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「ああ、でも、よく似合ってますよ。流石本物のお……お姫様は違いますね!」
危うく「本物の女の子」と言いそうになって言い直したエレン。
偽物の女である自分が着るよりも、ずっとその白いワンピースはエイアンドに似合っていた。
いや、その辺りの女の子にはエレンも負けるつもりはないので、やはり「本物のお姫様」は違うのだろうか?
エレンがそんな事を考えていると、エイアンドが驚いたように固まっているのに気付いた。
「エイアンド?」
心配になって呼びかけるエレン。すると――
「おひめさ……ま?」
そんなつぶやきと共に、涙を溜めて――それでも喜びが溢れる笑顔でエレンを見るエイアンド。
(ああ、この女性は本当に女になりたかったんだな)
そう察したエレンは、エイアンドを抱き寄せて言う。
「エイアンドはこの国のお姫様ですよ」
「グスッ……はじ、めてぇ、呼ばれたぁ……」
息子じゃない。兄上じゃない。王子なんかじゃない。女の子なんだと言いたかった。
誰かに言いたかったのだろう。
誰かに言ってもらいたかったのだろう。
もしかしたら、秘密を打ち明けたのは、エレンの肌を見てしまったから。というのも、エイアンドの言い訳だったのかも知れない。
そんなエイアンドを抱きしめながら、エレンがポツリと言った。
「そういえば、名前を考えないといけませんね」
その声を聞いたエイアンドは顔を上げ、エレンに問う。
「なまえ?」
その首をかしげる仕草が普段のエイアンドとは違い、より幼い印象を与える。
その愛らしさによくわからない感情を呼び起こされつつも、エレンは続けた。
「ええ、名前です。その格好では、外でエイアンドと呼ぶわけにもいかないでしょう?」
先ほど正体がバレた時の言い訳は考えたが、積極的にバラす事はない。
ならば、偽名を考えるべきだろう。
「何か女の子らしい名前がいいですね」
どんな名前が似合うだろうかとエレンは考える。
だが、それは意外にすぐに決まった。
「ぷえら」
「……え?」
エイアンドが吐いた呟きに、エレンは反応し切れずに聞き返した。
「プエラが良い。私の名前」
今度は、エレンもその言葉をしっかりと受け取った。
――プエラ。
ありふれた名だ。
石を投げればプエラに当たる。――とまでは言わないが、どこにでもある名前だ。特に、平民では。
だが、それは「女の子らしい女の子の名前」ということでもある。
その名は、エイアンドに……いや、プエラにとても良く似合っていた。
「良いですね! とても良い名前だと思いますよ、プエラ」
エレンがそう告げると、プエラははにかんだような笑顔をみせた。
プエラ。
ただのプエラだ。
平民の娘で、家族はない。
エイアンド王子に見初められ、エレンと婚約しても、この娘との関係は続けることを了承させた。
エレンも王子の思い人との交流を積極的に行っている。
――そんな設定だ。
後に、この名は思わぬ効果を生む。
あまりにもありふれた名前のため、その出自を特定することは誰にもできなかったのだ。
同じ年頃の「プエラ」という娘はローラポリス内に住んでいる者だけでも100人を超え、それらと混同される事も多々あるようになる。
故に、プエラが存在しない平民であることを識る者は、後の世の歴史家たちも含め、誰も居なかったのだ。……その家族を除いて。
とはいえ、そんな先の話は今のふたりには関係ない。
「では、この格好で外に行きましょうか」
「あ……でも……」
エレンがこの格好で出かけようと提案すると、プエラは否定の声を上げた。
「私はともかく、エレンが……」
プエラが指摘したのは、エレンの格好だ。
プエラにばかり注目していたが、服を交換したので、エレンも男装の装いなのだ。
髪の長い美人顔のエレンが男装をしても、プエラとは違って全く男に見えない。
似合ってはいるが、奇妙な装いなので、非常に目立ってしまうだろう。
幻覚で顔を変えるかと考えたエレンだが、その前にプエラが指摘の声を上げた。
「それに、ここに来たのは、今後のことを話し合うためでしょう? まだちゃんと話せていないと思うの」
実のところ、そう指摘されるまで、エレンはそのことをすっかり忘れていた。
服を替えてから幼い印象になったとはいえ、やはりプエラは一国の王女なのだと実感する。
エレンは目の前の楽しい事に、ついふらふらと引きずられてしまうのだから。
「そうですね。では、一緒に街を歩くのはお話の後……いえ、後日ということにして、今日はお部屋でゆっくりしましょう」
「ええ、次の光曜日に」
そのプエラの言葉に、一瞬是と答えそうになったエレンだが、ギリギリでルシアナとの約束を思い出した。
「ごめんなさい。次のお休みは、お姉さまとお出かけする約束なのよ」
「お姉様というと……オライトの?」
「ええ」
「そう……先約があるなら、仕方がないわよね……」
残念そうなプエラを見て心を痛めるエレン。
なので、こう提案してみた。
「だったら、3人でお出かけするのはどう? 一緒にお化粧品を買いに行きましょう?」
別に、デートではないのだから、3人で買い物をしても問題は無いはずだ。ルシアナの許可も取らねばならないが……ダメだと言われれば、そのときは先延ばしにすれば良いだけだ。
「でも、私だとバレてしまうのでは……?」
先日少し話をしただけでもバレそうになったのだ。一緒に行動などすれば、すぐにバレてしまうのではないか?
プエラはそんな心配をするが、エレンは自分がフォローすると言い切った。
何なら、先日の娘がエイアンドと似ていたから、女装させることを思いついた。とでも言えば良いのだ。
「でも、それだとエレンの評判が……オライト嬢との関係も……」
「お姉さまには怒られてしまうでしょうけれど……その時は謝って、また続ければ良いのよ」
そんな風にまずはルシアナに知られた時の対応を話し合う事となった。
結果、ルシアナに怒られれば止めるが、乗って来たら続ける。となった。
プエラは、噂に聞く真面目な公爵令嬢が、王子を女装させるなどという行為に加担するとは思えなかったが、エレンは違う。ルシアナなら、乗ってくる可能性は十分にあると考えた。
その時どういう行動をとるか……それは、結局のところ誰にも分からない。
ふたりはそんな風に、これからの事を……時には男装のエレンの膝にプエラが座ったり、後ろ抱きにされたり、女の子としてされてみたいことを、部屋の中でできること、部屋の中でしかできないことをプエラが満喫しつつ、夕刻まで語り合った。
その後、再び服を交換する段になって、プエラが下着をエレンに返すことを少々渋ったのは……また別のお話。
実は「プエラ」の名前の方が先に決まってました。
puella → eiiand
で、エイアンド。
ちなみに、「プエラ」のありふれた名前ぷりは、聖書における「マリア」くらいだと思ってください。
歴史書とかに「プエラ」とだけ書いてたら「どのプエラだよ!?」ってなるレベル。
次回は1日です。




