2-11
ダンジョンの広間に響き渡っていた異様な打撃音は、一際大きく高い魔物の断末魔の悲鳴と共に停止した。
そして、未だ血を吹き出す魔物の骸……というよりは残骸と呼ぶ方が良いようなモノの上から降りつつ、エレンが呟いた。
「少し、汚れてしまいましたか」
魔物の血やら体液、糸のネバつきなどで汚れた体を見下ろすエレン。どちらかといえば、体液の割合が多いのか、血の色と思しき緑よりも、体液らしき白の方が多い。
悪いことに、髪やブルマにまで白い液体がこびりついてしまっている。
水の魔法で洗い流そうかと思ったエレンではあるが、この秋の冷気の中、防寒の魔法がかかった上着が無い状態では風邪をひきかねない。
少し考えたエレンだが、妙案を思いついた。
先ほど見た術式をそっくり真似て魔法を発動する。
「えっと、確か……『【クリーン】』……だったかしら?」
思惑通りに魔法は発動し、エレンの体や髪、ブルマから汚れは綺麗に取り除かれた。
別に「小さな生き物を殺す」なんて術式や、発動句まで真似る必要はなかったのだが、ルシアナへの敬意でそっくりそのまま真似たのだ。
そうしてスッキリとしたところで、エレンはひと息ついた。
「これで、ブラと体操服の仇を討てました」
お前が燃やしたんだろう。と、ツッコむ者はここには居ない。
「あら、アナタが燃やしたんじゃない」
……筈だった。
エレンが声の方向を睨みつけると、そこにはふたつの人影があった。
「……貴女たちは……!」
仮面を付けた、黒髪のメイド服の女。そして、同じ装束の 丹色の髪の女。ソレは、正妻からの刺客だった。
以前、自分たちでそう名乗った他は正妻との繋がりを示す証拠など何もない。
だからだろう。正妻を問い詰めても、知らぬ存ぜぬの一点張り。 挙句、エレンの実母に責任転嫁する有様だ。
そんなふたりが、故郷の地を離れた学園までやってきた。
そんな状況に、エレンの頭に閃くモノがあった。
「もしかして、コレは貴女たちがやったのですか!?」
そう。
魔物を見慣れぬとはいえ、比較的優秀なエイアンドが怯えるような魔物なのだ。
通常配置されている魔物ではなく、このマスクメイド達が連れてきたのではないか?
そんな予想をしたのだ。
「あら、よく分かったわね。その通りよ」
黒髪の方のメイドが事もなげに肯定した。
「そんな……」
ここは王立学園の敷地内で、このダンジョンはその管轄下にあるのだ。
そんな場所に外部から魔物を連れ込むなど、王家への反逆と取られても仕方がない。
そして、マスクメイド達は正妻からの刺客なのだ。つまりは、クアマリン家の関係者と言うことだ。誰かにバレればエレンもただでは済まないだろう。
「お礼なんか要らないわ。今日のトコロは、入学祝いのお肉ご 進呈ぇ〜。そうそう、後ろの王子様もどうぞぉ〜」
黒髪メイドの言葉にエイアンドの方を確認するエレン。どうやら、目が覚めたようで立ち上がっている。
そして、再び視線を戻すとふたりのメイドの姿は消えていた。
◇
徐々に覚醒してゆく意識の中でエイアンドは微睡んでいた。
いつも寝ている自室のベットにしては、ヤケに硬いなと疑問を持つ。
しかし、すぐに数日前より寮で寝泊まりしていることを思い出した。
王族専用の特別なひとり部屋だとはいえ、所詮は寮の部屋だ。質が違う。
……にしては硬すぎる気がするが、エイアンドはそんな疑問は後回しにする。問題は、今起きなければいけない時間なのか、という事だ。今日が何曜日かを、眠った頭で考えるエイアンド。
火曜日に入学し、諸々の諸注意を受けた。
水曜日には戦力測定をした。
ならば、今日は闇曜日で休みだ。
──まだ寝ていられる。
そう、エイアンドは結論付ける。
闇。
その単語で、エイアンドはとある少女の事を思い出す。
かの女神の加護を受けたような、見事な黒髪を持つ公爵令嬢。
キツい表情をして冷たそうな印象を与える彼女だが、その実ウッカリさんだという事をエイアンドは知っている。
そんな彼女は、昨日の測定ではかなり挑戦的な格好をして男子生徒の注目を集めていた。
無理もないだろう。あれほどキレイでしなやかな手脚を惜しげもなく晒されては……
「……ッ!!」
瞬間、エイアンドの意識は一気に覚醒した。
エレンの腕が飛ばされ、喰われた様を思い出したのだ。
その後、自身がエレンの身体をぶつけられたトコロで記憶が途切れている。
どれほどの時間が経ったのか、エレンの身は無事なのか?そんな状況を確認しようとするエイアンドの耳に、エレンの声が届いた。
「もしかして、コレは貴女たちがやったのですか!?」
……良かった。ひとまずエレンは生きているらしい。
そう、安堵したエイアンドは声の聞こえた方角へと視線を向ける。
そこには、あの魔物と思しき骸が横たわり、傍にエレンが立っていた。
後ろ姿ではあったが、エレンで間違いないだろう。
あれほど見事な黒髪は他にない。
そう思っていたエイアンドだが、エレンの他にふたりいる人物のひとりが、それを否定する。
同じくらいに見事な黒髪なのだ。
何故学園のダンジョンに居るのか、何故仮面をつけているのか、何故メイド服なのか。
そんな疑問を全て忘れ去り、エイアンドはふたりの長い黒髪に見惚れた。
「あら、よく分かったわね。その通りよ」
黒髪のメイドからそんな言葉が発せられた。
何の事か、エイアンドには一瞬分からなかったが、すぐに直前のエレンの言葉を思い出す。
──コレは貴女たちがやったのですか。
どうやら、エイアンドとエレンが気絶している間に、2人組のメイドが助けてくれたらしい。
エイアンドはそう理解した。
「そんな……」
エレンの呟きが聞こえる。
あの魔物はランク7相当だろう。それほどの強さを感じた。軍隊が必要なレベルだ。それを、たったふたりで倒してしまうとは、どれほどの実力者なのか?
ギルドランクが6を超える事は間違いない。それほどの高ランクなら名が知られているものだが、メイド服な事を除いても、女の二人組に心当たりは無かった。
「お礼なんか要らないわ。今日のトコロは、入学祝いのお肉ご 進呈ぇ〜。そうそう、後ろの王子様もどうぞぉ〜」
そういうやいなや、二人組のメイドは姿を消してしまった。
辺りを見回してもどこにも居ない。
忙しない人たちだ。そう思いつつも、エイアンドは重要な事を思い出した。
エレンの腕だ。血止めなどの治療を早急にしなければならない。
もしかしたら、あのふたりはその為にどこかに行ったのかも知れない。
「エレン、腕は大丈夫か!?」
「うで?」
エイアンドの呼びかけに、エレンは振り向きつつ、自分の両腕を見つめていた。
「あ、あれ? その……腕は? アイツにやられて……」
そう。斬られて食われたはずなのに、両腕が揃っている。
「ああ、アレですか。ちょっと斬られてしまいましたが、あの程度は直ぐに治せますから」
「そ、そうか。大したことなかったなら、良いんだ」
腕を斬られたと思ったのは気のせいだったのだろう。恐怖で何か別のモノを腕だと勘違いしたのだ。食われた腕が元に戻るなどあり得ないのだから、そういう事だ。
安心したエイアンドは、もう一度エレンの腕を見る。
体の正面に位置する腕を。
その視界に、見えてはいけないモノが見えた。
白い、素肌だ。
平らではあるが、きめ細やかで白い胸と、その頂にある……
「キャァ!」
「す、すまない!」
視線に気付いたエレンが、悲鳴と共に後ろ向きにうずくまった。
エレンは男です。
次回は6月3日です。




