第三話 必然
「なぁに? 人助け? 珍しいこともあるのね。惚れでもしたの?」茶髪を結い上げ、団子のように一つに丸めた女が銀縁のシンプルなメガネのフレームを押し上げながら、開口一番そう言った。
「違う。耳障りな上に目障りなキチガイがいたからだ。それに、俺と会ってるとこなんて見られたらまずいだろ」
「あらあらぁ。今度は私の心配? 忙しいねえ」
「で」
「つれないねぇ。ま、いいや。まず、体のほうは?」ようやくまじめな口調の返事が返ってくる。
「問題ない。体温も正常値の範囲内。薬を摂取してしばらくは多少の発汗と頭痛はあるが、動きが鈍るほどじゃない」
「了解。トレーニングは?」
「それも問題なくこなしてる」
「なら、異常はないのね? なんかあったら、このアミさんに連絡しな」
「ああ」と、すぐにふざけた態度をとる養護教諭を相手にせず淡々と返事をする。
「それと、血液検査もあるんだしたまには帰ってきなさいね。」はぁ。とため息混じりに言うと、アミさんはもと来たほうへ帰っていく。
さ。俺も、帰るか。心の中で呟いて、俺は体育館裏を後にした。
次の日。
昇降口で脱いだ靴を拾おうと身をかがめると視線を感じる。
そちらを見ると、視線の主はスズキ ノアだった。
こちらをじっと見つめたまま微動だにしない。
「何」とりあえず声を掛けると
「ううん。別に」と、あわてて返してくる。
「あっそ」何だったんだ? と思いながら、俺は変わらず棒立ちのスズキ ノアとその友達の茶髪に背を向けて教室のある四階に続く階段に向かった。
それから順調に学校生活を過ごし、なんということもないまま夏休みが始まり、終わった。
夏休み明け。珍しくいつもより早く目の覚めた俺は、これまた珍しくいつもより一時間ほど早く家を出て学校に向かった。
校門を抜け、校舎に向けて歩いていると、走り込みをするバレー部のとぶつかりそうになった。
「ごめんなさい!」と、勢いよく頭を下げられる。
「平気。俺も見てな」かったし、と続けようとして、続けられなかった。
驚いた。
またこいつか。
お互いに驚いて思わず見つめたままでいること数秒、
「ノア~? 何やってんの~? 早く行くよ~」と、茶髪のお声が掛かる。
ナイス、茶髪。
向こうも気まずい空間を抜けだす天の助けのように感じたのか、じゃあ。というなりそそくさと自分を待つ茶髪の方に走っていく。
その後ろ姿を見送り、教室へと向かう。
思いつきできたものの、やはりやることのない俺は、夏休み中に勝手に行われていたらしい席替えの表に従って、席に着き首から下げたヘッドフォンをつけ、机に突っ伏した。
きちんと一時間ほど寝てしまったらしい俺は女子たちの話声で目を覚ました。
なんて、目覚めの悪い。
やっぱりなれないことはするもんじゃないなと思いながら、声のする方を見ると、まただ。
今度は隣かよ。
こうも偶然が重なると何か特別な縁でもあるのかと疑いたくなる。
得体のしれない女との縁なんてごめんだが。
「もう少し静かにしてくれる」と、俺はキチガイ女に向けて言ったセリフとそう変わり映えのしない言葉を吐いた。
もちろん前回よりは少し優しめに。
「ちょっとそんな言い方って」
「いいから。ごめんね」茶髪を制して俺に答える。
「ホームルーム始めまーす。席ついてー」と、担任が能天気に入ってくる。
ホームルームが始まり、始業式や午後の日程についての事務連絡をしていく。
そっと隣を盗み見るとやけに深刻な顔をしている。
そんなに午後の授業がいやなのか。
まあ帰りたい気持ちは、普段ならすごく共感できるのだが今日はアミさんに会う日だからそうもいかない。
放課後になり、体育館裏の定位置に座っていると人の近づいて来る足音がする。
アミさんのにじり寄るような隙を見せない歩き方と違う、もっと遠慮がちで土を労わっているかのような足音だ。
やはり場所を変えるようアミさんに伝えようか、そんなことを思いつつヘッドフォンをかぶりなおす。
ローファーの音が止む。
足音の主が先客に気付き、遠慮したのだろう。
そう思ったのもつかの間、そろそろ忌々しいまでの名前が耳に入った。