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非常に当たり前かつ今さら確認するまでもない事なのだが、女子の着替えを覗くという行為は言語道断である。許されぬ悪行であり、しかも公爵令嬢の着替えを覗いたとあっては、冗談でも比喩でもなく首が飛ぶことになっても不思議はない。
そう。女子の着替えを覗くのは重罪なのだ。
だが、覗いたのが女子で公爵令嬢ならばどうだろうか? ついでに同室のルームメイトで覗かれた方は実は女子ではなく、女装した男。トドメに「やっぱり」という言葉。
エレンは2日目の朝にして女装がバレてしまった。
「あ、あの……コレは……」
どうにか言い繕おうとするエレンだが、何を言おうと受け付けてもらえないだろう事は想像に難くない。
衝立の陰から出てきたルシアナはツカツカとエレンに詰め寄り、その胸を指して言い放つ。
「ダメよ。ちゃんとブラをしないと!」
言われた言葉の意味がわからず、暫し放心するエレン。そのまま黙っているのは失礼にあたるという本能だけでなんとか言葉を紡ぎ出す。
「えと……ブラ?」
「そうよ、ブラジャー。貴女、昨日もしてなかったでしょう!?」
どうやら、ルシアナはエレンがブラジャーを身につけていないという事に立腹しているようだ。
ようやく理解したエレンは安心すると同時に、理由を話す。
「こんな胸の私には不要ですから」
エレンに胸は無い。もちろん、男なので当然なのではあるが、女として育てられた時期があることもあり、若干悲しいものがあるのも事実ではある。ついでに、男としても胸は小さいのだ。主に筋肉的な意味で。女の子として育った影響なのか、エレンの体格は男としての体つきには程遠い。発育のよろしくない女子という評価の方がしっくりくるくらいだ。女子寮で生活する分には都合が良いが、男としては悲しい現実だ。
「ダメよ、ちゃんとしなくちゃ。決めた。最初に買いに行きましょう!」
「いや、なんというか、もっと育ってからで良いのではないかと……」
「何言ってるの。育つ前からちゃんとしておかないと、後で困るわよ?」
「いえ、その……母も大きくはないですし、私もこのままかなー、と……」
「小ぶりなら、小ぶりなりのケアがあるんです! それに、私だって入学した頃は貴女くらいでしたが、この1年で成長したのよ?」
「本当ですか!?」
思わずルシアナの胸に目をやるエレン。同年代にしては大きなものを持っているルシアナが、1年前は男のエレンと同じくらいだったというのか。おそるべし女体の神秘。
「ええ、本当よ。だから、貴女もお胸をちゃんと保護してあげないと。ね?」
「はい……」
つり目がちではあるが、慈愛に満ちたその瞳に見つめられ、エレンは思わず承諾の返事をしてしまうのだった。
◇
ルシアナがエレンを案内したのは、大通りから一本入った小さめの店だった。そんな立地のためかそれとも時間が早いからか、店内に他の客の姿は無い。
それでも清潔な店内や、選びやすく商品が並べられているところから、それなりには繁盛しているのだろう。何より、ルシアナが変な店を紹介するはずがない。
「この子のファーストブラを買いに来たの」
ルシアナがそう店員に告げた後、奥で体のサイズを測られるエレン。プロに計測されると流石に男だとバレるかと思われたが、幸か不幸か、そのようなことはなく、つつがなく計測を終え、おススメの商品を紹介される。
「最初はブラトップが良いかも知れないけれど、スポブラタイプも良いんじゃないかしら?」
そんな風にルシアナも勧めてくるが、初心者のエレンにはどれが何だかよくわからないので、勧められるままにいくつかを試着してみる事にする。
「あちらで試着できます」
と、しめされたカーテンで仕切られた個室らしき場所へ行き、
「あ、ちょっと……」
ルシアナや店員の声が聞こえたが、そのままの勢いでさっとカーテンを 開ける。
「え? きゃぁ!」
「す、すみません」
中で試着していた客が居て、慌ててカーテンを閉めるエレン。
「ダメよ。カーテンが閉まっているのは、使用中よ」
「……はい。あの、すみませんでした」
ルシアナに注意され、試着室に中の客に謝るエレン。
「あの、大丈夫ですから。あの、みなさん女の人ですし」
そう言って許す客の女性だが、エレンの心はズキリと痛んだ。なにせ自分は男なのだから。
男の自分が、彼女の琥珀色の瞳や自分と同程度の胸、程よく引き締まったお腹や腰まわりもしっかりと見てしまった。
だが、それを正直に告げて事を大ごとにするわけにもいかず、改めて隣の試着室に入り、服を脱ぐ。
ひとまずスポブラから試着している時に隣からカーテンを引く音が聞こえてくる。どうやら、先ほどの女性が試着室から出たようだ。
「連れが悪いことしたわ。ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫ですから」
ルシアナが謝る声が聞こえ、エレンは申し訳ない気持ちになる。
「あら? 貴女、どこかで会ったかしら?」
「え? ……あ、オライトの……」
「ああ、やっぱり会ったことがあるのね。ごめんなさい。お名前を思い出せなくて……」
「ああ、いえ! 私が一方的に知っているだけです。ほら、公爵家の方は有名ですし!」
どうやら、ルシアナはそれなりに顔が知られているようだ。エレンは昨日自己紹介されるまで、顔はおろか名前も知らなかったが。もっとも、それは社交の場に出してもらえなかった家庭環境に問題があるのだが。
「あ、店員さん。コレいただきます! お会計を!」
「え? あ、はい」
何やら、例の客は急いで出て行ったようだ。まぁ、試着姿を見られて恥ずかしかったのだろう。そうエレンは結論付け、別の問題についてルシアナに相談する事にした。
「あの、お姉様、このキャミ、引っかかって着れないんですけど……」
「ああ、ソレはね……」
結局、ルシアナがどこで客の娘を見たのかという疑問は有耶無耶のままとなった。
ブラトップは下からはくそうです。「脱がす」時も下からだとか。
全く使う予定のない無駄知識……