疼き
「手を貸して」
徐々に引きつつある霧のほとり。
バス停のベンチに並んで座る摩耶と太一。
摩耶の求めに応じて差し出された右手をスカートの中に入れ太ももの奥で強く挟み込む摩耶。
触れた摩耶の股間の熱さに太一は手を引きかける。
普段人が発しうる熱さではない。高熱を出した時でもあればこれくらいの熱は出すだろうか。
柔らかな摩耶の肉に触れていながら太一の中に少しもおかしな気持ちも起きない。
寧ろ爬虫類にでも触っているようなザワザワした感覚。
挟み込まれた右手の甲に微かな違和感を感じる太一。
屋上で触れた鱗の様にみえたあれが、少し硬くなっているような気がする。
黙って摩耶の言いなりになっている太一は、摩耶にまともに顔を向ける事をせず、目の端で隣の摩耶の様子を窺う。
つい今しがた霧の中で目撃したあり得ない摩耶の姿に打ちのめされて流石の太一も声も出せないでいるのだ。
腹ごしらえをと校舎を後にした二人が、真面目な生徒達が午後の授業を受けているであろう昼下がり、商店街近くの行きつけの喫茶店にあと僅かと言う所に差し掛かったその時、溢れ出すように路地から現れた濃霧。
気付いた二人が引き返そうと振り向いた後方にも立ち込める霧。
退路を断たれた。
太一がそう感じたその時、路地から霧と共にあり得ない「それ」がのそりと姿を現した。
路地の幅は人が行き来するには充分だが車が通れる幅ではない。
だが姿を現した「それ」の大きさは優に工事現場で見かけるパワーショベル程の大きさ。そもそも路地に入れる大きさでもない。それが何故路地から姿を現した?。
その威容はまるで重機だがその姿は機械とは似ても似つかない。
敢えて例えるなら悪鬼に憑りつかれた歪んだキリン。
だが擡げた首はか細いキリンのそれではない。
テレビ番組でしか見た事が無いような巨大な丸太を思わせる。
その首を支える四肢もまた象をも凌ぐ巨大さ。
余りの威容に立ち尽くす太一は、巨大な鎌首が、大きく空中をうねりながらその頭と思しき部分に収まる濁った眼が、太一を捉えていることに気づくのが遅かった。
凍り付いた太一めがけて巨大な鎌首が振り下ろされる。
「終わった!」
太一がそう感じた刹那。
眼前に迫る怪物の首めがけて飛翔する小さな影。
ストロボ撮影された映像を映し出すように太一の網膜に結ばれた映像。
弧を描く眩しく閃く白い足。
スカートから白い太ももを覗かせた摩耶の回し蹴りが怪物の首を捉える。
あり得ない、あり得ない事に怪物の鎌首がコンクリートの地面に叩きつけられる。
「馬鹿な!」
目の前の光景に太一は呻く。
勉強が嫌いで学の無い太一にでも、目の前の光景が有りうべからざる光景だと言う事は直感的に解る。
真面目には学ばなかったが何処かで聞いた単語が蘇る。
エネルギー保存則、慣性の法則、質量、思い出したくもない記憶が脳の奥底から吐き出されて太一の意識を揺さぶる。
叩きつけられた鎌首の下の路面はひび割れて、巨体は鎌首を持ち上げようと四肢を踏ん張ろうと試みるが、持ち上げようと擡げかけた怪物の首筋に追い打ちをかけるように再び摩耶の一撃。
再び叩きつけられた首は大きくバウンドして路肩のガードレールをへし曲げる。
特撮でしか見た事が無いような光景が眼前で展開している。
いつのまにか地べたに尻をつけていた太一は知らず後ずさっている。
摩耶の痛撃になんとか立ち上がろうともがく怪物だが、地面を掻こうと蠢く巨大な足は、あらぬ方向を掻いて僅かに身体を揺らすだけだ。
身動きも出来ず固まる太一の目の前で、三度飛翔する摩耶の影が、空中に綺麗な弧を描き、振り上げた足が、さながらギロチンの様に怪物の首めがけて振り下ろされる。
地を揺する衝撃と共に振り下ろされた足の位置を起点に跳ね上がる首。
又だ、質量はどうなっている?
太一の知っている摩耶の身体は精々50キロも有るか無いか。
怪物の巨体とは比べるまでもない。
太一の脳裏に浮かぶ疑念を無視して事は進む。
一度跳ねた首は数瞬痙攣したのち動かなくなった。
怪物を倒した摩耶は無意識にかスカートの裾をつまんでいる。
たった今巨大な怪物を地面に叩きつけた豪気な風情は何処にもない。