疾走
霧から飛び出した人影に、太一が咄嗟に踏んだブレーキに後部座先の摩耶が罵声を上げる。
「!」
飛び出して来た少女の姿に太一は眼を剥く。見覚えがある。
「順子だ!」
声を上げたのは2列目中央に陣取り、運転席と助手席のシートに手を掛けていた潤。
潤の声に太一が素早く反応する。
立ち竦む順子に向かって大きく手招きする。
車内に見知った潤の姿を視認した順子は、車の前方を回り込んでスライドドアへ。
潤がドアを開けると同時に、潤の腕に飛び込むように車に飛び込む順子。
右手で順子を抱えると、潤は左手でスライドドアを叩きつけるように閉める。
「出してくれ!」
潤が言い終わらないうちにタイヤを軋ませる太一。
順子を一瞬抱きとめた潤は、この子も霧に感応していることを感じる。
美咲と摩耶が膝を寄せ合う後部座席に順子を促して潤は再び前方に目を向ける。
「霧の速度は大したことは無いな」
確かに霧の接近速度は緩やかで太一もいくらか車の速度を落ち着かせる。
だがその霧の様子は気体というよりもまるで粘り気のある液体の様。
まだ立ち込めるとまではいかない霧をかき分けるように進むワンボックスカー。
美咲を挟んで摩耶と反対側に腰を下ろした順子は、ちらりと見た二人の様子に瞬時に感応する。
この人達も自分と同じだ。
美咲のお腹に気付いた順子は自然美咲の手を包むように握ってしまう。
驚いたようにわずかに顔を上げた美咲の顔が青白い。
青白いながら美しさも覗かせる美咲の風貌に引き寄せられるように身を寄せる順子。
この人が自分をここに呼んだんだろうか?
横目で美咲を窺いながら、どうもそうではないと感じる順子。
落した視線の先に認めた美咲の腹部に順子は思い当たった。
呼んだのはお腹の子供?
あり得ない話だが、その発想が不思議と胸にストンと落ちて順子の気持ちを落ち着かせる。
子供達が呼び合っている。
美咲を挟む摩耶の風情にも何処か共通する気配を感じて順子はその突拍子もない考えに一層確信を強める。
一方摩耶の方はと言えば、突如現れた順子の、自分や美咲とも違う、幼気な風貌に似合わぬ落ち着きも見せる順子に親近感も覚えながら違和感も感じる。
それはそうだろう。摩耶も美咲も母となっておかしくない非処女。
それに比して順子は霧のもたらした不思議な力で処女のまま母親の能力を身に着けた少女だ。奔放な摩耶が親近感と違和感を同時に覚える訳だ。
「こんな霧の中何処へ行こうとしてたの?」
呆れたように問う摩耶の言葉に順子は答える。
「赤ん坊が居なくなってしまって」
美咲と摩耶が同時に顔を上げる。
無言で顔を見合わせる3人。
呻くように声を上げたのは美咲。
「あなたの子供?」
美咲が問うのも当然だ。順子の大人し気な見た目は子供を産んだ女の気配など微塵も無いのだから。
「いいえ、訳有って…」
順子の返事に摩耶と美咲は一旦胸を撫でおろす。
「でも、私の赤ん坊なんです」
自分に言い聞かせるように強く主張する順子に二人は又顔を見合わせる。
何故かは分からないが順子が嘘をついている訳ではないと実感して、摩耶の内にまた別な感情が蠢きだす。
唐突に表れた少女が、詳しい事情は知らねども。美咲と同じく母としての立場を与えられているのに、自分はまだ太一の子供を授かっていない。
疾走する車の上にあって、摩耶は現状とはまた別の焦燥感に苛まれる。




