緒にいてくれる人がいるから平気なだけなので、ふつうに不安だよ」
俺が言うと、彼女がだまった。
なんだ?
会話まちがえたか?
会話の例文を用意してほしいが。
「私、思ったんだけど」
彼女は立ち止まってこっちを見た。
「グレイくんって、私の名前知ってる?」
「え? 知ってるけど」
「呼んでくれたことある?」
どうだろう。
なかったかもしれない。
「なかったかもしれない」
「ちょっと呼んでみて」
「え?」
「呼んでみて」
彼女が迫ってくる。
手を握られているので逃げることもできず、じりじり迫ってくる彼女から、じりじり離れる。
「うっ」
背中がなにかにぶつかった。
木か。
「ねえ」
彼女がぐっと突き出した手は、俺の頭の横。
後ろの木をドンと押した。
逃げられない。
じっと見てくる。
なんか緊張する。
「あの……、リ」
「うん」
「リ……、ア、さん」
「……」
彼女は不満そうに、首を振った。
「いまのはちがう」
「ええ?」
「「リ」「リ」「ア」だった。リリアじゃないとおかしいでしょ」
「たしかに」
「もう一回」
「うん……。リリアさん」
「うん」
彼女は一回、大きくうなずいた。
でも首をかしげる。
「ちょっとおかしくない?」
「なにが?」
「だって、リリアさん、って私のこと呼ぶの、なんだかよそよそしくない?」
「ええ?」
「リリアって呼んでみて」
「え?」
「呼んで」
「……でも、それはそれでなんか、変なような」
「どうして」
だって、美少女を呼び捨てにするって緊張しますよ。
あらためて美少女っていうほど心理的な距離感はない気もしますけども。
「リ」
さりげなく言ってみればいいじゃん、と思って言いかけたけどものすごい抵抗感があって無理だった。
「いま言おうとした?」
「してない。それに、そっちだって、俺のことグレイくんって呼んでるし」
「じゃあグレイって呼ぶ」
「ええ?」
「グレイ。私のこと、リリアって言って」
彼女が顔を近づけてくる。
逃げられないのに顔を近づけないでほしい。
いや近づけてほしい。
いや、だから、近づけてほしいけど近づけないでほしい。
これは矛盾である。
人間とは矛盾である。
主語を大きくすると、真理を言っているように思わせることができるの法則である。
だめだ、気をそらせない。
どんどん緊張する。
「グレイ……」
「はい」
「はいじゃないでしょ」
彼女が至近距離でにっこり笑った。
「あの……」
「なあに?」
「よ、呼ぶよ……?」
「うん」
「リ……、リリア」
「なあに?」
「……呼んだだけ」
「ふふ。もう一回言って」
彼女はささやくように言った。
なにか、始まりそうな予感。
ごくり。
「……リリア」
「よし! じゃあ、行こうか」
彼女は顔を離して、俺の手を引いた。
「え?」
「行かないの?」
彼女が不思議そうにする。
「ここでなにかするの?」
「いや! 別に! 行きます!」
「変なの」
彼女は笑って俺の手を引いた。
うううう!
ああああ!
邪念!
俺は邪念だ!
うあああ!




