第六話「拉致」1/2
目を覚ますと、背理は冷たいところに寝ていた。
部屋は暗かった。
電気が点いていないのか、もう日が落ちているのか……。
今、何時だろう?
真事は、どこだろう──。
「起きたぞ。始めるか」
声が聞こえた。
ジャージが乱暴に引っ張られ、背理のすぐ上で、ビリビリという嫌な音が響いた。
「な、に──」
背理は音の正体を知ろうと、聞こえてきたほうへ振り向くために、首を持ち上げた。
──次の瞬間。
「ああ……ッ!」
強く硬い一撃が、背中に与えられた。
背理は絞り出すような叫び声を上げたが、衝撃にすぐ息が止まり、長続きしなかった。
間髪容れずに、痛みがやってきた。
焼けたように熱くて、痛い。
背理は苦しさにむせりながら、背中に力を込めて痛みをやり過ごそうとした。
「大人しくなるまでやれ」
同じ声が言った。
今度は首元を締めつけられ、着ている服ごと引きずられる。
そして、あごを下から鋭く突き上げられた。
「……っ!」
喉への痛みと、今口が閉じて噛んでしまった舌の激痛で、何かを考えるどころではない。
首を、あごを、痺れたような、そこだけ重力が働かずに口があるのかないのかわからないような、それでいて身が縮むように猛烈な痛みが占めていた。
もう声を出すことなどできなかった。
背理は冷たい場所に転がされ、脇腹や太ももへも浴びせられる暴力的な苦痛に、ただ腕で頭を守り、されるがままに衝撃を受け続けた。
音無はどこだ。
真事は校舎の中を走りまわっていた。
球技大会は終了した。
どの学年の生徒たちも、帰り支度もそこそこに、やれカラオケだ、やれ飯だと、打ち上げめがけて矢のように下校していった。
真事は、外の騒ぎが落ち着いた頃を見計らい、あと少しで起こすことになる背理をせめてもう数分だけでも眠らせてやろうと、音を立てずに保健室を出た。
背理の着替えと鞄を取りに行こうと、真事がD組へ向かったのはついさっき。
そんな、ほんの数分保健室を離れていただけなのに、戻ると背理がいなかった。
トイレも確認したし、教室にはいなかった。
下駄箱に靴はある。
望み薄と思いつつ向かった廃棟の音楽室にも、案の定いなかった。
そして今、もう一度保健室に来てみたが、やはり背理の姿はなかった。
この短時間で、いったいどこに消えたというのか。
あの突き指の痛がりようで、トイレに行ったでもなく、自分を待たずに動き回るわけなどないように思える。
そもそも他人に何かを言われたところで、言うことを聞くような奴ではないはずだ。
では、どこに。
保健室の前で、仁王立ちのまま考えを巡らせていると、ととと……と足音が聞こえた。
「綴季くん……!」
淑野だ。
まだ体操服姿で、顔を紅潮させ、息を弾ませていた。
走ってきたようである。
「──はぁ……っ、あの、あの……音無くん、どこ……?」
淑野は胸に手を当て、呼吸を落ち着かせようとしながら、真事を見上げた。
真事はなるべく無表情を作り、できれば和平的に聞こえろと願いながら、少し抑えた声で淑野に聞き返した。
「何か用なのか」
「具合、大丈夫かなって気になって……球技大会が終わったから、ここに来たの。そしたら、誰もいなかった……」
淑野が言う。
真事は、思わず目を細めた。
「……いつの話だ」
「今、あっ、ううん、ついさっき……ほんの、ちょっと前。だから、もう帰っちゃったのかと思って昇降口を見に行ったんだけど、靴はあったの……それで教室なのかなと思ったんだけど、いなかったから……戻ってきたの──」
淑野は、あっちを指差したりそっちを指差したりしながら話した。
どうやら、真事と逆まわりの一周で捜索をしたようだ。
「綴季くん、一緒じゃなかったの……?」
「用があって少し離れた。その隙に音無は消えた」
真事の答えに、淑野が心配そうな顔であたりを見回した。
「どこに行っちゃったんだろうね……綴季くんに黙ったままなんて……」
真事は淑野のことを見ていた。
用があって寄ってはくるものの、長居はしない、控えめで礼儀正しい女子。
そして、いざというときになら行動するための勇気が出てくる彼女。
自分を見つめる真事を、淑野もおずおずと見つめ返した。
「……綴季くん……?」
「淑野。今日の午後、音無の怪我のときに水道へ来た奴、覚えてるか」
「実原くん……?」
淑野は頷いた。
真事は次へ言葉を続けるのを躊躇った。
単なる自分の勘で、杞憂であれば、と思うことがある──しかしそれは、今は事情があるとはいえ、自分の推測の域を出た話ではない。
ここで淑野に話し、彼女を巻き込むのは憚られた。
黙ったままの真事に、淑野の瞳が揺れている。
「……綴季くん、あの、何が、言いたいの……」
こちらをしっかり見ようとせず、声を震わせだした淑野に、真事は感じるものがあった。
「……淑野、何か心当たりはあるか」
「──っ」
小さく息を呑む音。
視線がおどおどと目の前をさまよっている。
「何か……あるのか?」
あまり悠長にしてはいられない。
だが、おびえさせてしまっては協力どころかヒントさえ得られないだろう。
真事は一歩下がった。
淑野が、遠ざかろうとする真事に気づいて、顔を上げる。
広がる不安に、困惑が勝った。
「……淑野。俺は急いでいる。音無を探したい。──お前が考えたことで構わない、その男のことは俺も疑っている。教えてもらえると……助かる」
誰かのために気を遣うのは、真事にとってほぼ初めてであった。特に、女子に対しては。
淑野は、背理の言葉を思い出していた。
──真事は滅多に怒らないよ。
そのとても見えにくい優しさに関しては、
──うん、かなりね。
この人は、怖くない。
この人なら、きっと大丈夫。
淑野は心を決めた。
「大人しくなったか?」
「ああ、たぶんな」
自分の意志では体が動かない。
ひどく重くとも、とても軽くとも感じる。
暴れているような血潮の熱さと、痛めつけられたことによる震え、力を入れようのないくらい、感覚のない手足。
背理は浅い息で、かろうじて意識を繋いでいる。
自分が何をされたのか、よくわかっていなかった。
「ったく……面倒くさくしやがって。なんでオレが直接ここまでしなきゃなんねーのかなぁ」
さきほどから聞こえている、声の主が近づいてきた。
運動靴が見える。
それは背理の頭の前までやって来て、つま先を目のすぐ近くに向けて止まった。
「……おい。お前、自分が何したか、まさかわかってるよなぁ?」
その人物が、背理の髪をわし掴み、無理やり顔を上げさせた。
背理は吊られた人形のように首を反らし、体重の支えどころを求めて体をよじった。
「おい、ちゃんと見ろよ。まだ目は潰してねぇだろ?」
声の主がゆさゆさと頭を揺する。
背理はぐるぐる回る視界の中に、一人の男子生徒を見つけた。
さらっと流した前髪に、しなやかそうな長い脚。
大きく切れ長に広がる目許は涼しげで、すっと通った鼻梁が知性的な──。
「……だれ」
他人の名前を覚えるのが、苦手な背理であった。
「……オレのことは眼中にねぇってか? ……まぁそうだよなぁ、自分は御大層なピアニスト様だもんなぁ?」
背理がピアノを弾くことを知っている。
誰だ。
背理は、意識が少しはっきりしてきた。
背理は自分がピアノを弾くことを、学校のほとんど誰にも言っていなかった。
理由はいろいろあったが、校内のそこかしこで生まれては消える噂話のネタになりたくない、ということが一番だった。話題にのぼること前提なのが、また尊大な背理らしい。
そのため、この高校で背理がピアノ弾きだと知っているのは、友達の真事と、淑野と、担任の教師くらいだった。
高校二年の春──つい、このあいだ。
背理と真事が出会うより少し前。
桜の枝にまだちらほらと花の残る日に、淑野が背理にとても小さな声で話しかけてきたのだ。
淑野は昔ピアノを習っていた。
だが、本格的には何も目指していなかったため、小学生の後半でフェードアウトするように辞めていった。
でもピアノの音は好きだった。
辞めてからも、いろいろなコンクールを見学に行った。
そうしたら、自分と入れ替わるようにして、背理がピアノの世界に現れたのだった。
一音聴いたときから虜になった。
それからは、背理が出場するコンクールを探しては通いつめ、見守るとともに聴き惚れていた。
そして淑野に、運命とでも呼びたくなる幸運が訪れる。
自分の進学先が、偶然にも、背理と同じ高校だった。
ピアノの実力の差や、コンクール会場での演奏者と聴衆という接点のない関係ではなく、同じ身分で会えるなんて、夢のよう。
淑野は喜んだ。
人知れず、胸の内で、ときめきにあふれた毎日を過ごした。
だが、この性格だ。
話しかけるのに一年もかかってしまった。
そのうえ、初めて背理と挨拶を交わしたときには、うまくしゃべれずに、自分を恨めしく思ったのだった。
もしもっとピアノを続けていれば、今とは違う自分だったかもしれない。
もっと自信があったかも、もっと勇気があったかも。
淑野の背理への気持ちは、恋と名づけるにはまぶしく、尊敬と言うには恥ずかしかった。
おそらく、憧れと呼ぶのがふさわしいのだろう。
──あ、あ、憧れて、ました……っ。
だがそんな自分に、背理は優しい笑顔で応えてくれた。
淑野が背理を見つめるのには、ファンであるからというものと、淡い恋心を抱く相手だからというものの、両方の理由があった。
一方、担任の教師は、地元紙の記事を見て背理に声をかけてきた。
新聞の、催し物で賞を受賞した、その地域の出身者の名前が掲載される欄で、背理の名を見た。
二〇XX年度 FUJI全日本ピアノコンペティション 高校生の部 一位 音無背理。
おや、確か自分のクラスに、このような名前の生徒がいたのではなかったか。
次の日、担任の教師は、背理を職員室に呼び出した。
──賞状とトロフィーを獲ったそうですね?
──……トロフィーではなく、今回のは杯です。
背理はどうでもよいところでまず文句を言った。
そして教師が、表彰するから賞状などを持ってこいと言ったのを、背理は即答で断ったのだった。
だが、一つの大会の頂点である。
学校としてはぜひとも表彰し、ほかの生徒の意欲向上に貢献してもらいたい。
いや、我が校にこんな素晴らしい生徒がいるのだと、学校側も認識したい。
三十分ほどかけて教師が粘り強く説得したが、背理は頑として首を縦には振らなかった。
なぜなんだ、と根負けした担任は聞いた。
──誰かに見てもらわなくても、僕が一位であることに変わりはないからです。
背理は淡々と答える。
それならば、見られたとしても一位であることは変わらないのでは?
優しさを装い論破しようとしてきた担任に、背理は冷淡に言い放つ。
──僕の価値も、ピアノの価値もわからない一般人に、適当な拍手をされたくありません。また、学校の広告塔のように利用されたくありません。
そのとき確か、県大会で見事な成績を収めた運動部が、次の朝礼での表彰の段取りを顧問の教師から聞くため、近くにいた。
──ほら、彼らのように、胸を張って表彰されてごらんなさい。とても立派だし、自分でも自分を誇らしく思えますよ。
頭を抱えながらも、担任がまた言った。
ここで背理のイライラがピークに達する。
──あれは誇りではなく、自慢では? 僕はそんなものに頼らなくても、自分に価値があると確信できます。彼らと僕は違います。県大会の何位かと、全国の一位を一緒にしないでください。
担任はとうとう諦めた。
その二人と真事しか、背理が把握している限りでは、背理のピアノを知る存在はないはずだった。
であれば、こいつは誰だ。何者だ。
目の前の運動靴の男子生徒は、背理などお構いなしにしゃべっている。
「なんだっけ? ピアノで? 賞獲ってるらしいくせに、わざと表彰されない? 何気取ってんだよ、マジむかつく……。お前なんか、オレより人望も人気も何もないし、ひょろくて地味なくせに、生意気なんだよ。あのとき、絶対いつか後悔させてやるって思ったんだわ」
賞。表彰。
校内では、あのとき担任の教師としか話していない単語だった。
──ということは。
「君は……あのときのバレーボール部だね?」
「はぁ? ふざけんな、オレはバスケ部だよ!」
男子生徒が鎌かけに引っ掛かってくれたため、知りたい答えが返ってきた。
相手に勘違いされたくらいで怒り出す、この脆いプライドの塊は、やはりあのときの運動部だ。
「ふぅん、バスケ部なんだ。じゃあ、大変だね? チームは他人のミスで足が引っ張られるから、平気でいてみせるのにも苦労するでしょ? ……それとも、責任が分担されるから、痛みが少なくて楽なのかな……? でも、自分一人なら確実に成功するのに、とは思わないの? ──って、そうするには実力が足りないのかぁ。僕は君たちとは違う。僕は、僕の力だけで頂点に立てるよ。それも県なんかじゃなく、世界のね」
「……はぁ? お前、この状況でよくそんな口が利けるな。そのご自慢の指、ピアノなんつー女々しいモン、弾けなくしてやってもいいんだぞ?」
バスケ部野郎が、顔を歪めて、背理の頭を掴む力を強めた。
背理は無視して続けた。
「話を聞いてるとさ、なんでもできる君が、間抜けな僕に嫉妬してるみたいで、滑稽だよ。僕なんか無視してればいいじゃない。僕は今だって君のこと、名前すら知らないんだ。なのになんで構うの?」
「ハァ……? んなもん、お前の不幸がオレの幸せだからに……、決まってんだろっ!」
「──っ!」
運動靴の蹴りが飛んできた。
柔らかな肌を削るように、無機質な一撃が加えられる。
一瞬目の前がかすみ、ぴりぴりとしたものと、鈍いもの、二つの痛みが頬に広がっていった。
「それによ、標的が痛めつけられてるところは、やっぱしっかり見とかないとなぁ?」
床にべったりと落ちた背理を、バスケ部野郎が踏みつける。
じりじり重さをかけてくる相手に、背理は冷たい床を肘で押し返し、反発した。
「──なるほどね、他人には言いたくない理由なわけだ? 何かコンプレックスを、君より勝るって君が思ってる僕に、こんな程度の八つ当たりをすることで、必死に隠してるんだ? 逆に無様じゃん」
「はぁ……?」
バスケ野郎が、ピクリと反応する。
物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、怒りに満ちた声を押し殺して、背理の真上から言った。
「……オレにコンプレックスなんかあるわけねぇだろ……? だいたい、たかがお前ごときが、このオレに、恥なんかかかせられるわけねぇんだよ……。オレは、屈辱を味わっていいような人間じゃない……お前を痛めつけないと、気が済まないんだよ……」
自らいろいろと暴露してくれているようで、助かる。
落ち着こうとしているが、かえって頭に血が昇ってきたようだ。
背理を踏む足が、背中をぐりぐりとえぐってくる。
背理は、体中にあるほかの傷まで鳴らすような痛みと必死で戦った。
「……っ、もしかして……君のコンプレックスって、僕にとってはどうでもよさそうなことなんだ? もしくは、もう僕が持ってるものとか……。そんなに僕が羨ましいの?」
背理は相手をどんどん挑発する。
痛めつけられるのなら、明確な理由を知りたかった。
それに今、原因がわからなければ、とてもじゃないが勝てない。
たとえ暴力に負けたとしても、口喧嘩でむざむざ負けを見る背理ではないのだ。
特に最後の言葉は、相手の神経を逆撫でするのに役立ったようだ。
「お前……っ! それ以上言ってみろ、ただじゃ──」
「──それにきっと、僕が持ってるもののほうだって、君なんかに執着されて嫌がってるよ?」
背理はふふん、と笑ってみせた。
血の味も、動かしにくい口も、気にならなかった。
バスケ野郎が目を見開く。
「ふざけるな! んなわけねぇし、だいたいお前の持ち物でもない! お前さえいなけりゃ、お前さえいなけりゃ……。……お前さえいなけりゃ、淑野だって……! ほかの女子はみんなオレが好きなのに、淑野がオレを好きにならないはずは、ないんだよ……っ!」
「……え、淑野さん?」
血走った大きな目、髪の分け目から覗く、青筋の立ったこめかみ。
端正な顔が、それなりに台無しだった。
ああ、こいつは。
他人につつかれたくらいで破れる薄っぺらいプライドと、まわりからの期待と自分の理想像を、必死で守っている。
そして、その重圧に耐え、その高さを超えるための足場は、本人が信じているよりずっと揺るぎ易いのだ。
そう背理は思った。
だが、淑野の名前が出るとは予想外だった。
つまり……。
「君、淑野さんが好きなの? で、その様子だと、もしかしてもうフラれたんだ? ご愁傷さまだね」
「はぁ? まだフラれたわけじゃねぇよ! ぜってー落としてやるんだっつーの」
「じゃあ……僕、関係なくない? なんで君と淑野さんとのことに、僕が出てくるの?」
「──それは……っ」
「淑野さんが、自分は君じゃなくて僕を好きなんだ、って言ったとか? なぁんだ、好きな人の好きな人が自分じゃなくて、落ち込んでるだけじゃん。僕は淑野さんのこと別に好きじゃないから、安心して頑張りなよ」
「お前、マジでうるせぇよ……!」
バスケ野郎は背理の背中を、運動靴にありったけの憎しみを込めるようにして、強く強く、蹴った。
暴行はたいがいが非人道的だが、この悪質さ渦巻く私的制裁もまた、バスケ野郎による破れた恋の復讐だ。
募る思いが凶器に変わる。
特に、こいつのように底意地の悪い性格の持ち主にとっては、潔く失恋に浸るという選択肢がないようなので、逆恨みになりやすいものであった。
──と、いうことは。
さきほどから背理を押さえつけている、姿の見えないいくつかの重さは、彼の仲間だろう。
ときどき聞こえていた声の軽さからして、罪に荷担しているという意識はないようだった。
ただ友達の恋を応援しているだけのつもりなのだろう。
あるいは、バスケ野郎の自慢する人気とやらにあやかりたいのか。
とにかく、スクールカーストの上位はこのようにして守られている。
肋骨に降る大きな痛みが止んだ。
体操服越しに感じるひんやりとした床が、熱い頬にも燃えるような体にも、今は気持ちがよかった。
このまま、まぶたを閉じていたいのを我慢し、目の端から見上げると、バスケ野郎は肩で荒く息をしている。
「……ずいぶん焦ってるみたいだけど、大丈夫? あと、バスケ部なのと淑野さんを好きなのはわかったけど、君はいったい誰?」
「あいつの名前を、お前が軽々しく口に出すな……!」
いつまでも口の減らない背理に、バスケ野郎が叫んだ。
「……恋と真正面から向き合う勇気はないくせに、恋敵に八つ当たりする卑怯さはあるんだ? そんな意気地なしこそ、好きとか軽率に言うもんじゃないよ」
背理はなおも言った。
それにしても。
背理さえいなければ、淑野が自分を好きにならないはすがないとは、ピアノに対して無二の弾き手顔をする背理に、負けず劣らず横柄なことだ。
ただこいつの場合は、人間相手なのでよりたちが悪い。
自分がすることなら拒否されないと思っている傲慢さが、控えめな性格の淑野から好意の対象にしてもらえない原因では?
──真事が聞けば、また、お前が言うかと言いそうである。
そういえば、真事はどこに行ったのだろう?
なぜここにいないのだろう?
「──ねぇ、僕もう帰ってもいい? けっこうやったんだし、気は済んだでしょ?」
「はぁ? 何逃げようとしてんだ、ふざけるな。お前、自分の立場わかってんのか? 勝手な真似が許されると思うなよ」
バスケ野郎は背理の目の前に立った。
「しっかり教えてやるよ。まず、敗者は、勝者に跪いてもらわなきゃなぁ……」
そして、背理を押さえつけている仲間たちに向かってあごをしゃくった。