2-12
エレンは完全に失念していた。
目の前に仇敵が現れて、自分の格好を忘れていたのだ。
結果、エイアンドに胸を見られてしまった。
(大丈夫。誤魔化しは効くはず!)
先日下着屋でプロに計られても男だとバレず、クラスメイトの中にもエレンと変わらぬ者がいる事はしっかりと観察している。
さらに言えば、先ほどの2人には何度も上の肌は見せているのだ。幼少の頃からの因縁で、胸が成長しない事を訝しむ様子すらない。
最近同室で暮らしているルシアナにもバレずに過ごせているのだ。
「エレン、その、すまない……見ていない……というのは、通用しない、だろうな」
エイアンドから出たのは、男なのかという疑問ではなく、謝罪の言葉だった。
確かに、あの状況で「見ていなかった」というのは、無理があるだろう。正直な告白に好感すら覚える。
ここは、見たことを許す流れで不自然は無いだろう。とエレンの心は決まった。
そのタイミングで、エレンの肩に何かがかけられた。どうやら、エイアンドが身につけていたマントのようだ。
コレで体を隠せということであろう。王子らしく、なかなかの気遣いだと感心する。
「すまない。婚約者でも無い男に、胸を見られるなど、恥辱の極みだろう」
その言葉に、エレンはどきりとする。なにせ、自分は見ている方なのだ。しかも頻繁に。
「い、いえ、エイアンド殿下になら……」
内心の動揺を隠しつつ、そう告げるエレン。どうせ男同士なのだ。恥辱の極みというほどでは無い。
「キミは、魔物の攻撃から私を守ってくれた。しかも、治療はしたようだが、怪我を負ってまで」
何故かエイアンドからそんな言葉を聞くエレン。だが、大した事では無い。怪我というのが腕を斬られた話なら、油断したエレン自身が悪いとすら思っている。
「その上、そのように言ってくれるエレンに、私はこれ以上嘘をつくことができない!」
「殿下?」
一体、何の話をしているのかとエレンがエイアンドを見ると、何故か服を脱いでいた。
「で、殿下!?」
驚きの声を上げるエレンを無視して上半身の肌をあらわにしたエイアンドは、エレンの手を取り、自分の胸へと導いた。
「殿下?」
先ほどから同じ言葉を繰り返すだけになっているエレンに、エイアンドは告げる。
「貴族令嬢が婚約者でもない男に胸を見られた場合、相手を殺すか、自分が死ぬか、愛するかを選ぶという」
「……っ」
そんな話、エレンは初耳だった。
だが、何だかんだでエレンは男なのだ。女の常識を知らずともしょうがない。
「エレンは、先ほど私を愛してくれると言ってくれた」
……言ったっけ?
喉まで出かかったエレンだが、何とか押し留め、自らの発言を省みる。
──エイアンド殿下になら
アレか。とエレンは気がついた。
殺すか、死ぬか、愛するか。という三択を迫られているという前提でああいうセリフを聞けば、そう取られても仕方がないだろう。
だが、コレは否定できない。したら、今度は殺すか死ぬかの2択なのだ。そんな事はできない。
「だが、私はこの通り、女なのだ」
「……え?」
エイアンドの言葉を聞き、間の抜けた声が出るエレン。
だって、そうだろう。
女装した令嬢である自分が、王子の胸を触っていて、その王子は男装した女だというのだ。ややこしくて、頭の処理が追いつかない。
「……そうだな、こんな胸では、男と思うのも無理はない」
自虐的にそういうエイアンド。だが、エレンは別に信じていないわけではない。頭の整理が追いつかず、反応ができないだけだ。
「なら、こちらを……」
「わぁ、信じます! 信じます!」
次にエイアンドが示した証拠に触れた瞬間、エレンは手を引き戻した。
間違いなく、女だ。これは、ますます自分が男だと知られるわけにはいかなくなった。とエレンは気を引き締めた。
「ま、まぁ、このように、私は女なのだ。愛してくれると言ってくれて嬉しいのだが……」
そう言うエイアンドは少し寂しそうであった。
この秘密故に、今まで親しい友人ができても、一歩引いた関係だった事だろう。誰かを愛する事も、愛される事も許されないのだ。エイアンドの気持ちは、エレンには痛いほど理解できた。
なので、エレンはつい口に出した。
「エイアンド殿下、この格好の私が外に出たら、皆さんはどのように思うでしょう?」
「あ……」
エレンはエイアンドのマントを羽織っている。
当然、その前に着ていた服はどうなったのか、マントを羽織る直前は?
という疑問は出るだろう。そして、当人達がいくら否定しても、「見た」という話が広まる筈だ。そして、それは事実なのだ。
「ですので、私を婚約者にしてほしいのです」
見てしまったことは隠せない。ならば、隠す必要がない関係になれば良い。
それが、婚約者だ。前後の順番はさほど問題にならないだろう。
「そんな、それでは……」
そう、女同士だと思っている王子は反対する。後に婚約破棄をするにしても、王子に捨てられた令嬢など、他に嫁く宛てなどないのだ。
だが、エレンとしてはそれで何の問題もない。どうせ最初から結婚する気などないのだから。
それに、婚約者になれば、少しばかりは罪滅ぼしができる。
掌に残る感覚を意識しないようにしながら、エレンは告げる。
「私、嫉妬深いんですの。ですから、妾をとることは許しませんわ」
そうすることで、王子は女生徒からのアプローチから解放される。
いつもチェインを引き連れているようなら、いつ性別がバレても不思議は無いだろう。
だが、「嫉妬深い婚約者」が他の女を遠ざけるなら、どうだろう?
不要な接触を最低限に抑えれば、バレる機会は減る。
「そんな、それでは、エレンの評判が……」
「私、こんな顔ですから、元々怖がられていますの。ふふ、さしずめ、悪役令嬢といった役回りかしら?」
そんな言葉とともに、エレンは笑った。
意図せずとはいえ、王族の女性の胸を見てしまったり、色々してしまった詫びではあるが、少し楽しそうだと思っている事も、事実だった。
……だが、逆にエレンの性別がエイアンドにバレる危険性は増す。
その事については、完全にエレンの考慮の外だった。
「わかった。これからよろしく頼む」
「ええ、こちらこそ」
ふたりで手を握り合う。
片や、男装した女性の王子。
片や、女装した男性の公爵令嬢。
片や、秘密を暴露した王子。
片や、秘密を抱えたままの公爵令嬢。
何もかもあべこべで正反対なふたりの物語は、ここからはじまる。
この物語は「異世界〔恋愛〕」ジャンルでお送りしております。
……やっとそれらしい展開に!
次回5日です




