異形
「ねえ、これなんだろう?」
スカートの裾を大きく捲り、右の内腿を隣に座る太一に見せる摩耶。
捲ったスカートの奥からちらりと下着が顔を覗かせるが、既に男女の仲の太一には摩耶は隠す素振りも無い。
晒した白い内腿には薄いピンクがかった瘡蓋状の物が下着の間際に見える。大きさは精々太一の爪程。
摩耶の左に腰を下ろしていた太一が右手を伸ばす。
手を伸ばした太一は、触りなれた摩耶の内腿に現れた妙な手触りに、違和感を感じながらもそれ以外の部分まで撫でまわす。
「ふざけないでよ、真面目に聞いてるんだからさ」
摩耶の内腿の感触を楽しんでいる太一の手の甲を軽くつねる摩耶の表情は言葉と裏腹に笑顔だ。
実際の所、痛くも痒くも無いし、なんだかわからないのが少し不安なだけだ。
「硬くもねえし、虫にでも喰われたんじゃね」
校舎の屋上。本来立ち入り禁止の屋上だが、いわゆる不良生徒の太一と摩耶には格好の逃げ場だ。
まだ、陽が天頂から西に傾き始めたばかりの昼下がり。
屋上の出入り口のコンクリの壁にもたれて、午後の授業なぞそっちのけで寛ぐ男女。
「なんかさー」
太一の手をのけて瘡蓋状のそれを撫でながら摩耶は呟く。
「鱗みたいに見えない?」
肩を預けた太一に向かって小首を傾げて尋ねる摩耶。
軽く上向いた摩耶の鼻の下から唇に向かう曲線が艶めかしい。
年齢に見合わぬコケティッシュさを感じさせる摩耶は、同級の女子からは浮いていたが、男子には人気。粗暴で男子からは敬遠されていた太一と何処がお互い惹かれたのか、いつの間にやら周囲公認の仲。
「アレが始まった頃からなんだよね、それが気になってさ」
撫でていた鱗状の物から手を離すとスカートの裾を下ろす。
名残惜しそうに手を離した太一は、今度は摩耶の左腿をスカートの上から撫でまわして呟く。
「考えすぎだよ」
無邪気に腿の感触を楽しむ太一の呑気さに溜息をつきながら、摩耶は『霧』が現れてからの一連の出来事を思い出していた。
街の南端、隣町との境にある山の周辺に不思議な霧が現れるようになった。
寒い時期には霧が現れるのは珍しくも無かったが、この霧はそうではなかった。
天候、風向きなど無視して。山の頂上から湧きだし、山体を蝕む様に舐め下り、周囲の市街を呑み込んだ。
初日は特に気にする者も無かったが、何度目かの霧の発生後に警察が騒ぎ始めた。
最初は行方不明者が出たという話だったが、じきに血痕が見つかった。
飼われていたペット達が逃げ出して街中をうろつきだした。
当初霧に乗じて何者かが犯罪を犯しているのではないかとも疑われたが。霧が出始めてひと月も経ったあの日、事態は急変した。
これまでにない濃霧が発生し。丸一日、昼夜を問わず立ち込めた霧が晴れた時、街の様相は一変していた。
まるで巨大な何者かに踏み潰されたようにひしゃげた建物。
街のそこここで廃墟と化した街並み。
濃霧の中、呼び出しに応じて出動したパトカー、救急車、その他緊急車両は一台として戻って来なかった。
建物も車両もこの世ならぬ暴虐に曝されたかのように破壊の限りを尽くされていた。
空爆でも受けたかのような街並みの惨状に比して、人、動物を問わず遺体は一つも見つからなかった。多数の血痕だけを残して。
この事態に政府も動き始めた。
山の麓、街外れにあった、かつてデパートが有った建物が接収され、政府機関の人間達が籠りだした。
あれから数週間経つが公式発表は何も無し。
不思議な事に、霧もここしばらく静かで、まれに頂上に薄く姿を見せるだけ。
「こんなとこじゃダメだよ」
笑顔で太一を窘め、摩耶はもたれていた非常口のコンクリに預けていた背中を離し腰を上げる。
「お腹空いたし、茶店でも行こ」
霧の事が話題に上がるとはいえ日々の生活は続く。
学校も一時臨時休校にはなったが。霧の状況を見つつ授業は再開された。
「そろそろ帰ろうぜ」
子供の頃からの親友、洋二に促され潤は洋二の跡を追い教室を出る。
陽は西に大きく傾き、窓から差し込む西日が廊下にこれでもかと長い陰影を描いている。
先に出た洋二のうしろ姿を追って潤が廊下を歩いていると、どこか遠くでなにかの声が聞こえた。
振り向いた洋二と顔を合わせお互い首を傾げる二人。
「今の聞こえたか?」
洋二の問いに答える潤。
「聞こえた、けど何言ってるかわかんない声だったな」
再び前を向いて歩きだした潤達の前、右側の教室の扉を開けて出てきたのは隣のクラスの美咲だ。
ボブカットとか言う髪型から覗く美咲のうなじを心密かに美しいと思っていた潤は、その美咲の姿が霞むのを感じた。
そう、それは唐突にやってきた。
西日を覗かせていたグラウンド側、左手の窓の外がいつの間にか何も見えない白一色。
「霧だっ!」
叫んだ洋二の姿がもう霧の向こうに霞んでいる。
窓が開いていたのか廊下に霧が立ち込めている。
またあの声が聞こえた。いや声ではない。何の音だ。
急激に濃くなる霧を通して響く洋二の叫び。
「潤っ!ダメだっ!こっちくんなっ!」
最早すりガラスの向こうと化した洋二の輪郭に何か巨大な影が重なった。
聞こえた絶叫を潤が忘れる事は生涯無いだろう。
初めて聞いた。そして二度と聞くことは無いだろう旧友の断末魔。
霧の向こうに見えていた洋二の輪郭の上半身が消える。
一瞬跳んだ潤の意識が手前にへたり込む美咲の姿を網膜に取り戻す。
腰が抜けたのか教室側の壁にへばりつき。大きく捲れたスカートからは両の太ももが剥き出し。
取り戻した潤の意識が見てはいけないものを認識させる。
へたりこんだ美咲の足元が激しく濡れている。
美咲の両の目は限界まで開かれ、顎は途中で固定されたかのように半開き。
「!!!!!」
なんの唸りかわからないが、はらわたを揺さぶる様な重低音の唸りが窓の外から美咲を揺さぶる。
見えない風を浴びたかのように美咲の髪が後方に煽られる。
見えない。見えてはいないが、何かが美咲に向かって突進してくるのを感じた。
「美咲が喰われるっ!」考えるより早く潤の足が廊下を蹴っていた。
潤の足を動かしたのは勇気なんかじゃない。美咲が喰われてしまうという恐怖だ。
考えが有った訳も無い。只無意識に美咲と美咲に迫る巨大な影の間に飛び込み左手を突っ込んだ。
瞬間、潤の左手の甲が火を噴いた。
閃光の様に眩く、地獄の様に赤い光が霧の中の巨大な影の陰影を廊下の天井に刻む。
焼けつく痛みよりも目の前の光景に潤の意識が固定される。
描いたシルエットは見覚えの有る竜のそれ。
ドラゴンの首だ。