二
「それで? 私を信じるということは何か一つだけ願いごとを決めるということですが、もう願い事は決まっているのでしょうか?」
「願い事は一つ、確か何でもいいんだったよな?」
「えぇ」
「先に言うが、お前に今から言うのは願い事じゃない。少し考えさせてくれ」
「なんというか、随分と用心深いことで。好きなだけお考えください」
「そうだな。何でも、か……」
そう確認するように呟くとほんの少しの間考え事をしているのか黙りそしてすぐにまた話し出した。
「そうだなぁ、何でもって言われると悩むよな。例えば人の心を操れたりするのもいいよな? 日本とは言わず世界だって納めれる力だ」
「世界征服に興味がおありですか?」
「まさか、ただそんな大きな規模でなくとも一生争いは避けれるだろうし、当然女に困ることはないだろうな」
「それこそあなたには不要なのでは? その程度の相手なら私がいたしますし」
「は? あぁ、そうか。そういった小さな面倒事までお前が解決してくれるってことか」
「いえいえ。人間同士のもめ事の仲裁なんて面倒くさいこと私はいたしませんが、言葉通り性行為の相手くらいならばするといったのです」
「……へぇ、なるほどな。なら確かに、そういう系統の願いは考える必要ないな。というかお前は俺の願い事を叶えた後も近くにいるんだな?」
「まぁ、ただの経過観察みたいなものですよ。そこまでが私の興味の範囲ですから」
「そうか……そうか、まぁ俺にとっては得なだけだからどっちでもいいけどな。んー、後どうせ願い事を叶えて貰うんだったら一つの願いで二つ以上叶えられるものがいいよな。例えば、大金が欲しいっていう願いよりもこんなふうに時間が止められる願いのほうがいいし、そんな願いよりも時間が操れるっていう願いの方が全然いい。そんなふうに一つの願いから得られる結果が複数あっても別に構わないんだろ?」
響也は何かを確かめるように一つ一つのことを確認しているように見えた。
「えぇ、もちろん構いませんよ」
「そうだなあとは、……」
「そろそろ茶番はやめにしませんか? 叶えたい願いなんてもうとっくに決まっているように見えるのですが」
そんな響也の態度を黒い瞳はすべて見透かしていたのか、言葉をさえぎり呆れたように言う。
「なんだ、ばれてたのか。まぁ正直お前に願い事を叶えて貰えるって初めて言われた時から思いついているものはあったんだが、それが叶えられるかが分からなくてな。ドヤ顔で願い事を言ってさすがにそれは常識的に無理ってわかるだろうって言われても嫌だからな」
「そんなことですか。はじめに言ったはずですが。何でもよい、と」
「まぁ、そうなんだがな。じゃあ願い事だ。俺をお前と同じ……いゃ、違うな、それでもまだ同じだ、足りない。俺はもっと欲しい……俺を、俺を全知全能にしてくれ」
「強欲とは貴方の様なことを指すのでしょうね。その強い欲は全てを欲しがっている」
「そうか? まぁ俺としてはその願いを叶えられるか叶えられないかを早く聞きたいもんだが。やっぱり、無理か」
「容易いことですよ。今から願いを叶えますが、本当に後悔しませんか?」
「後悔なんてするはず……いや、するだろうな。何しろ今までの生活とはガラリと変わるはずだしな。今の俺の頭では想像もつかないが、何かしらの後悔はするはずだ。まあでもそれも手に入るものと比べたら後悔と呼べるものじゃないかもしれないけどな」
「少し……予想外の答えでしたが、あなたの願いはもう既に叶えました」
「そうか、なんというか、何も変わらないんだな。こういう時こそさっきみたいなわざとらしい演出が欲しいところだが」
「随分と可愛らしいことを言うのですね。あなたはすでに全知全能の力を得たというのに」
「それもそう、だな」
「それではそろそろ時間を動かして私も一度消えます」
「あぁ……、ん?」
まず音。冗談のような無音の世界だったのが生徒たちは真剣に話を聞いているにもかかわらず世界とはこんなにも騒がしかったのかと思い知らされる。
先程響也を注意した教師が黒板にチョークで文字を書きながら授業の説明をしていた。
それをぼんやりと眺めながらゆっくりと首を横に向けそして元に戻し、大きく溜息をついた後、左手を顔の横あたりまで上げ親指と人差し指で軽く音を鳴らした。
「どうしたんです? そんな意味のないことをして? あなたはもう考えただけで全てのことが思い通りだというのに」
再び時間の止まった教室でしばらくは呼ばれないと思っていたからだろうか、空中でうつ伏せのまま現れた彼女は顔だけを響也の近くまで寄せ不思議そうに聞く。
随分と悪意のある登場の仕方に見えたが、余り意に介さずに響也はそれに答えた。
「意味がないか、まぁそういうなよ。お前は確かに意味がないと思うかもしれないけれど、というか意味なんかないのだけれどせっかくだから格好ぐらいつけさせてくれよ」
「あぁ、そういうことですか」
そう答えながら響也の反応に大して面白くもなさそうに浮いていた体を羽毛が地面に落ちるような音でゆっくりと体勢を変えながら響也の机の上に座る。
「それに、無意味というなら俺達のやりとりの方がずっと無意味だった。さっき俺はお前に人間ぽいって言ったけど、ぽいだけで人間的な感情は全然わからないみたいだな」
「それは一体どういう意味でしょうか……?」
「つまりさ、さっきお前は自分が俺の想像した作り物じゃないってあれこれやってたけど、止めてた時間を一度動かした方がはるかに手っ取り早かったって文句を言いたくて俺は時間を止めてお前を呼んだんだよ」
「……あぁ」
「あぁって、本当に考えもしなかったのか」
「いえ、というより私のことは疑うのに、あなたの周りにいる方々のことは疑わないのかと思いまして。時間を動かしたところでみんな全部作り物だっ、とか言われると思っていたので」
「はぁ……、だから感情がわからないって言ったんだよ。もしそうだとしたら、お前が現れなかろうがそうかもしれない。俺だけに意識があって他は全部作り物かもしれない。ただそんなの確認のしようがないしな。まぁ俺的には全部ニセモノで作り物だろうとそれがわからなければ別にいいって考えなんだが」
「えぇと、一応疑問なのですが偽物で作り物だろうが、それがわからなければ構わないというのだったら何故私をすぐに受け入れなかったのですか?」
「んーまぁ二つ理由があるんだが、一つはあの状況でもしお前が偽物だとしたら、俺自身の頭がいかれてることになる。さすがにそれをすぐに認めるのは難しくてな」
「まぁ確かに、偽物だとしたらそうなりますが、偽物だろうとわからなければ本物として扱うという話でしたよね?」
「あぁ、だから、二つ目の理由の方が大きい」
「へぇ? それはどういったものでしょうか?」
「普通人間は突然時間が止まって見たことない奴が現れていきなり願いを叶えるなんて言われてもまともな思考ができない。これが答えだ」
「……なるほど」
その返事を聞くと響也は再び左手を顔の横あたりまで上げ、しかしそのまま左手を下した。
「……どうしたのですか?」
「いゃ……一応お前の名前を聞いておこうかとな」
「ふ、それは以外ですね。あなたはそんなこと気にしない方だと思っていました」
「まぁそうなんだが、抱いた時に呼ぶ名が無いと盛り上がらないだろ?」
「あぁ、それはその通りですね。ですが私に呼ばれるような名はなかったので」
「まぁ何でもいいさ」
「そうですね、ではこれから私の名は――」
クスリと含むような笑いを見せた彼女の名を聞くと響也は先程と同じようにまた親指と薬指で軽く音を鳴らした。